日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

ヨナ書ー異邦人の救い

2018年02月25日 | Weblog
 ヨナ書  異邦人の救い
 ヨナ書の主題は「全ての人々に対して主の恩恵を知らしめることにある。イスラエルが憎み恐れていた異邦人に対しても主は恩恵の神なのである」。
 「その奥義とは、福音によりてキリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり、共に一つの体に連なり、ともに約束(契約)にあずかるものになるということである(エペソ人の手紙3章6節から)」

 はじめに――神に逆らう預言者ヨナ
 ヨナ書は前半(1~2章)と後半(3~4章)に分けられる。前半は神の召命(罪の町ニネベへ行け)に逆らった背信の預言者ヨナに対する「さばき」と「回復」が語られる。
 後半は罪に満ちた異邦人の町ニネベが主の「災害預言」を聞き、悔い改め、主に救いを求めた時、主はその「災害預言」を取り消した事が語られている。ヨナは主の「災害預言」の不履行に対して不愉快の念を露わにして、怒りを主に向ける。主は悔い改めるものに対する憐れみと優しさを語るが、ヨナの応答は無い。
 ここには、ヨナの神の正義に対する率直な疑問が提出されている。異邦人は救われるべきか、例え悔い改めがあったとしても、である。ここにはヨナを代表とする選民イスラエルの民の異邦人()に対する心の機微(差別意識)が現され(隠され)ている。

 ヨナ書の特徴
作者:アミタイの子、預言者ヨナ(鳩という意味)。ヘブル人(1:9)。
ヨナが活躍した場所:ニネベ(アッシリアの首都)。
活躍した時代:前862年ごろ。預言者エリシャの時代。
 ヨナが悔い改めた場所:大きな魚の腹(胎)の中。
ヨナに託された神の預言:「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上っ   てきたからだ(1:2)」
 「もう40日すると、ニネベは滅ぼされる(3:4後半)」
罪の町ニネベのしたこと:悔い改め(悪から立ち直るための努力)
  その結果:
  主による災い預言の取り消し
  取り消しに対するヨナの不満。
  主の取り成し
  ヨナの反応はない。
 ここにはヨナ(ユダヤ人を象徴する)と異邦人との葛藤が描かれている。

 ヨナ書の内容構成
  1章 ヨナに対する派遣命令
 主の御顔を避けたヨナ
 船に乗ってタルッシュへ逃亡を図るヨナ
 海の嵐を引き起こしたヨナ
 海の嵐を神の怒りと感じたヨナ
 海に投げ込まれたヨナ(ヨナの意志)
 海を鎮めたヨナ
 大魚にのみ込まれたヨナ
  2章 大魚の腹の中で悔い改めたヨナ
 主によって大魚から吐き出されたヨナ
  3章 ヨナに対する第2次派遣命令
 ニネベでの布告(「40日するとニネベは滅ぶ」)
 ニネベの民と王の悔い改めと救いへの願い
 主による「災い預言」の取り消し
  4章 「災い預言」の取り消しを怒るヨナ
 それに対する主の応答(悔い改めるものは救われる)
 ヨナの応答は無い。

