モーセ3 民数記:物語部分を中心に(追加)
民数記は、カナン入りを前にした、イスラエルの民の生みの苦しみ:試練の物語である。神は、イスラエルの民と契約を結ぶにあたって、「我が前にあって完全であれ」と命じている。イスラエルの民は、神によって選ばれた唯一の民となった。
しかし、イスラエルの民は、神の前で決して完全ではなかった。そこには深刻な葛藤があった。それはモーセとイスラエルの民との間の葛藤という形をとった。モーセだけが神と対話が出来たからである。最終的には、神の勝利に終わるが、イスラエルの民が信仰者として自立し、完全になる為には、40年の歳月を必要とした。葛藤の世代は滅び、新しい世代がカナン入りを果たす。この時、モーセもアロンも没して存在していなかった。
それは、神がモーセを通じて、イスラエルの民の上に自分の支配を確立する過程であった。「神は人の為にあるに非ず、自らの為にある」神は自分の支配に反抗するものは容赦なく罰した。神は支配の証しとして律法をイスラエル民に与えた。イスラエルの民は、これを神の義として信仰した。かくして、神はイスラエルを拠点として世界支配を夢見る。神の義を全世界に広めるためである。神の義とは愛である。
大戦後の民主社会、明治維新、徳川幕府の成立、などは新しい社会を生みだす、生みの苦しみの上に成立した。多くの戦いがあり、多くの命が失われ、その犠牲の上に乱世は終息し、新しい社会が生まれた。人の命は大切かもしれない。しかし、その贖いが無かったならば新しい社会は生れなかったであろう。
荒野に留まって40年、神はイスラエルの民にカナンに向かえと命じる。イスラエルの民は進路を阻むものを撃破し、住民を皆殺しにしてカナンに向かう。
何故、皆殺しが必要だったのか。これを説明するには経済学的解釈を必要とする。マルクス経済学に「剰余価値学説」という理論がある。それを説明しよう。
100人の人間が100生産して100食べてしまえば剰余は生じない。しかし、生産力が発展して、50人で100生産できるようになれば、50人の人間が50食べても50残る。これが剰余生産物である。これを働かない50人が食べる事が出来る。これを単純に言えば搾取である。この理論からイスラエルの民が占領地の人間を皆殺しにした理由を説明することが出来る。皆殺しにせず奴隷にしたとしよう。しかし、その奴隷が自分の食いぶちしか生産しないとしたら、生かしておく必要はない。奴隷を養うには経費が、かかるからである。経費を賄い、かつ、剰余生産物を生産しない限り奴隷は奴隷としての価値は無い。殺す以外にないのである。女奴隷は、別の役割がある。それはイスラエルの民が稼いだ物で養えばよい。これがイスラエルの軍隊が住民を皆殺しにした経済的説明である。
平成26年8月10日(日)
民数記は、カナン入りを前にした、イスラエルの民の生みの苦しみ:試練の物語である。神は、イスラエルの民と契約を結ぶにあたって、「我が前にあって完全であれ」と命じている。イスラエルの民は、神によって選ばれた唯一の民となった。
しかし、イスラエルの民は、神の前で決して完全ではなかった。そこには深刻な葛藤があった。それはモーセとイスラエルの民との間の葛藤という形をとった。モーセだけが神と対話が出来たからである。最終的には、神の勝利に終わるが、イスラエルの民が信仰者として自立し、完全になる為には、40年の歳月を必要とした。葛藤の世代は滅び、新しい世代がカナン入りを果たす。この時、モーセもアロンも没して存在していなかった。
それは、神がモーセを通じて、イスラエルの民の上に自分の支配を確立する過程であった。「神は人の為にあるに非ず、自らの為にある」神は自分の支配に反抗するものは容赦なく罰した。神は支配の証しとして律法をイスラエル民に与えた。イスラエルの民は、これを神の義として信仰した。かくして、神はイスラエルを拠点として世界支配を夢見る。神の義を全世界に広めるためである。神の義とは愛である。
大戦後の民主社会、明治維新、徳川幕府の成立、などは新しい社会を生みだす、生みの苦しみの上に成立した。多くの戦いがあり、多くの命が失われ、その犠牲の上に乱世は終息し、新しい社会が生まれた。人の命は大切かもしれない。しかし、その贖いが無かったならば新しい社会は生れなかったであろう。
荒野に留まって40年、神はイスラエルの民にカナンに向かえと命じる。イスラエルの民は進路を阻むものを撃破し、住民を皆殺しにしてカナンに向かう。
何故、皆殺しが必要だったのか。これを説明するには経済学的解釈を必要とする。マルクス経済学に「剰余価値学説」という理論がある。それを説明しよう。
100人の人間が100生産して100食べてしまえば剰余は生じない。しかし、生産力が発展して、50人で100生産できるようになれば、50人の人間が50食べても50残る。これが剰余生産物である。これを働かない50人が食べる事が出来る。これを単純に言えば搾取である。この理論からイスラエルの民が占領地の人間を皆殺しにした理由を説明することが出来る。皆殺しにせず奴隷にしたとしよう。しかし、その奴隷が自分の食いぶちしか生産しないとしたら、生かしておく必要はない。奴隷を養うには経費が、かかるからである。経費を賄い、かつ、剰余生産物を生産しない限り奴隷は奴隷としての価値は無い。殺す以外にないのである。女奴隷は、別の役割がある。それはイスラエルの民が稼いだ物で養えばよい。これがイスラエルの軍隊が住民を皆殺しにした経済的説明である。
平成26年8月10日(日)