旧約聖書 第8書「ルツ記」家族の愛
はじめに
「ルツ記」は、旧約聖書の中で最も短い書であり、第8番目を構成する。ルツ記には、これまでの書にみられたような、皆殺しだとか、破壊し尽くすだとか、焼き尽くすだとかといった殺伐とした表現は無い。ナオミとその嫁ルツと、その夫となるボアズの三者が織りなす家族愛の物語である。一服の清涼剤であり、気分を和ましてくれる。それらが、当時のイスラエルの慣習であった「レビラート婚」、「落ち穂拾い」、「町の門」、「買い戻しの権利」「履物を脱ぐ」などという、我々には一寸なじみのない言葉と共に語られている。時は、士師の治めていた時代(ルツ記1章1節)というから、「士師記」と繋がるところもあると思うが、士師の名は明かされていない。
ルツ記のポイントは、モアブ人であり異教徒であったルツが、改宗し(ルツ記1章16節)、姑のナオミと共に、モアブよりユダの地ベツレヘムに戻り、そこで苦労の末、ボアズと結婚し、イスラエル人の慣習に従い、その律法にしたがって子孫存続を成した、という事にある。その子孫がイスラエルの世襲の王ダビデであり、ひいては救世主たるイエス・キリストに繋がって行くのである。救いがあるから労苦が人間に訪れる。神は耐えることの出来ない試練を与えない。
梗 概
ルツ記は、1章1~22節:モアブの往還、2章1~23節:落ち穂拾い(ボアズとの出会い)、3章1~18節:麦打ち場にて、4章:交渉(4章1~12節)、男子誕生(4章13~17節)、系譜(4章8~22節)。の4つに分かれている。
この章の主人公の一人ナオミは、全財産を売り払い、夫(エリメレク)と2人の息子マフロンとキルヨンを伴って飢饉に陥ったユダの地、ベツレヘムを逃れてモアブの地に移り住む。そこでマフロンはモアブの女ルツを妻とし、キルヨンは、オパルを妻とする。そして、約10年間この地に滞在する。しかし、夫エリメレクは死に、二人の息子も子を成さぬまま、死ぬ。ナオミは飢饉の収まったベツレヘムに戻ることを決心し、2人の寡婦に、この地に留まり新しい人生を模索せよと諭す。レビラート婚(後述)の義務から解放しようとした。オパルはこれに同意しこの地に留まるが、ルツはこれを拒否し、ナオミと行動を共にする。
ベツレヘムでルツはこの地の有力者であり、近親者でもあるボアズに出会い、ボアズの畑で落ち穂拾い(後述)をする。ボアズはルツに好意を抱く。より多くの落ち穂を拾えるように配慮する。かくしてルツは姑のナオミと共に生計を立てることが可能となった。
ボアズのルツに対する好意を知ったナオミは、2人を結びつけようとする。ボアズの寝所に入り、為すべき事を成せと命じる。ルツはその通りにする。ボアズは驚き、その訳を問う。ルツは「あなたは買い戻しの権利(後述)のある人物です。わたしを買い戻して下さい」と迫る。ボアズは応える「私は権利をもつ第Ⅰの人ではない、もっと近い権利者がいる」、その人との話し合いの結果を待てと云い、そのまま、何もせずに帰宅させる。
「町の門」(後述)で、ボアズは第一の権利者に会い、その権利を譲り受ける。第一の権利者は履物(後述)を脱ぎ、契約は成立する。ボアズは町の長老たちに会い、その証人とする。ボアズはナオミの夫エリメレクの、また2人の息子の全財産を買い戻し、ルツをも買い、妻とする。長老たちはこれを認め証人となった。ボアズは、ナオミの養子になり。ルツの義弟となる。レビレート婚は成立する。
かくして、ルツはボアズの妻となった。そして彼女は一人の男子を生んだ。オベデと呼ばれた。オベデの次はエッサイであり、エッサイの子がダビデである。すなわちオベデはダビデの祖父である。このようにしてナオミは跡を絶やすことなく、子孫の増大繁栄に寄与したのである。
ナオミがベツレヘムに帰った時、町の人々は「ナオミが帰ってきた」と喜び歓迎した。しかし、ナオミは云う「私をナオミ(幸せ)と呼ぶな、マラ(苦しみ)と呼べ」と、更に「主はわたしを卑しくし私を辛い目に会わせられたのに」と。しかし、全能者である主は、ナオミを不幸のままにしなかった。ルツはボアズを得、オベデを生み、姑のナオミは養母として、これを抱きしめ、慈しんだ。その孫ダビデは、王にまで出世したのである。
「終わりよければ全てよし」。
用語解説
レビラート婚:
長男が後継ぎの無いまま死んだ場合、兄の財産と名前を存続させるために、弟が兄の妻と結婚して、最初の子を兄の後継ぎと定め、兄の財産と名前を末代まで継がせるのがこの結婚制度の目的である。普通なら、夫に先立たれた妻は、誰と結婚しても良いわけであるが(ルツ記1章8~9節、15節)血を重んじ、イスラエルの純粋性を保ち、神の選民として存続させるためには、この方法が必要だったのである。
