日常一般

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エゼキエル書1 イスラエル滅亡の預言 1~24章

2017年04月19日 | Weblog
  エゼキエル書1(エルサレム滅亡の預言) 1~24章
 
 はじめに
 エゼキエル書は、3大預言書(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル)の一つであり、その名の通り預言者エゼキエルによって書かれたものです。48章からなっています。
エゼキエル:エゼキエルに関する情報は多く有りません。「フジの子祭司エゼキエル--------(1:3)」「--------夕方私の妻が死んだ。------(24:18)」とあるように祭司であり妻帯者であった事が判ります。別資料によれば祭司の家庭に生まれたことになっています。ただ、聖書には上記引用文以外の事は書かれていません。そんなエゼキエルに捕囚の地で主からの召命が下ったのです。活躍の場所は捕囚地です。
エレミヤ書がエルサレムの滅亡前に書かれた40年間の主の言葉の記録とするなら、エゼキエル書はユダの民がバビロンに捕囚された時、捕囚地ケベル湖畔の町テル・アビブで書かれた主の言葉の記録です。エゼキエルは捕囚となった民の中から預言者として召命を受け、主の御心を民に伝えたのです。捕囚地で主の召命を受けた、と云うことは、「主の栄光」がエルサレムから捕囚の地へ移った事を意味します(10:19)。もはやエルサレムは主のみ座では無くなっていたのです(後に回復 43:1~5)。

 エゼキエルの召命
 この時の召命の様子を聖書は次のように述べています。
「第30年の第4の月、私(エゼキエル)がケベル川のほとりに捕囚の民と共にいた時、天が開け、私は神々しい幻を見た。それはエホヤキン王が捕囚となって連れて行かれてから5年目であった。その月の5日に、カルデア(バビロン)人の地のケバル川のほとりで、フジの子祭司エゼキエルにはっきりと主の言葉があり主の御手が彼の上にあった(1:1~3)」と。この幻に接して、エゼキエルには、これが「主の栄光のように見えた。私はこれにひれ伏した(1:28後半)」と述べています。
エゼキエルはエホヤキン王がエルサレムの主だったものと共に拉致された時(第1次バビロン捕囚)共にいたとされています。ここで言われている「神々しい幻」とは、「ケルビム」を指します。しかし、第Ⅰ章では。ケルビムの名は出てきません。「生き物のようなもの(1:5)」と描かれ、これがケルビムと判るのは10章においてです。ケルビムとは主に仕える御使い(天使)です(詳細は後述)。
 主はエゼキエルを召命した時、彼に告げます。「わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人にした。あなたは、わたしの言葉を聞く時、わたしに代って彼ら(イスラエルの民)に警告を与えよ(3:17)」と。更に云います「わたしの言葉を(エルサレムの民に)伝え、聞くものには聞かせ、聞かない者には聞かせるな、彼らは反逆の家だからだ(3:27後半)」と述べています。反逆の家イスラエルの民(主の言葉を聞かない者)の中にも、わずかではあっても主に従順なもの(主の言葉を聞くもの)も存在していたのです。主はそれらのものに印を付け、裁きの時これを救ったのです(9:4~6)。
これより預言者エゼキエルの宣教活動が始まります。

 エゼキエル書の構成
1・エルサレム滅亡の預言(1~24)
2.イスラエルの諸敵国に対する預言(25~32)
3.イスラエル回復の預言(33~35)
4.新しいエルサレム神殿のビジョン(36~48)
 今回のレポートは1に限ります。

 預言書の特徴
 3大預言書を読み進めてきて感じることは、預言書は個々に特色を持つと同時に、共通性も持っているという事です。それは、イスラエルの陥落と捕囚という歴史的事実を指しています。まさに歴史の主役は主なのです。歴史は主の仕事場です。預言者たちは陥落と捕囚と云う深刻な歴史的事実を、イスラエルの民の罪に対する主の審判の結果として受け止めています。それほどイスラエルは罪に満ちていたのです。そこで預言者たちは、イスラエルの民に認罪と悔い改めを要求し、主に救いを求めよと何度も進言します。しかし彼らはこれに従いません。主は怒り、これを罰します。しかし、滅ぼすことはしませんでした(20:17)。何故でしょうか。

 わが名のために
 主は決してイスラエルの民を愛していたからではありません(?)。エゼキエル書は何度も繰り返します。「わが名のために(20章)」と。選びの民、契約の民を滅ぼしてしまっては、たとえイスラエルの民に不義があったとしても、「諸国の目の前で、ご自身の名を汚すこと」になるからです。「汚す」と云うことは「侮られる」ということを意味します。民に対する選びも、契約も、導きも、信頼も、いい加減なものと見做されるからです。それは、誇り高き主には我慢のならない事です。主は偲び難きを偲び、憎っくき、背反を繰り返すイスラエルの民に、その罪を罰しても、救いの手を差し伸べるのです。主にも面子があるのです。

