イザヤ書Ⅴバビロンの裁きと滅亡の預言 13~14章
はじめに: イザヤ書1~12章まではエルサレムとユダに対する主の戒めが語られていました。それに対して13章からは、諸外国への警告が記されています(13~23章は諸外国に対する神の託宣集です)。その 最初に現れるのがバビロンです。13章には、バビロンとそれを滅ぼすペルシャが描かれています。しかし、イザヤの生きた時代には、バビロンは崩壊どころか存在すらしていません。歴史的に見ればアッシリアの方が先です。しかし、創世記を見た場合、「バベルの塔」に見られるように、バビロンは、神に反抗した最初の民です。神が怒り、言葉は散らされ、多くの国が生まれました。まとまって主に反抗することを主は恐れたのです。
ここに現れるバビロンは、単に一つの国としてのバビロンではなく、神に敵対する象徴として現れます。まさにサタンの化身です。それゆえ、バビロンは、聖書の中では特別な位置を占めています。そのバビロンに対する主のさばきが預言されています。まさに「アモツの子イザヤの見た(神)の宣告(13:1)」なのです。サタンは滅ぼされなければならないのです。
難攻不落を誇った、さしものバビロンも滅びたのです。主はあらゆるものを使って自分の目的を達成します。たとえ、それが「反キリスト」であっても、です。神はアッシリア、ペルシャを使って、北イスラエル、バビロンを滅ぼしました。さらに、主は、ペルシャのクロス王を使って、捕囚の民を開放しています。その神の目的は何だったのでしょうか。それは神が、その威厳と尊厳を民に示し、自分に従わすことにあったのです。畏れ敬うことを要求するのです。神は全く清く正しい方であられるので不義、汚れを赦すことが出来ないのです。正しくさばかれるのです。当然、神=愛ではないのかと言う疑問が起こります。神は「アバ父(お父ちゃん)よ」と呼ばれたいのです。しかし、この時、神とイスラエルの民との間には和解は生じていません。イスラエルは、神を拒否したのです。問題は神の側ではなく、イスラエルの側にあるのです。真の救い(愛)は、新約聖書の神=主イエス・キリストの出現まで待たねばならないのです。主は、その一人子をこの世に送ってくださったのです。そこに神の愛を見ることが出来ます。
13章:「アモツの子イザヤの見たバビロンに対する宣告」と、あるようにバビロンは、他の罪に満ちた諸国に先立って、最初に神のさばきを受けます。
「はげ山の上に旗を掲げ、彼らに向かって声を上げ、手を振れ、そうすれば彼らは貴族の門に入るであろう(13:2)」。彼らとは主の全軍(メディア・ペルシャの連合軍)のことです。貴族の門とはバビロンの宮殿のことです。この文章は主の全軍のバビロンに対する宣戦布告を現しています。バビロンに対して、メディア・ペルシャの連合軍の侵入が預言されています。「私は怒りを晴らすため、わたしに聖別された者たちに命じて、またわたしの勇士、私の勝利を誇る者たちを呼び集めた(13:3)」。「聞け、おびただしい民にも似た山々の轟を。聞け、寄り合った王国、国々のどよめきを。万軍の主が、軍隊を招集しておられるのだ。彼らは遠い国から、天の果てからやってくる。彼らは全世界を滅ぼすための主とその憤りの器だ(13:4~5)」。この彼=遠い国、天の果てからやって来るものとは誰のことか。彼とは神の支配下にある全軍を指します。彼らは神のさばきを司る裁判官です。ついで、「泣きわめけ。主の日は近い。全能者から破滅が来る(13:⑹)」主の日とは終末の神のさばきの日です。世の終わりの艱難時代を指します。神のさばきが、キリストを拒絶した世界に注がれます。全能者から破壊が来ます。極めて重要な日です。
次に「主の日」について語られています。主の日とは新・旧約共に、世の終わりのときを現しています。13章の6~10節には、主の日に起こることが記されています。主の日は残酷な日です。神は「憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪びとたちを地上から根絶やしにする。天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く月も光を放たない。(13:9~10)」。主の日とはこのように天変地異の襲い掛かる日です。「その日は盗人のようにやって来ます。その日には天は大きな響きをたてて、消え失せ、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地のいろいろの業は、焼き尽くされます(Ⅱペテロ3:9~10)」。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に大地はその基から揺れ動くのです。
