日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

フランツ・カフカ 「変身」鏡の中の世界

2007年09月24日 | Weblog
 ある日床屋に行った。時計があった。その時計は文字が逆さまになっていた。こんな時計もあるのかと変な気持ちになった。シートに座って初めてわかった。鏡を通して時計を見たとき、文字が正常になっていたからである。逆の逆は真なのである。鏡の中の世界は、あくまでも虚像である。映し出される顔は左右が逆である。
 鏡は私を見る手段である。それによって私を認識する。しかしそれは私であって私ではない。私の認識を超えて第二の私になる。鏡にまつわる怪談は多い。テレビ番組で「学校の怪談」というのをやっていた。暗闇の中新米の警備員が恐る恐る見回りをやっていた。廊下の端にある鏡を見た。懐中電灯に照らし出されたその姿は自分の姿ではなく、幽霊のようなものだった。警備員は仰天する。それは警備員の恐怖心が鏡の中に映っていたのだと識者は解説していた。このように、鏡の中の私は、私の認識を超え私から独立して別の私になる。分身作用がそこに見られる。鏡は自己分裂の象徴である。その両者は対立関係にある。自分の内部に潜む自分には気づいていない邪悪なもの、、醜さ、恐れ、不安、孤独、などが自分から離れて鏡の中に現れる。一種の疎外である。幽霊の存在もその一つであろう。鏡は不条理の世界を象徴する。
 平凡なサラリーマングレゴール・ザムザは気がかりな夢から覚めたある朝、一匹の巨大な毒虫に変わった自分を発見する。鏡についての説明でわかるように、実像と虚像が入れ替わったのである。グレゴール・ザムザの中に潜む邪悪なもの、醜さ、恐れ、不安、孤独の象徴として現れたものが巨大な毒虫である。物語はここより始まる。
 毒虫に変わったグレゴールとその一家(父、母、妹)の奇妙な共同生活が始まる。生活は激変する。今まで一家を支えていたグレゴールの毒虫への変化によって一家の生活はたちまち困窮に陥る。母も父も妹も働かねばならない。更に一家の厄介者に変化したグレゴールの面倒も見なければならない。母はグレゴールに対して愛情は抱いているものの、毒虫の姿は恐怖の対象以外の何もでもない。父は厳格であり後に愛情に目覚めるものの、グレゴールを毒虫としか考えない。妹はやさしく毒虫の世話をする。部屋を掃除し、食物を与えたり、汚物の処理をする。
 しかしそんな家族の気持ちも時とともに変化していく。恐れの対象ではあっても人間グレゴールに対する愛情をもち続けていた彼らは、グレゴールを家族に迷惑を与え続ける厄介者としか見なくなる。長い間にすっかりなじみ、小さい頃より慣れ親しんでいた家具類はグレゴールの部屋から取り払われ、毒虫の這いまわる空間が作り出されたとき、グレゴールの淋しさ、悲しさは頂点に達する。人間としての過去は抹殺され、毒虫の巣窟に作り変えられたのである。更に部屋はガラクタ置き場に変化し、世話の仕方もなおざりになる。「えさ」は投げ入れられ、汚物の処理も無くなる。
 一方グレゴールの心は人間のときとなんら変わっていない。家族に対する愛も、心のやさしさも持ち続けている。家族を恐れさせないためにベッドの下に身を隠し自らの醜い姿を見せないように努力する。バイオリンの才能を持つ妹を音楽大学に進学させてやろうというやさしい心も持っていたのである。ただ最大の忍耐と遠慮の引き換えに、生きるために自分の行動の引き起こす家族に与える不快、苦痛を我慢して欲しかったのである。しかし両者の間に会話は成立しない。グレゴールには家族の意思、言葉は伝わっても、自らの意思、言葉は伝わらない。行動だけでその意思を伝えようとする。しかし誤解が生ずる。グレゴールの意思に反して、父の怒りを買う。母の命乞いが無ければ死に至ったであろう手痛い打撃によって、重傷を負う。家族の苦痛はもはや限界に達していたのである。
 あんなにもグレゴールの面倒を見ていた妹は言う「あれ(毒虫)がこの家から出て行くべきだわ」「それがただ一つの手段ですわ、お父さま。あれがグレゴールだという考えをまず捨てなくちゃいけないのよ。あたしたちが長い間そう信じてきたことが、わたし達の不幸の原因だったんだわ。あれが、いったいどうしてグレゴールなんかであるもんですか。もし本当にグレゴールだったら、人間があんな動物と一緒に暮らすわけにいかないことくらい、とっくの昔わかってくれて、自分のほうからどこかへ出ていってくれるでしょうよ。そうしたら兄さんがいなくなってしまうわけですけど、あたしたちは安心して生活できるし、いつまでも兄さんのことを尊敬しながら思い出せるというもんですわ。だのにあの動物ときたら、あたしたちは苦しめるし間借り人は追い出すし、おしまいには家の中全部を平気な顔で占領して、あたしたちまで路地で夜明かししなくちゃならぬはめになりそうだわ――――」と。
 これを聞いたグレゴールは自分が毒虫になったことで生じた家族の不幸を実感して、人間と毒虫は決して共存出来ないのだと悟り、これ以上家族に迷惑を与えまいと考え、与えられた「えさ」を拒否し、痩せほっそて死んでいく。そのことにより、ザムザ一家には平和が訪れるが、なんとも後味の悪い小説である。「どんと晴れ(めでたし、めでたし」という訳にはいかない。せめて人間としてのグレゴールの姿が家族の思い出の中に生き続けることを願うのみである。
 お互いに愛をもっていながらも決して相容れることの無い世界=不条理の世界を作者は描いている。もしも変身したのが可愛い子猫や子犬だったら事態は変わっていたであろうと考えるのは意味がない。ここに描かれていることは、一人の人間の中に潜む、愛と憎しみ、美と醜、虚と実、神と悪魔、の二律背反の世界であり、その対立である。鏡はそれを象徴する。その解決は鏡の破壊以外に無い。