 ユダとエルサレムに対する主の審判の根拠
 エゼキエルが祖国の滅亡と捕囚の必然性を説いた4つの理由
 1エルサレム神殿内部における堕落
 エルサレム神殿内部における異教崇拝(偶像崇拝)の蔓延。エゼキエルはエルサレムがもはや主の御座で無くなり、主自身エルサレムを去って、捕囚の地に移ったことを確認します(10:19~20:11:23)。ケルビムの移動がこれを現しています。
 2、歴史的対比
 エルサレムの罪は悪徳の町ソドムとゴモラ、北イスラエルの首都サマリヤの罪に比べて勝るとも劣らない程、罪に満ちています。それ故の裁きがあって当然、とエゼキエルはその罪を認めています(16:48~59)。
 3、エルサレムの指導者層の堕落 エルサレムの指導者層(祭司、首長、預言者、官吏)の堕落が22章において指摘されています。指導者たちは社会的弱者を虐待し、賄賂を取り、性の逸脱を犯して、恥入ることがありません。預言者は偽りの預言を以て人々を食いものにし、祭司たちは率先して律法を無視する。高官たちは、人命を無視してまで不正の利を求め、イスラエルの民は社会的弱者(奴隷、寡婦、孤児、寄留者)を搾取します。主は怒りこれを罰します。
 4、外交政策の変節
 ユダ王ゼデキヤは、バビロニアとの契約を無視して、エジプトに依存します。当時、エルサレムにおいては外交政策において二派に分かれて争っていました。バビロン派とエジプト派です。エゼキエルはバビロン派で、ゼデキヤ王はエジプト派でした。バビロンの圧迫に対し過激派はエジプトに頼り、バビロンを打ち破ろうとします。バビロンはユダの裏切り行為を怒り、これを滅ぼします。バビロンは主の裁きの鞭だったのです。

 背信のイスラエルの歴史
 20章には背信のイスラエルの歴史が描かれています。
ここにはイスラエルの民がエジプトにおいて、荒野において、カナンにおいて、そして現在(イゼキエル書の書かれた当時)においての主とイスラエルの民との背反の関係が描かれています。
1.主のイスラエルに対する恵みの預言→恵みの契約
2.それに対するイスラエルの背反→偶像崇拝、律法違反、安息日の軽視
3.背反に対する主の怒り→怒りの鞭(アッシリア、バビロン)
4.主の怒りを思い留めた理由→ わが名のために
 この章は主とイスラエルとの関係を典型的に現しているので取り上げました。

  >言葉の意味
 ケルビム(ケルブの複数形)神殿に仕え、主の玉座や聖なる場所を警護する天使。9天使の第2位に位置します。智天使。人、獅子、雄牛(1章ではケルブ)、鷲、の4個の顔と、4枚の翼をもち、黄金の目が記された自転する4個の車輪を持った姿で現れ、主の霊の動きに応じて動きます。ケルビムは旧約聖書の中では各章に現れます。最初に現れるのは創世記で、アダムとエバが楽園を追われた後、楽園の門を守り(3:24)また、契約の箱(主の玉座)の上に座し、聖所を守っています。その他、Ⅱサムエル記(6:2)、Ⅱ列王記(19:15)、Ⅰ歴代誌(13:16)、詩篇(20:1、99:1)他にも現れ聖所を守る主の御使いです。
 酸い葡萄:葡萄の木とはエルサレムの事を指します。
「彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良い葡萄を植え、その中にやぐらを立て、酒舟まで掘って、甘い葡萄がなるのを待ち望んでいた。ところが酸い葡萄が出来てしまった(イザヤ書5:2)」。何故か。「まことに万軍の主の葡萄畑は、イスラエルの家。ユダの人は、主が喜んで植え付けたもの。主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。正義を待ち望まれたのに、見よ、泣き叫び(イザヤ書5:7)。良い葡萄の種子は地に植えられ、その成長過程で酸い葡萄に変化したことが描かれています。民の信仰が、本来の神から異教の神、偶像崇拝に移って行ったことが描かれています。
 父が酸い葡萄を食べれば子の歯が浮く:祖国の陥落と捕囚と云う経験は、親の世代が起こした罪の結果である、しかし、子の世代がその責めを追う、と云うことです。因果応報の論理であり、悲観的な宿命論です。それに対してエゼキエルは言います「お前たちは親の世代の罪によって裁かれるのではなく、お前たち自身の罪によって裁かれるのである」と。因果応報論を否定し、すべては自己責任であることを主張します。「義人の正義は彼自身に帰す。邪悪な者の邪悪も彼自身に帰す(18:20)と述べています。
 十戒の中には「わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」と云う言葉がある反面、「主を愛し、その命令を守ることは、恵みが千代にまで施される」と云う言葉もあります。いずれも因果応報の論理です。
「あなた方の犯した全ての背きの罪をあなた方の中から放り出せ。新しい心と、新しい霊を得よ(18:31)」悔い改めて神に立ち返れと述べているのです。
平成29年4月11日(火)報告者 守武 戢 楽庵会