日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

チェーホフ 『かわいい女』 その愛 2

2007年06月30日 | Weblog
 この文章はチェーホフ『かわいい女』その愛の続編である。ゆえにこの文章から読み始める人は、前の文章から読み始めてください。
 女は大地、男はそこに根をはる幹。女なしには男は存在し得ない。女は女性としての自分に誇りを持て、女性としての自分を深く愛せ、そして自信を持て。今のままであなたは美しく輝いている。男性と平等になろうと背伸びをするな!そのままで男性と平等なのだ。男とは、女とはかくあるべしと考える前に、自分の心に従え、あなたは自分の心を見ずに暮らしているのではないか?何が欲しいのか、何を求め、何が必要なのか?誰を愛しているのか?あなたの真の姿は、その中にあるのではないのか?そして愛せ!人を愛する努力をせよ!盲目的になってもいいではないか?バカな女と思われても良いのだ。それがかわいい女の条件なのだから。
 この『かわいい女』の訳者児玉宏子はそのあとがきで次のように述べている。その文章を引用することによって拙い感想を終わることにする。
 「オーレンカは心根がやさしく人を思う気持ちにあふれている。それがオーレンカの個性になるほどまでも、彼女の自我を侵食する。そうした姿がまったく見事にあざやかに描かれている。人を気づかはずにはいられない気持ち。厳しい自然の中でひとりでは決して生き抜くことの出来なかった人々。広大で一人一人の距離がどこよりも大きいロシアでは、人々の孤独もひとしおである。"山と山は出会わないが、人と人とは出会う"と言う諺通り、人は出会い、出会いは至福のひと時となり、お互いを熱く思いやることになる。……」世の女性たちよ「かわいい女」になって欲しい。

アントン・パーブロヴィチ・チェーホフ(1860~1904)
南ロシアの港町タガンローグに庶民の子として生まれる。16歳(中学時代)に家が破産、苦学を重ねる。モスクワ大学医学部に入学。在学中より家計を助けるためユーモラスな短編を多数の雑誌に発表7年間で400篇以上を発表したと言われている。文名も高まるが、安易な名声に飽きたらず、本格的な文学を目指すようになる。社会的関心も高く、結核を患いつつも社会活動や多彩な創作を展開した。『かわいい女』『カシタンカ』『ロスチャイルドのバイオリン』『大学生』『犬を連れた奥さん』『中2階のある家』『ステーピ』『サハリン島』等、人間観察に優れた短編のほか、晩年には劇作に主力を注ぎ、演劇史に残る戯曲も多い。四大戯曲として『桜の園』『三人姉妹』『かもめ』『ワーニャおじさん』等がある。鋭い視線で市井に取材し、ありふれた出来事の中に人生の深い意味を描きこみ、社会の醜さを描きながらも明るい未来を予感させる作品が多い。
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チェーホフ 『かわいい女』 その愛

