日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

ドストエフスキー作「カラマーゾフの兄弟」2 原卓也訳

2009年09月21日 | Weblog
 「カラマーゾフの兄弟」に関する文章を二つに分けたのは僕自身の意図ではない。一万語という制限があったからである。だから適切な場所で二つに分けたというわけである。この文章に最初に出会った人は、ぜひとも先の文章から読み始めてほしい。
 父親殺しの犯人はドミトリーかスメルジャコフか?イワンは父親殺しの犯人はドミトリーであることを願う。もしも自分の唆しに乗ってスメルジャコフが犯行を犯したのならば、自分は共犯ないしは主犯になってしまう。イワンは何度もスメルジャコフを訪ね、彼の口から「自分が犯人だという」告白を聞き出す。
 それではなぜスメルジャコフが「父親殺し」の重罪を犯したのであろうか?たとえそこにイワンからの唆しがあったとはいえ、それなりの理由がなければ危険を冒してまで、殺人など行えないからである。さまざまな理由が考えられる。まず第一にイワンの唆しによって殺人を行えば、それをネタに一生、生活できると考えたのか?フョードルがグルーシェニカに用意した3000ルーブルという大金のためか、あるいは自分をわが子と認めず農奴扱いする父親への恨みか?それとも猫を縛り首にしたり、ピンを含ませたパンを犬に与え、その苦しむ姿を見て愉しむサディストの結果としての犯行なのか?それともこれら複合した理由によるのか?いずれにしても「神がいなければ、全てが許される」という唯物論者で、新思想の持ち主イワンの言葉に従った犯行だったのである。後にイワンは「スメルジャコフはおれ自身だったのだ」と言っている。スメルジャコフの心の中には、神と悪魔との戦いがあった。結果、スメルジャコフの心に潜む神は悪魔に打ち勝ち、「誰にも罪を着せぬため、自己の意志によって、進んで生命を断つ」という遺書を残して首つり自殺をする。そこにはサディズムの完成としてのマゾヒズムがある。
 当然、裁判が行われる。検察官は様々な証言、証拠をあげ、ドミトリーこそ犯人であると告発する。唯一決め手となったのはドミトリ-が婚約者エカテリーナに宛てた「父親殺し」を予告する手紙であった。スメルジャコフの遺書、イワンの「自分の唆しによるスメルジャコフの犯行である」という証言は無視される。
 弁護側は、検察官のあげた証言、証拠の数々をきわめて合理的に反論し、特にエカテリーナにあてた殺人予告の手紙は、ドミトリーが酒に酔っ払った結果書いたものであってその信憑性は疑わしい、と反論し、スメルジャコフこそ「父親殺し」の犯人であり、ドミトリーは無罪であると証言する。結論は陪審員に委ねられる。陪審員の下した結論は予想に反して「有罪」。尊属殺人が適用され20年のシベリア流刑が言い渡される。
 ここには、神とは何か、罪とは何か、という根源的な問いが発せられている。ドミトリーの心の中の「親殺し」、イワンの唆しによる「親殺し」、共に神の前では罪びとであった。それ故ドミトリーは抗告せずに罪に服す。イワンは良心の重さに耐えきれず病に犯される。
 後に兄弟、縁者の間で脱獄が計画される。三百万ルーブルの金が用意される。百万ルーブルは獄吏に対する賄賂に使われる。まさに地獄の沙汰も金次第である。ここには当時の官僚の腐敗に対する批判がある。脱獄後ドミトリーのアメリカ逃亡が計画される。このように時には反発し、争い合っていた兄弟は、ここにきて和解し、力を合わせるのである。だからこそ私はこの作品を家族愛の小説であり、家族小説と結論するのである。
 さまざまな価値観が交錯し、反発し、抗争する行く手定まらぬ断絶の時代をドストエフスキーは描いている。そしてこのような時代を勝ち抜き、難局を転換させ、将来を展望させるために、知恵の限りを尽くし勇んで行動する精神をドストエフスキーはカラマーゾフの3人の兄弟の中に見出したのである。まさにカラマーゾフ万歳である。