  各章ごとの説明
 1章:ヨナに対して主の派遣命令(悪の町ニネベに行け)が下る。しかし、何故かヨナはその命令に従わず、主の御顔を避け、船でタルシュシへ逃れようとした。主は怒り、行く手に暴風雨を起こして、逃亡を阻止する。船は難破の危険にさらされ、ヨナはそれがわが罪のためと理解し船員に自分を海に投げ込めと要請する。彼は海に投げ込まれる。海は鎮まる。主は大魚を用意して、ヨナを飲み込ませた。ヨナは3日3晩、大魚の腹(胎)の中にいた。
 問題 1、召命の意味とは何か。「さばき」か「救い」か。
    2、ヨナは何故主の命令に従わず逃れようとしたのか。
    3,3日3晩の意味とは何か。
 これらの問題は後の章で解決されるので、ここでは答えは保留する。
 2章:3日3晩;大魚の腹(胎)中で悔い改めたヨナ
 大魚の腹の中で3日3晩過ごしたヨナはその苦しみゆえに主に祈る「私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度あなたの聖なる宮を仰ぎみたいのです(2:4)」。大魚のはらの中で「私の魂が衰え果てた時、私は主を思い出しました(2:7)「空しい偶像に心を留めるもの(ヨナ)は、自分への恵みを捨てます(悔い改め)、しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたに生贄を捧げ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです(2:8~9)」。
「主は魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた(2:10)」。
  言 葉
 腹(胎):腹は胎を意味し、胎児の宿る場所である。出産は激しい痛みを経験する。同様に、ヨナも大魚の胎の中で激しい痛みを経験し悔い改め、、新しい命が与えられたのである。ヨナは変えられたのである。」胎とは悔い改めるための試練の場所であった。「大艱難時代」を思い出す。
 偶 像:この場合の偶像とは物では無く、心を指す。主に逆らう者と拡大解釈することも出来る。ヨナが主に逆らってタルシシュへ逃亡を試みたことを指す。
 3章:ヨナへ2度目の派遣命令が下る。ヨナはニネベに行き主の言葉「もう40日するとニネベは滅ぼされる(3:4)」を伝える。それを聞いたニネベの民は驚き、断食をし大人も子供も粗布を身にまとい「悔い改め」の意を現した。王もその預言を聞き神を信じた。王服を脱ぎ捨て粗布を身にまとい、灰の上に座り、大臣たちと共に断食を行い、一般の民にもそれを強制した。こうして、ニネベは、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐の行いから立ち返った。「われわれ異邦人も滅びずに済むかもしれない」このように神に救いを求めたのである。
主はその悔い改めを知って、預言した災いを思い直し、実行しなかったのである。
 1章と3章の比較
 3章での40日、1章での3日3晩:40日はニネベの民が悔い改めるまでの猶予期限を指し、3日3晩もヨナの悔い改めるまでの猶予期限を指す。
 1章での船員たちの祈り「神に祈り、お願いすれば、神が私たちに心を留めて下さって私たちは滅びないで済むかもしれない」
3章でのニネベの祈り「もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないで済むかもしれない」
 主は恵み深く、あわれみ深く、優しいお方である。悔い改めるものに対しては、忍耐強く待ち(3日3晩、40日)その罪を取り消し、お赦しになるのである。
  言 葉
 断食:食物を断つこと、宗教上の慣習として、また祈願、抗議などをする時に、一定期間、飲食物を断つことを指す。本書の場合の断食とは、主に立ち返るための儀式と言える。
 粗布:ヤギの毛で織った黒い粗末な布を意味し悲しみや後悔の念を現すときに身にまとった。「灰の中に座る」も同様の意味を持つ。
 4章:4章ではヨナの怒りと、主の異邦人に対する憐れみが語られる。ヨナは主がニネベを赦したことに対して不愉快の念を露わにした。主の発した災害預言の不履行を怒ったのである。ここで、はじめてヨナは自分が主の命令に逆らって逃亡を図った理由を明らかにする(一章では明かされていない)。悔い改めさえすれば主はニネベを許すであろうということが判っていたからである。それはヨナ自身の立場とあきらかに異なっていた。ここに主とヨナの異邦人に対する考え方に根本的な違いを見ることが出来る。主は情け深く、あわれみ深い神であり、怒るに遅く、恵み豊かであり、災いを思い直すことの出来る優しい方である(4:2後半参照)。それに反してヨナの考え方は異邦人はあくまでも異邦人であり罪ある存在と決められている。滅ぼされるべき存在なのである。それはイスラエルの歴史が異邦人との戦いの歴史であったことを考えれば、納得できることではある。主は「とうごま」の例を出し、「とうごま」を愛さない以上にニネベを愛さず、悔い改めた民すら罰することを望むヨナを批判し、もっと人を愛し、あわれみ深く、優しくあれと諭すが、ヨナの応答は無い。

 まとめ
 ヨナが罰せられたのは第一次のニベアへの派遣命令に逆らったからである。それ故の悔い改めであり、神への立ち返りであった。ヨナは変えられたのである。主はヨナを再びニネベへの派遣命令を下した。それがヨナを預言者たらしめたのである。しかしヨナはそれを理解できなかったし40日の真の意味を知ることも出来なかった。災害預言は罰する為では無く救うためだったのである。ヨナは主の災害預言を文字どおりに受け取り、それを実行しない主に不愉快の念を現し怒ったのである。
ヨナの中には2つの価値観があった。神は絶対的善であり、異邦人は絶対的悪であるというものである。ヨナの立場からすれば絶対的悪は絶対的善によって滅ぼされねばならない。しかし主はこの絶対的悪(異邦人ニベア)を赦している。本来なら、絶対的悪は悔い改めなどしない筈である。ここにヨナの信仰の誤りを見る。ここではヨナは主に立ち返ることなく、ニネベの悪を赦した主に対して怒り、不愉快の念を露わにしている。ここに主とヨナの間に横たわる超えることの出来ない壁を感じるのである。この壁は今日まで続いており、旧約聖書と新約聖書を隔てる壁になっている。
平成30年2月13日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会

