今年の最後を飾って、サン=デグジュペリ(写真)の『星の王子さま』を取り上げる。今は夢のない時代だと言われている。先日、子供に『お月様にはウサギが住んでいて、餅つきをしているんだよ』と話したところ、『月探査ロケットが月に着陸して、月には生物がいないことが分かったんだよ』と笑われてしまった。ひっぱたいてやろうかと思った。そんな子供には『星の王子さま』なんて世迷いごとと一蹴されてしまうであろう。それはとても悲しいことである。夜空に輝く星に感動し、その沢山の星の一つに自分の願いや、希望があると信じ、なくなったおばーさん、おじいさん、お母さん、お父さん、お兄さんなどの魂が天に昇ってわれわれを見守っているんだと思い心を慰めることは、彼らにはないのであろうか?しかし、大部分の子供たちはそうではないと信じたい。美しい自然、芸術、物、人に触れ、感動する心、涙する心、そんな感受性の強さをもっていると信じたい。
大人になれば、さまざまな煩悩に隠されてしまって、「一番大切なことは見えなくなって」いるが、新しい年を迎えるにあたって、仕事への悩み、苦しみ、恋の淋しさ、喜び、人への憎しみ、友人との軋轢、富や地位や名誉への憧れ、その他もろもろの煩悩を一つ一つ取り去って、素直になって自分を見つめ直し、本来の自分に帰って欲しい。子供の心に帰って欲しい。それが小我(煩悩)を捨てて大我(無我=神)に就くことだと思う。そうすれば、金色に揺れる麦畑や、かぐわしく良い香りが匂うお花畑や、水平線の彼方に沈む夕日や、無限に広がる夜空に輝く星たちを眺め、その美しさに感動し、涙することが出来るであろう。このとき、今まで見えなかった一番大切なものが見えてくる。あなたの心の奥底に潜む真実が見えてくる。それは決して人の羨む富や地位や名誉ではない。そんなものは、はかなく、長続きするものではない。それが分かれば、どんなに心が慰められ、生きていく力を与えられるであろうか。それをを与えてくれるのが、サン=デグジュペリの『星の王子さま(Le Petit Prince=小さな王子さま=フランス語)』なのである。
6年前、ぼく(作者の分身)は自分の操縦する飛行機がサハラ砂漠に不時着し、飛行機の修理をしているときに、夕日の大好きな星の王子さまに会ったのである。
星の王子さまは自分の星に住むバラの花の愛情を誤解し、いさかいを起こし、自分の星を離れた。そして6つの星を歴訪して、7番目の星として地球にやって来たのである。
一番目の星には王様が住んでいた。王は「権威は何よりも道理にもとづくものだ」と言いながら、王子がこの国を去りたいというとこれを拒否する。「誰もが必ず従う事をお望みなら、陛下はぼくに道理にもとづいた命令をお出しになれば良いのです。たとえば一分以内に出発せよ」と。そしてこの星を去っていく。「大人って変わっているな」王子は旅を続けながらつぶやくのである。
二番目の国には大物気取りの男が住んでいた。大物気取りの男にとって、人は皆彼を称賛する存在なのだ。王子は言う「称賛するよ」「でも、どうしてそんなことが面白いの」そして王子はこの国をあとにした。「大人ってやっぱり変だ」王子は素直にそう思った。
三番目の星には酒びたりの男が住んでいた。「どうして飲んでいるの」王子はたずねた。「忘れるために」「恥じているのを忘れるために」酒びたりの男は答えた。「何を恥じているの」王子はたずねた。「飲むことを恥じている!」まさに循環論、そこに解決はない。「大人ってやっぱりすごく変だ」旅を続けながら王子は思った。
四番目の星には実業家が住んでいた。計算だけが生きがいで「管理する、数を数え、また数えなおす」「難しい仕事だ。でも私は有能な人間だからな!」人々に夢を見させる星に対しては「――私は有能な人間だからな!夢など見てるひまはない」。しかし王子は、有能であること、大事なことについて、大人たちとはとても違った考えをもっていた。「ぼくは花の持ち主だったから、毎日水をやっていた。三つの火山の持ち主だったから、毎週煤のそうじをしていた。火の消えたのもそうじしていた。用心にこしたことはないからね、だから火山にとっても、花にとっても、ぼくが持ち主で、役に立っていた。でもあなたは星の役に立っていない」「自分の利益だけだ」「大人ってやっぱりまったくどうかしているな」王子は旅をしながら素直にそう思った。