  ドストエフスキー作「カラマーゾフの兄弟」原 卓也訳 上・中・下 新潮文庫

ドストエフスキー作「カラマーゾフの兄弟」原 卓也訳

2009年09月08日 | Weblog
 ついに「カラマーゾフの兄弟」(1880年)に到達した。「罪と罰」(1866年)、「白痴」(1868年)、「悪霊」(1872年)、「未成年」(1875年)と、ドストエフスキーの5大傑作といわれる作品を読み進み、死の直前に書かれたこの作品を紹介することになった。彼はこの続編を考えていたといわれるから、未完の大作といえるであろう。しかしこれだけでも十分に完成した作品といえる。
 数学の概念の中に微分、積分という理論がある。微分とは原点であり、積分とはそれを広げたものであり、不定形の面積を求めるのに使われる。これを歴史的、社会的な概念にまで広げたとき、微分とは社会の基本であり、変わらないものである。これに対して積分とは社会的、歴史的な広がりの中で変わっていくものである。
 ドストエフスキーは歴史的、社会的に変わっていくものとして人間を見つめながらも、変わらないものとしての人間の奥底に潜む原理=人間精神の根底において進歩発展の原動力となるものは何かを追及した。
 ドストエフスキーは、この作品「カラマーゾフの兄弟」の中で「親殺し」という事件を通じて、この変わらないもの,神とは何か、罪とは何か、魂の救済とは何かを当時の社会的にも、思想的にもあらゆる面で混乱した状況(ドラッガーの言う断絶の時代)の中で追求しようとした。この作品の核となる「大審問官」の章の中で、この変わらないものとしての魂の原点について書かれている。この章では「神か悪魔か」、「精神の自由かパンか」「自由か圧政」かが問題となる。
 権力者は弱き民に言う「おれたちはお前たちにパンを与えよう、その代わり精神の自由を投げ出し、おれたちの奴隷になれ」と。確かに人はパンなしに生きていくことはできない。しかしパンは何のためにあるのかを考えたとき「人はパンのみに生きるに非ず」である。しかし、弱き民が精神の自由の重みに耐えることができるのか?自分の目の前に示された選択の自由を正しく行使できるのか?何が善で、何が悪か?ひれ伏す対象は神か悪魔か?天上のパンか、地上のパンか?これらのことを自らの意志で決めねばならぬ。愚者の選択にならぬ保証はあるのか?それよりもいま差し迫って必要なものは地上のパンであって、天上のパン(精神の自由)ではない。地上のパンを与えてくれるものを探し求める。これを与えてくれる権力者に精神の自由を売り渡す。自らは奴隷の立場に安住する。<パンを与えよ、しかる後に自由を>である。パンも自由もは考えられない。二つのものを与えれば、民衆は「精神の自由」の旗のもとに権力者に歯向うであろう。権力者はこれを容認できない。二者択一を迫る。パンか死かである。ここには権力者の論理があり、奴隷の論理がある。権力者は支配を貫徹するためにパンをエサに民衆に服従を要求する。権力者は精神の自由なき世界の統一を図る。
 しかし、ここに精神の自由を掲げ、精神の自由なき統一を図る権力者に歯向い、人間の持つすべての罪を背負って十字架に架かった人がいる。キリストである。キリストは処刑後四日にして奇跡を起こして甦る。そこには異常なほどの生命力がある。その後の世界調和は少なくとも欧米においてはキリスト教の土台の上に築かれていく。権力者は時代とともに栄枯盛衰を繰り返したが、キリスト教は世界を支配する勢いである。
 ここには「罪と罰」の中で示された「超人思想=ナポレオン主義」の延長がある。キリストはまさに非凡なる超人であり、パンのために精神の自由を売り渡した弱き民を導いていく。
