日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

第144回芥川賞受賞作品『『苦役列車』西村賢太作、『きことは』朝吹真理子作

2011年04月25日 | Weblog
 今回(第144回)の受賞作は朝吹真理子氏の『きことは』と西村賢太氏の『荷役列車」の2作品に決定した。『きことは』は選者の圧倒的多数の得票を得て決まったものであり、『荷役列車』も過半数の得票を得て決まったという。朝吹真理子氏の『きことわ』とはこの作品の主人公である貴子(きこ)と永遠子(とわこ)の名前をつなげたものであり、ある場合には2人の生活がごっちゃになるという意味でも『きことわ』である。ここでは時間がテーマになっており、現在過去が何の脈絡もなく現れてくる。夢が現れ、記憶が現れる。しかし僕の能力の限界かもしれないが、技巧ばかりが目立って、何を言わんとしているのかがわからない。だから極めて読みづらい。玄人受けはするが、素人受けのしない判りづらい作品である。
 これと比べると西村賢太氏の『苦役列車』は極めて読みやすい。芥川賞候補2回を経て3回目に受賞したのがこの作品である。社会の最底辺:社会の端っこで生活する19歳の北島寛太という荷役人足を中心とする若者たちの群像を描いたものである。ここにはだれからも相手にされない世の中の端っこで生きる人間の姿がある。端っこには、はぐれて、拗ねた風情がある。最底辺の生活に甘んじながらも寛太の生活はどこかユーモラスである。端っこのいたいけな、悲しく、もの淋しい様子の片鱗はどこにもない。端っこの人生は世間知らずで、無防備そのもの、所在無げで、いたいけなくて置き去りにされた迷子同然、だから一刻も早く引き取りに行ってやりたい。こんな端っこたちを不幸にしてはいけない。『荷役列車』は、そんな母性愛をくすぐる作品である。
 この2作品を紹介するのであるが、判り易く読みやすい西村賢太氏の『荷役列車』から始めることにする。

    第144回芥川賞受賞作 「苦役列車 」 西村賢太作
 この作品は1955年~1973年の高度経済成長期に生を受け(1967年生誕)、オイルショックを契機に低成長期を迎え、さらにバブル景気(18987~1991年)に至るまでの昭和後期の世の中を生きた一人の若き(19歳)荷役人足(北島寛太)の成長の物語である。
 政治的には1960年には第一次安保闘争が、1970年には第二次安保闘争が起っている。産業構造的には重厚長大の重工業(鉄鋼、造船)優先の時代から、軽薄短小のサービス業が60%を超える時代への転換期であり,昭和天皇の崩御、昭和から平成への移り変わりがあった。
 まさに政治的にも、経済的にも激動の時代だったのである。

 この作品の主人公、北島貫太は、自分の心の赴くままに生き、世の常識的人生を生きることができない。その結果自分に不利と判っていても、それを貫徹してしまう。それゆえに世間の最底辺の中で、荷役会社の人足としてしか生きられず、それからの脱却を計りながらも挫折し、その人足仕事も、上役との喧嘩がもとでクビになる。自制をすることを知らない。人足仕事すら半端でしかない自分を嘆きながらも、時流に流されて自己を破滅へと追い込んでいく。
 他方では仲間の一人専門学校の生徒でアルバイトの日下部はプラッター(フォークリフトの一種)の免許を取り、より上の段階に進み、彼女(慶大生)を作り、専門学校を卒業し、結婚し、郵便局員となり世間一般の常識的な人生を歩み始める。
 もう一人の仲間高橋はプラッターの練習中に転倒し再起不能の大けがを負う。その立場上労災も、受けられないという。女房、子供もいるのにと貫太は彼に同情する。福祉に厄介になるか、ホームレスになる以外ない。寛太はそれを見て怖くなり、プラッターの練習を止め、日下部のように上へ行く足掛かりを失う。
 このように、寛太を中心にして、上昇していく人間と、さらに底辺の生活へと転落していく人間の、両極端に分かれていく人間の姿が描かれる。その展開は少し陳腐だが、これが現実であろう。 これが世間の最底辺でうごめく若き群像である。

