歴代誌(第一)
はじめに
歴代誌は、ヘブライ語聖書の3区分(律法、預言書、諸書)のうち、諸書に分類される。創世記のアダムの系譜からはじまり、ノア→セム→アブラハム→イサク→ヤコブ(イスラエル)→ヨセフとイスラエルの歴史を膨大な系譜と、人名表を用いて記述し、サウル→ダビデ→ソロモンとつなげ、ソロモンの死後、南北イスラエルの分裂→北イスラエルのアッシリアによる占領・滅亡→南イスラエル(ユダ)のバビロニアによる攻撃と滅亡→バビロン捕囚→バビロンがペルシャによって滅ぼされた後は、国家の建設は許されなかったが、ペルシャ王クロスによって捕囚にあったユダヤ人はエルサレムに戻され、神殿建設が許可される。これが「歴代誌」の概略であり、その意味では旧約聖書の歴史部分のダイジェスト版ともいえる壮大な絵巻ものである。旧約聖書全体をまとめ、締め括る貴重な一書であると言えよう。
歴代誌のテーマ『歴史の再出発』
しかし、何故このような一書が必要だったのであろうか?何故、旧約聖書をまとめ、締めくくる必要があったのであろうか?旧約聖書は、イスラエル国家の滅亡という形で終わっている。それ故、主とイスラエルの民との間の契約は果たされてはいない。聖書は、これを神の前で、イスラエルの民が契約を守らず悪を行ったからだと結論している。
聖書は神の視点で描かれている。神はおそらく孤独であったろう。自分が選んだイスラエルの民は決して自分の前で従順では無かった。それどころか反抗した。異教の神を信じ偶像を信仰した。神はおそらく感じたであろう。自分の影響力の欠如を、自分の存在が、イスラエルの民に対して、全く影響力を持ちえないということを。それは水平的な同時代における影響力だけでなく、継続する時代への時間的かつ垂直的な影響力の欠如があるということを。神は怒りや、憎しみを募らせ、悲しさや寂しさを膨らました。神は孤独であった。自分のみを正しいとする一神教の神にとって異教の持つ可能性、豊かさを理解することは出来なかった。神はノアの方舟の物語のように、自分に反抗し、自分の前で悪を行うイスラエルの民を滅ぼそうと決心した。
一方、民の側も孤独であった。原罪ゆえに生きていることの根源的な悲しみがそこにあった。神の前で悪を行う必然性がそこにはあった。そこには存在の持つ孤独さが存在した。それは神とイスラエルの民との両者の間に存在した超えられることの無い断絶であった。これを埋めるものは何か?これが、『歴代誌』のテーマである。神と人との間に本来存在したより良き関係を再構築するものは何か?イスラエルの民の歴史を『歴代誌』の中で、根源から探ることによって、膨大な系譜を持って遡ることによって、イスラエルの民が、その反省を経て、今なすべきことは何かと、問うているのである。歴史の再出発とは何かを問うているのである。だから、『歴代誌』は、単なる旧約聖書のダイジェスト版でもなければ、繰り返しでもない。
歴代誌は第一と第二の2つに分けられる。
歴代誌:第一の内容
第Ⅰ部 アダムからサウルまで(1章1~10章14節)
第Ⅱ部 ダビデの治世(11章1節~29章30節)
歴代誌:第二の内容
第3部 ソロモンの治世(1章1節~9章31節)
第4部 ユダの王たちの治世(10章1節~36章23節)
梗 概
第Ⅰ部 アダムからサウルまで(歴代誌 第Ⅰ部、1章1~10章14節)
1、アダムから始まる神を礼拝する民の系図(1章1~54節)
2、ダビデの子孫の系図(3章1~24節)
3、ダビデの系図の支流から出た逸材のヤベツ(4章1~43節)
4、ルベン族、ガド族、マナセの半部族の系図(5章1~26節)
5、レビ族の系図(6章1~81節)
6、失われた部族の系図が意味するもの(7章1~40節)
7、サウル、ヨナタンに繋がる別のベニヤミン族の系図(8章1~40節)
8、帰還後に神殿に仕えた人々とその職務(9章1~44節)
9、反面教師としてのサウル、サウルの死(10章1~14節)
第一部は系譜の集まりなので、表題だけにとどめた。
第2部 ダビデの治世
ダビデ
イスラエルの最初の王サウルが死に、後を継いだのはダビデであった。王となったダビデが最初に行った事は、イエブス(エルサレムの旧名)を占領してこれをダビデの町とした事である。ダビデの町とはエルサレムの事である。エルサレムはイスラエル国の主都となった。ダビデは神殿建設に先立ち、国を堅固なものにしなければならなかった。ダビデはエルサレムを首都とし、「契約の箱」をエルサレムに移し、政教両方の中心地として、政教一致の政治を行った。その上で、経済的にはインフラを整備し、政治的には官僚制を確立するなど、国の基礎固めをした。警察機構を整備し、自分の周りを勇敢な勇士たちで守り固め、内乱に備えた。更に軍隊組織を強固にして外敵に備えた。周辺にはペリシテ人など多くの敵がイスラエルを狙っていたからである。ダビデはこれらの外敵と積極的に戦い、その力を弱めた。周辺諸国とは力だけでなく、交易を盛んにして、友好国を造り、神殿建設などに必要な資材の調達を容易にした。更に人口調査を行い、各種行政施策の基本資料の作成に役立てた。しかし、何故か、神の怒りに触れ罰せられている。民数記では神自らが人口調査をモーゼに命じているのである。かくして、ダビデの国は強大となり、その名声は周辺諸国に鳴り響いた。
