ヨナ書 異邦人の救い
ヨナ書の主題は「全ての人々に対して主の恩恵を知らしめることにある。イスラエルが憎み恐れていた異邦人に対しても主は恩恵の神なのである」。
「その奥義とは、福音によりてキリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり、共に一つの体に連なり、ともに約束(契約)にあずかるものになるということである(エペソ人の手紙3章6節から)」
はじめに――神に逆らう預言者ヨナ
ヨナ書は前半(1~2章)と後半(3~4章)に分けられる。前半は神の召命(罪の町ニネベへ行け)に逆らった背信の預言者ヨナに対する「さばき」と「回復」が語られる。
後半は罪に満ちた異邦人の町ニネベが主の「災害預言」を聞き、悔い改め、主に救いを求めた時、主はその「災害預言」を取り消した事が語られている。ヨナは主の「災害預言」の不履行に対して不愉快の念を露わにして、怒りを主に向ける。主は悔い改めるものに対する憐れみと優しさを語るが、ヨナの応答は無い。
ここには、ヨナの神の正義に対する率直な疑問が提出されている。異邦人は救われるべきか、例え悔い改めがあったとしても、である。ここにはヨナを代表とする選民イスラエルの民の異邦人()に対する心の機微(差別意識)が現され(隠され)ている。
ヨナ書の特徴
作者:アミタイの子、預言者ヨナ(鳩という意味)。ヘブル人(1:9)。
ヨナが活躍した場所:ニネベ(アッシリアの首都)。
活躍した時代:前862年ごろ。預言者エリシャの時代。
ヨナが悔い改めた場所:大きな魚の腹(胎)の中。
ヨナに託された神の預言:「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上っ てきたからだ(1:2)」
「もう40日すると、ニネベは滅ぼされる(3:4後半)」
罪の町ニネベのしたこと:悔い改め(悪から立ち直るための努力)
その結果:
主による災い預言の取り消し
取り消しに対するヨナの不満。
主の取り成し
ヨナの反応はない。
ここにはヨナ(ユダヤ人を象徴する)と異邦人との葛藤が描かれている。
ヨナ書の内容構成
1章 ヨナに対する派遣命令
主の御顔を避けたヨナ
船に乗ってタルッシュへ逃亡を図るヨナ
海の嵐を引き起こしたヨナ
海の嵐を神の怒りと感じたヨナ
海に投げ込まれたヨナ(ヨナの意志)
海を鎮めたヨナ
大魚にのみ込まれたヨナ
2章 大魚の腹の中で悔い改めたヨナ
主によって大魚から吐き出されたヨナ
3章 ヨナに対する第2次派遣命令
ニネベでの布告(「40日するとニネベは滅ぶ」)
ニネベの民と王の悔い改めと救いへの願い
主による「災い預言」の取り消し
4章 「災い預言」の取り消しを怒るヨナ
それに対する主の応答(悔い改めるものは救われる)
ヨナの応答は無い。
各章ごとの説明
1章:ヨナに対して主の派遣命令(悪の町ニネベに行け)が下る。しかし、何故かヨナはその命令に従わず、主の御顔を避け、船でタルシュシへ逃れようとした。主は怒り、行く手に暴風雨を起こして、逃亡を阻止する。船は難破の危険にさらされ、ヨナはそれがわが罪のためと理解し船員に自分を海に投げ込めと要請する。彼は海に投げ込まれる。海は鎮まる。主は大魚を用意して、ヨナを飲み込ませた。ヨナは3日3晩、大魚の腹(胎)の中にいた。
問題 1、召命の意味とは何か。「さばき」か「救い」か。
2、ヨナは何故主の命令に従わず逃れようとしたのか。
3,3日3晩の意味とは何か。
これらの問題は後の章で解決されるので、ここでは答えは保留する。
2章:3日3晩;大魚の腹(胎)中で悔い改めたヨナ
大魚の腹の中で3日3晩過ごしたヨナはその苦しみゆえに主に祈る「私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度あなたの聖なる宮を仰ぎみたいのです(2:4)」。大魚のはらの中で「私の魂が衰え果てた時、私は主を思い出しました(2:7)「空しい偶像に心を留めるもの(ヨナ)は、自分への恵みを捨てます(悔い改め)、しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたに生贄を捧げ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです(2:8~9)」。
「主は魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた(2:10)」。
言 葉