 しかし、寛太にはきつい肉体労働に耐えうる丈夫で、健康な身体がある。それを良いことに、酔態をさらけ出し買淫にいそしみ、日頃のうっぷんを晴らす。妬み、そねみ、嫉妬心、猜疑心に満ち、その結果友人でもあり、仲間でもある日下部とその恋人に暴言を吐く。相手を辟易させながらも、その相手に女を紹介せよと迫る。そこには常識的な手続きはない。こんなところに人生の端っこでしか生きられない人間の愚かしさ、おかしさがある。しかしそこには世の常識に迎合し、相手の顔色をうかがい、自己を規制して生きる人間の苦しさ、せつなさはない。心の自由がある。一生懸命努力し、世の常識に従って生きたって所詮は郵便局の職員ではないかと日下部に対するあざけりがある。しかし裏ではそんな生活にあこがれている。そんな複雑な気持ちを内に含めながら寛太は生きていく。やむをえず乗車することになった「苦役列車」に、一本の酒瓶をかかえて乗車した寛太は一生乗り続けなければならないのだろうか。彼は最底辺の、はじっ子の人生に浸りきっている。そこにはある種の心地よさがあり、自由がある。その反面、孤独があり、苦役があり、窮乏がある。しかしそれに耐え得る体力があり、生活力がある。家賃など平気で踏み倒し、その結果下宿を追い出され、ホームレスすれすれの生活に陥っても何とかしのいでいく。いざとなれば頼れる母親がいる。周囲と軋轢を起こし、もがき苦しみながらも、利用できるものはすべて利用し、たくましく生きる生活力がある。そこには人間の持つ生命力がある。真の力がある。この力がある限り寛太の未来を悲観することはないであろう。いつか何かを見つけるかもしれない。そこには人生に対する大いなる楽観がある。だからこの作品に暗さはない。この作品は作者西村賢太氏の実像を描いたものであり、その9割は真実だと、彼は文春の記者との対談で述べている。そして言う「何があっても悲観するばかりが能ではなくて、こういう形(芥川賞受賞)にもなるんだな、と身にしみてわかりましたね」と。
 本当の豊かさとは何か、理想の人生とは何か、考えさせる作品である。

 世の中は決して平等な世界ではない。身分、生れ、育ちは生れる前から決まっている。出発点は決して平等ではない。さらに後天的にはこの作品の寛太のように父親の性犯罪という罪なき罪がある。そこには偏見があり、差別があり、いじめがある。そんな不条理なものを背負って人は生きていかなければならない。この作品の前半では、主人公北島寛太はなぜ荷役人足にならねばならなかったのかの必然性が描かれる。寛太自身の持つ生来のものと、後天的に与えられる罪なき罪、それらが寛太の生活を規定する。そして後半は荷役人足としての生活が描かれる。