 歴史は神に選ばれた非凡なる超人=天才によって導かれていくのか、それとも歴史の必然として、弱き民の結合力によって動かされて行くのか?古くて新しい問題である。いずれにしても人は最終的には、パンも自由もを追求する。
 ドストエフスキーはは巻頭にヨハネによる福音書の次の文章を引用する。「よくよくあなたに言っておく、一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかしもし死んだならば、豊かに実を結ぶようになる」。これはまさに歴史であり、弁証法である。一粒の麦は自己の死によって、自己を否定することによって次の世代を生み出していく。親の世代と子の世代、その軋轢、抗争によって親の世代は否定され世代交代が行われる。これが歴史である。封建制から資本制への過度期であり行方定まらぬ混乱し悩み苦しむ、分裂した当時のロシア社会を根本的に変革する根源的な力とは何か?ドストエフスキーは,これをカラマーゾフの兄弟(ドミトリー、イワン、アリョーシャ)の生命力の中に求めたのである。
 ドラッガーはその著「断絶の時代」の中で「不連続のなかで今までの既成概念は変化する。」と書き「このような時代には「今までとは違ったものを創造する能力が必要である」と書いている。
 勿論ドラッガーの生きる現代とドストエフスキーの生きた時代は異なっている。しかしドストエフスキーの生きた時代が封建制から資本制への移行期であり、過度期であるという意味では不連続であり、断絶の時代といえよう。そこには封建制内部での量的変化とは異なる質的変化が起こっている。経験則のない断絶の時代には将来を見通す理論を示すことは難しい。だからこそいろいろな意味で混乱が生じたのである。水は100度で気化し、零度で凍る。これは質的変化である。この変化をエネルギーとしての熱が保証する。ドストエフスキーはこのエネルギーを社会の中に求めたのである。
 封建制(農業国)から資本制(工業国)へ移行するためにはコスト(原始的蓄積過程)が必要であり、当然リスク(社会的混乱)を伴う。この過度的社会の中で質的変化を起こす民衆のエネルギーとは何か?それがドストエフスキーが一連の作品の中で追求したテーマであった。
 勿論ドラッガーは経済学者であるため、神と人間の問題は存在しない。神と人間の問題はカラマーゾフの兄弟の一人、ゾシマ神父のもとで育てられた敬虔なる宗教家アリョーシャの体験の中で語られる。いずれにしても、質的変化に対応できるものだけが生き残ることができる。
 この変化に対応できるものとして当時考えられていたものに思想的には新思想があり、宗教的には神の問題があった。
 ドストエフスキーの存命中(1821~81年)に起こった史上初の社会主義革命=パリコンミューン(1871年)は政府軍とこれを裏から支えたプロシャ軍によって3カ月足らずで崩壊する。これはドストエフスキーとっては衝撃であった。新思想に対する疑問を再確認する。また当時宗教界を君臨していた権力による精神の自由なき統一を志向するローマカトリックの教皇至上主義とその無誤謬主義に対してもドストエフスキーは肯定することはできなかった。ここにドストエフスキーの悩みがあった。思想的にも、宗教的にも、これしかないの絶対的価値観を示すことができなかった。この作品の登場人物の一人長男のドミトリーの中に彼の姿を見ることができる。
1918年にロシアにおいて社会主義革命がおこる。それはあくまでも精神の自由なき統一であった。レーニンの死後、あまたの政敵を倒し頂点に上り詰めたのはスターリンであった。彼は地上のパンのために精神の自由を抹殺した。多くの芸術家エイゼンシュテイン、マヤコフスキー、ブルガーコフ、シェスタコーヴィッチ、などのアバンギャルド知識人はスターリン体制のプロパガンダを拒否したという理由で弾圧され不遇な人生を余儀なくされた。現実政治を貫徹するためには現世的利益を民衆に納得させることが不可欠であった。それ以外のことは現実政治を行ううえでは障害になり邪魔でしかなかったのである。