オバデヤ書 エドムの滅亡

2018年02月04日 | Weblog
オバデヤ書 エサウの子孫=エドムの滅亡

  はじめに
 旧約聖書には2つの系統が存在する。それは主の計画を遂行する系統と、これを妨げようとする反ユダヤ=反キリストの系統である。オバデヤ書でエドムが選ばれたのは反ユダヤのルーツと見做されたからである。この反ユダヤの系統を遡ると、創世記の中にその起源を見ることが出来る。それは、カイン、イシュマエル、エサウ(=エドム)の系統である。これは正統に対する異端である。この両者の葛藤によって聖書は成り立つ。

  オベデヤ書の特徴
1.旧約聖書中最も短い書である
2.作者:オベデヤ(主のしもべという意味)
3.成立時期:バビロン捕囚期以後
4.内容:オバデヤの見た幻。エルサレム陥落時にエルサレムで語られたエドム滅亡の託宣を集めたもの。最後にエルサレムの復活が語られる。
5.内容構成:エドム滅亡の預言、主の日の到来(エドムに対する裁きとイスラエルの回復)。

 反ユダヤ主義のルーツ
 オベデヤ書を述べる前に、先に述べたように旧約聖書を貫く2つの系統を見ておきたいと思う。ここで押さえておきたいことはエドム人はヤコブの兄エサウの子孫である(創世記36:1,8~9)という事である。創世記を貫く2つの系統とは兄と弟の系統である。兄とはカイン、イシュマエル、エサウであり肉を象徴する。弟とはアベル、イサク、ヤコブの系統であり霊(心)を象徴する。彼らは兄弟でありながら対立した。

1、カイン;カインとアベルはアダムとエバノ息子である。主への捧げものを巡って二人は競い、カインは破れ、アベルを殺す(創世記4:1~8)。カインは農耕文化の代表者であり、地の産物は呪われる。この結果、カインは主に見放されみずからの手で地を耕し、町を立て、文化を創造するものとなる。そしてアベルの子孫と対立する。
2、イシュマエル:イシュマエルは、アブラハムの女奴隷ハガルの間に生まれ、正妻サラの間に生まれたイサクと対立した。使徒パウロはガラテヤ書の中で「かつて肉によって生まれたもの(イシュマエル)が、御霊によって生まれたもの(イサク)を迫害するように、今もそのようです(ガラテヤ4:29)」という。イシュマエルは今日のパレスチナ(アラブ諸国)のルーツであり、イシュマエルとイサクは同じ父から生まれながら根深い敵対関係にあった。
3、エサウ:エサウとヤコブは父イサクから生まれた双子の兄弟である。エサウが先に、ヤコブは、後に生まれた。ヤコブは父イサクをだまし、エサウの長子権を奪う。エサウは怒りヤコブを殺そうとする。ヤコブは逃走する。しかし、後に和解している。この(エサウ)系統は天にある霊的な事項を軽蔑し、将来与えられる約束よりも、現在手に入る地上的なものを重んじる性質を持っている。このエサウの子孫がエドム人となり、ヤコブに対する凶悪な存在となったのである。
 以上のように「オバデヤ書」において数ある諸国の中から特にエドムが選ばれたのは単なる偶然では無く、そこには、これしかないという必然性があった。

