ヨハネの黙示録
はじめに
ヨハネの黙示録は次の言葉から始まります。「イエスキリストの黙示。これはすぐに起こるはずのことをそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与ええになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これもしもべヨハネにお告げになった。ヨハネは、神の言葉とイエスキリストのあかし、すなわち、彼の見たすべてのことをあかしした。この預言の言葉を朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである(1:1~3)」。「すぐに起こるはずのこと」、「時」とは神の国「千年王国」を指しています。
黙示録の書かれた目的
黙示録は、キリスト教徒迫害の時代に、ヨハネによって、流刑の地パトモス島で、迫害に苦しむ信仰の兄弟姉妹を、慰め、励まし、力づけるために書かれた書です。「神は最終的には勝利される」と言う確信をイスラエルの民に抱かせ「それまで忍耐せよ、わたしはすぐ来る」と云う主の言葉で結んでいます(22:20)。
黙示録の構成(22章からなる)
1、教会時代(1~3章)
2. 大艱難時代(4~19章)注1
封印
ラッパ
金の鉢
(神による裁き・終末に導く預言)注2
3. 御国の時代(20章)千年王国
4. 永遠の時代(21~22章)新天新地
注1:神がイスラエルの民に示した千年王国に至るまでの試練。千年王国を迎えるに当たって神の民の為すべきことが示されています。
注2:終末を迎えるに当たって、神はこの世をリセットされる。イエスが再臨して、その彼方に神の国(千年王国)を見ます。
教会時代(ヨハネが送った7つの教会へに挨拶)
トルコにある7つの教会(エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤ)に対する使信(手紙)。この使信には7つの教会が抱える問題点が網羅されています。ヨハネは神から託され、7つの教会に告げねばならない言葉(称賛、叱責、勧告、約束)を使信に記録します。全般的に、これらの教会の精神的弛緩、退廃、の傾向は激しく、ある教会は「初めの愛」を忘れ、ある教会は「不道徳な環境世界からの圧力」に屈し、ある教会は「金銭」に拘泥し、ある教会は「偶像」を崇拝し、ある教会は「偽教師」によって誤った方向に信者を導いています。使信は言います「不義を排し、義に戻れ」「悔い改め、神に立ち返れ」と。神は各教会の問題点を指摘した後に、必ず「聞く耳のあるものは霊が諸教会に告げる事を聞け」で結んでいます。「聞け」とは[従え]を意味しており[従う」は神に対する信仰であり、愛なのです。悔い改める者に対して神は決してこれを罰しません。叱責や勧告は励ましなのです。
7つの教会の持つ問題点はこれらの教会に限られたものでは無く、当時の教会の一般的な姿を象徴的に現していると言って良いでしょう。これは教会だけの責任では無く、教会を取り巻く世界にも原因を求めることが出来ます。
当時は大艱難時代であり、イスラエルはローマの属領に甘んじていました。ローマは軍事的にも宗教的にも諸国、諸民族を支配し、統治していたのです。神格化された皇帝崇拝は、一神教を信じるキリスト者にとっては耐え難いことでした。2人の神を信じる事は出来なかったのです。神信仰か皇帝信仰か、神を信じれば迫害が、皇帝を信じれば背教の苦しみが。二者択一の中で、キリスト者は苦しんだのです。7つの教会の持つ精神的退廃、弛緩も、このような歴史的背景があったと言って良いでしょう。こんな時「黙示録」は生れたのです。大艱難時代の彼方には神の国がある。その信仰に支えられたとき、確信した時、イスラエルの民は癒されたのです。
大艱難時代
神は決してその御心を直接には実行しようとはしません。実行する為に、神は人を求めたのです。神は人を通じてしかこの世を支配することが出来ないのです。神はイスラエルの民を自らの選びの民としました。イスラエルの民は本来、その為の権威を神より委ねられていたのです。神はそのご計画をイスラエルの民を通じて達成されようとしました。イスラエルから世界へ。これが神の壮大なご計画だったのです。しかし、この計画を妨げる者が現れます。それがサタン(悪魔)です。サタンは天における神との戦いに敗れて、地に落とされます(堕天使)。地に落とされたサタンは、その命が短いのを知って、神に対して怒り、神のご計画を妨げようとします。それはメシアの出現を阻止することでした。