人間の顔をした社会主義を目指したチェコスロバキアやハンガリーはワルシャワ条約機構軍という名のソ連軍によって武力弾圧された。近年においてもパステルナーク、サハロフ、ソルジェニーツィン、等の多くの知識人は反体制知識人としてその自由をを奪われた。パンか自由か?最終的にロシア人が求めたものは自由であった。ソ連社会主義は崩壊する。<食を与えよ、しかる後に自由を与えよ>であった。ロシアで起こった社会主義はあくまでも貧者の平等を目指す社会であり、現実的には原始共産制に毛の生えたものにすぎなかった。そのような社会が時代の進歩によって、自由を望む民を生み出し、その民衆の力によって崩壊する運命にあるのは、歴史の必然であった。ロシアにおいて将来的に第二の革命がおこり、豊かさを前提とした共産主義社会が生まれるかどうかは未知数であり、今のところ共産主義思想が歴史を動かす根源的な力になりえていないし、これに代わる理論も生まれていない。精神の自由を前提とした真に統一された社会はあるのか?それがいま求められている。それゆえ現代ロシアも断絶の時代といってよいであろう。
 次にドストエフスキーにとって神と何であったのか?ドストエフスキーは「反逆」という節で神のいない世界を描いている。神がいなければ何でもできる。この節の中で多くの無辜の幼児や子供たちが権力者の恣意によって殺されて行く姿が描かれている。権力者の飼い犬に誤って石をぶつけたということだけで、その子を猛犬で追いまわし、親のいる目の前でかみ殺させる姿や、妊婦の腹を切り裂き出てきた胎児を空に投げ上げ、銃剣で突き殺す残忍、残酷な姿を描き神のいない世界を見せる。だからこそ神は必要だという。しかし今存在している神の姿はどのようなものだろうか?ドストエフスキーはこれを批判的に描く。そこにはキリスト教を中心とする一神教に対する批判がある。これについては後述する。
 前置きが長くなった。しかしこの前書きなしに「カラマーゾフの兄弟」を語ることはできない。「カラマーゾフの兄弟」は家族小説であり、家族愛の小説である。自分の3人の息子(スメルジャコフを含めれば4人)を自分の子として扱わず他人に預けっぱなしの無慈悲で残酷、物欲の権化のような父親のフョードル、その先妻の子として生まれ権力を憎悪しながらも神にも新思想にも興味を覚えず、それゆえならず者としてしか生きて行けずその情熱を恋に燃やす一途な情熱家、長男のドミトリー、後妻の子として生まれ新思想に意欲を示す冷徹な知識人、次男のイワン、そして神父ゾシマのもとで育てられた敬虔な宗教家であり、この作品の主人公である三男のアリョーシャ、フョードルと気違い女との間に生まれたと噂されながらも、フョードルの子とみなされずカラマーゾフ家の下男(料理人)として生きるスメルジャコフ。この4人はそれぞれ相異なった性格を持ちながら父フョードルの血をそれぞれ引き継ぎ、異なった人生を歩んでいる。ドミトリーとイワンは冷酷無比な父フョードルを殺したいほど憎み、その財産を狙っている。二人はたがいに愛しながらも、時には対立し、時には抗争し、判りあえない。ただアリョーシャだけはその温和な神のような性格ゆえに、三者の間を取り持とうと努力する。そして最後にはドミトリーの親殺しの嫌疑を晴らすために兄弟は過去のわだかまりを捨てて、その持てる力を分かち合い一つにまとまり和解していく家族愛の作品と考えることが出来よう。しかし、これを単なる家族小説と考えるのは誤りである。それは親の世代と子の世代の対立、また子の世代同士の対立を描くことによって、当時の世相を現したものと考えることが出来るからである。親の世代とはもちろん貴族階級であり、子の世代とは農奴解放後の混乱した社会の中で既成の権力に反発し、精神の自由を求めて闘いながらも思い悩む若き世代である。
