日常一般

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ヘミングウエイ短編集第1巻『われらの時代・男だけの世界』高見浩訳

2010年08月14日 | Weblog
 ヘミングウエイの短編集は全部で3巻あり、この作品はその一つであり、パリの修業時代に書かれた初期の作品であり、その後の彼の作品の基礎(思想的にも、文体的にも)を形成している。『われらの時代』は1925年に、『男だけの世界』は27年にニューヨークで発刊された。両者を合わせて発刊されたものがこの作品である。『われらの時代』の同名のスケッチ集はヘミングウエイがパリ時代に世話になった「シュークスピア書店」の店頭を飾っている。このスケッチ集はその後の作品のための実験作と云われている。この中には彼の『第一次世界大戦』の体験や、シカゴでの犯罪シーン、犯罪者の処刑シーン、ギリシャ・トルコ戦争の悲惨な現実、そして闘牛とその後の作品を形成するすべての要素が含まれている。そしてこのスケッチ集の各篇は『われらの時代』を発行する際に、その各章に振り分けられた。第2巻は『勝者には報酬はない・キリマンジャロの雪』が掲載されており、第3巻には『蝶々と戦車・何を見ても何かを思い出す』が掲載されている。

 この作品の背景
 第一次世界大戦がはじまるとヘミングウエイは、それへの参戦を希望し、イタリア戦線の志願兵に応募し、中尉待遇で採用された。このとき彼は19歳。北イタリアのフォサルサ戦線に赴き、その地で敵の砲弾を受けて重傷を負う。大戦は終了し、傷の回復後、最初の妻ハドリーと共にパリにわたる。このとき彼は22歳。この地でガードルード・スタイン等の著名な作家、芸術家たちと知り合いになり、その影響のもと数々の短編を創作する。この過程は同時にハドリーとの充実した結婚生活があり、ポーリーンとの出合い、不倫、離婚、再婚と作家活動にしても、個人の生活においても多彩を極めた。ポーリーンと再婚したとはいえ、ハドリーとのパリでの生活は充実したものであった。1922年から1925年にかけてヘミングウエイはハドリーとともにイタリアやスペイン、スイスとと旅をしている。イタリアには2回旅をし、戦傷を負った思い出の地を訪れている。スペインには3回旅をし、パンプローナでのサンフェルミンの祭りに参加し、そこで闘牛を知り、その死を懸けた戦いに心を踊らした。さらにスイスでのスキー、奥深い森林に囲まれた湖での魚釣り等々を経験している。この間、1922年6月~7月のギリシャ・トルコ戦争の取材、出産のためのハドリーのアメリカへの帰国の年を除いて二人は毎年のように海外での旅行を楽しみ、充実した結婚生活を送っていたのである。1925年3月にポーリーン・ファイファーに会うまでは。
 ここでヘミングウエイは、戦争という絶望的で過酷な、しかし意味の無い、人間社会の悪に接し、その罪を実感すると同時に、自然との触れ合いによって、その大きさ、厳粛さに感動しそこに神を見ている。ヘミングウエイはイタリア戦線での重傷という体験もあって、生とは何か、死とは何か、そして人間の罪=戦争とは何か?を追及し、その贖罪とは何かを考えた。それを作品の中に反映した。この6年にわたる貧しくも、心豊かなパリでのハドリーと共に暮らした生活は、一人の無名な文学青年ヘミングウエイが作家としての自我を、地位を確立していくプロセスであった。この結果、この作家によって作られた短編集はその後の長編小説と並んで、ヘミングウエイの名を世界の文学史上に永遠に刻みつけるものになったのである。ここで忘れてはならないのがハドリーの存在である。彼女の愛と協力なくしてその後の、彼の輝かしい地位や名声はなかったであろう。