この書に即して説明するならば、マフロンの弟キルヨンは既に死亡しているので、ルツと結婚することは出来ない。この場合2つの選択肢がある。一つは、寡婦ナオミが再婚し、第三子(男子)を生み、ルツが、これと結婚することである。しかしその子が適齢期になるまでには時間がかかり、ルツがそれまで待つことは事実上不可能である(ルツ記1章11~15節)。第二の方法は、この書で明らかにされているようにナオミが、養子を取り、彼をマフロンの義弟としてルツと結婚させることである。この書の場合、ボアズがその役割を担う。嗣業の地の継承順序には法則があり、1番目が弟、2番目が父と母の兄弟(叔父・伯父)、3番目が祖父の兄弟、4番目がこれ以外の最も近い近親者となる。ボアズの場合はおそらく4番目であろう。この場合にも優先順序があるようである。
買い戻しの権利
土地は究極的には、神なる主の所有物であり、原則として売買は禁じられていた。止むを得ず、これを売却する場合、これを買い戻す権利と義務が売却者本人に伴っていた。本人による買い戻しが、様々な事情によって不可能な場合、親族が、その権利と義務を果たさなければならなかった。債務奴隷に零落した場合も本人または親族が、買い戻しの権利と義務を有した(レビ記25章47~49節)。
買い戻しの権利とレビラート婚の関係
この書に即して言えば、ナオミに代わって買い戻しの義務と権利を得たのは、ナオミの近親者であるボアズであった。ボアズは、売りに出されていた、エリメレク(ナオミの夫)と、マフロンとキルヨン(ナオミの2人の息子)の土地を含めた全財産を買い戻す(ルツ記4章9~10節)。次に必要な事は、この地を嗣業の地とし、代々つなげていくことである。この場合、ルツの弟にならねばならない。ボアズはナオミの養子となり、ルツの義弟となる。かくしてボアズはルツを妻として迎え、オベドを生む。オベドの子がエッサイであり、エッサイの子が、イスラエルの王となるダビデである。
落ち穂拾い
これは主なる神が嗣業の地をもたない弱者(在留異国人、みなし児、寡婦)に与えた権利である。落ち穂拾いについては、聖書は随所でこれについて述べている。レビ記19章9~10節にはこれについて以下の如く述べる。「あなたがたの土地の収穫を刈りいれるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。また、あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなた方の神、主である」と。同様な表現は、レビ記23章22節、申命記24章19~22節にも表現されている。神は弱者を見捨てない。
この書には、寡婦(やもめ)となったルツが自分と義母ナオミを養うために裕福な遠縁の親戚ボアズの畑で落ち穂拾いする様子が生き生きと描かれている。ここでルツはボアズに出会う。ボアズはルツの姑に対する献身に接して、好意以上のものを感ずる。ミレーの絵画「落ち穂拾い(挿画)」は、これを扱ったもので、有名である。
町の門(ルツ記4章1節)
町は、囲みの中にあり、出入りのために門が造られた。士師の時代、イスラエルの地は戦乱の場であり、各都市は城壁を築き自衛していた。それは、自衛のためにだけでなく、その町の力、権威を象徴した。朝に開かれ、民は仕事に行き、夕方に閉鎖された。また町の門のあたりは広場になっていて、町の長老たちの集会場になったり、裁きの場になったり市場になったりした。この書に即して言えば、ボアズがナオミの土地を買い戻す際に、この場所で、その権利者の第一位にある人と交渉をもつが、その証人として、町の長老たちがここに集まり、その決定を見守り、これを確証した。箴言31章23節参照。
履物を脱ぐ
ルツ記4章7節 「昔イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、全ての取引を有効にするために、一方が自分の履物を脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける証明の方法であった(法的確証行為)」。ルツ記の場合、ボアズより継承順位の近いものは、この権利を放棄し、ボアズに譲渡した。この場合、「彼が、『私は彼女をめとりたくない』と云い張るなら、その兄弟の寡婦になった妻は、長老たちの前で、彼に近寄り、彼の足からくつを脱がせ、彼の顔につばきして、彼に答えて言わなければならない。『兄弟の家を立てない男は、このようにされる』彼の名は、イスラエルの中で、『くつを脱がされたものの家』と呼ばれる。(申命記25章9~10節)」と。しかしルツ記では、何の問題も無く引き継ぎは完了している。権利を放棄したものは「つばを吐きかけられもしなかった」し、「兄弟の家を立てなかったもの」とも言われていない。
はじめの真実:
ルツが姑のナオミを捨てず、ユダの地ベツレヘムに戻って改宗したこと。
後の真実:
ルツがボアズの子を生み、その子がイエス・キリストに繋がった事。
平成27年1月13日(火)楽庵会 報告者 守武 戢