エイゼンシュテイン「モンタージュ論」

2007年09月12日 | Weblog
 エイゼンシュテインの「モンタージュ論」は、僕の卒論のテーマである。当時左翼学生であった僕には、画面と画面のぶつかり合いによって第3のイメージを作り出すと言う理論が、正、反、合の弁証的発展だと気づき感動した。映画技術としてのカット割とその結合をモンタージュ論は芸術にまで高めたのである。 といっても具体的には素人にはわからないと思うので、少し映画の撮影方法について説明したい。
 舞台と映画やテレビドラマの違いは、舞台は筋書きどうりに演じられるのに対して、映画の撮影現場においては、筋はまったく関係ないということである。筋はフィルムの編集によって完成する。映画において舞台装置があるのは舞台と変わりない。しかし映画にはロケーションがあり、オープンセットがある。装置やオープンセットはカメラの引き位置によって自由に取り外しが可能である。
 これらの事を前提にして映画の撮影方法について述べてみたい。映画のシナリオはシーンとカットに分けられる。一つのシーンはいくつかのカットに分けられそのカットごとに撮影される。だから極端の場合、最初のシーンの最初のカットと最後のシーンの最後のカットが同時に撮影されることもありうる。ロケーションの場合、これも筋に関係なくロケ地における演技は全て撮影される。何故か?カメラ位置、照明、舞台装置など決定されるまでには膨大な時間と手間を必要とするからである。だからいったん決定されるとその位置からの撮影は筋に関係なく全て撮影される。AとBとの会話の場合、最初にAの顔が撮影され、次にBの顔が撮影される。AとBとの顔を交互に撮影されることは無い。役者にはイメージ力が要求される。相手に向かって演技するのではなく、カメラに向かって演技するからである。テストが何度も繰り返され、監督が納得すれば本番テスト本番となる。故に映画は完全に監督のものである。舞台では舞台に上がってしまえば監督の手を離れてしまうが、映画の場合はそれが無い。監督の意向を無視した演技はありえない。ここで活躍するのがカチンコである。カチンコには何シーン、何カットと記録されている。これが無いとフィルムの編集が出来ない。
 ここで大切なものが「つながり」である。筋に関係の無いカット撮影であるが故に、「つながり」を忘れると大変なことになる。演技のつながり、小道具のつながり、装置のつながり、照明のつながり、衣装のつながり、等々である。記録係は演技のつながりを全て記録する。小道具係りは小道具のつながりを、デザイナーは装置のつながりを、照明係は照明のつながりを、衣装係は衣装のつながりを全て記録する。例えば、部屋の中で着ていたものを外に出たとき着ていなければ、おかしなものになる。部屋の中の撮影と外の撮影が別の日に行われうるからである。新人はこのつながりを忘れて大目玉を食う。取り直しになる。新人がつく場合、助監督、記録係、役者がそれなりに配慮してくれるので、あまり大事に至ることは無い。彼らが覚えてくれるからである。
 余計な話であるが、テレビの場合、スポンサーの意向が大きく影響する。スポンサーが明治乳業の場合、公園の撮影で雪印のコマーシャルのあるベンチは全て取り払わねばならない。飲ます牛乳は全て明治牛乳でなければならない。
 この技術としてのカット割を芸術にまで高めたのがエイゼンシュテインの「モンタージュ論」である。エイゼンシュテインの制作の「戦艦ポチョムキン」(ロシア帝国に反旗を翻した水兵の物語)の「オデッサの回廊」のシーンはあまりに有名である。兵士の銃撃による民衆の混乱と恐怖、息子を銃殺された母親の憎しみと悲しみ、片目をえぐられた女教師、母親の手を離れて階段を転げ落ちていく乳母車。兵士による市民への暴虐に対して戦艦の大砲が火を噴く!石造の獅子が咆哮する。カットされ断片化した映像を相互にぶつけていく。そのことにより市民の怒り、悲しみを最大限に表現する。迫力のある映像が作り上げられている。映画以外にこれを表現できるものは無い。正、反、合の弁証法である。これがモンータジュである。
 余計な話であるが僕は、大学卒業後1年間ではあるが映画会社(昔の新東宝=今の国際放映)の舞台美術で働いた経験がある。

