モーゼの話
モーゼは旧約聖書の中では最大の偉人と考えられている。しかしその墓は何処にあるかは「誰も知らない」と旧約聖書は言う。亨年は120歳。因みにヨセフは110歳で亡くなっている。旧約の登場人物はみんな長生きである。モーゼに至る系譜を述べると、アブラハム→イサク→ヤコブ→ヨハネと繋がっている。そしてモーゼ以降はヨシュア→サウル→ダビデ→ソロモンと続く。ヨシュアはユダヤの国の基礎を作り、ダビデ、ソロモンの時代に王国は最盛期を迎える。その後、見るべき指導者に恵まれず、ユダヤの王国は南と北に分裂する。南のユダ王国はエルサレムを首都とし、ダビデ王の血筋が王となった。北のイスラエル王国はサマリアを主都とした。しかし、北イスラエルは、アッシリアに滅ぼされ、南の王国はバビロニアに攻められ滅亡する。多くのイスラエル人は、バビロンにつれていかれた。いわゆる「バビロンの捕囚」である。彼らはペルシャがバビロンを滅ぼした時エルサレムに帰ることを許されたが、国家の再興は許されなかった。後にマカベ王朝を作るが、ローマに滅ぼされ、彼らは再びエルサレムを追われる。その後1948年のイスラエルの建国まで、ユダヤ人は各国各地に分散し統合される事は無かった。
彼らは国を失った放浪の民として、として宗教的、人種的偏見の中で生きなければならなかった。それ故に彼らの結束は固かった。勿論各国、各地で混血を繰り返しはしたが、宗教的結束は強かった。それ故、彼らを人種的概念と考えるよりも宗教的概念と考えるべきであろう。かくして、彼らは、自分達の神ヤファエを統合のシンボルとして掲げ、2000年もの間、その姿勢を崩さなかった。住みついた国の中での彼らは、迫害を受けた。特にヒットラーによるホロコーストは自分達の統治する自分達の国を作ることの必要性を痛感したのである。これがシオニズム運動の起こりである。と見なす者に対しては、神から選ばれた選民としてその宗教的結束を崩さなかった。そして、建国に至るまで、また今、現在においてもその意志を貫いている。そこには純粋性があると同時に、他との融合を嫌う排他性も同時に存在するのである。
旧約聖書は、天地の創造から始まって、アダムとイブに至る。その息子がカインと、アベルである。アベルはカインによって殺され、カインは罰せられて放浪の人となる。数代続くが結局は滅びる。アダムとイブの系列は断たれる。アダムとイブはその後、子を儲けその系譜は続いてノアに至る。この時代人類は罪に満ちて腐敗していた。神は人を作ったことを後悔し、ノア一族を除いて、大洪水を起こしてこれを滅ぼす。これが「ノアの方舟」伝説である。ノアにはセム、ハム、ヤファエと3人の息子がいた。セムの系列からアブラハムが生まれ、これがイスラエルの祖として、イサク、ヤコブ、ヨハネと血筋をつないでいく。要するに、旧約聖書とはイスラエルの建国の歴史であり、神とイスラエル人との契約の書である。
出エジプト記の後にレビ記、民数記、申命記と続く。レビとは祭司のことであり、祭儀を司り、神との契約を守らせる指導的な役割である。レビ記はそうした祭司の仕事について記したものである。民数記とはイスラエルの民の統計のようなものである。そして申命記とは民族の思い出やら、神との約束事を述べたものである。
神は、アブラハムにもモーゼにもカナンの地にいけと命ずる。カナンとはパレスチナの古名である。時代が下がってシオニズム運動も、カナン(パレスチナ)を目指す。このようにカナンとは『約束の地』(「旧約聖書」)である。聖書は、カナンを「乳と蜜の流れる場所」と記している。カナンを目指すことは、神とイスラエル人の契約の一つである。そしてこれは多くの問題を含みながらも一応1948年に達成されたのである。
これだけでも押さえておけば読みにくい旧約聖書も非常に読みやすくなる。聖書は世界のベストセラーと云われているが、完読したものは少ないであろう。だいたい途中で挫折する。
話をモーゼに移そう。
モーゼを語る場合、その出生の由来、出エジプト、過越しの祭り、十戒について述べないわけにはいかない。