1.メシアの初臨(誕生)を妨げる
2.メシアの福音(宣教)を妨げる
3.メシアの子孫の繁栄を妨げる
(1~3は12章を参照して下さい)
4.メシアの再臨(千年王国)を妨げる。→ハルマゲドンの戦い(16章参照)
その目的は、神の愛から人を遠ざけることにあったのです。
イスラエルとサタンとの戦いが始まります。イスラエルはサタンに勝つことが出来ません。これが大艱難時代なのです。サタンの支配する時代です。しかし神はイスラエルの民に言います「何が起ろうとあわてるな、こんな時こそ、あなたの信仰と忍耐が試されるのだ」「わたしは必ず来る」と、神の国の到来を預言します。サタンの支配の歴史は,サタンを象徴する大妊婦(バビロン=ローマ)が敗北することによって終了します。イエスが再臨して千年王国が始まります。しかし、これは救いの前段階に過ぎません。この後に、新天新地が用意されています。神のご計画は完了します。
神は大艱難時代を終わらすために、終末に導く預言をします。それが、封印、ラッパ、金の鉢の裁きです。
小羊(イエス)が7つの封印を開いた時、ケルビムが「出て来なさい」と叫びます。この時出てきた動物が、白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめた馬です。それぞれが何かの象徴です。
白い馬=侵略者 赤い馬=血と戦争(侵略戦争) 黒い馬=死と飢饉 青ざめた馬=悪疫と死 5つ目の封印が解かれた時、殉教者の声がします。「いつまでも裁きを行わず、復讐をしないのか」と。6つ目の封印が解かれた時大地震が起きます。終末が預言されます。第7の封印が解かれた時、7人の御使いが現れ7つのラッパが渡されます。ついで金の鉢の預言もなされます。比較してみましょう。
上記の表をよく読むと、とても似ています。しかし、最大の違いは、その裁きの質が異なっている事です。ラッパの裁きの災厄は3分の1でしたが、金の鉢の裁きは全てです。神の怒りがそれだけ大きくなっていることを示しています。しかし、最終的には、ラッパの裁きの後には終末が語られ、金の鉢の裁きの後には『事は既になった』と千年王国の到来が預言されています。
黙示とは
さてここで黙示された象徴につて学んでみたいと思います。黙示の言葉の意味は「覆いをとる」ということで、隠されたものの覆いをとり、真実を見るという事です。
そこで黙示(象徴)された言葉を見ていこうと思います。
ひとりの女:イスラエル(教会でも、マリアでもない)注3
赤い竜:サタン(悪魔)
男の子:メシア(キリスト)
ミカエル:天使長
女の子孫の残りのもの:キリストの弟子たち
海から昇ってくる獣:反キリスト
地から来る獣:偽預言者
天:神を尊ぶ者の住まい
地、 海(サタン=獣、の住む場所)
大淫婦:バビロン(ローマ)
小羊:キリスト(メシア)
注3:「ひとりの女」には諸説あるが、『この女は妊娠していましたが、出産を間近に控え陣痛に苦しみ、大声で呻いていました。--------女は男の子を産みました』(12:1~6参照)、女が教会なら、教会がキリストを生んだことになる。聖書によれば、キリストが教会を生んだのである。マリア説:カソリック教会の説。マリアは無痛分娩の筈である。結局、大艱難時代をしのいだイスラエルということになる。
唯一、無二の真の神に、正面から、意識的に対立する強力な世俗権力(ローマ)のもとで、純粋に真剣に信仰を守り続けることは計り知れない危険を伴い、殉教すら辞さない信念と勇気を必要とします。その勇気と信念は、究極的には地上の王は、天上の王(神)に服従せざるを得ない、という確信から生まれます。この確信を大艱難時代に苦しむイスラエルの民に与える事を意図した書が「黙示録」です。このような確信を貫く者は、肉体的な死から蘇って千年王国の時代に、第一の復活を達成しキリストと共に千年王国を支配します。
御国の時代(20章)
千年王国
十字架の刑の後3日目に蘇みがえり45日間この地に留まりその使徒たちに、その福音宣教を託して、天に上られ、神の右の座につかれたイエスキリスト(イエスの空中再臨、と花嫁(教会)の空中携挙)は大艱難時代の終わり(終末時)に、天から地上に下りられ(地上再臨)第Ⅰの復活を果たした信徒(注4)たちと共に千年の間この国を統治し最後の審判を行った。この国を「千年王国」と呼ぶ。この時、悪魔は神の御使いによって捕えられ千年の間、底知れぬところに落され、幽閉されていた。この間、悪を行わない為であった。しかし千年後には解放されることになっていた。