ヘミングウエイの作品の特徴
ヘミングウエイの作品には次の3つの特徴がある。
1,その思想性
2,そのハードボイルド性
3,その文体の革新性

1,その思想性  ヘミングウエイは第一次世界大戦に参加し重傷い、この地の病院で看護師に恋をしている。その状況が「ごく短い話」に反映している。1922年には『トロント・スター』誌の従軍記者としてギリシャ・トルコ戦争にも参加している。ヘミングウエイはこの2つの戦争体験から戦争の過酷さ、悲惨さ、無意味さを確信し、人間の罪=戦争とは何かと自問し、戦争が人間の心と体に与える影響を考え、さらに生とは何か死とは何かを追及した。この作品にもその姿が描かれている。戦争の結果、自己を見失い、虚無と怠惰の中に身をゆだね、人を愛することの出来なくなった青年の姿を『兵士の故郷』の中で描いている。それはそのままヘミングウエイの姿でもあった。彼はその虚無からの脱却を図る。ここに自然が登場する。自然への愛は彼の作品において大きな比重を占めている。『二つの心臓の大きな川 第一部、第二部』ではマス釣りのために森林に分け入り川に至る道程、その川で釣りをする愉しみは彼にとっての心洗われる素晴らしい癒しであった。何かを求めて癒しを探る。自分自身の中で求め求めて求めえない程深刻な虚無、そこから生まれる頽廃、それからの解放が神(自然)への愛であり、人への愛だったのである。根源的に考え抜くことによって得られる体系的な知恵、それを思想と呼ぶならば、ヘミングウエイの文学は思想的であると言えるであろう。ヘミングウエイの場合それを行動で表現する。ハードボイルドの作家と云われる所以である。

2,そのハードボイルド性
 ヘミングウエイは行動派の作家と云われている。3つの戦争(第一次世界大戦、ギリシャ・トルコ戦争、スペイン内戦)への参加は、その作品の中に反映している。『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』はまさに恋と冒険の物語である。さらに、闘牛に魚釣りにボクシング、そこには強烈な汗のにおいと血の匂いがあり、闘志を感じる。その姿をリアリスチックに描く。読者を引きつけてやまない魅力がある。そこには目的のためには命をかける人間の姿がある。そこに人間の生きがいを見る。その闘う姿に彼は感動する。そこには血の匂いがあり死への予感がある。それを美しく、強く、荒々しく描く。このハードボイルド性は後に続くハードボイルドの作家に引き継がれ、その原点となった。

3,その文体の革新性
 第一の革新性 『われらの時代』のもとになった同名のスケッチ集はいずれも習作であり実験作と云われている。実験作という以上そこには革新性がある。それは写真のようなくそリアリズムではなく作者のイマジネーションというフィルターを通して真実に迫る方法であり、それは彼の自然描写において特徴的に表れている。彼はセザンヌを愛し、絵を書くように文章を描きたいと思っていた。しかしどんなに自然に似せて描いたとしても、真の自然にかなうはずもなく、それならば、と彼は自分のイマジネーションを大切にして自然描写を行おうとした。不必要な部分を大幅に削除し、強調すべきを自己のイマジネーションに基づいて強調する。それは彼の心の中のリアリズムであり、真実であった。

第二の革新性  それはヘミングウエイ自身が語っているように『氷山の理論』である。氷山の80%は海底にあって真実はそこにある。要するに肝心の事は直接に描かず、読者の想像力にに依存する。この作品では『季節外れ』『雨の中の猫』にみられる。夫婦の何でもない会話から、その夫婦の危機を感じさせる。さらに『殺し屋』という作品においては、仲間を裏切って、追手の追跡にも関わらず逃げようとはせず、何もせず死を覚悟した男が出てくる。そこに『暗黒街』の掟を感じてゾッとする。この文体は後に反権力の作家にも継承され、権力に反抗し、権力と闘う作家が、権力からの弾圧を避けるために用いた方法であり、いわゆる二枚舌の理論と云われている。読者にはそれを知る知力と感性が要求される。
このように「省略」と「強調」と「氷山の理論」を通じて、ヘミングウエイは読者に感じさせ、見させ、聞かせる文体を作りあげていったのである。このように絵のように描く文体はイメージしやすく、彼の多くの作品は映画化(『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『海流の中の島々』『老人と海』等々)されたのである。

