被差別の存在を無視してこの作品「破壊」について語ることは出来ない。
被差別とは、近世の封建的身分制度の中で、その最下位の地位に置かれていた、の類を主要部分とするを先祖とする人々のうち、現在なお、旧身分の残滓に災いされ、苦しめられている人々が集中的に居住している区域を指している。その職業もさまざまで、主に士農工商以外の職業に従事するものが多く、たとえば、刑場で刑死した罪人の死体処理、場での牛の撲殺人、関連した皮なめし業、雑多な芸能人、春を売る女等々、今でいう3k(きつい、汚い、危険)の職に従事していた。そして、その職業、長年の差別からくる内の貧困、無知、不潔、暴力の広がりに対する社会的偏見は強く差別を助長していた。一方、差別され、捨てられたものという意識は彼らには強く、共同体的結束は固かった。
明治後期、被差別に生まれた主人公瀬川丑松は、「自分がであることを、いかなる理由があろうとも、いかなる人に対しても決して明かすな、もしこの戒めを忘れ、その身分を告白したら、その時こそ世の中から捨てられると思え」という父よりの戒めを頑なに守って育ってきた。
師範学校を優秀な成績で卒業して小学校の教師になった丑松は教育熱心な教育家であった。それ故に生徒から慕われ、よき同僚にも恵まれ、教師生活を満喫していた。そして今は零落しているものの元士族であり先輩教師,風間敬之進の娘お志保に恋をしていた。さらに、同じ被差別出身の解放運動家であり、著述家でもある猪子連太郎に私淑していた。彼はその著「懺悔禄」の中で「我はなり」とその身分を公然と明らかにし各地をめぐり解放運動を展開していた。そして丑松はその彼に会い、その考えに感動し、尊敬の念を深くする。しかし、丑松はへの差別の実態、その生活を見て、次第にその性格は暗くなり物思いにふけるようになる。この作品は、丑松とお志保の恋、猪子連太郎との触れ合いという2つの流れの中で展開する。丑松は猪子連太郎にだけはその出生の秘密を明らかにし、その苦しみを共有し、心の苦悩から解放されたいと思っていた。しかしその度に父からの戒めの言葉が聞こえてくる。その想いは揺れにゆれ、苦悩する。結局その想いは達成されないうちに猪子連太郎は暴漢の手にかかり殺される。学校では丑松はだという噂が流れる。猪子連太郎の横死の衝撃と、同僚の猜疑心の眼差しに耐え切れず、丑松は生徒の前で自分の身分を明らかにし、床に土下座をして謝罪する。父からの戒律を破ったのである(破戒)。予想に反して一部を除いて周囲の反応は好意的であった。お志保も決して彼を見下したりはしなかった。身分を隠していたことは例え悪でああっても、であることを恥じることはないからだ。
身分を明らかにすることにより、丑松は心の苦悩からは開放された。しかしとして生きなければならない。生徒の前で土下座し、恋人お志保と一度は別れを決意する。お志保は元士族の娘である。昔なら結婚はおろか、傍にも寄れなかった身分上の格差がある。すでにそこにはとして生きざるを得なくなった丑松の卑屈さがある。学校からは休職という名の追放が行われる。法や制度がが教師になることを禁じているのではない。法のもとでは全ての民は平等になってはいる。しかし、人や世間がそれを許さないのだ。が教師の学校には子供を登校させないという。父からの「自分の身分を明かすな」と言う、戒めの言葉の、重さが身にしみる。
このとき丑松には3つの選択肢しか許されていない。一つはという身分に忍従し、世間の圧力に耐えて生きる道であり、もう一つは猪子連太郎のように解放運動家として、世間の偏見を正す道である。そして最後は第三の道である。
丑松は第3の道を選ぶ。同じであるお大尽(大金持ち)大日向の要請を受けてお志保と共にテキサス行きを決心する。個人的な心の解放の中に逃げ込んでしまう。
島崎藤村の「破戒」には、夏目漱石の作品には見られなかった新しいキャラクター=猪子連太郎が登場する。彼は自分には何一つ責任がないのにであるということだけで差別する世間に対して敢然と立ち向かう。
昭和初年代のプロレタリア文学活動の指導者的存在であった蔵原惟人は、この「破戒」を「下層社会」を代表する社会的抵抗の声と捉え、プロレタリア文学が継承すべき文学的遺産と評価している。
「破戒」には二つの開放がある。一つは戒律からの開放であり、あくまでも個人的なものである。二つ目は被差別に対する社会的な解放である。個人的な心の苦悩からの解放を行った丑松は、本来なら猪子連太郎と同じ社会解放の道に進むべきだったのである。人間の自由の実現のためには、それを外から規制する壁との対決が必要になるからである。
この作品「破戒」は社会小説か、自己告発の書か?議論はさまざまある。戒律という言葉を辞書で引いてみると、「僧、聖職者が守らねばならぬ宗教上の規律」とある。広げて考えれば人間を外から律し支配するものと解釈できる。「自分の身分を隠せ」も戒律ならば、「社会的差別」もまた戒律であり、人間を支配する。破戒とはこの両者から自由になることである。丑松をテキサスに逃がしてしまったことには不満は残るが、藤村は猪子連太郎の中に将来の夢を託していたのかもしれない。
基本は人に対する愛である。愛なくして、どんなに制度を変えても、戒律を変えてもあまり意味はない。社会的差別を変えるものは、結局は人に対する愛である。藤村が一義的なものとして、愛を置いたのはこの観点からであろう。
