日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

ナホム書 ニネベの滅亡

2018年05月27日 | Weblog
ナホム書  ニネベの滅亡

  はじめに
 本書の主題は、主の正義を歴史的に証明することである。すなわち、アッシリア帝国は不信仰のイスラエルを裁く杖として主によって用いられたが、その杖としての限度を超えて高慢となり、横暴を極めた結果、バビロン(主)によって滅ぼされた。さ前半ばきの杖は自らにも向けられたのである。本書はBC615年に書かれたものと言われている。
その内容は3つに分けられる。
 1.主の正義の宣告(Ⅰ章1~15節)
 2.主の正義の実証(2章1~12節)
 3.アッシリアの首都ニネベの罪とさばき(3章1~19節)
 神を恐れず神の愛を踏みにじるものには、必ず大きなさばきがあることを忘れてはならない。

 ヨナ書とナホム書
 本書にはアッシリアの首都ニネベに対する「さばき」の預言が描かれており、主のご計画を妨げるものは必ず滅ぼされるという聖書の基本に立ち返っている。しかし、我々は先に「ヨナ書」を読んでいる。ヨナ書では暴虐の異邦人の都市ニネベは「災い預言」を預言者ヨナから聞いて王から民まで「悔い改め」、主に立ち返っている。主はそれを知ってその「災い預言」を取り消している。主は優しく心豊かな方である。
 私たちはこの矛盾をどう解釈すればよいのか。
聖書信仰(福音主義)の立場に立つ限り「聖書は誤りなき神の言葉」と告白せざるを得ない。ヨナ書もナホム書も真実の筈である。矛盾があってはならないのである。歴史的事実は「ナホム書」が述べているように、ニネベの崩壊であって救いではない。ニネベはBC612年にバビロンによって滅ぼされている。
 聖書は歴史書であると同時に信仰の書でもある。この二つの書を読んで感じることは、滅び(ナホム書)とは何か、救い(ヨナ書)とは何か、という根源的な問いかけであり、共に真実であって矛盾ではない、ということである。
 ここには、イスラエルファースト(ナホム書)か、グローバリズム(ヨナ書)かの対決がある。いろいろ議論があるし、誤解される可能性もあるので、この点を指摘するだけに留める。

 ナホム書の内容構成
1、主の正義の宣告(1:1~15)
 ① 主はねたみ、復讐する方、主は復讐し憤る方、主はその仇に復讐する方、敵に怒りを保つ方。
 ② 見よ、良い知らせを伝える者の足
  ニネベの崩壊=そのくびきからの解放、ニネベの崩壊はその圧政下に置かれていたイスラエルには良い知らせとなる。
2、主の正義の立証(2:1~13)
 ① 雄獅子:アッシリアの首都ニネベの陥落
   主は全てを滅び尽くす。仇は二度と立ち上がれない。
 ② 見よ私はあなた(ニネベ)に立ち向かう
   よこしまな者(アッシリアの王)、みな断ち滅ぼされた。
3、ニネベの罪とそのさばき
 ① 恥かしめ、見世物とされる遊女ニネベ。
   誰が彼女を慰めよう
 ② アッシリアの王のみじめな結末。
   あなたに向かって手を叩く。全ての国々は、あなたに常にいじめられていたからだ。
 ここにおいてはアッシリアの滅びが、逆にイスラエルにとっては、恵みになっていることが語られている。しかしその恵みもつかの間の事、その後バビロンによって支配される。

 言 葉
 1章
主に身を避ける者:主を信頼するもの
主は知っておられる:主からの慰めの約束
よこしまな事を図るもの:アッシリアの王
あなたの子孫はもう散らされない:アッシリアの勢力は拡大しない
 2章
散らす者:バビロン
雄獅子:アッシリア
3章
すぐれて麗しい遊女(呪術を行う女):ニネベ
淫行:主に対する背き
ノ・アモン:エジプトの首都(テーベとも云う)。ノはエジプトで長い間、首都であった町の名。アモンは、その町の守護神の名。「アモンの町」の意。
包囲の日:籠城の日
その時:アッシリアの滅びの日、終末
バッタ:覆い尽くし、喰いつくすバビロンの象徴
恥を見る:主にさばかれて醜悪な姿を露わにすること
あなた:この言葉はナホム書全般にわたって出てくる言葉であり、これを特定するには文意をしっかりと理解する必要がある。
 
