谷崎潤一郎作「痴人の愛」
解説
この作品「痴人の愛」は主人公の私=河合譲治の28歳~36歳までの、女主人公ナオミの15歳~23歳までの8年間の愛の物語です。
私=河合譲治はカフェ・ダイアモンドで働く女給ナオミ(本名奈緒美)に目をつけ、彼女を養女としてもらいうけ、自分好みの女性に育て上げ、妻とします。ナオミは成熟し、次第に妖艶さを増し、私を魅了するようになります。私は愛欲に捉われ、その虜になります。そんな妖艶なナオミの周りには男どもが群がり、もはや私の手に負えなくなったのです。
この作品には男と、女の逆転した姿が描かれています。近代社会における解放され、自立した女性の姿が、戯画的に、ユーモラスに、風刺的に描かれています。
ナオミという女性の中には旧来の貞淑な妻というイメージはありません。自由奔放に生きる女の姿があります。そこには自我に目覚めた女、男を操るに長けた女がいます。これに反して、男は、女の性の奴隷であり、翻弄され、自由にされる哀れな存在でしかありません。そこには旧来の横暴な夫というイメージはありません。女性に屈服し、それに満足しています。女がサディストなら、男はマゾヒストです。そこには悪女の魅力があり、男の陶酔があり、喜びがあります。
近代日本の中で強くなったものは、女性と靴下だと言われています。ナオミが近代(西欧)を代表とするなら、私=譲治は西欧(近代)に従属する日本の姿を代表しています。「痴人の愛」が一つの文明批評と言われる所以はこの点あります。
「痴人の愛」は一般に言われているような、悪女のために身を滅ぼす、愚者、馬鹿もの、痴人の物語ではありません。私はナオミが云うように、ナオミから奪えるものは全て奪っているのです。そしてこれからも奪い続けるでしょう。作者の意図はそこにあります。愛とは奪い奪いあうものです。私は決して身を滅ぼしてはいません。荒廃してもいません。奪うことによって自己を再生しているのです。自己を変えているのです。満足しているのです。対価を支払っているのです。
私は売女のように男の間を渡り歩くナオミを見捨てることは出来ません。そんな女性を愛する私は確かに典型的な愚者であり、馬鹿者であり、痴人です。しかし、とても幸せな馬鹿者です。これだけ身も心も捧げるものを持つ馬鹿者が現在、存在しているでしょうか?私にとってナオミは女神なのです。
これに反して、自由奔放に生き、私の心を無視して生きるナオミは私を愛してはいないのでしょうか?私の愛は報われることは無いのでしょうか?
ここで推理小説の犯人を明かすようなことは出来ません。それはルール違反です。それを知りたい人は原文を読むか、次の文章を読んでください。
かつて、私はエラリークイーンの推理小説を読もうとしたことがあります。そこには全ての登場人物が記載されていました。その人物の一人の下に、“犯人”と書きいれた馬鹿者がいたのです。図書館で借りた本でしたが、読む気がしなくなりました。いたずらは止めてください。
『痴人の愛』のあらすじ
私=河合譲治は、場末のカフェ・ダイアモンドで、当時15歳でその店の女給(ウエイトレス)をしていたナオミ(本名は奈緒美)という娘に目をつけます。西洋人臭く、利口そうで、こんなところで働かして置くのはもったいないと思い、親と掛け合い養女として育てることにしたのです。勿論行く行くは妻として迎えようとは思っていましたが、その時はあくまでも養女であり、それゆえに男と女の関係はありませんでした。わたしの目的はナオミを世間一般に通用する世間並みの女性に育てることだったのです。
ナオミに何がしたいかと尋ねると彼女は英語と歌を習いたいと言います。そこで、私はハリソンという老嬢に英語を習わせ、音楽も音楽学校出の杉崎という先生のところに通わせることにしたのです。
ナオミは女給をしていたころと違って生き生きとしてきました。顔色も良くなり、性格も明るくなり、積極性も増してきました。私たちはまるで親子のように、兄弟のように、友人のように過ごしました。しかし、ナオミは成長するにつれて、次第に女らしくなり、その成長は著しいものがありました。次第に私はナオミを女として見るようになったのです。彼女と別れて実家に戻った時、とても寂しく予定を切り上げて早々に戻ってきたほどです。私たちが男と女の関係になったのはナオミが16歳になった春のことでした。ごく自然に、まるで何事もなかったかのように抱き合い結ばれたのです。結婚の約束をし、両家の了解を取り、式は2~3年後にあげることとし、まず籍を入れ、誰はばかることのない夫婦となったのです。家は画家の住んでいた家を借りました。広いアトリエのある、おとぎ話のような家でした。アトリエの横に、おまけのように、キッチン、バス、トイレがあり、2階には3畳と4畳半の部屋がありました。その部屋に私たちは寝泊りしました。