2007年06月28日 | Weblog
 久しぶりにチェーホフの『かわいい女』を読み返してみた。この作品はトルストイも絶賛したと言われる小品ではあるが、その評価は2分する。ジェンダーフリーを主張する女性たちはこの作品の主人公=オーレンカを「自分を持たない常に夫や恋人の意見を受け売りするだけの、男性に隷属したバカな女」と酷評しトルストイの評価に対しては「彼は恐妻家だったからよ」と反論する。他方肯定派は「与えるだけの愛、何の打算も無く、見返りを求めず、夫や恋人の意見を自らのものにし愛情なしには一日も暮らせない神にも似た『かわいい女』」と絶賛する。
 不特定多数を視野に置くブログで筋を紹介しないのは不親切だと思うので筋を紹介するが、文庫本で20数ページの小品なので、ぜひ読んで欲しい。原作にあたらずして他人の評価に組することだけは止めて欲しい。
 下級官吏(8等官)の娘=オーレンカは誰からも愛される『かわいい女』である。夫運が悪く2度の結婚は夫の死によって消滅する。最初の夫クーキンは芝居の演出家であり、遊園地の経営者である。夫と共に芝居について語り、雨が降り続けば夫と共に怒り『私たちを殺す気か!』と嘆く。2度目の夫プストワーロフは材木商である。会う人ごとに材木のことばかり語り、芝居のことなどすっかり忘れている。材木商の死後その友人であった獣医師(妻帯者)のスミルニンを恋人にする。獣医師たちの会話に加わり、『素人は黙っていろ』と怒られれば、抱きついて許しを乞う。その恋人との別れと共に彼女は自分の意見をなくしてしまう。愛なしには生きれない「かわいい女」なのである。そして一人ぽっちになった彼女が見つけた最後の愛が獣医師夫婦から見捨てられた息子のサーシャである。彼を自分の手元に引き取り、こよなく愛する。少々疎まれようとも、うるさいおばさんとしりぞけられようとも、ただひたすら愛する。与えるだけの愛である。これまで経験することの無かった母性愛に目覚めるのである。しかし、与えれば与えられる。至福のひと時を得るのである。その後獣医師夫妻が帰ってきて息子を取り返すかもしれない。しかし、与えられた運命をそのまま神の贈りものとして積極的に肯定し、受け入れる。その姿勢こそ『かわいい女』の条件ではなかろうか?
 女性の愛らしさがデホルメされ、シンボライズされた形で見事にオーレンカに収れんされている。
この筋は、客観的なものである。しかしどちらに組しているのかと問われれば、肯定派といわれても仕方が無いであろう。感情移入がされているからである。
 さて、性差は次の2つに分類される。一つは、生物学的、先天的、身体的性差=Sexであり、もう一つは歴史的、社会的に形成された性差=Genderである。Genderfreeとは従来の固定的な性差による役割分担を廃して、男女が平等に自らの能力を生かし自由に行動し生活できることを意味している。Gennderfreeの運動とは、それを実現するための運動である。
 僕はGenderfreeの運動を否定するものではない。しかしこの運動を続けるために失ったものがあるのではなかろうか?平等を叫び、男に負けないように努力するのは良い。その為に女を捨ててはいないだろうか?もう一つの性=Sexを忘れてはいないだろうか?男はどんなにがんばっても子供を生むことは出来ない。母にはなれないのである。女には母性がある。母性愛がある。やさしさがある、可愛さがある。失ったものは、その『愛』ではなかろうか?夫に対する愛、子供に対する愛、家族に対する愛、同胞に対する愛、郷土に対する愛、国に対する愛、世界に対する愛、地球に対する愛、宇宙(神)に対する愛、それらに対する愛を失い自分ひとりの愛に生きるとき、今横行する親殺し、子殺し、夫殺し、が発生する。愛が無いから、いじめが生まれ、いじめられっこは自殺する。"愛の喪失"それが現代ではなかろうか?チェーホフの「かわいい女」はそれに警鐘を打ち鳴らす。『愛』を復活せよと!
 