五番目の星はどこよりも小さかった。そこにはガス灯一本と、それに火を灯す点灯人が一人住んでいた。王子はこの人とだけはお友達になれそうに思った。「この人がガス灯を灯すと、まるでもう一つ星が生まれ出るみたいだ。花が開くみたいだ。そうして消すと、花は眠る。星が眠る。とっても素敵な仕事だ。素敵だって事は、役に立っていることだ」「そして彼は自分以外のことを一生懸命やっている。しかし残念ながらお友達になれない。この星は小さすぎて二人分の場所は存在しないからだ」。「もう一つ残念な事は、この星は毎年自転が早くなり24時間に1440回も夕日が見られるのにそれを見られない事だ」。残念そうにため息をついて王子はまた旅を続けた。
六番目の星には地理学者が住んでいた。地理学者のくせに、この立派な星に大きな海があることも、街や川や砂漠があることも分からないと言う。この地理学者は自分で歩くのではなくて、ずっと研究室にいて、探検家や調査隊の話を聞いて、それをまとめるのだと言う。どこかの国の学者にもそんなのがいる。外国文献の翻訳だけが学者の本分だと思っている。そこには自分自身はない。語学力だけあればそれで事が足りる。あなた任せの気楽な商売である。
ここには子供の目から見た大人の世界のばかばかしさ、おろかさがあり、現代文明に対する風刺がある。それがシンボライズされた形で語られている。これら6つの星の住人は自分では極めて重要で大切なことと思っていても、汚れのない純真な王子の目から見れば重要でも、大切でも、面白くもない。ましてや美しくもない。こっけい、かつ退屈なだけである。そこには夢も希望もない。ただ生活にあくせくしている姿があるだけである。人生にとって一番大切なものは彼らの目には見えていない。
そして七番目に王子が来たのが地球である。僕と王子は出会い、交流が始まる。さて、この物語のテーマ「人生にとって一番大切なことであっても、見ることの出来ないもの」とは何であろうか?作者は心の目で見ろという。
心に強く刻まれるキツネの言う「なつく」と「絆」と言う言葉。これこそ人と人とをきつく結びつけるものなのである。王子とバラの花との切ない関係。お互いに愛していながら誤解ゆえにその真実の愛を見極めることなく別れてしまった王子とバラの花。王子は多くの美しいバラに囲まれ,心の動揺を感じながらも、結局、別れてきた一輪のバラの花の中にその真実の愛を見出す。そこには一輪のバラに費やし、愛を育んだ貴重な時間がある。そして言う「ねー、――ぼくの花――ぼくはあの花に責任があるんだ!それにあの花、ほんとうに弱いんだもの!ものを知らないし、世界から身を守るのに、何の役にも立たない4つのとげしかもっていないし――」「そんな弱いバラをたった一人、星に残してきた」王子が不在の間にバラの花は羊に食べられてしまうかもしれない。この愛しいバラを自分が守らずして誰が守るんだ、と王子は自分の星に帰る決心をする。
真実の愛に目覚め安心して眠りについている王子をぼくは抱きしめ、「小さな王子さまを見て、こんなにも胸がいっぱいになるのは王子さまに、一輪の花に対する誠実があるからだ。王子さまの中に眠っていても、なおランプの炎のように光っているのはそのバラの花の面影なんだ」と。そして砂漠の中のオアシスにたどり着く。
王子は別れに際してぼくに話してくれた。「夜になったら星を見てね。ぼくの星は小さ過ぎて、どこにあるか教えられないけれど。でもそのほうがいいんだ。ぼくの星は、夜空いっぱいの星の中の、どれか一つになるものね。そうしたら君は、夜空全部の星を見るのが好きになるでしょ――全部の星が君のお友達になるでしょ――」と。そしてぼくの知らない間に王子は地球を去っていった。
砂漠の中で命を守り、のどの渇きを癒すオアシス。それは神が人間に与えた愛である。満点の大空に輝く、何億もの星の中に潜む一本のバラの咲く小さな星。それはひとがひとに与える愛なのだ。
神に対する信仰と、人に対する愛、それをあなたの心の中に持って欲しい。それこそ、人生において一番大切なもであっても、見ることの出来ないものなのだ。