結婚後ナオミはますます美しくなり、色気を増し、妖艶となってきました。連れて歩くと、すれ違う人は振り返りました。そこには私に対する羨望の眼差しがありました。私は得意でした、誇りに思いました。これが、私の作り上げた傑作だったのです。
英語は文法や、読解力には難点がありましたが、発音は素晴らしく、まるで、西洋人のようでした。歌の方も成長は著しいものがありました。
私の期待以上にナオミは成長したのです。そんなナオミを私は宝物のように扱いました。私はナオミにすっかり惚れてしまったのです。全てを許し我が儘放題にさせたのです。それが後々に大きな災厄をもたらすことになろうとは、神ならぬ身、知りようが無かったのです。いずれにしても私たちは幸せでした。
成熟するにつれて美しさと妖艶さを増すナオミの周りには、いつしか男友達が群がるようになります。それは社交ダンスを習い始めたころから始まったのです。ナオミは今までのような、単調な生活から解放されたいと願うようになったのです。英語や声楽だけでは飽き足らなくなり、社交ダンスを習い始めます。私にも一緒に来いと言います。先生は亡命ロシア人のシュレムスカヤ夫人です。夫は伯爵で、革命の混乱に巻き込まれ、行方知れずになったと言います。声楽の杉崎先生が、その境遇に同情しダンス教師として生計が立てられるようにしたのです。
さすがに元貴族夫人です。生まれも育ちも違います。その姿は気品に満ち、威厳があり、美しく、私は惚れ惚れとしてその姿に見とれました。その先生とホールドするのです。私は天にも昇るような気持ちになりました。人間の格とは、生まれながらにして持つものによっても、左右されるのだと感じたのです。そこには伝統の持つ重さがありました。ナオミが逆立ちしても太刀打ちできない素晴らしさがあったのです。西欧人にありがちな腋臭の匂いすら心地よいものだったのです。私がダンスに興味を持ち、熱心になったのは、この先生と踊ることに喜びを感じ、陶酔したからです。
社交ダンスの目的はあくまでも社交です。声楽や、英語と違い個人レッスンではありません。多くの人と踊ることによってその目的が達せられるのです。かくしてナオミは私たちという、小鳥の巣から巣立っていったのです。
ナオミにはシュレムスカヤ先生とは違った魅力がありました。シュレムスカヤが静ならば、ナオミには動の魅力がありました。次第にナオミの周りには男たちが集まり始めたのです。
基本レッスンが終われば、当然外の世界に出て他流試合がしたくなります。他流試合の良いところは、リードの上手下手で踊りの実力が試されることです。仲間内で慣れ合いで踊っていれば、踊ることが出来ても、いざ全く違った人と踊ると、踊れない人が多くいます。私は個人レッスンを受けているのよ、という人がいます。その人は先生とだけ踊っているので、他の人と踊ると、踊れません。女性に多い現象です。競技会に出ると言って同じ人とだけ踊っている人も同様です。その相手とは踊れても、相手のリードが余程うまければ別ですが踊れない場合が多いのです。踊り手は10人10色です。リードの仕方も様々です。それに対応できるだけの経験を積むことが必要です。
今でこそ踊れる場所は沢山あります。しかし、当時(大正時代)は高級ホテルとか、高級レストランくらいしか踊れる場所は無く、それも外人に占領されていました。服装や、マナーもうるさかったのです。私たちは上手になったとはいえ、まだまだ初心者です。気楽に踊れて、自由な雰囲気のある場所を探しました。その結果、当時ようやく、流行り出した踊れるカフェで「エルドラドオ」という場所を見つけたのです。
シュレムスカヤ夫人のダンス教室のお客には慶応大学のマンドリンクラブの連中や、杉崎先生の紹介で集まってきた会社員がいました。どちらも、ダンスをするというイメージとは程遠く、ハイカラな人たちとは言えませんでした。シュレムスカヤ先生一人が飛び抜けていました。だからみんな周りを気にせずに気楽に踊っていたのです。慶大のマンドリンクラブの連中のなかには浜田とか熊谷とか関だとか中村だとかと云うチョッと不良っぽい連中がいました。