腹(胎):腹は胎を意味し、胎児の宿る場所である。出産は激しい痛みを経験する。同様に、ヨナも大魚の胎の中で激しい痛みを経験し悔い改め、、新しい命が与えられたのである。ヨナは変えられたのである。」胎とは悔い改めるための試練の場所であった。「大艱難時代」を思い出す。
偶 像:この場合の偶像とは物では無く、心を指す。主に逆らう者と拡大解釈することも出来る。ヨナが主に逆らってタルシシュへ逃亡を試みたことを指す。
3章:ヨナへ2度目の派遣命令が下る。ヨナはニネベに行き主の言葉「もう40日するとニネベは滅ぼされる(3:4)」を伝える。それを聞いたニネベの民は驚き、断食をし大人も子供も粗布を身にまとい「悔い改め」の意を現した。王もその預言を聞き神を信じた。王服を脱ぎ捨て粗布を身にまとい、灰の上に座り、大臣たちと共に断食を行い、一般の民にもそれを強制した。こうして、ニネベは、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐の行いから立ち返った。「われわれ異邦人も滅びずに済むかもしれない」このように神に救いを求めたのである。
主はその悔い改めを知って、預言した災いを思い直し、実行しなかったのである。
1章と3章の比較
3章での40日、1章での3日3晩:40日はニネベの民が悔い改めるまでの猶予期限を指し、3日3晩もヨナの悔い改めるまでの猶予期限を指す。
1章での船員たちの祈り「神に祈り、お願いすれば、神が私たちに心を留めて下さって私たちは滅びないで済むかもしれない」
3章でのニネベの祈り「もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないで済むかもしれない」
主は恵み深く、あわれみ深く、優しいお方である。悔い改めるものに対しては、忍耐強く待ち(3日3晩、40日)その罪を取り消し、お赦しになるのである。
言 葉
断食:食物を断つこと、宗教上の慣習として、また祈願、抗議などをする時に、一定期間、飲食物を断つことを指す。本書の場合の断食とは、主に立ち返るための儀式と言える。
粗布:ヤギの毛で織った黒い粗末な布を意味し悲しみや後悔の念を現すときに身にまとった。「灰の中に座る」も同様の意味を持つ。
4章:4章ではヨナの怒りと、主の異邦人に対する憐れみが語られる。ヨナは主がニネベを赦したことに対して不愉快の念を露わにした。主の発した災害預言の不履行を怒ったのである。ここで、はじめてヨナは自分が主の命令に逆らって逃亡を図った理由を明らかにする(一章では明かされていない)。悔い改めさえすれば主はニネベを許すであろうということが判っていたからである。それはヨナ自身の立場とあきらかに異なっていた。ここに主とヨナの異邦人に対する考え方に根本的な違いを見ることが出来る。主は情け深く、あわれみ深い神であり、怒るに遅く、恵み豊かであり、災いを思い直すことの出来る優しい方である(4:2後半参照)。それに反してヨナの考え方は異邦人はあくまでも異邦人であり罪ある存在と決められている。滅ぼされるべき存在なのである。それはイスラエルの歴史が異邦人との戦いの歴史であったことを考えれば、納得できることではある。主は「とうごま」の例を出し、「とうごま」を愛さない以上にニネベを愛さず、悔い改めた民すら罰することを望むヨナを批判し、もっと人を愛し、あわれみ深く、優しくあれと諭すが、ヨナの応答は無い。
まとめ
ヨナが罰せられたのは第一次のニベアへの派遣命令に逆らったからである。それ故の悔い改めであり、神への立ち返りであった。ヨナは変えられたのである。主はヨナを再びニネベへの派遣命令を下した。それがヨナを預言者たらしめたのである。しかしヨナはそれを理解できなかったし40日の真の意味を知ることも出来なかった。災害預言は罰する為では無く救うためだったのである。ヨナは主の災害預言を文字どおりに受け取り、それを実行しない主に不愉快の念を現し怒ったのである。
ヨナの中には2つの価値観があった。神は絶対的善であり、異邦人は絶対的悪であるというものである。ヨナの立場からすれば絶対的悪は絶対的善によって滅ぼされねばならない。しかし主はこの絶対的悪(異邦人ニベア)を赦している。本来なら、絶対的悪は悔い改めなどしない筈である。ここにヨナの信仰の誤りを見る。ここではヨナは主に立ち返ることなく、ニネベの悪を赦した主に対して怒り、不愉快の念を露わにしている。ここに主とヨナの間に横たわる超えることの出来ない壁を感じるのである。この壁は今日まで続いており、旧約聖書と新約聖書を隔てる壁になっている。