 カラマーゾフのそれぞれの兄弟の示す性への執着(ドミトリー)、知識欲(イワン)、神への信仰(アリョーシャ)。これらのものは将来社会に向かって夢や希望を実現していくためには不可欠な生きる証であり、生命力であり、根源的なエネルギーである、とドストエフスキーは考える。そこには当時貴族社会を堕落さしていた虚飾や偽善、見栄はない。正直な心がある。これらの多様な力の結集が家族愛となって「父親殺し」というドミトリーの嫌疑を晴らすために結集する。アリョーシャを師と仰ぎ、尊敬する若者コーリャは叫ぶ「カラマーゾフ万歳」と。ドストエフスキーはカラマーゾフの兄弟のそれぞれの持つ多様な価値観、生命力のすべてを認め絶対的な、これしかないのの価値観を示してはいない。あれもこれもという多様な価値観を認めている。これらの総合力こそ社会を根本的に変えていく根源的な力とドストエフスキーは考えていたのであろう。70年安保のとき、全共闘の幹部日大生の秋田明大の言った「個別に立って共に討て」なのである。ドストエフスキーは老審問官の言葉を借りて言う「お前にとって人々の信仰の自由は、何よりも大切だった筈ではないか。あの頃しきりに<あなた方を自由にしてあげたい>と言っていたのはお前ではなかったろうか?」これはキリスト教の信仰の自由を言っていたものではあるが、これをより普遍化して考えればキリスト教以外の宗教に対する信仰の自由をも認めたものと言って良いであろう。ここには一神教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、マルクス教)的他の宗教、宗派を異端ないしは邪教と看做しこれを排除しようとする偏狭な宗教観はない。イワンはアリョーシャに言う「まさにこの跪拝の統一性という欲求こそ、有史以来、個人たると、人類全体たるを問わず人間一人ひとりの苦しみに他ならない。統一的な跪排のために人間は剣で互いに殺しあってきたのだ。彼らは神を作り出し、たがいに呼びかけた<お前たちは己の信ずる神を捨てて、我々の神を拝みに来い。さもないとお前たちにもお前たちの神にも死を与えるぞ>」と。一神教がどれだけ世界を毒してきたか、歴史上に現れた宗教戦争、ナチによるホロコースト、社会に氾濫する宗教的差別、偏見を見れば明らかであろう。そこにあるのは他の宗教に対する抑圧であり、宗教的不寛容である。そのためにどんなに無辜の民が殺され、貴重な文化が破壊されたか判らない。宗教戦争とは跪排の統一性を求めた神と神との戦いであり、裏から見れば悪魔と悪魔の戦いである。お互いに相手を悪魔と見做しているからである。ここにも神はいない。イワンは言う「世界を創造し、司る神は認めても、その神の創った世界を認めない」と。神のいない世界とは悪魔の支配する世界である。多くの宗教戦争による殺りく、迫害、破壊は、神の名を借りた悪魔の所業である。そして一番強かった神が「真」の神となる。力による精神の自由なき跪排の統一がなされる。その間に行われた残虐行為、流された夥しい血、破壊、無秩序、混乱は、神の名によって是認され「神の国」に至る道であり、神による永遠の調和と、その後に来る統一を達成するための一里塚であり、すべての悪行が許され、正当化されねばならない。このような考え方は自分の考えのみを絶対化する一神教的価値観から生まれる。社会の持つ多元的な価値観を徹底的に抹殺し、一元的な価値観によって統一しようという試みをドストエフスキーは最も恐れていたのである。そこにあるのは強者の論理であり勝者の論理である。だからこそイワンは反発する。「すべての人間の悪行を「神」はお許しになるであろう。しかしこの俺は許すことはできない」と。神と悪魔との戦い、その戦場が人間の心であるとドストエフスキーは言う。日本には誕生と七五三は神様、結婚式はキリスト教、葬式は仏教と一神教の世界では考えられない宗教的寛容があり、それは多神教の伝統を持つ日本人の心の中に何の矛盾もなく根付いている。他を認め、おおらかに神々の集う多神教的世界。そこには民主主義の精神があり、独裁を嫌うのである。中世(封建制)から近世(資本制)への移行期は、まさに不連続の断絶の時代である。このような時代には様々な価値観が競い合う。それらの力の総和の中から一つのベクトル(方向性)が生まれて来るのである。