エルドラドウでのダンス会場には様々な人が来ていました。春野綺羅子という帝劇の女優さんも来ていました。浜田が連れて来たのです。その物腰は自信に満ち、艶然と微笑み、目もあやな衣装をまとった姿はあたりを圧倒していました。浜田は私を綺羅子に紹介し「踊ってあげて下さい」と頼んだのです。綺羅子は微笑み、「どうぞ」と言って私を誘ってくれたのです。シュレムスカヤ先生の他にはナオミ以外とは踊ったことのない私はどぎまぎしました。辞退しようかと思ったものの、女性に誘われて断るのは、この上なく失礼なことです。私は仕方なく「お願いします」と言って立ち上がりました。踊ってみると軽やかです。私の拙いリードにもかかわらず、それを受け止め、逆にリードして踊ってくれたのです。大感動でした。その後ナオミとも踊りました。ナオミは綺羅子と違って私のリードを受けとめることが出来ません。とうとう怒りだしてしまいました。「あなたとは踊りたくない、もっと練習しなさい」と言って他の男性のもとに去っていきました。ダンスは終わります。そこには陶酔と幻滅がありました。
ここで私はナオミの中に虚飾と、虚栄、傲慢と軽蔑があることを悟ったのです。これが今まで宝物のように慈しみ育て愛したナオミの姿だったのです。
それ以後、ナオミは私の懐から飛び出していきます。成長の当然の結果かもしれません。もはや手に負えなくなります。自由奔放に生きます。浜田と関係をもち、熊谷とも関係を続け、日本人はつまらないからと言って、得意の英語を使って外国人とも関係をもちます。マッカネルが、チュウガンが、ユスクスがいました。私はついに怒りを爆発させます。「出ていけ」と叫びます。ナオミは出ていきます。しかし、男の性の悲しさ、ホッとしたのも、つかの間、激しい後悔の念に襲われます。寂しさ、悲しさ、苦しさに耐えることが出来ません。身一つで出て行ったので、そのうちに帰ってくるであろうと、たかをくくっていたのに、いつまでたっても帰ってこないのです。実家に問い合わせをしました。しかし、そこには居ません。他には行くところはない筈です。かつてナオミを愛していたという浜田に頼んで探してもらいます。その結果、意外な事実を知らされるのです。ナオミはダンス教室で知り合ったウイリアム・マッカネルという外人のところに泊まったというのです。その後、外国人の家を転々としたと言います。いくら自由奔放に生きるとは言えあまりにも酷すぎます。ナオミは転落の道を突き進んでいたのです。浜田は「あんな売女は、お忘れなさい、諦めなさい」と言います。しかし、私はナオミがとても可哀そうに思います。哀れに思います。自分の一言がナオミの転落に拍車をかけたのだと後悔すらします。私は、ナオミをこの上なく愛おしく思います。売女にも等しいナオミを愛する馬鹿です、愚者です、痴人です。しかし、彼女を愛する心は本物です。
そんなナオミが私のもとに戻ってきたのです。「何を今さら」という怒りが無かったわけではありません。しかし、それを言って再び出ていかれたら、と思うと、その苦しさを思うと、私はナオミを受け入れる以外に方法はなかったのです。本当は、私は嬉しかったのです。戻ってきたナオミが、この上もなく愛おしかったのです。ナオミは多くの人々の間を渡り歩き、汚れに汚れていたのです。しかし、そんなナオミが私には純白の衣装をまとった女神にも思えたのです。
その後、実家の母が死に、父も、とうの昔に無くなっていたので、実家に戻り財産を処分し、私は、会社を退職し、仲間と共に新たな会社を創設します。筆頭株主だったので、その権利を生かし、仕事は仲間に任し、自由に生きています。住まいもナオミの要求を受け入れて、広い場所に移りました。今のところナオミは静かです。
ナオミは常日頃言っています「私は15歳の時譲治さん(私)に引き取られ、慈しみ育てられた恩を忘れたことはありません」と。そこには,愛もあったのです。多くの男と関係をもちながらも、それに満足できず、最終的には私のもとに戻ってきたのです。汚れ、汚れて、初めて知った私への愛です。ナオミも、私と同じく馬鹿です、愚者です、痴人です。
しかし、「私たちは、相思相愛なのです」。
これで谷崎潤一郎作「痴人の愛」を終わります。
谷崎潤一郎作 「痴人の愛」 新潮文庫 新潮社版