主はバビロンに言います「「私は、その悪のため世(バビロン)を罰し、その悪のため悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。わたしは人間を純金よりまれにし、人をオフィルの金よりも少なくする(13:11~12)」。主はバビロンの滅びを預言しています。16節からはバビロンに与えられた悲惨な状況が語られています。祖国から逃亡する者、侵略者ペルシャによる市民の殺害、幼児の虐待、家の略奪、強姦、等々、今のウクライナの悲惨さを見るようです。「こうして王国の誉れカルディア人誇らかな栄であったバビロンは、神がソドムとゴモラを滅ぼしたときのようになる(13:19)」のです。その結果、バビロンの地は、荒れ野となり、そこには人は済まず獣の住まいになり下がるのです。まさに、主の日の到来をみるようです。「その時の来るのは近く、その日はもう延ばされない(13:22B)」。バビロンの崩壊の預言がイザヤによってなされています。
14章:「まことに、主はヤコブを哀れみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地にいこわせる。在留異邦人も彼らに連なり、ヤコブの家に加わる。国々の民は彼らを迎え彼らの所に導き入れる。イスラエルの家は主の土地でこの異国人を奴隷、女奴隷として所有し、自分たちを虜にしたものを虜にして、自分たちを虐げたものを支配するようになる(14:1~2)」。
主はペルシャのクロス王を使ってバビロンの捕囚によって、虐げられていたイスラエル人を祖国イスラエルに戻します。主は、イスラエルをこのまま滅ぼしてしまうわけにはいかなかったのです。そこには、イスラエルの民を「子々孫々」まで増大繁栄させると言うアブラハム契約があったからです。11章では「主はユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる(11::12)」と記述されているように、主は各地(アッシリア、エジプト、パテロス、クシュ、エラム、シヌアル、ハマテ、海の島々)に散らされていたイスラエルの民を集め、祖国に帰還させたのです。更に、主は、今までイスラエルを支配していた国(ペリシテ、エドム、モアブ、アモン)を逆に支配し、イスラエルをバビロンのくびきから解放したのです。(14:3)」。その日(バビロンの滅びた日)イスラエルは、敗れたバビロンの王をあざけって歌を歌います。その歌はイスラエルの勝利宣言でした。
「彼(バビロン)は憤って、国々の民を打ち、絶え間なく打ち、怒って国々を容赦なく虐げて支配したのだが(14:6)」主はこれをお許しにはならなかったのです。「虐げる者はどのようにして果てたのか。横暴はどのようにして終わったのか。主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ(14:4~5)」。このように、主は虐げる者を虐げられたのです。この結果、「全地は安らかにいこい喜びの歌声を挙げている。もみの木も、レバノンの杉もあなたのことをよろこんでいう。『あなたが倒れ伏したので、もう私たちを切る者は上ってこない』(14:7~8)」と。神のさばきは、このように、この世のバビロンに下るだけでなく、黄泉の国に堕とされたバビロンにも、以下のように、下るのです。黄泉の国とは死者の行く場所であって、その人の善悪には関係がありません。この国で支配者の霊は言います。「あなたもまた私たちのように弱くされ、私たちに似たものになってしまった。あなたの誇り、あなたの琴の声は黄泉に堕とされ、あなたの下には、蛆が敷かれ、虫けらがあなたの覆いとなる(14:10~11)」と。あの豪華絢爛を誇ったバビロンの王の転落の姿が,この世とあの世の両方において下るのです。
イザヤはバビロンの王にあなたと呼びかけ、己を神と同じ立場に置き、主の一番嫌われることを行ったと、その高慢と、高ぶりをいさめます。それゆえ、主の怒りを買い、黄泉の国に落とされたのだ(14:13~15参照)、とあざけります。以下、主はバビロンの悪を暴き、その裁きを語ります。「あなたはほかの王たちのようには己の墓では眠れず、墓の外に投げ出され、踏みつけられる」。あなたの子らは先祖の罪ゆえに赦されることはない。これは「世界の面を、(汚れた)バビロンの町々で満たさないためなのです(14:21B)」。
次に主はバビロンばかりでなく汚れた大国アッシリア、ペリシテと主に反抗してイスラエルに侵攻した国々を罰し、その子孫までも滅ぼすと預言します。それゆえに、これらの国々に虐げられていた国の軛は取り除かれ、その重荷は彼らの肩からなくなります。「これは主のご計画の一つです。誰がこれを破れようか。御手が延ばされた、誰がこれを戻し得ようか(14::27)」」。
「異邦の使徒たちに何と答えようか。「主はシオンの礎を据えられた。主の民の悩む者たちはこれに身を避ける(14:22)」。ここには「神の国」の到来が預言されています。彼らは、最終的には、ここに憩うのです。
ペリシテ:「アシュケロン」「アシュドデ」「ガザ」、「エクロン」「ガテ」のう五つの町、五人の王によって統合された国をさします。ペリシテ人はユダの低地にある町々に侵攻し、これを取り、そこに住んだのです。