 オバデヤ書の荒筋 
 主は使者を諸国に送り「立ち上がり、エドムに立ち向かい戦おう」と、エドムに対して戦いを宣告する。エドムとはエサウも子孫の総称であると同時に、主に敵対する勢力、あるいは歴史における反ユダヤ主義を象徴している。主は選びの民イスラエルを攻撃するものを許すことが出来ない。主はエドムに報復する。イスラエルを攻撃する者は主を攻撃するものだからである。オベデヤ書は、エドムの滅びの預言から始まり、イスラエルの復活の預言で終わる。
 その内容
1.滅びの訪れ(1~4節)
2,滅びの現実(5~10節)
3.滅びの原因(11~14節)
4.主の日(さばき)の到来
5.主の日(救い)の到来
1、滅びの訪れ:エドムに対する「さばき」が預言され、主に対する高慢がその原因とされる。(主はエドムをあなたと呼ぶ)
2、滅びの現実:盗人だって自分の必要以外は盗まないのに、収穫時、貧しき人に落ち穂は残されるのに、それなのにあなた(エドム)には何一つ残されない。全て刈り取られる。蓄えてあったすべての宝物は奪われ、同胞にも雇われ人にも裏切られる。それに対処できる知者はいない。結局、エドムの全てのものは虐殺によって絶やされる。それは「あなたの兄弟ヤコブへの暴虐のために主の裁きが下ったのである(10節)」
3、滅びの原因:主に対する高慢は、その一つであるが、エルサレムがバビロンによって破壊された日、主はエドムに対して「~するな」「~してはならない」と訴えたにも拘らず「ただ傍観し、それを喜び、大口をたたき、財宝を略奪し、捕囚から逃れたユダヤ人を捕え、バビロンに引き渡した(11~15節参照)」だけでなくバビロンによる虐殺や破壊にも手を貨した。それが主の怒りを買った。
4、主の日は近づいた(エドムへのさばき):「あなたがしたようにあなたにもされる(15節)」」あなたへの報いは必ず訪れ、あなたは別ものに変えられる。
5、主の日は近づいた。(イスラエルの回復):エサウの家はヤコブとヨセフの家がはなった火と炎に焼きつくされ生き残る者はいなくなる。イスラエルの民は領土を回復・拡大し王権は主のものとなる。

  他の預言書の中にもエドムに対する厳しい態度を見ることが出来る
1.詩篇137篇7節:「主よエルサレムの日に『破壊せよ、破壊せよ、その基までも』と言ったエドムの子らを思い出して下さい。バビロンの娘よ、荒れ果てた者よ。お前の私たちの仕打ちを、お前に仕返しする人は、なんと幸いなことよ。おまえの子供達をとらえ、岩に打ちつけるひとは、なんと幸いなことよ」
2.イザヤ書34章5~7節:「天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。見よ、これがエドムに下り、わたしが聖絶すると定めた民の上に下るからだ。主の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。小羊や山羊の血と雄羊に腎臓の脂肪で肥えている。主がボツラでいけにえを屠り、エドムの地で大虐殺されるからだ」。
3イザヤ書34章9節:「エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わり、その地は燃えるピッチになる」。
4.エレミヤ書49章7~23節:内容的には、ほぼオバデヤ書の審判預言と同じであり、長文なので引用を省略する。ただオバデヤ書に見られるイスラエルに対する救いの預言は無い。
5.エゼキエル書25章12~14節:「神である主はこう仰せられる、エドムはユダの家に復讐を企て、罪を犯し続け、復讐をした。それで神である主はこう仰せられる。わたしはエドムに手を伸ばし、そこから人も獣も断ち滅ぼし、そこを廃墟にする。テマンからデダンに至るまで人々は剣で倒される。わたしはわたしの民イスラエルの手によってエドムに復讐する。わたしの怒りと憤りのままに彼らがエドムに事を行うとき、エドムは、わたしが復讐するということを知る」。――神である主の御告――。
6.アモス書1章11~12節:「主はこう仰せられる。エドムの犯した3つのそむきの罪、4つのそむきの罪のため、わたしはその刑罰を取り消さない。彼が剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けて、いつまでも激しい怒りを保っていたからだ。わたしはテマンに火を送ろう。火はボツラの宮殿を焼きつくす」。
7.民数記20章14~21節:モーセが出エジプトを果たし、カナンの地に向かう途中、モーセの率いるイスラエルの民がエドムの地を目前にし、この地の通過の許可をエドムに求めたがエドムはこれを拒否している。モーセはエドムの地から方向を変えて去った。これは、エドムに対する審判預言とは言えないが、その前提になっているとは言えるであろう。

  言 葉
 エドム:エサウの子孫の住む地。反ユダヤのルルーツ
 あなた:エドム人を指す。これに類する言葉エドム、エサウを合わせると34回出てくる。この事からオバデヤ書はエドムに対する審判預言であることが判る。
 心の高慢(3節):エドムの地の殆どは高地にあり、自然の要害であった。それ故、エドム人はその立地条件を誇り、「誰が私を地に引きずり下ろせようか」と神を忘れた。これに対して主は「あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き下ろす」と怒り、「私はあなたの国々の中の小さいものひどくさげすまれた者とする」。とエドムを罰する。
 逃れたもの(残されたもの):主の裁きを免れたもの、主に対し、義なるもの
 主の日:終わりのときにおける主の審判のとき
=
平成30年1月9日(火)報告者 守武 戢 楽庵会