日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

ヨセフ=神のみ手に導かれて

2014年04月08日 | Weblog
 
  >★ヨセフ:神の御手に導かれて
 創世記はヨセフの記述をもって終了する。
 創世記は、旧約聖書の基本を形成している、と云っても過言ではないであろう。アブラハムは、イスラエルの祖と云われているが、神は彼と契約を結ぶ。一方の当事者=神は、他方の当事者=アブラハムに対し、汝に恵みの恩恵を与える代わりに、自分に対して完全であれと要求する。その恵みとは、カナンの地をアブラハム及びその一族に子々孫々にわたって与え、その増大繁栄を約束するものであった。そしてこの契約の確認はイサクにも、ヤコブにも、それから、これから述べるヨセフにもなされる。ヨセフは一族と共にエジプトに住み、繁栄するが、後に奴隷化し、次のモーゼの脱エジプトへとつなげていく。エジプトは、あくまでも寄留地であって、安住の地では無かった。カナンこそが、イスラエルの民の居住地(約束の地)でなければならなかった。
 創世記は天地創造を除いて、アダムからヨセフまでの記述は、全て家族小説である。旧約聖書は、その後、これを一族にまで拡大し、イスラエルの国家にまで発展させる。
ヨセフに至っては、奴隷からエジプトの宰相にまで出世する出世物語である。ヨセフはヤコブの最愛の妻ラケルから生まれた、秘蔵っ子であった。事のほか可愛がられ、傲慢となる。兄弟の事を告げ口したり(創37:2)、父母兄弟が自分に対してひれ伏す(創37:9~10)などと、その夢物語を語ったりする。その為に他の兄弟から妬みを買う。その妬みから兄弟たちの恨みを買い、銀20枚でエジプトの商人に奴隷として売られた。パロの廷臣でその侍従長ポティファルがヨセフを買った。そこでヨセフは能力を発揮し、その家の財産を任されるまでになった。好事魔多し。「ヨセフは体格も良く、美男子であった(創39:6)」。ポティファルの妻は、そんなヨセフに欲情を募らせベッドに誘う。ヨセフはこれを拒否する。この妻の姦計により、ヨセフは牢に繋がれる。しかし、主が共におられ、主が上手く図られた為(創39:21~23)、出獄する。そして、エジプトの王パロを悩ましていた夢を上手く解くことにより、パロの信任を得て、王の指揮下に入る。結婚もする。政治的にも辣腕を発揮し税制の改革などして(5分の1税)、パロの富を増やし、時の宰相にまで出世する。まさに出世物語である。
 この時、エジプトにも周辺の地域にも飢饉が襲う。エジプトはヨセフの政治的手腕でこれを回避するが、他の諸国、諸地域は、飢饉に悩まされる。カナンも例外ではなく、飢饉に悩まされ、ヤコブの10人の息子たち(ベニヤミンは含まれず)はヤコブの命を受けてエジプトに救いを求める。ここでヨセフは兄弟と再会する。憎しみと再会の喜びの矛盾にヨセフは悩む。兄たちは、それがヨセフであると気づかない。奴隷と宰相、その格差は兄弟たちを盲目にしていた。ヨセフは兄弟たちに様々な試練を与える。兄弟はそれに応える。ヤコブはその身分を明かし、和解が生ずる。ヨハネは、父ヤコブと弟ベニヤミンをエジプトに招く。神の命令もあり、父ヤコブは一族郎党を引き連れ、その財産を携えて、エジプトに下る。一族はパロより住むに最良の土地を与えられ、この地での生活を保障される。
 そしてこの一族は神が予言したように生めよ、増やせよ、地に満ちよ、の言葉どおり増大し、繁栄した。しかし、ヨハネ一族を優遇したエジプト王パロは死に、代替わりしたエジプト王には、ヨハネ一族の繁栄は、脅威となる。ヤコブは年老いてエジプトの地で死に、その言葉により、カナンにあるアブラハムやイサクの眠る同じ墓地に葬られた。147歳であった。ヨセフは110歳まで生き、そして死んだ。そして同じ墓地に葬られた。ヨハネの兄弟たちもそれぞれ、子孫を残して死んだ。
 これがヨセフに関して述べられている概略である。創世記の37章~50章にかけて述べられている。このヨハネの物語はたとえ話として読むことも出来る。
 ヨハネの11人の兄弟が、その妬み心から、ヨセフを奴隷としてエジプトに売ったことに関して、ヨセフは次のように云う。「今ここに遣わしたのは、あなた方ではなく、実は神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者にされたのです(創45:8)」。父ヤコブはヨセフに次のように言う。「あなたの兄弟たちは実にあなたに悪い事をしたが、どうか、あなたの兄弟たちの背きと、彼らの罪を許してやりなさい(創50:17)」と。許しは関係を回復させる。だから、ヨセフには異母兄弟に対する恨みは無い。逆に自分の傲慢さが、兄弟の怒りをかい、奴隷にされたことへの反省がある。また父ヤコブには最愛の息子=ヨハネを溺愛し、袖の長い晴れ着を作ってやったことの反省がある。そしてその甘やかしによりヨセフが傲慢となり、このことで兄弟の怒りを買ったことに対する反省がある。和解が成立する。
 神は、その契約において、自分に対して完全であれと述べている。真の力とは何か?神は壮大な計画の下、ヨセフを彼の一族に先立ってエジプトに送り込み、飢饉から彼らを救ったのである。「神はそれを良いことのために計(はからい)となさいました。それは今日のようにして、多くの人々を生かすためでした(創50:20)」と、聖書は述べている。神は全てを見通し、悪を善に替えたのである。それは盾の両面である。前面は神、後面は人である。救いと罪と云い替えても良いであろう。進藤光輝ユースパスターは、ヨハネの物語をその説教の中で、神の視点で捉えろと云っている。神のなす事は全て善きことなのである。
平成26年4月8日(火)
報告者 守武 戢 
楽庵会