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はじめに: イザヤ書1~12章まではエルサレムとユダに対する主の戒めが語られていました。それに対して13章からは、諸外国への警告が記されています(13~23章は諸外国に対する神の託宣集です)。その 最初に現れるのがバビロンです。13章には、バビロンとそれを滅ぼすペルシャが描かれています。しかし、イザヤの生きた時代には、バビロンは崩壊どころか存在すらしていません。歴史的に見ればアッシリアの方が先です。しかし、創世記を見た場合、「バベルの塔」に見られるように、バビロンは、神に反抗した最初の民です。神が怒り、言葉は散らされ、多くの国が生まれました。まとまって主に反抗することを主は恐れたのです。
ここに現れるバビロンは、単に一つの国としてのバビロンではなく、神に敵対する象徴として現れます。まさにサタンの化身です。それゆえ、バビロンは、聖書の中では特別な位置を占めています。そのバビロンに対する主のさばきが預言されています。まさに「アモツの子イザヤの見た(神)の宣告(13:1)」なのです。サタンは滅ぼされなければならないのです。
難攻不落を誇った、さしものバビロンも滅びたのです。主はあらゆるものを使って自分の目的を達成します。たとえ、それが「反キリスト」であっても、です。神はアッシリア、ペルシャを使って、北イスラエル、バビロンを滅ぼしました。さらに、主は、ペルシャのクロス王を使って、捕囚の民を開放しています。その神の目的は何だったのでしょうか。それは神が、その威厳と尊厳を民に示し、自分に従わすことにあったのです。畏れ敬うことを要求するのです。神は全く清く正しい方であられるので不義、汚れを赦すことが出来ないのです。正しくさばかれるのです。当然、神=愛ではないのかと言う疑問が起こります。神は「アバ父(お父ちゃん)よ」と呼ばれたいのです。しかし、この時、神とイスラエルの民との間には和解は生じていません。イスラエルは、神を拒否したのです。問題は神の側ではなく、イスラエルの側にあるのです。真の救い(愛)は、新約聖書の神=主イエス・キリストの出現まで待たねばならないのです。主は、その一人子をこの世に送ってくださったのです。そこに神の愛を見ることが出来ます。
13章:「アモツの子イザヤの見たバビロンに対する宣告」と、あるようにバビロンは、他の罪に満ちた諸国に先立って、最初に神のさばきを受けます。
「はげ山の上に旗を掲げ、彼らに向かって声を上げ、手を振れ、そうすれば彼らは貴族の門に入るであろう(13:2)」。彼らとは主の全軍(メディア・ペルシャの連合軍)のことです。貴族の門とはバビロンの宮殿のことです。この文章は主の全軍のバビロンに対する宣戦布告を現しています。バビロンに対して、メディア・ペルシャの連合軍の侵入が預言されています。「私は怒りを晴らすため、わたしに聖別された者たちに命じて、またわたしの勇士、私の勝利を誇る者たちを呼び集めた(13:3)」。「聞け、おびただしい民にも似た山々の轟を。聞け、寄り合った王国、国々のどよめきを。万軍の主が、軍隊を招集しておられるのだ。彼らは遠い国から、天の果てからやってくる。彼らは全世界を滅ぼすための主とその憤りの器だ(13:4~5)」。この彼=遠い国、天の果てからやって来るものとは誰のことか。彼とは神の支配下にある全軍を指します。彼らは神のさばきを司る裁判官です。ついで、「泣きわめけ。主の日は近い。全能者から破滅が来る(13:⑹)」主の日とは終末の神のさばきの日です。世の終わりの艱難時代を指します。神のさばきが、キリストを拒絶した世界に注がれます。全能者から破壊が来ます。極めて重要な日です。
次に「主の日」について語られています。主の日とは新・旧約共に、世の終わりのときを現しています。13章の6~10節には、主の日に起こることが記されています。主の日は残酷な日です。神は「憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪びとたちを地上から根絶やしにする。天の星、天のオリオン座は光を放たず、太陽は日の出から暗く月も光を放たない。(13:9~10)」。主の日とはこのように天変地異の襲い掛かる日です。「その日は盗人のようにやって来ます。その日には天は大きな響きをたてて、消え失せ、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地のいろいろの業は、焼き尽くされます(Ⅱペテロ3:9~10)」。万軍の主の憤りによって、その燃える怒りの日に大地はその基から揺れ動くのです。