ヘミングウエイは単なるハードボイルドの作家なのか
 ヘミングウエイは1899年7月21日に父クレランス・ヘミングウエイと母グレースの6人兄弟の長男としてイリノイ州のオーク・パークで誕生している。父は外科医、母は声楽の素養のある芸術家肌の女性であった。彼は幼児から北ミシガンにあるワルーン湖畔にある別荘で、毎年夏を過ごすのが常であった。ここで父から狩猟や釣りの手ほどきを受けている。ハイスクールではフットボールに興じ、さらに陸上競技、水泳、射撃、ボクシングとアウトドアー・ライフを親しみ、ボクシングはプロ並みの腕を持つ元気いっぱいのスポーツ青年であった。結婚後は闘牛にも興味を持つ。同時に作家志望でもありハイスクール時代から多くの作品を同人誌などに寄稿し、将来の大作家の片りんを見せている。このスポーツと創作という二つの体験が彼の将来に影響を与えないわけはなく、闘い続ける者への、また目的を達成するためには命をかける者への讃歌を生み出した。これは当然作品の中にも反映し、ハードボイルド的作家と云われる地位を築いた。それは彼の一連の作品を見れば明らかであろう。『敗れざる者』『5万ドル』の中に見ることが出来る。そこには戦い続けるものへの讃歌があると同時にその裏に潜む悪をも指摘している。また「ファイター」のように敗れ去るものへの同情と、その人間の持つ悲しさ寂しさも描いている。この作品には華やかなボクシング人生を送りチャンピオンにまでなった男がパンチ・ドランカーとなり、破滅していくなれの果ての姿が描かれている。そこには単なるハードボイルドではない、人生に対する深い洞察がある。

 ヘミングウエイは人間を描くと同時に自然を描く。人間をも自然の一部として描いていく。人間の持つ勇気、強さ、弱さ、喜び、悲しみを人間の持つ罪とともに描く。そしてそれらすべてを包含しながらなおかつ強く、広大で清い自然を描く。人間は自然の懐に包まれながら、そこに癒しを求める。救いを求める。許しを求める。人は自然の中に神を見る。それはこの作品の中に収められている『二つの心臓の大きな川』を読めば明らかであろう。

希土(きと)戦争 1919年~1922年第1次大戦後ギリシャ王国とトルコの間に生じた戦争。大ギリシャ主義を標榜し小アジアに侵攻したギリシャ軍はケマル・パシャ率いるトルコ軍に敗北し、セーブル条約で得た領土を失い現在のギリシャ領が確定した。トルコではアンから政府の影響力が決定的となり、1922年のスルタン制の廃止、23年の共和国建国につながった。このとき初代大統領となったのがケマル・パシャ(アタチェルク)であった。両国は宗教的対立(トルコはイスラム教、ギリシャはキリスト教)もあって昔から仲が悪かった。
この作品にも希土戦争の記述は多い。トルコに敗れ故郷を負われ退却する避難民の哀れな姿、敗戦の責任を取らされ、処刑されるギリシャ政府の元閣僚、敗戦の結果、宮殿に幽閉され、外に出ることを許されないギリシャ国王、等々戦争の悲劇が描かれている。
8月15日は終戦記念日である。いろいろの行事が行われている。そのすべては戦争の悲惨さを訴え、戦争の無い世界を願って行われている。第一次世界大戦の後には国際連盟が、第二次世界大戦の後には国際連合が作られた。しかし国際連盟は第二次世界大戦を阻止できなかったし、国際連合の後、世界大戦はないにしても、様々な国際紛争を阻止しえていない。大国の利害が渦巻いている。人間の持つ不完全性は、それぞれの善意を超えて別の方向に人間を導いていく。戦争を阻止できる力とは何であろうか?我々はそれを真剣に考えねばならない時にきている。人間の罪=戦争、それからの贖罪とは何なのであろうか?

   ヘミングウエイ短編集 第1巻『われらの時代・男だけの世界』高見 浩訳 新潮文庫