ダビデが王になってやらねばならない任務は先に述べた国づくり以外に2つあった。その1つは神殿建設の準備をすることであり、神殿建設のために寄付を募ったりした。(実際に神殿を建設したのはダビデの息子ソロモンであった。ダビデ自身は主なる神から神殿の建設は禁じられていた)、2つ目は神事を執り行うレビ人を組織化して、これに聖なる仕事を与える事であった。ダビデは、レビ人を祭司一族とし、レビ族であるアロンとその子孫を祭司階級に任命し、その仕事を継続させた。そして、それ以外のレビ人を祭司が神事を行う際の補助的な仕事を行わせた。同じレビ人でありながら祭司とその他のレビ人の間には厳格な階級的格差があった。レビ人は至聖所に入ることは許されなかったし、神具に直接触れることも出来なかった。
ダビデはエルサレムで多くの妻を迎え、多くの息子や娘を生んだ。その一人が後にイスラエルの王となるソロモンであった。
ダビデがイスラエルを治めた期間は40年間(ヘブロンで7年、イスラエルで33年、)であった。彼は長寿、富、誉れを享受し、神殿建設などやり残した仕事をその息子ソロモンに託して、満ち足りた生涯を終えた。ここで『歴代誌』第一は終わる。
レビ一族
レビ族は祭司一族として、聖所における祭儀一切を行った。
レビ族はヤコブ(イスラエル)の子レビを祖とするイスラエルの12部族の一つであったが、カナンの地に入った時、他の部族には嗣業の地をあたえられたが、彼らには嗣業の地は与えられなかった。主、自らが、彼らの嗣業だったからである(申命記10章9節)。主を嗣業とするレビ族は祭司一族として聖なる役割を与えられた。それは、主の命によって出エジプトを果たしたモーセとその兄アロンがレビ族出身だったからである。その貢献に対して神が彼らに与えた恵みだったのである。カナンを目指して移動した際、レビ人はアロンの監督の下、天幕での奉仕、契約の箱の運搬、聖所での奉仕に従事した。モーセは政治上の指導者として、アロンは宗教上の指導者としてイスラエルの民の上に君臨した。
アロンの系列には祭司の地位が与えられ、祭儀一切を執り行った、その他のレビ人は、その補助的な役割を担った。祭司一族とレビ人の間には階級的な差別があった。レビ人は嗣業の地を持たなかったが、他の部族の領内に「レビ人の町」を与えられ、そこに住んだ。そしてその聖なる仕事の報酬として奉納物の十分の一が給付された。
祭司一族の役割
アロンとその子孫は祭司として祭儀を主催した。
全能なる神の僕モーセの命じたと通り、全焼の供犠の祭壇の上と、香の祭壇の上で香を炊き、至聖所における全ての務めを果たしイスラエルのために贖いをした。
祭司以外のレビ人の役割
レビ人たちは、神の家の聖なる住まいのあらゆる任務を割り当てられた。
祭儀に際し神殿の前で、レビ人は、竪琴、琴、タンバリン、シンバル、ラッパを奏で、歌って踊って演戯した。イスラエル人の心に安らぎと安息を与えた。
門衛:神殿を守るために築かれた城壁の門の警備
祭儀を執り行う祭司の傍らで、その儀式を補助する役割を果たした
神殿の庭や、各部屋を見はり、全ての聖なるものを清めることなど神の家の奉仕の実行に 当たった。
供え物のパン、穀物の供物、薄い種入れぬパン、焼くこと、混ぜること、その大きさ、量 について、全てについて責任を負った。
毎朝、主に感謝の祈りを捧げ、賛美し、夕にもそのようにした。
安息日、新月、祭日ごとに、定めに従い人数を満たして、主の前で全焼の供犠を捧げる責 任を負った。
大祭司の指導のもと、会見の幕屋の務め、聖所の務めを果たした。
その他、宝物庫の管理、役人と裁判官
終わりに
『歴代誌』は、以上述べたように、ダビデとレビ一族に強い関心を持って描いている。ダビデを神殿建設を準備する敬虔な理想的な王として描き、レビ一族を祭儀を司る、神に最も近い一族として描いている。これの意味している事とは何か?イスラエルの民に初心に帰れと言っているのである。神の前で完全であれと言っているのである。神殿は目に見えない神と、目に見える人とが、一つに結びつくことの出来る唯一の場所である。神殿とその庭は人の心に安らぎと安息を与える大切な空間である。この聖なる空間はイスラエルの民がその傷ついた心を癒し、神との和解を果たし、再出発の出来る唯一の場所である。
平成27年6月9日(火)報告者:守武 戢 楽庵会