イサク★約束の子
イサクは創世記に登場する人物で、イスラエルの族長の一人である。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨハネとイスラエルの歴史はその血筋に従って継続していく。創世記はヨハネの物語で終わる。次に現れるのはモーゼであるが、モーゼについては項が改まって、「出エジプト」より始まる。モーゼはアブラハムの血筋ではない。このように「創世記」は神による天地創造から始まりヨハネを持って終わるのであるが、天地創造を除けば一つの家庭小説を読んでいるようである。あまりに人間臭い。醜い骨肉の争いがあり、偏愛があり、妬みがあり、偽計があり、同性愛があり、権力へのすり寄りがあり、部族間の争いもある。そこにあるのは人間の弱さである。聖書はその弱さを否定しない。事実を事実として述べている。そこに神がいなかったら、まさにこの世は闇である。だから神は人と契約を結び、正しい方向に人を導いていく。契約を前にして「我が前で完全であれ」、と説く。ある場合にはこれを滅ぼす。
イサクの誕生
イサクはアブラハム100歳、サラ90歳の時に生まれた唯一の嫡子である。神がアブラハムに汝の妻サラに子を授けると預言したとき、アブラハムもサラも笑ってこれを信じなかった(創世記18章12節)。あまりにも歳をとり過ぎていたからである。サラにはすでに女性に特有のものは無かった。しかし、神に不可能な事は無い。サラは身ごもり男子を産む。神はこの子を「イサク」と名付けよと命ずる。アブラハムはこれに従う。イサクとはアラビア語で「彼は笑う」という意味である。神は二人の不信心をからかったのである。イサクは子孫増大のために神によって与えられた「約束の子」となった(創世記17章19節)。
イサクの燔祭
イサクの子孫からイスラエルの歴史は始まる。アブラハムの祖先はノアでありノアの祖先はアダムである。人類の歴史はアブラハムの出現をもってイスラエルの歴史へと転化する。これが旧約聖書である。
イサクはアブラハムや他の族長たちと違って比較的穏やかな一生を終えている。敢えて事件を取り上げるとすれば、神がアブラハムに与えた燔祭であろう。これについては前項で既に述べたので、ここでは述べない。神はアブラハムに試練を課し、わが子すら神にささげようとしたアブラハムの信仰心の深さに感動し、その子孫の増大繁栄を保証し、アブラハムとの契約を確認する。
サラの死
イサクの燔祭の後アブラハムの正妻であるサラは127歳で没する。アブラハムは,寄留地であるカナンの地に銀400シュケルで土地を買い、その洞穴を墓地とし、サラを葬る。後に、アブラハムもイサクも、ヤコブもこの墓に葬られる。
イサクとリベカの結婚
イサクは成人して嫁取りの季節になった。アブラハムは、異教徒の多く住むカナンの地で嫁をとることを望まなかった。そこで、しもべに、命じて、故郷のハランに出かけ、そこで嫁取りをして来いと命じる。しもべは、リベカと云う美しい、まだ男を知らぬ、生娘を探し当て、これをイサクの嫁の候補として申し込みをする。リべカは、これを承諾する。リベカはアブラハムの父テラの三人の息子の一人、次男のナホルと、三男のハランの娘ミルカの間に生まれたべトエルの娘であった。同族であり、同じ神をあがめる信者であってみれば、文句は無かった。しもべはリベカをイサクの待つハランに連れ帰る。イサクは彼女を天幕の中に導き入れた。こうして彼女は彼の妻となった。アブラハムもこれを嫁と認めたのである。母、サラの亡き後も、イサクは彼女の中に愛と、慰め得たのである。イサクの嫁取りの話は創世記24章に詳しく述べられている。
アブラハムの死
イサクが嫁取りをした後、アブラハムは再び妻を迎えた。いい歳をしてようやるよう、と云いたい。妻の名はケトラ、6人の子をうむ。孫まで出来た。アブラハムの生涯年は175年であった。死を前にして自分の所有するもの全てをイサクに与えた。アブラハムは老いて、満ち足りて安らかな老年を迎え、息を引き取って死んだ。サラの眠る墓に共に眠る。二人の息子、イサクとイシュマエルが見取ったのである。
イサクの息子エサウとヤコブ(双子)の誕生