 ロシアにおける中世から近世への移行期においてこの国を囲むヨーロッパ諸国の環境とはどんなものだったろうか。文化的には宗教改革、ルネッサンス、経済的には産業革命、政治的にはフランス革命、パリコンミューン、思想的にはマルクスによる「共産党宣言」の発行、等々と、それらすべては封建社会を支配していたキリスト教および、封建制度の伝統や因習から人間の精神を開放しその精神の独立と個性を重んじ現実生活の充実を図るものであった。そしてこれらすべては近代資本主義精神の形成に貢献し、近代市民社会の形成に役立ったのである。これに反して遅れたロシアは精神の自由はなく、資本主義の発展も停滞していた。これらヨーロッパ諸国の圧力と、ようやく芽生え始めた資本家たちの圧力に抗しがたく、アレクサンドル2世は1861年農奴解放を断行する。しかし、これは両刃の剣であった。農奴から解放された農民は土地から解放され都会に出たがそこには仕事はなく、大部分の農民は浮浪者化した。社会は混乱する。それでもロシア資本主義は曲がりなりにも発展し、封建社会の基礎を揺るがした。アレクサンドル2世は新思想の持ち主によって暗殺される。これがドストエフスキーの生きた断絶の時代の現実であった。このような現実の中でドストエフスキーは西欧文明に毒されないロシア独自の救いを探求したのである。それは精神の自由なき独裁的なものでなく,ロシアの大地と結びついた土着の民間信仰であった。
 神の問題について語るとき、アリョーシャについて述べなければならないであろう。アリョーシャは他の兄弟ドミトリー、イワンと同様に父親フョードルからは子供扱いされず召使い(農奴)のグリゴーリーに育てられる。その後神に出会い、ゾシマ神父のもとで育てられ敬虔な宗教家へと成長する。神父はその徳の高さから仲間の修道僧、信者から親しまれ尊敬されていた。他方、その徳の高さに嫉妬し、ねたむ人がいたということはこの世の常である。病弱な神父はやがて死亡する。その徳の高さゆえに多くの信者、修道僧は偉大なる奇跡が起こり、キリストが蘇ったように、復活するであろうと期待した。しかしその期待は見事に裏切られた。聖堂に安置されていたゾシマ神父の遺体から腐臭が発生したのである。それはゾシマ神父の権威の失墜であり、多くの修道僧、信者にとっては大きな衝撃であり、神による「心正しきものの堕落と恥辱」の教示に違いないと思われた。アリョーシャ自身ゾシマ神父に対する尊敬および親愛の情が大きかったが故に信仰の揺らぎを感じざるを得なかった。しかし夢の中で神父に出会い、その啓示に触れ、突然の歓喜に見舞われ、その揺らぎの誤りを悟る。死体から腐臭を発するというきわめて人間的な、自然現象の中に、アリョーシャは本来の神の姿を見たのである。それは奇跡と神秘によって天上に祭り上げられ、人々とかけ離れたところに存在し、人を見下ろす権威の象徴としての神ではなく、神と人とが直接に結びつく教会の中に大地と結びついた土着の民間信仰がありそれこそ本物の信仰であると悟るのである。それ故彼は泣きながら大地に接吻し、大地を愛することを、永遠に愛することを狂ったように誓い続けたのである。そして「俗世間にしばらく暮すがよい」というゾシマ神父の生前の言葉に従い僧院を去る。民衆との結びつきを求めたのである。ここにはローマカトリック教の精神の自由なき教皇至上主義に対する批判があり、ロシアの大地に結びついた土着宗教に対する愛があり信仰がある。