 さて、話を元に戻そう。なぜ寛太は世の中の最底辺の世界=荷役会社の人足にならねばならなかったのか?その気になれば、上昇志向さえあれば、その時代背景を考えれば、充分に一般社会での、まともな仕事に就き、まともな人生を歩けたはずである。
 そこにはいくつかの原因があった。一つは生来の怠け癖、ずる休み、その結果としての劣等な成績。生来の素行の悪さ、その結果としての教師とのいざこざ。劣等な成績と、素行の悪さは、教師の憎しみをかい、中3の進路相談もまともに受けず、卒業期を迎え、追い払われるように世間知らずのまま、中学を卒業する。だから、彼には卒業後の就職のあてなどまるでなかった。しかし、取りあえず生活しなければならない。母親から10万円なりを強奪するようにむしり取り、3畳一間の部屋を借り、就職先を探しだしたが、中卒15歳という年齢では、中学からの推薦状でもなければ、土方の見習、新聞配達員の口すらなかった。もちろん彼にはそんな推薦状などなかった。たまたま見つけた募集広告も、高卒、普通免許習得者となっており、彼を受け付けなかった。彼は途方に暮れる。アパートを借りて残った6万円余りの金も日々減っていき、彼は焦りだす。その結果見つけた仕事先が、履歴書不要、年齢不問、給料日払いという、埠頭での荷物の積み下ろしという単純肉体労働であった。必要なものは汚れてもよい作業着と軍手だけという簡単なものであった。もはや彼には仕事を選ぶなどという余裕などなかった。彼にとってそれ以上の仕事を望むべきもなかったのである。かくして彼はやっと仕事にありついた。日当は弁当代200円を差し引かれる5,500円也。酒やたばこや、たまにする買淫等で、その日稼いだ金などあっというまに無くなり、貯金などする余裕などもちろん無く、怠け者の彼も生活のためには仕事に行かざるを得なかった。それでも少しでも余裕ができると仕事を無断欠勤するという体たらくであった。それでも日雇いの気安さで次回の出勤を断られることはなかった。いざとなれば母親を脅して金を巻き上げるという最後の手段があった。そして、肉体を動かすだけで、言われた通りにすれば済むという、ある意味では気楽な仕事であったので、19歳になった今でも相変わらず怠け者の彼は荷役人足のままであった。
 そんな彼の生活に変化が訪れる。それが日下部との出会いであった。彼は寛太と違って勤勉であった。専門学校の生徒で、背が高く、水泳で鍛えた身体は人足顔負けで均整が取れ、固く締っていた。生れは昭和42年(1967年)で寛太と同年であった。そんな共通点もあって、二人は急速に親しくなる。狷介な性格の彼にとっては珍しいことであった。そんな日下部の勤勉さに刺激され寛太も真面目になる。もちろん彼には溜まった下宿代を払わねば下宿先を追い出されてしまうと云う別の理由もあったのである。そしてこの真面目さが評価されて、彼は日下部、高橋と共に倉庫番の仕事に格上げされる。仕事も楽で、フォークリフトの資格も取らしてくれるという。免許を取るために3人は努力する。フォークリフトの操作を日下部は難なくこなし、免許も取ってしまう。それに反して寛太は操作に苦労する。高橋はその操作を誤り、転倒し、再起不能の怪我を負う。このようにして3人の人生は分かれていく。

 日下部との違いはその女性関係にも見られる。日下部は高校を卒業し専門学校の生徒になったのであり、仕事はあくまでもアルバイトであった。中卒の寛太とは学歴においても差があった。そして日下部には慶応大学に通う彼女ができたのである。それまで寛太と一緒に悪所通いをし、セックスライフを楽しんでいた彼は、彼女ができてからは彼女の手前そういう付き合いはしたくないといいだし、寛太と距離を置くようになる。さらにフォークリフトの免許も習得し、その免許習得を高橋のけがで止めてしまった寛太との差を広げ、軽蔑のまなざしで見るようになる。もちろん寛太は面白くない。彼女のない彼は相変わらず悪所通いを止めず、自分のお袋みたいな女を相手にしてその旺盛な性欲を満たしていた。金のない時はお手々で処理をするというみじめさであった。日下部と彼女と三人で野球見学に訪れ、その帰りに居酒屋に寄る。そこで二人を相手にし、酔った勢いもあって、聞くに堪えない言葉で二人を罵倒する。合コンがあると聞き、自分に女を紹介しろと、かなわぬ願いを訴える。もちろんそれは拒否される。その恨みもあって、その夜、日下部を縛り付けて、その前で彼女を強姦する姿を想像し自慰にふける。一瞬の快感はあるものの、終われば切なさが募り、自分が性犯罪者の息子の血をひいていることに愕然とする。
 日下部は彼女と結婚し、郵便局の職員となる。上役と喧嘩し会社をクビになった寛太との差はますます開いていく。その後寛太は同じような荷役会社に就職したものの、女性関係においても、仕事においても何ら変化はなく相変わらずの人足であった。

 作者は自分自身が経てきた人生を、自己の内面を、この作品において飾り気のない筆致で語っている。ここには自分の心に忠実に生き、荷役人足としてしか生きられない人間と、モノや、財力や、地位などという外的条件にこだわり、それを追い求め、自分を殺して生きる日下部のような俗人との対比が描かれている。ここにはパンか、自由かの問題がある。人はパンを求めて自由を権力に売り渡す。ドストエフスキーはこの問題を「カラマーゾフの兄弟」の中で扱い、キリストが自由を求めて権力に歯向い磔にあったと述べている。北島寛太はキリストの再来といえるかもしれない。

 次回は、朝吹真理子作『きことは』を紹介する。

              月刊雑誌「文藝春秋」2011年3月号掲載『苦役列車』西村賢太作