イサクの妻リベカはサラと同様、石女(うまずめ)であった。そこでイサクは神に祈る。神はその願いを聞き入れた。リベカは身ごもり、双子の男子を産む。兄=エサウと弟=ヤコブである。イサクはエサウを愛し、リベカはヤコブを愛した。リべカのヤコブに対する偏愛から後に大きな災厄を生む。イサクは歳老い、目を患いヤコブをエサウと間違え、彼に長子権を与えてしまう。兄弟の間に溝が出来る。それについては項を改めて述べる。
イサクの権力へのすり寄り
アブラハムの時代に生じた飢饉が、再び、イサクの住む土地を襲う。しかし、神はアブラハムがしたようにイサクがエジプトに下る事を許さなかった。そこにはアブラハムとの間の契約があったからである。それ故、イサクはペリシテ人の王=アビメレクを頼ってゲラルに赴いた。イサクはゲラルの地の、寄留者となった。イサクはこの地で、リベカを妹と偽る。サラがアブラハムの父=テラの異母妹であったのと異なって、明らかに偽りである。アビメレクはその偽りを知り怒りをあらわにする。そして問う『なぜ妹と偽ったのか?』と。イサクは応える『私は彼女の故に死ぬかもしれないと思ったのです(創世記26章9 節)』と。アビメレクはそれ故には、彼をこの地から追放する事は無かった。「アビメレクは民全員に命じて云った『この男と彼の妻に手出しするものは、死をもって処せられる』(創世記26章11節)」と。イサクはこの地で富み栄え、強大な力を得る。その為、住民のねたみに会い、それ故に追放される。アブラハムとイサクは、共に寄留地において、自分の身を守るために、自分を殺すものが無いように、自分の妻を妹と云ったのである。ここには権力に擦り寄る姿があると同時に、人間としての弱さが表現されている。
創世記に登場する人はみな弱い。アダムとエバは蛇に騙されて、禁断の実を食するし、アダムとエバの子カインはその弟アベルを妬みから殺害する。そして、アブラハムとイサクである。イサクの子にヤコブとエサウと云う双子の息子がいる。ヤコブはイサクの妻リベカに唆されて、エサウから、その長子権を奪う。ヤコブの息子にヨセフがいる。ヤコブは殊の外ヨセフを愛する。それ故にヨセフの他の兄弟から妬まれ、エジプトに売られる。と、まあぁ創世記に現れる人物は余りにも人間臭い。人間的な弱さを露わにする。だから神は人に云う。「自分の前で完全であれ」と。そしてその限りにおいて、子々孫々の繁栄を約束する。この契約はモーゼの出現をもって完成する。それが十戒である。この十戒は個人が一人ずつ守るべき戒であると同時に、深く民族共同体とかかわる戒でもある。少し先走ってしまった。話をもとにもどそう。
井戸の確保
水は、人々が生活を営む上で欠かせないものである。古来より水を得るために様々な努力、争いがなされて来た。日本のように豊かな水に恵まれている国と違って、砂漠に囲まれた中東においては、水の確保は死活問題である。住民は井戸を掘る。その井戸を中心に生活が営まれるのである。ゲラルを追放されたイサクは水を求める。牧畜をするにしても、農耕をするにしても水は無くてはならない。寄留地と云うからには、暫時、生活する場であろう。天幕を張り、牧畜を営み、しかる後、牧草を求めて移動する。聖書には、水を求めてゲラルの牧者と争うイサク一族の姿が描かれている。争いの後、争うことのない井戸を掘りあてる(創世記26章15節~22節)。神はイサクの前に現れ。アブラハムとの契約を確認する。イサクは祭壇を築き神の名を呼び、そこに天幕を張った(創世記26章23節~25節)。天幕とは一時的に生活する場所である。この時、イサクを追放したペリシテ人の王アビメレクがその友人アフザトと軍の長ピコルと共にイサクの所にやってきた。和解が成立する。彼らの生活は安泰であった。
このように、イサクは「燔祭」以外に、神からの試練には合っていない。労せずリベカと云う美しい妻をめとり、父から財産を得、更に自らもその努力によって富を得て、安住の地を得る。神の配慮からエサウ、ヤコブという、双子の息子を授かり、老いて満ち足りた日々を過ごし、その生涯を終える。180歳であった。息子のヤコブとエサウが、アブラハム、サラの眠る墓に彼を葬った(創世記35章28節~29節)。
イサクの生涯は神とアブラハムとの契約によって豊かに守られていたのである。
平成26年2月25日(火)
報告者 守武 戢
楽庵会
報告者 守武 戢
楽庵会