被差別とは、近世の封建的身分制度の中で、その最下位の地位に置かれていた、の類を主要部分とするを先祖とする人々のうち、現在なお、旧身分の残滓に災いされ、苦しめられている人々が集中的に居住している区域を指している。その職業もさまざまで、主に士農工商以外の職業に従事するものが多く、たとえば、刑場で刑死した罪人の死体処理、場での牛の撲殺人、関連した皮なめし業、雑多な芸能人、春を売る女等々、今でいう3k(きつい、汚い、危険)の職に従事していた。そして、その職業、長年の差別からくる内の貧困、無知、不潔、暴力の広がりに対する社会的偏見は強く差別を助長していた。一方、差別され、捨てられたものという意識は彼らには強く、共同体的結束は固かった。
明治後期、被差別に生まれた主人公瀬川丑松は、「自分がであることを、いかなる理由があろうとも、いかなる人に対しても決して明かすな、もしこの戒めを忘れ、その身分を告白したら、その時こそ世の中から捨てられると思え」という父よりの戒めを頑なに守って育ってきた。
師範学校を優秀な成績で卒業して小学校の教師になった丑松は教育熱心な教育家であった。それ故に生徒から慕われ、よき同僚にも恵まれ、教師生活を満喫していた。そして今は零落しているものの元士族であり先輩教師,風間敬之進の娘お志保に恋をしていた。さらに、同じ被差別出身の解放運動家であり、著述家でもある猪子連太郎に私淑していた。彼はその著「懺悔禄」の中で「我はなり」とその身分を公然と明らかにし各地をめぐり解放運動を展開していた。そして丑松はその彼に会い、その考えに感動し、尊敬の念を深くする。しかし、丑松はへの差別の実態、その生活を見て、次第にその性格は暗くなり物思いにふけるようになる。この作品は、丑松とお志保の恋、猪子連太郎との触れ合いという2つの流れの中で展開する。丑松は猪子連太郎にだけはその出生の秘密を明らかにし、その苦しみを共有し、心の苦悩から解放されたいと思っていた。しかしその度に父からの戒めの言葉が聞こえてくる。その想いは揺れにゆれ、苦悩する。結局その想いは達成されないうちに猪子連太郎は暴漢の手にかかり殺される。学校では丑松はだという噂が流れる。猪子連太郎の横死の衝撃と、同僚の猜疑心の眼差しに耐え切れず、丑松は生徒の前で自分の身分を明らかにし、床に土下座をして謝罪する。父からの戒律を破ったのである(破戒)。予想に反して一部を除いて周囲の反応は好意的であった。お志保も決して彼を見下したりはしなかった。身分を隠していたことは例え悪でああっても、であることを恥じることはないからだ。
身分を明らかにすることにより、丑松は心の苦悩からは開放された。しかしとして生きなければならない。生徒の前で土下座し、恋人お志保と一度は別れを決意する。お志保は元士族の娘である。昔なら結婚はおろか、傍にも寄れなかった身分上の格差がある。すでにそこにはとして生きざるを得なくなった丑松の卑屈さがある。学校からは休職という名の追放が行われる。法や制度がが教師になることを禁じているのではない。法のもとでは全ての民は平等になってはいる。しかし、人や世間がそれを許さないのだ。が教師の学校には子供を登校させないという。父からの「自分の身分を明かすな」と言う、戒めの言葉の、重さが身にしみる。
このとき丑松には3つの選択肢しか許されていない。一つはという身分に忍従し、世間の圧力に耐えて生きる道であり、もう一つは猪子連太郎のように解放運動家として、世間の偏見を正す道である。そして最後は第三の道である。
丑松は第3の道を選ぶ。同じであるお大尽(大金持ち)大日向の要請を受けてお志保と共にテキサス行きを決心する。個人的な心の解放の中に逃げ込んでしまう。
島崎藤村の「破戒」には、夏目漱石の作品には見られなかった新しいキャラクター=猪子連太郎が登場する。彼は自分には何一つ責任がないのにであるということだけで差別する世間に対して敢然と立ち向かう。
昭和初年代のプロレタリア文学活動の指導者的存在であった蔵原惟人は、この「破戒」を「下層社会」を代表する社会的抵抗の声と捉え、プロレタリア文学が継承すべき文学的遺産と評価している。
「破戒」には二つの開放がある。一つは戒律からの開放であり、あくまでも個人的なものである。二つ目は被差別に対する社会的な解放である。個人的な心の苦悩からの解放を行った丑松は、本来なら猪子連太郎と同じ社会解放の道に進むべきだったのである。人間の自由の実現のためには、それを外から規制する壁との対決が必要になるからである。
この作品「破戒」は社会小説か、自己告発の書か?議論はさまざまある。戒律という言葉を辞書で引いてみると、「僧、聖職者が守らねばならぬ宗教上の規律」とある。広げて考えれば人間を外から律し支配するものと解釈できる。「自分の身分を隠せ」も戒律ならば、「社会的差別」もまた戒律であり、人間を支配する。破戒とはこの両者から自由になることである。丑松をテキサスに逃がしてしまったことには不満は残るが、藤村は猪子連太郎の中に将来の夢を託していたのかもしれない。
基本は人に対する愛である。愛なくして、どんなに制度を変えても、戒律を変えてもあまり意味はない。社会的差別を変えるものは、結局は人に対する愛である。藤村が一義的なものとして、愛を置いたのはこの観点からであろう。