解説
この作品「痴人の愛」は主人公の私=河合譲治の28歳~36歳までの、女主人公ナオミの15歳~23歳までの8年間の愛の物語です。
私=河合譲治はカフェ・ダイアモンドで働く女給ナオミ(本名奈緒美)に目をつけ、彼女を養女としてもらいうけ、自分好みの女性に育て上げ、妻とします。ナオミは成熟し、次第に妖艶さを増し、私を魅了するようになります。私は愛欲に捉われ、その虜になります。そんな妖艶なナオミの周りには男どもが群がり、もはや私の手に負えなくなったのです。
この作品には男と、女の逆転した姿が描かれています。近代社会における解放され、自立した女性の姿が、戯画的に、ユーモラスに、風刺的に描かれています。
ナオミという女性の中には旧来の貞淑な妻というイメージはありません。自由奔放に生きる女の姿があります。そこには自我に目覚めた女、男を操るに長けた女がいます。これに反して、男は、女の性の奴隷であり、翻弄され、自由にされる哀れな存在でしかありません。そこには旧来の横暴な夫というイメージはありません。女性に屈服し、それに満足しています。女がサディストなら、男はマゾヒストです。そこには悪女の魅力があり、男の陶酔があり、喜びがあります。
近代日本の中で強くなったものは、女性と靴下だと言われています。ナオミが近代(西欧)を代表とするなら、私=譲治は西欧(近代)に従属する日本の姿を代表しています。「痴人の愛」が一つの文明批評と言われる所以はこの点あります。
「痴人の愛」は一般に言われているような、悪女のために身を滅ぼす、愚者、馬鹿もの、痴人の物語ではありません。私はナオミが云うように、ナオミから奪えるものは全て奪っているのです。そしてこれからも奪い続けるでしょう。作者の意図はそこにあります。愛とは奪い奪いあうものです。私は決して身を滅ぼしてはいません。荒廃してもいません。奪うことによって自己を再生しているのです。自己を変えているのです。満足しているのです。対価を支払っているのです。
私は売女のように男の間を渡り歩くナオミを見捨てることは出来ません。そんな女性を愛する私は確かに典型的な愚者であり、馬鹿者であり、痴人です。しかし、とても幸せな馬鹿者です。これだけ身も心も捧げるものを持つ馬鹿者が現在、存在しているでしょうか?私にとってナオミは女神なのです。
これに反して、自由奔放に生き、私の心を無視して生きるナオミは私を愛してはいないのでしょうか?私の愛は報われることは無いのでしょうか?
ここで推理小説の犯人を明かすようなことは出来ません。それはルール違反です。それを知りたい人は原文を読むか、次の文章を読んでください。
かつて、私はエラリークイーンの推理小説を読もうとしたことがあります。そこには全ての登場人物が記載されていました。その人物の一人の下に、“犯人”と書きいれた馬鹿者がいたのです。図書館で借りた本でしたが、読む気がしなくなりました。いたずらは止めてください。
『痴人の愛』のあらすじ
私=河合譲治は、場末のカフェ・ダイアモンドで、当時15歳でその店の女給(ウエイトレス)をしていたナオミ(本名は奈緒美)という娘に目をつけます。西洋人臭く、利口そうで、こんなところで働かして置くのはもったいないと思い、親と掛け合い養女として育てることにしたのです。勿論行く行くは妻として迎えようとは思っていましたが、その時はあくまでも養女であり、それゆえに男と女の関係はありませんでした。わたしの目的はナオミを世間一般に通用する世間並みの女性に育てることだったのです。
ナオミに何がしたいかと尋ねると彼女は英語と歌を習いたいと言います。そこで、私はハリソンという老嬢に英語を習わせ、音楽も音楽学校出の杉崎という先生のところに通わせることにしたのです。
ナオミは女給をしていたころと違って生き生きとしてきました。顔色も良くなり、性格も明るくなり、積極性も増してきました。私たちはまるで親子のように、兄弟のように、友人のように過ごしました。しかし、ナオミは成長するにつれて、次第に女らしくなり、その成長は著しいものがありました。次第に私はナオミを女として見るようになったのです。彼女と別れて実家に戻った時、とても寂しく予定を切り上げて早々に戻ってきたほどです。私たちが男と女の関係になったのはナオミが16歳になった春のことでした。ごく自然に、まるで何事もなかったかのように抱き合い結ばれたのです。結婚の約束をし、両家の了解を取り、式は2~3年後にあげることとし、まず籍を入れ、誰はばかることのない夫婦となったのです。家は画家の住んでいた家を借りました。広いアトリエのある、おとぎ話のような家でした。アトリエの横に、おまけのように、キッチン、バス、トイレがあり、2階には3畳と4畳半の部屋がありました。その部屋に私たちは寝泊りしました。