ヨナ書の主題は「全ての人々に対して主の恩恵を知らしめることにある。イスラエルが憎み恐れていた異邦人に対しても主は恩恵の神なのである」。
「その奥義とは、福音によりてキリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり、共に一つの体に連なり、ともに約束(契約)にあずかるものになるということである(エペソ人の手紙3章6節から)」
はじめに――神に逆らう預言者ヨナ
ヨナ書は前半(1~2章)と後半(3~4章)に分けられる。前半は神の召命(罪の町ニネベへ行け)に逆らった背信の預言者ヨナに対する「さばき」と「回復」が語られる。
後半は罪に満ちた異邦人の町ニネベが主の「災害預言」を聞き、悔い改め、主に救いを求めた時、主はその「災害預言」を取り消した事が語られている。ヨナは主の「災害預言」の不履行に対して不愉快の念を露わにして、怒りを主に向ける。主は悔い改めるものに対する憐れみと優しさを語るが、ヨナの応答は無い。
ここには、ヨナの神の正義に対する率直な疑問が提出されている。異邦人は救われるべきか、例え悔い改めがあったとしても、である。ここにはヨナを代表とする選民イスラエルの民の異邦人()に対する心の機微(差別意識)が現され(隠され)ている。
ヨナ書の特徴
作者:アミタイの子、預言者ヨナ(鳩という意味)。ヘブル人(1:9)。
ヨナが活躍した場所:ニネベ(アッシリアの首都)。
活躍した時代:前862年ごろ。預言者エリシャの時代。
ヨナが悔い改めた場所:大きな魚の腹(胎)の中。
ヨナに託された神の預言:「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上っ てきたからだ(1:2)」
「もう40日すると、ニネベは滅ぼされる(3:4後半)」
罪の町ニネベのしたこと:悔い改め(悪から立ち直るための努力)
その結果:
主による災い預言の取り消し
取り消しに対するヨナの不満。
主の取り成し
ヨナの反応はない。
ここにはヨナ(ユダヤ人を象徴する)と異邦人との葛藤が描かれている。
ヨナ書の内容構成
1章 ヨナに対する派遣命令
主の御顔を避けたヨナ
船に乗ってタルッシュへ逃亡を図るヨナ
海の嵐を引き起こしたヨナ
海の嵐を神の怒りと感じたヨナ
海に投げ込まれたヨナ(ヨナの意志)
海を鎮めたヨナ
大魚にのみ込まれたヨナ
2章 大魚の腹の中で悔い改めたヨナ
主によって大魚から吐き出されたヨナ
3章 ヨナに対する第2次派遣命令
ニネベでの布告(「40日するとニネベは滅ぶ」)
ニネベの民と王の悔い改めと救いへの願い
主による「災い預言」の取り消し
4章 「災い預言」の取り消しを怒るヨナ
それに対する主の応答(悔い改めるものは救われる)
ヨナの応答は無い。
各章ごとの説明
1章:ヨナに対して主の派遣命令(悪の町ニネベに行け)が下る。しかし、何故かヨナはその命令に従わず、主の御顔を避け、船でタルシュシへ逃れようとした。主は怒り、行く手に暴風雨を起こして、逃亡を阻止する。船は難破の危険にさらされ、ヨナはそれがわが罪のためと理解し船員に自分を海に投げ込めと要請する。彼は海に投げ込まれる。海は鎮まる。主は大魚を用意して、ヨナを飲み込ませた。ヨナは3日3晩、大魚の腹(胎)の中にいた。
問題 1、召命の意味とは何か。「さばき」か「救い」か。
2、ヨナは何故主の命令に従わず逃れようとしたのか。
3,3日3晩の意味とは何か。
これらの問題は後の章で解決されるので、ここでは答えは保留する。
2章:3日3晩;大魚の腹(胎)中で悔い改めたヨナ
大魚の腹の中で3日3晩過ごしたヨナはその苦しみゆえに主に祈る「私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度あなたの聖なる宮を仰ぎみたいのです(2:4)」。大魚のはらの中で「私の魂が衰え果てた時、私は主を思い出しました(2:7)「空しい偶像に心を留めるもの(ヨナ)は、自分への恵みを捨てます(悔い改め)、しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたに生贄を捧げ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです(2:8~9)」。
「主は魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた(2:10)」。
言 葉
腹(胎):腹は胎を意味し、胎児の宿る場所である。出産は激しい痛みを経験する。同様に、ヨナも大魚の胎の中で激しい痛みを経験し悔い改め、、新しい命が与えられたのである。ヨナは変えられたのである。」胎とは悔い改めるための試練の場所であった。「大艱難時代」を思い出す。