この「星のお王子さま」は世界中の言葉に訳され、60年にわたって読み継がれてきた宝石のような物語である。愛らしくシンプルな挿絵に彩られた童話ではあるが、大人のためのファンタジーでもある。サン=デグジュペリは作家でありかつ飛行士でもあった。1945年偵察飛行に飛び立ったまま2度と戻らなかった。44歳だった。おそらく「星の王子さま」を求めて宇宙の彼方に飛び去ったのであろう。
大人になれば、さまざまな煩悩に隠されてしまって、「一番大切なことは見えなくなって」いるが、新しい年を迎えるにあたって、仕事への悩み、苦しみ、恋の淋しさ、喜び、人への憎しみ、友人との軋轢、富や地位や名誉への憧れ、その他もろもろの煩悩を一つ一つ取り去って、素直になって自分を見つめ直し、本来の自分に帰って欲しい。子供の心に帰って欲しい。それが小我(煩悩)を捨てて大我(無我=神)に就くことだと思う。そうすれば、金色に揺れる麦畑や、かぐわしく良い香りが匂うお花畑や、水平線の彼方に沈む夕日や、無限に広がる夜空に輝く星たちを眺め、その美しさに感動し、涙することが出来るであろう。このとき、今まで見えなかった一番大切なものが見えてくる。あなたの心の奥底に潜む真実が見えてくる。それは決して人の羨む富や地位や名誉ではない。そんなものは、はかなく、長続きするものではない。それが分かれば、どんなに心が慰められ、生きていく力を与えられるであろうか。それをを与えてくれるのが、サン=デグジュペリの『星の王子さま(Le Petit Prince=小さな王子さま=フランス語)』なのである。
6年前、ぼく(作者の分身)は自分の操縦する飛行機がサハラ砂漠に不時着し、飛行機の修理をしているときに、夕日の大好きな星の王子さまに会ったのである。
星の王子さまは自分の星に住むバラの花の愛情を誤解し、いさかいを起こし、自分の星を離れた。そして6つの星を歴訪して、7番目の星として地球にやって来たのである。
一番目の星には王様が住んでいた。王は「権威は何よりも道理にもとづくものだ」と言いながら、王子がこの国を去りたいというとこれを拒否する。「誰もが必ず従う事をお望みなら、陛下はぼくに道理にもとづいた命令をお出しになれば良いのです。たとえば一分以内に出発せよ」と。そしてこの星を去っていく。「大人って変わっているな」王子は旅を続けながらつぶやくのである。
二番目の国には大物気取りの男が住んでいた。大物気取りの男にとって、人は皆彼を称賛する存在なのだ。王子は言う「称賛するよ」「でも、どうしてそんなことが面白いの」そして王子はこの国をあとにした。「大人ってやっぱり変だ」王子は素直にそう思った。
三番目の星には酒びたりの男が住んでいた。「どうして飲んでいるの」王子はたずねた。「忘れるために」「恥じているのを忘れるために」酒びたりの男は答えた。「何を恥じているの」王子はたずねた。「飲むことを恥じている!」まさに循環論、そこに解決はない。「大人ってやっぱりすごく変だ」旅を続けながら王子は思った。
四番目の星には実業家が住んでいた。計算だけが生きがいで「管理する、数を数え、また数えなおす」「難しい仕事だ。でも私は有能な人間だからな!」人々に夢を見させる星に対しては「――私は有能な人間だからな!夢など見てるひまはない」。しかし王子は、有能であること、大事なことについて、大人たちとはとても違った考えをもっていた。「ぼくは花の持ち主だったから、毎日水をやっていた。三つの火山の持ち主だったから、毎週煤のそうじをしていた。火の消えたのもそうじしていた。用心にこしたことはないからね、だから火山にとっても、花にとっても、ぼくが持ち主で、役に立っていた。でもあなたは星の役に立っていない」「自分の利益だけだ」「大人ってやっぱりまったくどうかしているな」王子は旅をしながら素直にそう思った。