今まで私はこの作品の筋書きについては書いてこなかった。何が書かれているかを重点にしてきたからである。ドストエフスキーの作品は難しいといわれている。しかも長編が多い。ロシア文学を専門に勉強している人以外、初期の作品からカラマーゾフまで読了した人は少ないと思う。それで筋を説明するが、ブログという性格上、長々と述べるわけにはいかない。いろいろのことを考えず物語として読んでも非常に面白い作品である。ぜひ読んでほしい。今なぜドストエフスキーかということが分かると思う。
 父のフョードル、次男のイワン、3男のアリョーシャについてはすでに述べてきたので長兄ドミトリー(ドミトリー・フョードロヴィッチ・カラマーゾフ)の親殺しの嫌疑を中心に述べていきたいと思う。ドミトリーは父フョードルの先妻の子として生まれた長男である。彼は世間からはならず者扱いされているが、当時の断絶の時代にあって、貴族社会に幻滅を感じ、それに反発を感じながらも、だからと言ってイワンのように新思想にも、アリョーシャのように神への信仰にも魅力を感じることが出来ない。そういう青年はならず者として生きる以外に道はない。行き所のない情熱を恋に向ける。カテリーナという婚約者がおりながら、得体のしれない小悪魔的な女グルーシェニカ(おいぼれ老人で、身持ちの悪い土百姓の妾)に恋をし溺れていく。しかしこの女には父フョードルも恋をしていた。ここに奇妙な三角関係が生じる。父との確執は恋だけでなく母の遺産相続をめぐっても存在していた。この二つの確執のためドミトリーは父を殺したいほどに憎んでいた。この憎しみを公然と表現していたが故に父が殺された時、「父親殺し」の容疑で逮捕されたのである。
 ここにもう一人の男スメルジャコフがいる。父フョードルが白痴で、気違い女リザヴェータ・スメルジャシチャにうましたと噂される男である。勿論息子扱いはされず、グリゴーリーという召使いの第二の召使いとなりその料理の才能を買われコックとしてフョードルに仕えていたのである。いずれにしてもカラマーゾフの3兄弟とは同格には扱われてはいなかったのである。
 この作品のメインのテーマは「親殺し」である。誰が父フョードルを殺したのか?ドミトリーは父フョードルの殺される前、グルーシェニカが父のもとを訪ねているのではないか嫉妬に狂い父の家を訪ねている。他方フョードルもグルーシェニカの来訪を心待ちにしていた。フョードルと彼女の間には秘密の合図があり、その合図のあったときのみ扉を開けるという約束になっていた。その合図をドミトリーはスメルジャコフから聞き出していた。その合図をドミトリーはする。フョードルは窓から顔を出す。「グルーシェニカお前かい、お前なのかい?」「どこにいるんだい、可愛こちゃん、小さな天使、どこにいるんだい」さらに多くの愛の言葉をフョードルは叫ぶ。これを聞いたドミトリーは物狂るほしいほどの憎悪が胸にたぎり嫌悪の情が耐えきれぬほどにつのった。われを忘れたドミトリーは、突然ポケットの中から銅の杵を掴みだした。この後、何が起こったかはドストエフスキーは書いていない。ただ後日「あの時神が私を守ってくださったんです」とドミトリーは語っている。次の日フョードルの殺害死体が発見される。全ての状況証拠はドミートリが犯人であることを示していた。容疑者として逮捕される。
長兄ドミトリーが父フョードルを殺したいほど憎んでいたと同じように次兄イワンも父フョードルを憎んでいた。父とグルーシェニカが結ばれればフョードルの財産はすべてグルーシェニカの名義に書き換えられ、自分たち兄弟には一銭も渡らないからである。ドミトリーは、恋のライバルとして、イワンは遺産相続の問題に関して父フョードルがグルーシェニカと結ばれることを極度に恐れていた。原因は異なっていても、両者の利害は一致していた。父とグルシェニカが結ばれる前にこれを阻止せねばならなかった。イワンも秘かに父フョードル対して殺意を抱いていた。しかし彼は自ら手を汚そうとはしなかった。そこでスメルジャコフを唆すことを考えたのである。そして実際に殺人が行われた。次回に続く