(注4)第Ⅰの復活を果たした信徒:イエスの証しと神の言葉のゆえにくびをはねられた魂と、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった信徒たちを指す。要するに殉教者と聖徒たちを指す。彼らは生き返ってキリストと共に千年の間王国を統治した。
神とサタンの戦い
千年の後、解放されたサタンは仲間の軍隊と共に、神に逆らって神の都エルサレムを包囲します。神は怒ります。天から火が降り、かれらを焼き尽くします。そして火と硫黄の池に投げ込まれ永遠の苦しみを味わうことになります。
最後の裁判
全ての死者は復活し(第2の復活)各々の行いに応じて裁かれます。命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれます。これが第2の死です。
普遍的平和この結果、全ての悪は取り除かれ、サタンは除かれ神のご計画を妨げる者はいなくなりました。平和と平安が訪れます。神の民は神の恵みを満喫できる条件を手に入れたのです。それ故、千年王国はゴールではありません。中間地点です。世の中も、人も全てが変わらなければならないのです。人は罪びとのままです。
新天新地
21章では新天新地が語られます。ヨハネは言います『それから私は新しい地と、新しい空とを見ました。(そこには海はありません)今までの地も空も消え去ってしまいました。また私ヨハネは、神様のもとを出て天から下ってくる、聖なる都、新しいエルサレムに目を奪われました。その素晴らしさは、まるで、結婚式に美しく着飾った花嫁のようでした(21:1~2)。ここには神の計画の完成と御国の完成が描かれています。
神はこの預言を現実のものにするためにすぐ来ると確約しています。
永遠の時代
そして、この預言書を読む人に言います『一言でも追加することも削除することも許さない』と。ここには神の預言の完璧さが示されています。アーメン。主イエスよ来て下さい。
はじめに
ヨハネの黙示録は次の言葉から始まります。「イエスキリストの黙示。これはすぐに起こるはずのことをそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与ええになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これもしもべヨハネにお告げになった。ヨハネは、神の言葉とイエスキリストのあかし、すなわち、彼の見たすべてのことをあかしした。この預言の言葉を朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである(1:1~3)」。「すぐに起こるはずのこと」、「時」とは神の国「千年王国」を指しています。
黙示録の書かれた目的
黙示録は、キリスト教徒迫害の時代に、ヨハネによって、流刑の地パトモス島で、迫害に苦しむ信仰の兄弟姉妹を、慰め、励まし、力づけるために書かれた書です。「神は最終的には勝利される」と言う確信をイスラエルの民に抱かせ「それまで忍耐せよ、わたしはすぐ来る」と云う主の言葉で結んでいます(22:20)。
黙示録の構成(22章からなる)
1、教会時代(1~3章)
2. 大艱難時代(4~19章)注1
封印
ラッパ
金の鉢
(神による裁き・終末に導く預言)注2
3. 御国の時代(20章)千年王国
4. 永遠の時代(21~22章)新天新地
注1:神がイスラエルの民に示した千年王国に至るまでの試練。千年王国を迎えるに当たって神の民の為すべきことが示されています。
注2:終末を迎えるに当たって、神はこの世をリセットされる。イエスが再臨して、その彼方に神の国(千年王国)を見ます。
教会時代(ヨハネが送った7つの教会へに挨拶)