五番目の星はどこよりも小さかった。そこにはガス灯一本と、それに火を灯す点灯人が一人住んでいた。王子はこの人とだけはお友達になれそうに思った。「この人がガス灯を灯すと、まるでもう一つ星が生まれ出るみたいだ。花が開くみたいだ。そうして消すと、花は眠る。星が眠る。とっても素敵な仕事だ。素敵だって事は、役に立っていることだ」「そして彼は自分以外のことを一生懸命やっている。しかし残念ながらお友達になれない。この星は小さすぎて二人分の場所は存在しないからだ」。「もう一つ残念な事は、この星は毎年自転が早くなり24時間に1440回も夕日が見られるのにそれを見られない事だ」。残念そうにため息をついて王子はまた旅を続けた。
六番目の星には地理学者が住んでいた。地理学者のくせに、この立派な星に大きな海があることも、街や川や砂漠があることも分からないと言う。この地理学者は自分で歩くのではなくて、ずっと研究室にいて、探検家や調査隊の話を聞いて、それをまとめるのだと言う。どこかの国の学者にもそんなのがいる。外国文献の翻訳だけが学者の本分だと思っている。そこには自分自身はない。語学力だけあればそれで事が足りる。あなた任せの気楽な商売である。
ここには子供の目から見た大人の世界のばかばかしさ、おろかさがあり、現代文明に対する風刺がある。それがシンボライズされた形で語られている。これら6つの星の住人は自分では極めて重要で大切なことと思っていても、汚れのない純真な王子の目から見れば重要でも、大切でも、面白くもない。ましてや美しくもない。こっけい、かつ退屈なだけである。そこには夢も希望もない。ただ生活にあくせくしている姿があるだけである。人生にとって一番大切なものは彼らの目には見えていない。
そして七番目に王子が来たのが地球である。僕と王子は出会い、交流が始まる。さて、この物語のテーマ「人生にとって一番大切なことであっても、見ることの出来ないもの」とは何であろうか?作者は心の目で見ろという。
心に強く刻まれるキツネの言う「なつく」と「絆」と言う言葉。これこそ人と人とをきつく結びつけるものなのである。王子とバラの花との切ない関係。お互いに愛していながら誤解ゆえにその真実の愛を見極めることなく別れてしまった王子とバラの花。王子は多くの美しいバラに囲まれ,心の動揺を感じながらも、結局、別れてきた一輪のバラの花の中にその真実の愛を見出す。そこには一輪のバラに費やし、愛を育んだ貴重な時間がある。そして言う「ねー、――ぼくの花――ぼくはあの花に責任があるんだ!それにあの花、ほんとうに弱いんだもの!ものを知らないし、世界から身を守るのに、何の役にも立たない4つのとげしかもっていないし――」「そんな弱いバラをたった一人、星に残してきた」王子が不在の間にバラの花は羊に食べられてしまうかもしれない。この愛しいバラを自分が守らずして誰が守るんだ、と王子は自分の星に帰る決心をする。
真実の愛に目覚め安心して眠りについている王子をぼくは抱きしめ、「小さな王子さまを見て、こんなにも胸がいっぱいになるのは王子さまに、一輪の花に対する誠実があるからだ。王子さまの中に眠っていても、なおランプの炎のように光っているのはそのバラの花の面影なんだ」と。そして砂漠の中のオアシスにたどり着く。
王子は別れに際してぼくに話してくれた。「夜になったら星を見てね。ぼくの星は小さ過ぎて、どこにあるか教えられないけれど。でもそのほうがいいんだ。ぼくの星は、夜空いっぱいの星の中の、どれか一つになるものね。そうしたら君は、夜空全部の星を見るのが好きになるでしょ――全部の星が君のお友達になるでしょ――」と。そしてぼくの知らない間に王子は地球を去っていった。
砂漠の中で命を守り、のどの渇きを癒すオアシス。それは神が人間に与えた愛である。満点の大空に輝く、何億もの星の中に潜む一本のバラの咲く小さな星。それはひとがひとに与える愛なのだ。
神に対する信仰と、人に対する愛、それをあなたの心の中に持って欲しい。それこそ、人生において一番大切なもであっても、見ることの出来ないものなのだ。
この「星のお王子さま」は世界中の言葉に訳され、60年にわたって読み継がれてきた宝石のような物語である。愛らしくシンプルな挿絵に彩られた童話ではあるが、大人のためのファンタジーでもある。サン=デグジュペリは作家でありかつ飛行士でもあった。1945年偵察飛行に飛び立ったまま2度と戻らなかった。44歳だった。おそらく「星の王子さま」を求めて宇宙の彼方に飛び去ったのであろう。