イザヤ書XVI 38~39章
はじめに;イザヤ書は39章をもって、前半部分を終わります。イザヤはこの部分で祭儀偏重の宗教や社会の不義を糾弾し、強大国アッシリヤやエジプトへのヒゼキヤ王の迎合政策を批判しました。その預言を集めたものが、この前半部分です。神、主のさばきが語られています。後のキリスト教において、彼の預言したメシア(理想の王)の到来は、イエス・キリストの到来と結びつけられました。後半部分は2つに分けられます。2部(40~54章)においてはバビロンに捕囚されたユダヤ人に解放を告げ、第3部(55~66章)では解放後の神殿復興が語られています。前半部分とは異なって、後半部分には慰めがあります。
ヒゼキヤ王の履歴
BC715年 ヒゼキヤ王の14年
アッシリヤの王セナケリブの来襲(1)
1, ヒゼキヤ王、貢物でアッシリヤに撤退を懇願する。
2, アッシリヤ、これに同意するも約束を破りエルサレムを包囲する。
3, ヒゼキヤ王エジプトとバビロンに支援を請う。
4, ヒゼキヤ王籠城のため地下水道(全長533m)を建設。
BC701年アッシリヤのセナケリブ王の来襲(2)
1, 将軍ラブ・シャケがエルサレムを包囲
2, ヒゼキヤ王[死に至る病]に犯される。回復のための祈り、奇蹟の回復。15年の延命。
3, アッシリヤ軍18万5千人一夜にして壊滅
4, バビロンからの使節団がエルサレムに到着。(39章)
5, ヒゼキヤ王の子マナセ(悪王)即位。(39章)
BC686年 ヒゼキヤ王の死
38章:「死に至る病」 「そのころ、ヒゼキヤは病にかかって死にかかっていた。そこへアモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。『主はこう仰せられます。あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』(38:1)」。なぜヒゼキヤ王は、「死に至る病」にかかったのでしょうか。ヒゼキヤはエルサレムがアッシリヤに囲まれたとき、神にでは無く、アッシリヤに多くの貢物を捧げ助命嘆願をしています。神は怒り、その約束をアッシリヤに破らせ、さらに「死に至る病」を与えたと言えるでしょう。自分の罪を悔い改め「そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って言った。『ああ。主よ。どうか思い出してください。私が誠を尽くし全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたが良いと思われることを行ってきたことを。』こうしてヒゼキヤは大声で泣いた(38:2~3)」。壁に向かって:神、主に集中して。真の祈り:神、主に向かうこと。神を信頼して神と共に歩むこと。ヒゼキヤは自分の信仰を強調して、ただひたすら神、主のあわれみにすがったのです。
神はお優しいお方です。この祈りに応えられました。このときイザヤは、主の言葉を聞きます。「行って、ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう。わたしはアッシリヤの手から、あなたとこの町(エルサレム)を救い出し、この町を守る。』これがあなたへの主からのしるしです。主は、約束されたこのことを成就されます。(38:5~7)」。ヒゼキヤは神の恵みにより15年、その寿命が延ばされました。ヒゼキヤの死はBC686年です。これは歴史的事実です。差し引きするとBC701年に「死に至る病」かかったことになります。このときエルサレムはアッシリヤの包囲下にありました。ヒゼキヤは病と敵の包囲という2重の災いに悩まされていたのです。このとき神の奇跡が起こります。アッシリヤは15万5千人の死者を残して撤退します。ヒゼキヤの病は癒され、15年間その命は伸ばされました。神の預言は実現し、その約束は、成就したのです。
38章の10節から20節までには、ヒゼキヤ王が「死に至る病」に犯され、それからの回復に至るまでの苦しみと、回復の喜びが詠われています。
その歌は3つに分けられます。
1, 命が断ち切られることの痛み(38:9~14)。
2, 命が断ち切られることの覚悟(38:15~16)。
3, 命が延ばされたことの感謝(38:17~20)。
1の9~13節までは、38章の1~2節までが対応します。イザヤから「死に至る病い」を宣告されたヒゼキヤ王は「人生の半ばで黄泉の門に入る」と、その命の儚さを嘆き、悲しみます。さらに「私は主を見ない」と、自分の罪を顧み、主が自分の前から隠れてしまったことを恥じています。そして言います「私は朝まで叫びました。主は雄獅子のように私の全ての骨を砕かれます。あなたは、昼も夜も、私を全く捨ておかれます(38:13)」それゆえ「ツバメやツルのように、私は泣き、鳩のように、呻きました。私の目は上を仰いで衰えました。主よ。私は虐げられています。私の保証人になってください(38::14)」。私の保証人になる:ヒゼキヤは、死に瀕して、自分は天(神)から捨てられていると実感しています。自分が贖われ、救われるためには、天と地の間にいる仲裁者、保証人が必要なのです。その方とは、メシア(イエス・キリスト)です。その方の愛情が必要なのです。
その後に、ヒゼキヤは、その罪を悔い改め主と共に歩む覚悟を表明しています。それは38章の3節が対応しています。
「主が、私に語り、主が自ら行われたことに、何を私が語れましょう(38:15A参照)」と。ヒゼキヤは、主に対する全き、跪拝を表明しています。「私は私の全ての年月、私の魂の苦しみのために、静かに歩みます。(38:15B)」。ヒゼキヤは主から与えられた二つの苦難(「死に至る病」とアッシリヤの侵攻)を神からのさばきと素直に認め、悔い改めて神に帰り、神と共に静かに歩むことを誓います。「主よ。これらによって人は生きるのです。私の息の命も、すべてこれに従っています。どうか、私を健やかにし、私を生かしてください(38:16)」。神、主に対する全面的な信頼が表明されています。主はお優しい方です。自分を信頼するものの願いは、必ず聞き届けてくださるのです。その後、ヒゼヤには、病の奇蹟の回復が与えられ、更に15年の命が増し加えられます。それを感謝してヒゼキヤは神を賛美します。『ああ、私の苦しんだ苦しみは、平安のためでした。あなたは滅びの穴から、わたしの魂を引き戻されました。あなたは私の全ての罪を、あなたの後ろに投げやられました(38:17)』。苦しみを経た人間にしか、真の平安は訪れないのです。主はそれをよくご存じなのです。「黄泉はあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません(38:18)」。「罪からくる報酬は死です』霊的な死は自分の罪ゆえに体験するものです。