黒澤明監督作品「7人の侍」弱者同士の戦い

2007年09月04日 | Weblog
 日本映画専門チャンネルで、黒澤明監督の「7人の侍」を見た。素晴らしい娯楽作品である。3時間半とちょっと長かったが、それを感じることは無かった。
 時は戦国時代、野盗化した野武士の略奪に苦しむ百姓たちは侍を雇って村を守ろうとする。かくして集められた7人の男たち(志村喬、加藤大介、宮口精二、千秋実、三船敏郎、木村功、稲葉義男)の活躍をダイナミックに描く。しかし襲いかかった野武士達を皆殺しにしたものの、7人のうち4人(三船敏郎、千秋実、稲葉義男、宮口精二)は死んでいく。戦いとはこう言うものである。一人のスーパースターが何十人もの人間をバッタ、バッタと切り捨ててしまう時代劇とは一味違う。添え物ではあるが、津島恵子と木村功との恋、妻(島崎雪子)を野盗に拉致され慰めもにされた男の悲しさ、淋しさも描かれる。女の描き方は下手だと言われている黒澤明だがそれなりには納得できる。
 この映画は、勧善懲悪の作品であるが、7人の侍も、百姓も、野盗達もみんな弱者である。野盗と言っても食い詰め浪人の集まりであろう。7人の侍も浪人であり、報酬と言っても住まいと食事が提供されるだけである。百姓たちはもちろん水飲み百姓であり、侍たちには白い米の飯を与えながらも、自分たちは粟とひえで生活している。今NHKで「風林火山」が放映されているが、強者の裏には戦いに敗れ領地を失い、浪人になり、用心棒にならざるを得なかった武士や、野盗にまで成り下がった野武士や、そんな武士たちに、常にビクビクしながら食を提供する貧しい百姓=弱者がいることを忘れてはなるまい(戦国時代の百姓は基本的には武装集団であり、状況に応じて領主の命により兵士に早代わりした半武士であったとする説=藤木久志もある)。
 黒澤は7人の侍、百姓たちの貧しさを描きながらも、野盗の生活までは言及していない。野盗にまで成り下がらなければならなかった野武士の悲しさ、淋しさも書いて欲しかった。それがあれば、作品により一層の深みを増したであろう。野盗と言えども人間である。完全な悪党などいない。彼らだって時代の犠牲者である。
 野盗との戦いに勝ったあと、志村喬が加藤大介に言った言葉は印象的である。「私たちはまた負けた、勝ったのはあの百姓たちだ」と。
 どんなに厳しく、苦しい状況の中でも、生活の知恵を働かして必死に生きる、地にはいつくばり、そこに根を生やして穀物や野菜を作り、たくましく生きる百姓たち(生産者)。彼らこそ最後の勝利者である。