日常一般

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モーセ(1):出エジプトを中心として

2014年05月17日 | Weblog


  モーセ(1)「出エジプト」を中心に 
 モーセについて語る場合、モーセ五書について語らなければならない。モーセ五書とは「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」からなる。この五書について空知太栄光キリスト教会の銘形秀則牧師は、次のように言う。「1、『創世記』は神の民の開始、2、『出エジプト記』は神の民の成立、3、『レビ記』は神の民の聖別、4、『民数記』は神の民の訓練、5、『申命記』は神の民の自立」と。
 五書は創世記を除けば、モーセとその一族の、出エジプトからカナンの地に至るまでの物語である。律法及び、祭儀規定が併せ語られている(「十戒」)。これらはモーセの作と云われているが、今日、疑問が提出されている。恐らく彼は、編集者であろう。
 さて「出エジプト」は、モーセの生誕から出エジプトまでを語るのであるが、この物語は前半と後半に分かれる。前半は、モーセが、神の助けを借りて、奴隷状態にあったイスラエルの民をエジプトから、様々な障害を乗り越えて、脱出させ、その後、神によって、シナイ山に導かれて、そこで、十戒を与えられ、それをイスラエルの民に授ける、までが語られ、後半は、十戒の細則(各論)である律法、更に祭儀規定が、詳しく述べられている。これらは、今日のイスラエルの民が守るべき規定として伝えられている。
 神がモーセに与えた契約とは、カナンの地に至りそこで支配を確立することである。神はホレブの地に留まり動かないイスラエルの民に言う。「見よ。わたしはその地をあなた方の手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなた方の先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与える言われた地である(申命記1章8節)」と。このように「出エジプト」においては、イスラエルの民は、出エジプトを果たしたものの、カナンの地を目前にしながら、その場に留まっていた。その契約を果たしていない。イスラエルの民は時に神に反抗し、時に偶像を作り、時に異教を信じ、決して神に従順ではない。そこには、神とイスラエルの民との間の葛藤があった。イスラエルの民は神の民になることに躊躇し動揺していた。ある場合は神を信じたが、ある場合はこれに反抗した。神の民として自立するためには神による訓練(試練)を必要としていた。
 レビ記は律法集である。民数記と申命記にはモーセが十戒を神から与えられたシナイから荒野を経て、約束の地「カナン」を目前にするまでが語られている。モーセは約束の地「カナン」を目の前にして没する。結局、ヨシュアによって、カナンの地はイスラエルの手に堕ちる(「ヨシア記」)。その間40年の歳月が流れていた。その過程がレビ記、民数記、申命記を通じて、種々の規定や律法を交えて語られる。これが「モーセの五書」である。
 1、はじめに
 エジプトにおいてヨセフの時代、イスラエルの民は、神の恵みにより産めよ、増えよ、地に満ちよ、の言葉通り、増大し、強大になった。時代を経て、ヨセフの事を知らない王がエジプトに起こった。王はイスラエルの民が強大になることに恐れを抱いた。王はイスラエルの民を奴隷状態に貶める。しかし、圧迫してもその効果は現れず、増え続けた。ついに王は男子殺害命令を出し、イスラエルの民の絶滅を測る。「生まれてくる男子はナイルの川に放り込め」と命令する。こんな時モーセは生れる。
 2、モーゼの誕生
 レビ家の男がレビ人の女と結婚してモーセを生む。モーセはナイル河に流される。王の娘がこれを拾う。モーセは王族の一人として育てられる。そして成人する。罪を犯し王より追われる。ミディアンの地に逃れ、そこで結婚し、一人の男子を産む。(注、レビはヤコブとその妻レナの間に生まれた三男、12部族の一人)。
 3、神、イスラエルの民のうめき声を聞く
 神は奴隷状態に貶められ、過酷な労働に苦しめられているイスラエルの民のうめき声を聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの間に交わした契約を思い出す。彼らを助けようとする。そしてモーセを呼び、イスラエルの民を率いてカナンの地に上れと、命じる。モーセは躊躇うが、これに従う。神は協力を誓う。
 4,十災 
 モーセはエジプト王に会い「イスラエルの民を解放し、カナンの地に行くことを許せ」と訴える。しかしエジプト王の応えは「NO」。それは当然のことであった。奴隷は生産力としては重要である。この為、より過酷な労働がイスラエルの民に課せられる。神の云う通り「強い力が加えられなければ」、王を説得する事は不可能なのである。