結婚後ナオミはますます美しくなり、色気を増し、妖艶となってきました。連れて歩くと、すれ違う人は振り返りました。そこには私に対する羨望の眼差しがありました。私は得意でした、誇りに思いました。これが、私の作り上げた傑作だったのです。
英語は文法や、読解力には難点がありましたが、発音は素晴らしく、まるで、西洋人のようでした。歌の方も成長は著しいものがありました。
私の期待以上にナオミは成長したのです。そんなナオミを私は宝物のように扱いました。私はナオミにすっかり惚れてしまったのです。全てを許し我が儘放題にさせたのです。それが後々に大きな災厄をもたらすことになろうとは、神ならぬ身、知りようが無かったのです。いずれにしても私たちは幸せでした。
成熟するにつれて美しさと妖艶さを増すナオミの周りには、いつしか男友達が群がるようになります。それは社交ダンスを習い始めたころから始まったのです。ナオミは今までのような、単調な生活から解放されたいと願うようになったのです。英語や声楽だけでは飽き足らなくなり、社交ダンスを習い始めます。私にも一緒に来いと言います。先生は亡命ロシア人のシュレムスカヤ夫人です。夫は伯爵で、革命の混乱に巻き込まれ、行方知れずになったと言います。声楽の杉崎先生が、その境遇に同情しダンス教師として生計が立てられるようにしたのです。
さすがに元貴族夫人です。生まれも育ちも違います。その姿は気品に満ち、威厳があり、美しく、私は惚れ惚れとしてその姿に見とれました。その先生とホールドするのです。私は天にも昇るような気持ちになりました。人間の格とは、生まれながらにして持つものによっても、左右されるのだと感じたのです。そこには伝統の持つ重さがありました。ナオミが逆立ちしても太刀打ちできない素晴らしさがあったのです。西欧人にありがちな腋臭の匂いすら心地よいものだったのです。私がダンスに興味を持ち、熱心になったのは、この先生と踊ることに喜びを感じ、陶酔したからです。
社交ダンスの目的はあくまでも社交です。声楽や、英語と違い個人レッスンではありません。多くの人と踊ることによってその目的が達せられるのです。かくしてナオミは私たちという、小鳥の巣から巣立っていったのです。
ナオミにはシュレムスカヤ先生とは違った魅力がありました。シュレムスカヤが静ならば、ナオミには動の魅力がありました。次第にナオミの周りには男たちが集まり始めたのです。
基本レッスンが終われば、当然外の世界に出て他流試合がしたくなります。他流試合の良いところは、リードの上手下手で踊りの実力が試されることです。仲間内で慣れ合いで踊っていれば、踊ることが出来ても、いざ全く違った人と踊ると、踊れない人が多くいます。私は個人レッスンを受けているのよ、という人がいます。その人は先生とだけ踊っているので、他の人と踊ると、踊れません。女性に多い現象です。競技会に出ると言って同じ人とだけ踊っている人も同様です。その相手とは踊れても、相手のリードが余程うまければ別ですが踊れない場合が多いのです。踊り手は10人10色です。リードの仕方も様々です。それに対応できるだけの経験を積むことが必要です。
今でこそ踊れる場所は沢山あります。しかし、当時(大正時代)は高級ホテルとか、高級レストランくらいしか踊れる場所は無く、それも外人に占領されていました。服装や、マナーもうるさかったのです。私たちは上手になったとはいえ、まだまだ初心者です。気楽に踊れて、自由な雰囲気のある場所を探しました。その結果、当時ようやく、流行り出した踊れるカフェで「エルドラドオ」という場所を見つけたのです。
シュレムスカヤ夫人のダンス教室のお客には慶応大学のマンドリンクラブの連中や、杉崎先生の紹介で集まってきた会社員がいました。どちらも、ダンスをするというイメージとは程遠く、ハイカラな人たちとは言えませんでした。シュレムスカヤ先生一人が飛び抜けていました。だからみんな周りを気にせずに気楽に踊っていたのです。慶大のマンドリンクラブの連中のなかには浜田とか熊谷とか関だとか中村だとかと云うチョッと不良っぽい連中がいました。