トルコにある7つの教会(エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤ)に対する使信(手紙)。この使信には7つの教会が抱える問題点が網羅されています。ヨハネは神から託され、7つの教会に告げねばならない言葉(称賛、叱責、勧告、約束)を使信に記録します。全般的に、これらの教会の精神的弛緩、退廃、の傾向は激しく、ある教会は「初めの愛」を忘れ、ある教会は「不道徳な環境世界からの圧力」に屈し、ある教会は「金銭」に拘泥し、ある教会は「偶像」を崇拝し、ある教会は「偽教師」によって誤った方向に信者を導いています。使信は言います「不義を排し、義に戻れ」「悔い改め、神に立ち返れ」と。神は各教会の問題点を指摘した後に、必ず「聞く耳のあるものは霊が諸教会に告げる事を聞け」で結んでいます。「聞け」とは[従え]を意味しており[従う」は神に対する信仰であり、愛なのです。悔い改める者に対して神は決してこれを罰しません。叱責や勧告は励ましなのです。
7つの教会の持つ問題点はこれらの教会に限られたものでは無く、当時の教会の一般的な姿を象徴的に現していると言って良いでしょう。これは教会だけの責任では無く、教会を取り巻く世界にも原因を求めることが出来ます。
当時は大艱難時代であり、イスラエルはローマの属領に甘んじていました。ローマは軍事的にも宗教的にも諸国、諸民族を支配し、統治していたのです。神格化された皇帝崇拝は、一神教を信じるキリスト者にとっては耐え難いことでした。2人の神を信じる事は出来なかったのです。神信仰か皇帝信仰か、神を信じれば迫害が、皇帝を信じれば背教の苦しみが。二者択一の中で、キリスト者は苦しんだのです。7つの教会の持つ精神的退廃、弛緩も、このような歴史的背景があったと言って良いでしょう。こんな時「黙示録」は生れたのです。大艱難時代の彼方には神の国がある。その信仰に支えられたとき、確信した時、イスラエルの民は癒されたのです。
大艱難時代
神は決してその御心を直接には実行しようとはしません。実行する為に、神は人を求めたのです。神は人を通じてしかこの世を支配することが出来ないのです。神はイスラエルの民を自らの選びの民としました。イスラエルの民は本来、その為の権威を神より委ねられていたのです。神はそのご計画をイスラエルの民を通じて達成されようとしました。イスラエルから世界へ。これが神の壮大なご計画だったのです。しかし、この計画を妨げる者が現れます。それがサタン(悪魔)です。サタンは天における神との戦いに敗れて、地に落とされます(堕天使)。地に落とされたサタンは、その命が短いのを知って、神に対して怒り、神のご計画を妨げようとします。それはメシアの出現を阻止することでした。
1.メシアの初臨(誕生)を妨げる
2.メシアの福音(宣教)を妨げる
3.メシアの子孫の繁栄を妨げる
(1~3は12章を参照して下さい)
4.メシアの再臨(千年王国)を妨げる。→ハルマゲドンの戦い(16章参照)
その目的は、神の愛から人を遠ざけることにあったのです。
イスラエルとサタンとの戦いが始まります。イスラエルはサタンに勝つことが出来ません。これが大艱難時代なのです。サタンの支配する時代です。しかし神はイスラエルの民に言います「何が起ろうとあわてるな、こんな時こそ、あなたの信仰と忍耐が試されるのだ」「わたしは必ず来る」と、神の国の到来を預言します。サタンの支配の歴史は,サタンを象徴する大妊婦(バビロン=ローマ)が敗北することによって終了します。イエスが再臨して千年王国が始まります。しかし、これは救いの前段階に過ぎません。この後に、新天新地が用意されています。神のご計画は完了します。
神は大艱難時代を終わらすために、終末に導く預言をします。それが、封印、ラッパ、金の鉢の裁きです。
小羊(イエス)が7つの封印を開いた時、ケルビムが「出て来なさい」と叫びます。この時出てきた動物が、白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめた馬です。それぞれが何かの象徴です。
白い馬=侵略者 赤い馬=血と戦争(侵略戦争) 黒い馬=死と飢饉 青ざめた馬=悪疫と死 5つ目の封印が解かれた時、殉教者の声がします。「いつまでも裁きを行わず、復讐をしないのか」と。6つ目の封印が解かれた時大地震が起きます。終末が預言されます。第7の封印が解かれた時、7人の御使いが現れ7つのラッパが渡されます。ついで金の鉢の預言もなされます。比較してみましょう。
上記の表をよく読むと、とても似ています。しかし、最大の違いは、その裁きの質が異なっている事です。ラッパの裁きの災厄は3分の1でしたが、金の鉢の裁きは全てです。神の怒りがそれだけ大きくなっていることを示しています。しかし、最終的には、ラッパの裁きの後には終末が語られ、金の鉢の裁きの後には『事は既になった』と千年王国の到来が預言されています。