 
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真実の隠蔽=自殺

2007年06月18日 | Weblog
 松岡農相が自殺した。このことにより、事務所の政治資金問題や官製談合事件で告発された独立行政法人・緑資源機構の関連団体からの献金問題は解明されないままうやむやに終わる公算が大になった。戦後多くの疑獄事件が起こったが、この場合も、責任者の自殺による真実の隠蔽が行われている。これで思い出すのが25年程前早稲田大学商学部で起こった長年に渡る不正入試問題である。このときも一人の人物が全ての真実を握ったまま自殺した。商学部に長年勤務し、その後早稲田高等学院に事務長として移動した、G元主事である。彼は商学部時代商学部の入試本部の事務責任者として活躍していた。彼の自殺により真実は闇の中に、数人の事務職員の個人的犯罪と断定され彼らの逮捕で幕引きとなった。まさにトカゲの尻尾きりである。当初学部ぐるみの組織的犯罪と思われていたがそこまで警察の手はのびることは無かった。
 時は早大創立100周年記念を向かえ盛大な祝賀行事が考えられていたときであり、さらに総長選挙を控えていた。現総長の対立候補M教授一派は商学部に潜む不正入試問題を利用することを考え、2人の商学部の事務職員を呼び、不正入試の証拠集めを命じたのである。彼らは商学部校舎の地下に保存されていた過去数年に渡る入試の答案用紙を点検し始めた。このようにして証拠を握った2人は、これを三大紙の一つM新聞にリークした。かくして新聞は連日のごとくこの記事を一面で大々的に報じた。本来なら内部的、かつ秘密裏に処理されるものであり、結果として外部に漏れたとしても、新聞にわざわざリークすべき問題ではなかったのである。そこに彼らの邪悪な意思をくみ取ることが出来る。総長選挙は対立候補M教授の敗北に終わった。理事会はおそらくこの真相を把握していたのだと思う。何人かの人間を死に追いやり、早稲田の権威をがた落ちにし、早稲田の100周年事業をムチャクチャにした人間を総長に選ぶことは無かったのである。
 時は、この事件の起こった10年程前戸山町にある文学部の校舎の横にバカでかい記念会堂が建設された。早稲田当局に何十億と言う建設資金が在るわけが無い。とうぜん財界にその資金調達を依頼したのである。財界はその見返りとして財界の子弟150人の早大入学を希望した。早大当局は断るわけにも行かず、第2商学部(当時:夜間=現在の社会科学部)を受け皿にして、裏の試験本部が秘密裏に作られたのである。この本部の事務責任者が自殺したG元主事だったのである。本来なら所期の目的を達成した段階で裏の本部は解散され関与した職員は配置転換されるべきだった。しかし組織は残った。そしてその後の不正入学の温床となったのである。裏のルートを通じて何百万と言う金が動き、不正入学が行われたのである。さらにアフターケアーが行われ、成績の改ざんまで行われたのである。不正入学者は入学から卒業まで保障されたのである。めでたしめでたし。
 かくして総長選の真相、裏口入学のルーツは何一つ明らかにされることなく、真相を握っていたG元主事の死によって真相は隠蔽され、数人の職員の個人的犯罪として処理されたのである。
 今年は、早稲田大学創立125周年(10月21日は創立記念日)である。今後の発展を早大出身者として祈るのみである。
 この物語は早大商学部の不正入学を題材にした、当時商学部に勤務していた僕の作ったフィクションである。それ故この物語に起因するいかなる問題に対して、その責任を負うものではない。
 
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油断大敵

2007年06月07日 | Weblog
 昔々まだ僕が幼かったころ、母が僕に「ウサギと亀」の話をしてくれた。おなじみの話である。足の速いウサギと遅い亀とが競争して、ウサギが途中で居眠りをして負けてしまったと言う話である。僕は疑問に思って母にたずねた。「起こしてやらなかったのはスポーツマンシップに反する行為だ」と。母は笑って「この話には後日談があるんだよ」と次のような話をしてくれた。
 負けたウサギは悔しくて悔しくてたまらなかった。本来絶対に負ける相手ではなかったからである。「居眠りしたのは悪かった。だけど何故起こしてくれなかったのか?スポーツマンシップに反するではないか?」と。この抗議は認められて、後日再試合することになった。亀は驚いた。まともにやって勝てる相手ではない。そこで作戦を考えた。特別のジュースをつくってウサギのところへ持っていった。「ウサギさんこの間は失礼しましました。お詫びのしるしに力の出るジュ-スをつくりました。試合前に飲んでください」。人(?)の良いウサギはよろこんで何の疑いも無くこのジュースを飲んだのである。
 試合は開始された。ウサギはこの間のことがあるので、絶対に居眠りはしないぞとがんばった。しかしそれにも拘らず途中でどうしようもなく眠くなったのである。またまた居眠りをしてしまった。亀が追いつき、にやりとした。「ウサギさんウサギさん起きてください、試合中ですよ」と何度も何度も体をゆすって起こそうとした。しかしぐっすりと眠っていて起きようとしない。目撃者がいることを確かめて、仕方なしに?亀はその場を離れた。またまた亀が勝ってしまった。目撃者の証言もあり、しかも「2度も居眠りするとは何事か」と、今度は亀の勝利が認められたのである。亀は大喜びし、ウサギはしょんぼりした。
 この話をし終わって母は僕に話してくれた。「この話は決してスポーツマンシップをすすめる話ではなく、油断すれば、足の速いウサギでも遅い亀に負けてしまうと言う、油断大敵について語ったお話なんだよ」「ある場合には勝つための策略も必要なんだよ」と
 人生とは決してキレイ事ではすまないようだ。
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