サムエル記(第2)
はじめに
サムエル記(第2)は、サウル王亡き後から、ダビデ王国の成立までが描かれている。ダビデ王国の成立は必ずしも順調に行ったわけではない。サウル亡き後、イスラエルの国を継いだのは、サウルの子イシュ・ボシェテであった。ユダ族は、これに同調せず、ダビデを王とする国(南)を造り、イスラエルの国は北と南と2つに分裂して争った。南と北の争いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウル家は次第に衰えて行った(サムエル記2,3:1)。イスラエルの王イシュ・ボシェテは暗殺される。これ故、イスラエルの民はダビデに油を注ぎ、王とした。ダビデは、北と南を統一し、イスラエルとし、統一国家の王となった。この後、パト・シェバ事件(後述)、アビシャロムと、シェバの反乱(後述)があり、対外的には、アンモン人との戦い、ペリシテ人との戦いがあり、多難な船出であった。アンモン人の戦いには勝利し、ペリシテ人にも勝利する。ペリシテ人は絶滅されたわけでは無かったが、往時の勢いは無かった。ダビデは国家機構の整備ないしは軍事的必要から人口調査を行っている。是は神の命令で行った(24章1節)にもかかわらず、何故か、罰せられている。飢饉がイスラエルを襲う。ダビデは罰を贖い、許される、ダビデは新しい祭壇を築き全焼の供犠と、和解の供犠を捧げている。ダビデは神の忠実なる僕であった。
登場人物
ダビデ:
サムエル記(第2)は、サムエル記というより、内容的には「ダビデ記」といった方が良い。ダビデを中心に物語は展開するからである。サムエルは既に亡くなっており、ここには、登場しない。
それではダビデとはいかなる人物だったのだろうか。ダビデは先にも述べたように北と南に分裂した国家を統一し、内部の反乱を治め、外敵を撃退し、国家機構を整備し、国の根幹を構築した政治的にも軍事的にも卓越した指導者であった。しかし、晩年は、王として棚上げされ、直接に戦場に赴くことはなかった。指揮を取ったのは、甥のヨアブであった。ヨアブは次第にダビデの手に負えなくなっていく。
更に彼は音楽家としても優れていた。彼の奏でる竪琴の音色は、神の怒りに苦しむサウル王の心を癒している。彼はサウル王の信任を得て高い位置を与えられている。更にその詩文は卓越しており、旧約聖書を構成する「詩編」は、全て彼の作品である。詩編の各章の初めには必ず「ダビデによる」ないしは「ダビデの賛歌」という枕言葉が添えられている。
更に彼は多くの妻妾を抱え、多くの子孫を生んでいる。まさに「英雄色を好む」である。ダビデ族の、いやイスラエルの国民の増大繁栄のためには必要であったのかもしれない。ソロモンは、後に彼の妻となるパト・シェバの息子であり、彼に反逆するアビシャロムもダビデとその妻マアカの間に生まれた子である。このようなダビデを取り巻く女性(3章:2~5)は、多く、上手く交通整理をしないと混乱する。混乱を避けるためには家系図を作成する事をお勧めする。
メフィボシェト:
メフィボシェトはサウルの孫であり、ヨナタンの子である。足が悪くその為、戦場に行くことが出来ず、ペリシテ人との戦いにも参加せず、生き残っていた。ダビデは南北を統一した後もサウル一族をないがしろにする事は無かった。ダビデはこのメフィボシェトを優遇し、自分の家族のように扱う。食事にも同席させる。その父ヨナタンには、ダビデはことのほか愛され、契約を結んでいる。サウルに追われた放浪時代にも世話になった恩義があったからである。しかしサウル一族に対するその優しさも、自分の身が安全である限りのことであって、3年に渡る飢饉があった時、ダビデは神に伺いを立て、サウルがギブオン人を殺戮した事に神が怒ったのが原因であったと知る。ダビデはギブオン人にその贖いを申し出る。ギブオン人はメフィボシェトを含むソウル一族の7人の係累を差し出すように促す。ダビデはメフィボセテを差し出す事には躊躇するが、それを承知する。7人は殺され、死体は晒される。サウル一族は受け継ぐべき子孫を失う。結局ダビデは潜在的な敵であるサウル一族を滅ぼし自分の地位を安泰なものにしたのである。
ダビデとパト・シェバの姦淫:
この話は余りにも有名であり、聖書を読まない人も知っている人は多いであろう。パト・シェバとはダビデの臣下ヘテ人ウリヤの妻であり、彼が戦場にいる間にダビデはその姿の美しさに一目ぼれする。彼女を呼び出し、これを犯す。明らかに姦淫である。一時的な浮気であったかもしれないが、彼女は妊娠する。ダビデは慌てる。戦地からウリヤを呼び戻し、パト・シェバの中に入れと暗にほのめかす。ウリヤは兵士たちが命をかけて戦っている時、それは出来ないとこれを拒否する。ダビデの企み、自分の子をウリヤから生まれた子にしようと云う考えは、もろくも崩れ去る。万策を断たれた彼はウリヤを激戦地に送り、彼はその地で戦死する。ダビデはパト・シェバを妻とする。一種のレビラート婚である。なんとまあひどい話である。神は預言者ナタンを通じてその怒りをダビデに伝える。ダビデはその罪を認め、悔い改める。神はこれを許す。しかし、姦淫の子は神の怒りに触れ、誕生後7日目に死に、第二子が、生まれ、その名をソロモンといった。後のイスラエルの王である。なんと不公平な事よ、姦淫の子は殺され、妻となってから生まれた子は王となる。神のなさる事は人知を超える。文句を言うのは止めにしよう。