黙示とは
さてここで黙示された象徴につて学んでみたいと思います。黙示の言葉の意味は「覆いをとる」ということで、隠されたものの覆いをとり、真実を見るという事です。
そこで黙示(象徴)された言葉を見ていこうと思います。
ひとりの女:イスラエル(教会でも、マリアでもない)注3
赤い竜:サタン(悪魔)
男の子:メシア(キリスト)
ミカエル:天使長
女の子孫の残りのもの:キリストの弟子たち
海から昇ってくる獣:反キリスト
地から来る獣:偽預言者
天:神を尊ぶ者の住まい
地、 海(サタン=獣、の住む場所)
大淫婦:バビロン(ローマ)
小羊:キリスト(メシア)
注3:「ひとりの女」には諸説あるが、『この女は妊娠していましたが、出産を間近に控え陣痛に苦しみ、大声で呻いていました。--------女は男の子を産みました』(12:1~6参照)、女が教会なら、教会がキリストを生んだことになる。聖書によれば、キリストが教会を生んだのである。マリア説:カソリック教会の説。マリアは無痛分娩の筈である。結局、大艱難時代をしのいだイスラエルということになる。
唯一、無二の真の神に、正面から、意識的に対立する強力な世俗権力(ローマ)のもとで、純粋に真剣に信仰を守り続けることは計り知れない危険を伴い、殉教すら辞さない信念と勇気を必要とします。その勇気と信念は、究極的には地上の王は、天上の王(神)に服従せざるを得ない、という確信から生まれます。この確信を大艱難時代に苦しむイスラエルの民に与える事を意図した書が「黙示録」です。このような確信を貫く者は、肉体的な死から蘇って千年王国の時代に、第一の復活を達成しキリストと共に千年王国を支配します。
御国の時代(20章)
千年王国
十字架の刑の後3日目に蘇みがえり45日間この地に留まりその使徒たちに、その福音宣教を託して、天に上られ、神の右の座につかれたイエスキリスト(イエスの空中再臨、と花嫁(教会)の空中携挙)は大艱難時代の終わり(終末時)に、天から地上に下りられ(地上再臨)第Ⅰの復活を果たした信徒(注4)たちと共に千年の間この国を統治し最後の審判を行った。この国を「千年王国」と呼ぶ。この時、悪魔は神の御使いによって捕えられ千年の間、底知れぬところに落され、幽閉されていた。この間、悪を行わない為であった。しかし千年後には解放されることになっていた。
(注4)第Ⅰの復活を果たした信徒:イエスの証しと神の言葉のゆえにくびをはねられた魂と、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった信徒たちを指す。要するに殉教者と聖徒たちを指す。彼らは生き返ってキリストと共に千年の間王国を統治した。
神とサタンの戦い
千年の後、解放されたサタンは仲間の軍隊と共に、神に逆らって神の都エルサレムを包囲します。神は怒ります。天から火が降り、かれらを焼き尽くします。そして火と硫黄の池に投げ込まれ永遠の苦しみを味わうことになります。
最後の裁判
全ての死者は復活し(第2の復活)各々の行いに応じて裁かれます。命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれます。これが第2の死です。
普遍的平和この結果、全ての悪は取り除かれ、サタンは除かれ神のご計画を妨げる者はいなくなりました。平和と平安が訪れます。神の民は神の恵みを満喫できる条件を手に入れたのです。それ故、千年王国はゴールではありません。中間地点です。世の中も、人も全てが変わらなければならないのです。人は罪びとのままです。
新天新地
21章では新天新地が語られます。ヨハネは言います『それから私は新しい地と、新しい空とを見ました。(そこには海はありません)今までの地も空も消え去ってしまいました。また私ヨハネは、神様のもとを出て天から下ってくる、聖なる都、新しいエルサレムに目を奪われました。その素晴らしさは、まるで、結婚式に美しく着飾った花嫁のようでした(21:1~2)。ここには神の計画の完成と御国の完成が描かれています。
神はこの預言を現実のものにするためにすぐ来ると確約しています。
永遠の時代
そして、この預言書を読む人に言います『一言でも追加することも削除することも許さない』と。ここには神の預言の完璧さが示されています。アーメン。主イエスよ来て下さい。
平成29年9月12日(火)報告者 守武 戢 楽庵会