 各章ごとの説明
1章:主はねたみ復讐する神、主は復讐し憤る方、主はその仇に復讐する方、憤りを保つ方(1:2)、誰がその憤りの前に立ち得よう、誰がその燃える怒りに堪えられよう、その憤りは火のように注がれ、岩も主によって打ち砕かれる。主は慈しみ深く、苦難の日の砦である。主に身を避ける者たちを、主は知っておられる(1:6~7)。わたしはあなたを苦しめたが、再びあなたを苦しめない。いま、私は彼のくびきを、あなたからはずし、打ち砕き、あなたをなわめから解き放す(1:12~13)。みよ、良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。ユダよ、あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者は、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな断ち滅ぼされた(1:15)。
 ここには、イスラエルの名もアッシリアの名も具体的には出てこない。終わりの日における審判が語られている。
 ねたみ深い神:出エジプト記参照。「それら(偶像)を拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神=主であるわたしは「ねたむ神」。わたしを憎むものには父の咎を子に報い、三代、四代までに及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守るものには、恵みを千代まで施すからである」。「ナホム書」との関連でいえば、私を憎むものとはアッシリアを指し、私を愛するものとはイスラエルを指す。「わたしのみを愛せよ」「わたしはねたみ深い神」この言葉を裏から読めば神の民イスラエルに対する主の熱愛を現している。
2章:2章には難攻不落を誇っていた巨大な帝国アッシリアの首都ニネベがバビロン軍によって滅ぼされていく様子が描かれている。アッシリアはその後しばらくは続くが、アッシリアの滅びはその圧政下にあったイスラエルにとってはそれからの解放であり救いだったのである(2:1~2)。
 ニネベは水に囲まれた自然の要塞であった。誰も彼を脅かすことは出来なかった。その宝物庫には戦利品として略奪した金銀財宝で溢れていた(2:10~12)。このニネベにバビロン軍が襲ったのである(2:3~4)。みよ、わたしはあなたに立ち向かう――万軍の主の御告げ――。主はバビロン軍を「さばきの杖」としてニネベに向かわしたのである。ニネベは防柵を築き、これに対抗するが効なく敗れ、城門は開かれ、宮殿は破壊され、民(王妃と婢)は拉致され、各地に散らされる。残った者たちはこの地を捨てて逃亡を図る。振り返りもしない。豊かな金銀財宝は略奪に任される(2:8~9)。主は告げる「わたしはあなたの戦車を燃やして煙とする。剣は、あなたの若い獅子を喰いつくす。わたしはあなたの獲物を地から絶やす。あなたの使者たちの声はもう聞かれない(2:13)」。
 アッシリアとバビロンの戦いは主の戦いでもあった。これによってアッシリアの圧政下にあったイスラエルは一時的ではあるが回復する。
 3章:3章は2つに分けられる。前半、バビロンの侵攻によるニネベの陥落とその悲惨な姿(3:1~7)、後半、アッシリア王のみじめな姿(3:8)
前半:「見よ、わたしは、あなたに立ち向かう――万軍の主の御告げ――。バビロンの連合軍によるニネベの崩壊は、主に背いた反ユダ、反キリストに対する主の「さばき」であることが語られている。
 ニネベは穢れた遊女にたとえられ「わたしはあなたの裾を顔の上にまでまくり上げ、あなたの裸を諸国の民に見せ、あなたの恥を諸王国に見せる。わたしはあなたに汚物をかけ、あなたを辱め、あなたを見世物とする。あなたを見る者はみな、あなたから逃げていう「ニネベは滅びた」と。誰が彼女を慰めよう。あなたのために悔やむものをどこにわたしは捜そうか(3:5~7)。
 神の歴史において、反ユダヤ主義者たちは必ず恥を見る運命にある。
後半:エジプトの首都「ノ・アモン」はニネベと同様に長い歴史を誇り、水と緑に囲まれた(3:8)自然の利を生かした美しく、堅固な要塞都市であった。しかしこのノ・アモンはBC663年に当時最強であったアッシリアの王アシュール・バニパロスによって滅ぼされる。その悲惨な状況が3章10~13節に描かれている。一見ナホム書の主題とは関係ないと思われるノ・アモン(テーベ)の叙述は、この50年後に起こるニネベの滅亡を預言しているのである。
 アッシリアの首都ニネベは、この後、バビロン軍によって滅ぼされる。ニネベは滅びたがアッシリア帝国そのものはしばらく続くがBC609年にバビロンによって滅ぼされ1400~1500年続いたアッシリア帝国は完全に歴史の舞台から姿を消した。「誰もどこに行くかその行き先を知らない(3:17後半)」。「アッシリアの王よ、あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる。あなたの民は散らされ、誰も集める者はいない。あなたの傷はいやされない。あなたの打ち傷はいやし難い。あなたの噂を聞く者はみな、あなたに向かって手を叩く。誰も彼も、あなたに向かって手を叩く。だれも彼もあなたに絶えずいじめられていたからだ(3:18~19)」

 まとめ
 「ナホム書」は、12の小預言書のうちの第7番目の預言書である。中間地点を超えたのである。そこで中間報告をしたい。預言書に共通する主題は「さばき」と「回復」である。しかし、それぞれ個性を持っており同じものは一つもない。その個性を通じて普遍(さばきと回復)に迫っている。主はそのご計画の完成を目指していると考えるならば、その立場から、その立場に沿って、後の世に様々な聖職者がこれに編纂を加え、統一を図ったということは当然、考え得るのである。預言書の後に来るものは、ダニエル書、黙示録に代表される黙示の世界である。黙示の世界とは「千年王国」、「新天新地」の世界である。「神の国」が到来する。ここで主のご計画は完成する。預言は予言を含んでいる。主の預言は必ず実現する。それを信じる者は幸いである。
平成28年4月10日(火)報告者 守武 戢 楽庵会