偶 像:この場合の偶像とは物では無く、心を指す。主に逆らう者と拡大解釈することも出来る。ヨナが主に逆らってタルシシュへ逃亡を試みたことを指す。
3章:ヨナへ2度目の派遣命令が下る。ヨナはニネベに行き主の言葉「もう40日するとニネベは滅ぼされる(3:4)」を伝える。それを聞いたニネベの民は驚き、断食をし大人も子供も粗布を身にまとい「悔い改め」の意を現した。王もその預言を聞き神を信じた。王服を脱ぎ捨て粗布を身にまとい、灰の上に座り、大臣たちと共に断食を行い、一般の民にもそれを強制した。こうして、ニネベは、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐の行いから立ち返った。「われわれ異邦人も滅びずに済むかもしれない」このように神に救いを求めたのである。
主はその悔い改めを知って、預言した災いを思い直し、実行しなかったのである。
1章と3章の比較
3章での40日、1章での3日3晩:40日はニネベの民が悔い改めるまでの猶予期限を指し、3日3晩もヨナの悔い改めるまでの猶予期限を指す。
1章での船員たちの祈り「神に祈り、お願いすれば、神が私たちに心を留めて下さって私たちは滅びないで済むかもしれない」
3章でのニネベの祈り「もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないで済むかもしれない」
主は恵み深く、あわれみ深く、優しいお方である。悔い改めるものに対しては、忍耐強く待ち(3日3晩、40日)その罪を取り消し、お赦しになるのである。
言 葉
断食:食物を断つこと、宗教上の慣習として、また祈願、抗議などをする時に、一定期間、飲食物を断つことを指す。本書の場合の断食とは、主に立ち返るための儀式と言える。
粗布:ヤギの毛で織った黒い粗末な布を意味し悲しみや後悔の念を現すときに身にまとった。「灰の中に座る」も同様の意味を持つ。
4章:4章ではヨナの怒りと、主の異邦人に対する憐れみが語られる。ヨナは主がニネベを赦したことに対して不愉快の念を露わにした。主の発した災害預言の不履行を怒ったのである。ここで、はじめてヨナは自分が主の命令に逆らって逃亡を図った理由を明らかにする(一章では明かされていない)。悔い改めさえすれば主はニネベを許すであろうということが判っていたからである。それはヨナ自身の立場とあきらかに異なっていた。ここに主とヨナの異邦人に対する考え方に根本的な違いを見ることが出来る。主は情け深く、あわれみ深い神であり、怒るに遅く、恵み豊かであり、災いを思い直すことの出来る優しい方である(4:2後半参照)。それに反してヨナの考え方は異邦人はあくまでも異邦人であり罪ある存在と決められている。滅ぼされるべき存在なのである。それはイスラエルの歴史が異邦人との戦いの歴史であったことを考えれば、納得できることではある。主は「とうごま」の例を出し、「とうごま」を愛さない以上にニネベを愛さず、悔い改めた民すら罰することを望むヨナを批判し、もっと人を愛し、あわれみ深く、優しくあれと諭すが、ヨナの応答は無い。
まとめ
ヨナが罰せられたのは第一次のニベアへの派遣命令に逆らったからである。それ故の悔い改めであり、神への立ち返りであった。ヨナは変えられたのである。主はヨナを再びニネベへの派遣命令を下した。それがヨナを預言者たらしめたのである。しかしヨナはそれを理解できなかったし40日の真の意味を知ることも出来なかった。災害預言は罰する為では無く救うためだったのである。ヨナは主の災害預言を文字どおりに受け取り、それを実行しない主に不愉快の念を現し怒ったのである。
ヨナの中には2つの価値観があった。神は絶対的善であり、異邦人は絶対的悪であるというものである。ヨナの立場からすれば絶対的悪は絶対的善によって滅ぼされねばならない。しかし主はこの絶対的悪(異邦人ニベア)を赦している。本来なら、絶対的悪は悔い改めなどしない筈である。ここにヨナの信仰の誤りを見る。ここではヨナは主に立ち返ることなく、ニネベの悪を赦した主に対して怒り、不愉快の念を露わにしている。ここに主とヨナの間に横たわる超えることの出来ない壁を感じるのである。この壁は今日まで続いており、旧約聖書と新約聖書を隔てる壁になっている。
平成30年2月13日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会