主はバビロンに言います「「私は、その悪のため世(バビロン)を罰し、その悪のため悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。わたしは人間を純金よりまれにし、人をオフィルの金よりも少なくする(13:11~12)」。主はバビロンの滅びを預言しています。16節からはバビロンに与えられた悲惨な状況が語られています。祖国から逃亡する者、侵略者ペルシャによる市民の殺害、幼児の虐待、家の略奪、強姦、等々、今のウクライナの悲惨さを見るようです。「こうして王国の誉れカルディア人誇らかな栄であったバビロンは、神がソドムとゴモラを滅ぼしたときのようになる(13:19)」のです。その結果、バビロンの地は、荒れ野となり、そこには人は済まず獣の住まいになり下がるのです。まさに、主の日の到来をみるようです。「その時の来るのは近く、その日はもう延ばされない(13:22B)」。バビロンの崩壊の預言がイザヤによってなされています。
14章:「まことに、主はヤコブを哀れみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地にいこわせる。在留異邦人も彼らに連なり、ヤコブの家に加わる。国々の民は彼らを迎え彼らの所に導き入れる。イスラエルの家は主の土地でこの異国人を奴隷、女奴隷として所有し、自分たちを虜にしたものを虜にして、自分たちを虐げたものを支配するようになる(14:1~2)」。
主はペルシャのクロス王を使ってバビロンの捕囚によって、虐げられていたイスラエル人を祖国イスラエルに戻します。主は、イスラエルをこのまま滅ぼしてしまうわけにはいかなかったのです。そこには、イスラエルの民を「子々孫々」まで増大繁栄させると言うアブラハム契約があったからです。11章では「主はユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる(11::12)」と記述されているように、主は各地(アッシリア、エジプト、パテロス、クシュ、エラム、シヌアル、ハマテ、海の島々)に散らされていたイスラエルの民を集め、祖国に帰還させたのです。更に、主は、今までイスラエルを支配していた国(ペリシテ、エドム、モアブ、アモン)を逆に支配し、イスラエルをバビロンのくびきから解放したのです。(14:3)」。その日(バビロンの滅びた日)イスラエルは、敗れたバビロンの王をあざけって歌を歌います。その歌はイスラエルの勝利宣言でした。
「彼(バビロン)は憤って、国々の民を打ち、絶え間なく打ち、怒って国々を容赦なく虐げて支配したのだが(14:6)」主はこれをお許しにはならなかったのです。「虐げる者はどのようにして果てたのか。横暴はどのようにして終わったのか。主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ(14:4~5)」。このように、主は虐げる者を虐げられたのです。この結果、「全地は安らかにいこい喜びの歌声を挙げている。もみの木も、レバノンの杉もあなたのことをよろこんでいう。『あなたが倒れ伏したので、もう私たちを切る者は上ってこない』(14:7~8)」と。神のさばきは、このように、この世のバビロンに下るだけでなく、黄泉の国に堕とされたバビロンにも、以下のように、下るのです。黄泉の国とは死者の行く場所であって、その人の善悪には関係がありません。この国で支配者の霊は言います。「あなたもまた私たちのように弱くされ、私たちに似たものになってしまった。あなたの誇り、あなたの琴の声は黄泉に堕とされ、あなたの下には、蛆が敷かれ、虫けらがあなたの覆いとなる(14:10~11)」と。あの豪華絢爛を誇ったバビロンの王の転落の姿が,この世とあの世の両方において下るのです。
イザヤはバビロンの王にあなたと呼びかけ、己を神と同じ立場に置き、主の一番嫌われることを行ったと、その高慢と、高ぶりをいさめます。それゆえ、主の怒りを買い、黄泉の国に落とされたのだ(14:13~15参照)、とあざけります。以下、主はバビロンの悪を暴き、その裁きを語ります。「あなたはほかの王たちのようには己の墓では眠れず、墓の外に投げ出され、踏みつけられる」。あなたの子らは先祖の罪ゆえに赦されることはない。これは「世界の面を、(汚れた)バビロンの町々で満たさないためなのです(14:21B)」。
次に主はバビロンばかりでなく汚れた大国アッシリア、ペリシテと主に反抗してイスラエルに侵攻した国々を罰し、その子孫までも滅ぼすと預言します。それゆえに、これらの国々に虐げられていた国の軛は取り除かれ、その重荷は彼らの肩からなくなります。「これは主のご計画の一つです。誰がこれを破れようか。御手が延ばされた、誰がこれを戻し得ようか(14::27)」」。
「異邦の使徒たちに何と答えようか。「主はシオンの礎を据えられた。主の民の悩む者たちはこれに身を避ける(14:22)」。ここには「神の国」の到来が預言されています。彼らは、最終的には、ここに憩うのです。
ペリシテ:「アシュケロン」「アシュドデ」「ガザ」、「エクロン」「ガテ」のう五つの町、五人の王によって統合された国をさします。ペリシテ人はユダの低地にある町々に侵攻し、これを取り、そこに住んだのです。
令和4年7月12日 報告者 守武 戢 楽庵会
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