神はその強い力として十災を起こす。1、川の水は血に代わり、魚は死に、水は飲めなくなる。2、カエルの異常発生、3、ブヨの異常発生、4、アブの異常発生、5、疫病の発生、エジプト人の飼っている家畜は死ぬ。6、膿を出す腫れものの流行、7、雹が降り落ち、8、蝗の異常発生、9、三日間、暗闇がエジプトの空を覆う。王は恐れ慄くがイスラエルの民をエジプトから去らせなかった。却って心を固くしたのである。しかし、過越しの祭りに由来する奇跡によって王は、その頑なな心を開き、去ることを認めた。過越しの奇跡とは、イスラエルの民の子供を除いて、エジプト人の全ての初子を神が屠るというものである。イスラエルの民は、小羊を屠って、その血を玄関の鴨居に塗れと命令する。その家を過越し、神はそれ以外のエジプト人の初子を殺すというものであった。夜中、神はエジプトの地を巡り、全ての初子を撃ち殺した。大きな叫び声が、泣き声がエジプト人の家から上がった。さすがの王も兜を脱ぎモーセの願いを聞き入れ「おまえたちもイスラエルの民も立ち去れ、おまえたちの神に仕えよ」という。
 5、十災の意味 
 ここには神とエジプト王との間の葛藤がある。この葛藤は神の勝利に終わるが、この葛藤は、神とイスラエルの民との間にも生じていた。イスラエルの神に対する信仰は確固たるものでは無かった。絶えず揺れ動いていた。だから神は繰り返し叫ぶ。「わたしの民を、エジプトから去らしめよ、私の民が私に仕えるように」と。「過ぎ越し」は十番目の奇跡であり、かくして、イスラエルの民はエジプト王のくびきから解放され神に仕える者となった。このように十災には、二つの意味がある。1、エジプト王が神の力を認めたこと。2、イスラエルの民が、神の力を認め、信仰に目覚めた事、の二つである。
 6、出エジプト
 かくしてイスラエルの民は430年もの長き間、寄留していたエジプトを去るのであるが、その人数は男だけで60万人(総数は三百万にとも云われている)であった。まさに民族大移動である。モーセ一人の力でこれを統御する事は出来ない。12部族の長が、それぞれの部族を統制した。彼らは昼は雲の柱に、夜は火の柱に導かれて、カナンの地に向かった。
エジプト王はイスラエルの民をエジプトより立ち去らせた事を後悔し、軍勢を率いて、後を追う。イスラエルの民は恐れ慄く。エジプトより去ったことを後悔し、モーセを非難する。海(紅海)辺まで追いつめられる。絶体絶命である。神は海を割る。イスラエルの民は割れた海を渡るが、続いて海に入ったエジプト軍は波に巻き込まれて全滅する。民は神を恐れ、神とその僕(しもべ)モーセを信じた。
 その後イスラエルの民はモーセに率いられてカナンの地に向かう。
 各地各国で様々な事を経験しながらイスラエルの民は50日目にシナイの荒野に入った。モーセはシナイの山に登り、そこでイスラエルの民が、神の民となる契約を結ぶ。それが十戒である。
 7、十戒とは
 神は、イスラエルの民が自分の民となるに相応しい規範(神と人、人と人との関係の規定)としての律法をイスラエルの民に授ける。それが十戒である。それは彼らが「祭司の王国、聖なる国民となる」ための規範であった。神は自分の支配をこの地上に打ち立てようとした。神の与えた律法は、今日まで、イスラエルの民の生活の全ての領域に及んでいる。
神がモーセに十戒を与え、それを守らせるには、困難があった。モーセは8回もシナイの山に登っている。6回目に登った時、神は自ら指で書いた二つの石板をモーセに与えている。そこにはイスラエルの民が守らなければならない十の戒め(十戒)が描かれていた。そして山を降りた時、留守を預かっていた筈のイスラエルの民が、金の子牛の像(偶像)を作ってこれを崇めていた。モーセは怒り、これを粉々に砕いた。偶像を拝んだ2百万人のうち三千名を殺した。モーセは民の罪を贖うため、取りなしの祈りをささげる。8回目の登頂で、神はイスラエルの民の罪を許し、再度、イスラエルの民と契約を結んだ。
 8、十戒とは(2
 十の戒めとは具体的には何であろうか。次に記す。
  1、 私はあなたたちの神、唯一にして、全能の神である。あなたたちは、私以外のどんなものも神としてはならない。
  2、 偶像を作って神としてはならない。私は嫉妬深い神であるから、私を憎む者には子孫にまで罪を問い、私を愛し私の戒めを守るものには末代まで慈しみを与えよう。
  3、 神の名をみだりに唱えてはならない。
  4、 週の7日目を安息日とし、いかなる仕事もなしてはならない。
  5、 父母を敬え
  6、 殺してはならない。
  7、 姦淫してはならない
  8、 盗んではならない。
  9、 偽証をしてはならない
  10、 隣人の家、妻、奴隷、家畜など、一切の所有物をむさぼってはならない。
 神は、これを石板に刻んで「十戒」とした。
 9、その他
 神がモーセに与えたえ戒めは、これだけではない。各論ないしは、細則がある。
聖書はこれについて詳しく述べているが、簡単に述べる。1、祭壇について、2、奴隷について、3、死に値する罪Ⅰ、4、身体の障害、5、財産の損傷、6、盗みと財産の損傷、7、処女の誘惑、8、死に値する罪Ⅱ,9、人道的律法、9、祭儀的律法、10、法廷において、11、敵対するものとの関わり、12、訴訟において、13、安息年、14、安息日、15、祭りについて等々である。共同社会を維持する為の法的措置について述べている。。
更にまた神を祭る幕屋の作り方、掟の板を治める箱、机、燭台、祭壇、祭服、儀式の手順、等々事細かに記述されているが、専門家でない我々にとっては、退屈なだけであり、あまり重要とは思われない(?)のでこの程度にとどめる。聖書における「出エジプト」の記述はこれで終わる。『レビ記』『民数記』『申命記』で、カナンに至るモーセに率いられたイスラエルの民の記述がこれに続く。
平成26年5月13日(火)
報告者 守武 戢
楽庵会