神はモーゼに命じる。エジプトを出て父祖の地カナンへ向かえと。当時ユダヤの民はエジプト内において奴隷状態にあった。しかし、ユダヤの民は初めから奴隷状態にあったわけではない。アブラハム、イサク、ヤコブと続いた血筋の4代目ヨセフは、兄弟のねたみに会い、奴隷としてエジプトに売られる。しかし、その才能が認められ、エジプト王の下で宰相となる。エジプト王に重く用いられたのがきっかけとなって一族はナイル川のほとりに土地を与えられ、そこに住みついて子孫を増やしていった。王の代は変わり、ユダヤ人の勢力の拡大を恐れた王は、彼らを奴隷状態に貶める。
こんな時モーゼは生れる。ユダヤ人の長男は殺害せよという命令が下っていた。モーゼはナイル川のほとりに捨てられ、王の娘に拾われ、王の一族として成人する。成人したモーゼは一族の悲惨な状態を知り怒りを覚える。そんな時神はモーゼに「カイン」に向かえと命令する。モーゼは王と交渉する。しかし、応えは「NO」。モーゼは神の助けを借り、十災と云われる脅迫的な奇跡を行い王に「OK]を迫る。川の水は血になり、カエル、ぶよ、あぶ、蝗の異常発生、疫病による家畜の死、膿を出す腫れものの流行、雹が降り落ち、3日間暗闇がエジプトの空を覆う。等々10の奇跡を行う。そして最後に、後に「過ぎ越しの祭り」と云われる奇跡を行う。
過越しの奇跡:神はモーゼに云う「私はエジプトを巡り行き、人であれ、家畜であれ、全ての初子を殺す、あなたたちは、小羊を屠り、その血を玄関の鴨居に塗れ」と、「鴨居に血を塗られた家は過ぎ越していくだろう」と。どの家からも夜空を衝いて泣き叫ぶ声が聞こえた。イスラエルの民を救うためとはいえ、神は時に残酷無慈悲である。自分に逆らうもの、信じない者には、死をも与える。神が優しくなるのはイエスの出現以後のことである。
エジプト王は恐れおののき「早く出ていけ。家畜でも財産でも好きなように持っていけ」と。モーゼは一族を引き連れてカナンに向かう。OKを与えたことを後悔した王は軍勢を率いて後を追う。モーゼ一行は、危機一髪の時、海が割れて、救われる。しかしエジプト軍は波にのまれて全滅する。これが「出エジプト」である。このようにモーゼは神の助けなしでは「出エジプト」を実現できなかったのである。
十戒:出エジプトの後、カナンに向かう途中、シナイ山の麓でモーゼは神ヤファウェと、契約を結ぶ。それが十戒(律法)である。
1、私はあなたたちの神、唯一にして、全能なる神である。あなたたちは、私以外のどんなものも神としてはならない。
2、偶像を作って神としてはならない。私は嫉妬深い神であるから、私を憎むものには子孫にまで罪を問い、私を愛し私の戒めを守るものには末代まで慈しみを与えよう。
3、偶像を作って神としてはならない。
4、神の名をみだりに唱えてはならない。
5、週の7日目を安息日として、いかなる仕事もなしてはならない。
6、父母を敬え。
7、殺してはならない。
8、姦淫してはならない。
9、偽証してはならない。
10、隣人の家、妻、奴隷、家畜など、いかなる所有物をむさぼってはならない。
これを石板に刻んで“十戒“とした。
しかしこれはあくまでも総論であり、この先の契約は各論があり、細則がある。
是はあくまでも共同体としての約束事であり、多くの人を従えて、カナンを目指すには厳しい律法が必要であった。もちろんこの律法はイスラエルの建国以後も適用されたのである。
モーゼはその願いを達成することなく、死に着く。120歳であった。モーゼの後を継いで指導者となったのは、ヨシュアである。神はヨシュアに告げる「カナンの地に入り、その住民を全て追い払い、全ての偶像を粉砕し、異教の祭壇を壊しなさい。そして、あなたたちはそこに住みなさい。私があなたたちにその土地を与えよう」。ヨシュアは苦労の末カナン入りを達成する。
私がモーゼを取り上げたのは彼こそイスラエルの建国の立役者であり、十戒に見られるように、宗教的な基礎を築いた偉人だからである。
平成25年9月10日(火)
報告者 守武 戢
楽庵会
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