エルドラドウでのダンス会場には様々な人が来ていました。春野綺羅子という帝劇の女優さんも来ていました。浜田が連れて来たのです。その物腰は自信に満ち、艶然と微笑み、目もあやな衣装をまとった姿はあたりを圧倒していました。浜田は私を綺羅子に紹介し「踊ってあげて下さい」と頼んだのです。綺羅子は微笑み、「どうぞ」と言って私を誘ってくれたのです。シュレムスカヤ先生の他にはナオミ以外とは踊ったことのない私はどぎまぎしました。辞退しようかと思ったものの、女性に誘われて断るのは、この上なく失礼なことです。私は仕方なく「お願いします」と言って立ち上がりました。踊ってみると軽やかです。私の拙いリードにもかかわらず、それを受け止め、逆にリードして踊ってくれたのです。大感動でした。その後ナオミとも踊りました。ナオミは綺羅子と違って私のリードを受けとめることが出来ません。とうとう怒りだしてしまいました。「あなたとは踊りたくない、もっと練習しなさい」と言って他の男性のもとに去っていきました。ダンスは終わります。そこには陶酔と幻滅がありました。
ここで私はナオミの中に虚飾と、虚栄、傲慢と軽蔑があることを悟ったのです。これが今まで宝物のように慈しみ育て愛したナオミの姿だったのです。
それ以後、ナオミは私の懐から飛び出していきます。成長の当然の結果かもしれません。もはや手に負えなくなります。自由奔放に生きます。浜田と関係をもち、熊谷とも関係を続け、日本人はつまらないからと言って、得意の英語を使って外国人とも関係をもちます。マッカネルが、チュウガンが、ユスクスがいました。私はついに怒りを爆発させます。「出ていけ」と叫びます。ナオミは出ていきます。しかし、男の性の悲しさ、ホッとしたのも、つかの間、激しい後悔の念に襲われます。寂しさ、悲しさ、苦しさに耐えることが出来ません。身一つで出て行ったので、そのうちに帰ってくるであろうと、たかをくくっていたのに、いつまでたっても帰ってこないのです。実家に問い合わせをしました。しかし、そこには居ません。他には行くところはない筈です。かつてナオミを愛していたという浜田に頼んで探してもらいます。その結果、意外な事実を知らされるのです。ナオミはダンス教室で知り合ったウイリアム・マッカネルという外人のところに泊まったというのです。その後、外国人の家を転々としたと言います。いくら自由奔放に生きるとは言えあまりにも酷すぎます。ナオミは転落の道を突き進んでいたのです。浜田は「あんな売女は、お忘れなさい、諦めなさい」と言います。しかし、私はナオミがとても可哀そうに思います。哀れに思います。自分の一言がナオミの転落に拍車をかけたのだと後悔すらします。私は、ナオミをこの上なく愛おしく思います。売女にも等しいナオミを愛する馬鹿です、愚者です、痴人です。しかし、彼女を愛する心は本物です。
そんなナオミが私のもとに戻ってきたのです。「何を今さら」という怒りが無かったわけではありません。しかし、それを言って再び出ていかれたら、と思うと、その苦しさを思うと、私はナオミを受け入れる以外に方法はなかったのです。本当は、私は嬉しかったのです。戻ってきたナオミが、この上もなく愛おしかったのです。ナオミは多くの人々の間を渡り歩き、汚れに汚れていたのです。しかし、そんなナオミが私には純白の衣装をまとった女神にも思えたのです。
その後、実家の母が死に、父も、とうの昔に無くなっていたので、実家に戻り財産を処分し、私は、会社を退職し、仲間と共に新たな会社を創設します。筆頭株主だったので、その権利を生かし、仕事は仲間に任し、自由に生きています。住まいもナオミの要求を受け入れて、広い場所に移りました。今のところナオミは静かです。
ナオミは常日頃言っています「私は15歳の時譲治さん(私)に引き取られ、慈しみ育てられた恩を忘れたことはありません」と。そこには,愛もあったのです。多くの男と関係をもちながらも、それに満足できず、最終的には私のもとに戻ってきたのです。汚れ、汚れて、初めて知った私への愛です。ナオミも、私と同じく馬鹿です、愚者です、痴人です。
しかし、「私たちは、相思相愛なのです」。
これで谷崎潤一郎作「痴人の愛」を終わります。
谷崎潤一郎作 「痴人の愛」 新潮文庫 新潮社版