アビシャロムとアムロン
先にも述べたように、ダビデには多くの妻妾がいた。アブシャロムもアムノンも共にダビデの子である。アブシャロムはマアカとダビデの間に生まれた子であり、彼にはタマルという妹がいた。アムノンはアヒノアムとダビデの間に生まれた子である。このように、アブシャロムとアムノンとは異母兄弟である。このアムノンが異母姉妹であるタマルに激しく恋をした。そして彼女の中に入る。ところがアムノンの恋心は憎しみに変わり、それは恋心を上回っていた。アムノンはタマルを家から追い出す。タマルは泣く。実の妹を犯され、捨てられたと知ったアブシャロムは怒る。当然ダビデ王も怒る。しかしダビデは2人の息子を限りなく愛していた。それから2年がたつ。アブシャロムは策を弄して、アムノンを祝宴に招き、酔わせ、その場で彼を従者に殺害させる。アムノンに対して妹の復讐をしたのである。理はアブシャロムにあるとはいえ、殺人は許されない。彼は逃亡し、異国の王の保護下に入る。そこで3年間住んだ。ダビデの甥であるヨアブの執り成しもあって、ダビデはアブシャロムを許す。異国からアブシャロムはエルサレムに戻る。しかしダビデはアブシャロムに会おうとはしなかった。自宅謹慎を命じたのである。しかし、ヨアブの仲介で、ダビデとアブシャロムは和解する。しかし、アブシャロムのダビデに対する不信感を拭う事は出来なかった。彼の心はダビデから離れていく。その後、アブシャロムはエルサレムからヘブロンに戻り、ダビデの相談役アフィトフェルを味方につけ、反逆の準備を始めた。「アブシャロムはヘブロンの王となった」と宣言する。彼に同調する者は次第に増えていく。おそらくサウル一族の残党も彼に加担したであろう(サムエル記2、16章15節)。
アブシャロムの反乱~ダビデのイスラエルからの脱出
イスラエルの民の心は次第にダビデからアブシャロムに移っていく。ダビデは身の危険を感じて、エルサレムから、その一族と共に脱出する。しかし、神の箱はエルサレムに残した。ダビデはこの勝敗の行方を神に託したのである。神の箱こそ、イスラエルの正統性を表すものであった。アブシャロムとダビデの争いはこの正統性をめぐる争いでもあった。ダビデは神と共にあった。ダビデの下には多くの民が集結し始めた。ダビデは戦闘の準備をする。戦いはエフライムの森で行われた。ここに至るまでには様々な挿話があるが、省略する。この戦いは、ダビデ側の勝利に終わる。アブシャロムは逃げ出すが、木の枝に引っかかり宙吊りになる。乗っていたラバは立ち去る。一人のダビデの兵士がこれを見て、これをヨアブに告げる。ダビデが兵士たちに「アビシャロムを大事に扱え」と、命令していたから、自分の一存で彼を殺す事には躊躇したからである。その言葉を知りながら、ヨアブは宙吊りになり、まだ息のあったアビシャロムを槍で衝き殺す。ダビデの命令に従わなかったのである。ヨアブはアブシャロムをその墓に葬る。
ダビデは報告を待っていた。伝令がダビデの下に上って来た。それは吉報ではあったが、併せてアブシャロムの死を伝えるものであった。ダビデは身を震わせて泣いた。「我が息子、アブシャロムよ、我が息子よ。我が息子アブシャロムよ。ああ、私がお前に代わって死ねばよかったのに。アブシャロム、我が息子よ、我が息子よ」と。その日の勝利は、全ての民にとって喪に変わってしまった。
しかし、ヨアブはそんなダビデをなじる。「あなたは、あなたの一族の命を救った、あなたの家来全員に恥をかかせるのか」「あなたはあなたを憎むものを愛し、あなたを愛する者たちを憎まれるのか」と。ダビデは反省し、その言葉に応じ、民の前に現れ彼らを祝福した。民の前で自分の心を隠したのである。この後、ダビデは逃れの地からエルサレムに戻る。王としての地位は安泰であった。
荒野でのダビデを助けた人
ダビデは、荒野に逃れたが、一族郎党の面倒を見なければならなかった。略奪は王としては、出来なかった。彼らを助けるものが現れる。それがメフィボセテの従者であるツイパ(下16:1~2)であり、その地の金持ち、ショビ、マキル、バジルライの3人であった。彼らはダビデの荒野での生活の面倒をみた(下12:27~29、下19:32)。ダビデがエルサレムに帰還後、ツイパにはメフィボシェテの地が与えられ、この地は後にメフィボシェテと2分される。バジルライの息子キムハムには、エルサレムで高い地位をあたえられた。このようにダビデの荒野での生活は保障されていたのである。これはダビデの徳の高さを表している。神はダビデを見捨てなかったのである。
シェバの反乱:
シェバはダビデがエルサレムに戻った後に、反乱を起こしたベニアミン人である。ダビデはヨアブではなく、アブシャロムの反乱の時、彼の指揮官となったアマサをシェバ討伐の指揮官に命じる。しかし、彼は、進撃の日に遅れる。ヨアブは彼を殺し、指揮官となり、シェバを「智恵ある女」を使って殺す。ヨアブは指揮官としては有能であったが、ダビデに対しては従順では無かった。しかし、ダビデは、彼を殺す事は出来なかった。ダビデは彼を恐れたのである。しかし、後に王となったソロモンによって、アブネルとアマサ殺害の罪によって殺される(列王記・第Ⅰ、2章34節)。
ダビデは、全ての敵を倒した後に。神に「主は我が岩、我が砦--------」で始まる感謝の歌を捧げている。同一歌は詩編(詩篇18:1~50)にもみられる。
平成25年3月10日(火)楽庵会、報告者:守武 戢