それゆえ、死者は主のまことを期待することは出来ないのです。「生きている者、ただ生きている者だけが今日の私のようにあなたをほめたたえるのです。父は子らにあなたのまことについて知らせます(38:19)」。死からの回復と15年の延命に対する主へのヒゼキヤの感謝が歌われています。「主は、私を救ってくださる。私たちの生きている日々の間、主の宮で琴を奏でよう(38:20)」主に対する賛歌であり賛美が、語られています。
「イザヤは言った。『一塊の干しいちじくを持ってこさせ、腫物のうえに塗り付けなさい。そうすれば治ります』(38:21)」と。一塊の干しいちじくとは神、主のことです。腫物とは罪です。罪びとが、その罪を認めて、ひたすら神にひれ伏すとき、神は、その癒しの御業を行われるのです。「ヒゼキヤは言った『私が主の宮に上れるそのしるしは何ですか。』(38:22)」と。そのしるしとは、偶像に頼らず、人に頼らず、真の神に頼ることです。
次の39章ではヒゼキヤ王は自らの罪でより大きな試練を抱え込みます。その様子が語られます。
39章:「そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが元気になった。と言うことを聞いたからである。(39:1)」。病気の回復を祝ってバビロンから使者が来ます。このころのバビロンは、まだ小国でした。しかし、力をつけている国であり、アッシリヤに代わって超大国へと変貌する片鱗を示していました。アッシリヤに反逆して、何度も戦いを挑んでいます。しかし、そのたびに退けられています。アッシリヤは、エルサレムから撤退したとはいえ滅びたわけではありません。周辺諸国に対して依然として脅威を与えていました。バビロンからの使者は単にヒゼキヤ王との間に友好関係を築くことだけが目的ではなく同盟関係を築いてアッシリヤと対抗することにあったのです。バビロンにとっては、ヒゼキヤの「死に至る病」からの回復と、アッシリヤのエルサレムからの撤退という二つの奇跡は、神の御業でしたが、異教の国バビロンには、それは彼らの理解を超えていました。ヒゼキヤ自身の力の結果と考えたのです。それで、同盟関係を結ぶにふさわしい国と見做したのです。「ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、一切の武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった(39:2)」。ヒゼキヤは神に対して罪を犯します。高慢となり神の前で謙虚になることを忘れ、自分の力と富を誇り、その富を、使者に見せびらかします。「そこで預言者イザヤがヒゼキヤのもとに来て彼に尋ねた。『あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか。』ヒゼキヤは応えた。『遠い国、バビロンから、私のところに来たのです』(39:3)」。そして言います。「私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は、一つもありません。」と。おそらく国家機密に属するものまで公開したと思われます。そこにはバビロンに対する油断があったと言えるでしょう。バビロンが同盟者から進攻者に代わったとき、この知識は攻撃の武器となるのです。
「すると、イザヤはヒゼキヤに言った。『万軍の主の言葉を聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、貯えてきたものがすべて、バビロンに運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。』(39:6~7)」と。バビロンによる略奪と、捕囚について預言しています。これは、あくまでも預言であってバビロンによるイスラエルの滅亡と捕囚のあった時代には、既にイザヤも、ヒデキヤも亡くなっていてこの世にはいません。このように、ヒゼキヤは神の前にひれ伏し信仰の人になったにも拘らず、バビロンと手を組み、エルサレムを裏切り、神をも裏切ります。滅びの原因を造ったのは彼です。当然、罰せられてしかるべきです。しかし、そのさばきは、後の世に延期されたのです。「ヒゼキヤはイザヤに言った。『あなたが告げてくれた主の言葉はありがたい。』彼は自分が生きている間は、平和で安全であろう、と思ったからである(39:8)」。事実、かれは生きている間は、神よりその罪を問われていません。ヒゼキヤは、「主の言葉はありがたい」と述べています。そこには、悔い改めと神への立ち返りがあります。40章からは後半部分に入ります。神はイスラエルに恵みを与えます。その橋渡しをしたのが、この節です。
はじめに;イザヤ書は39章をもって、前半部分を終わります。イザヤはこの部分で祭儀偏重の宗教や社会の不義を糾弾し、強大国アッシリヤやエジプトへのヒゼキヤ王の迎合政策を批判しました。その預言を集めたものが、この前半部分です。神、主のさばきが語られています。後のキリスト教において、彼の預言したメシア(理想の王)の到来は、イエス・キリストの到来と結びつけられました。後半部分は2つに分けられます。2部(40~54章)においてはバビロンに捕囚されたユダヤ人に解放を告げ、第3部(55~66章)では解放後の神殿復興が語られています。前半部分とは異なって、後半部分には慰めがあります。
ヒゼキヤ王の履歴
BC715年 ヒゼキヤ王の14年
アッシリヤの王セナケリブの来襲(1)
1, ヒゼキヤ王、貢物でアッシリヤに撤退を懇願する。
2, アッシリヤ、これに同意するも約束を破りエルサレムを包囲する。
3, ヒゼキヤ王エジプトとバビロンに支援を請う。
4, ヒゼキヤ王籠城のため地下水道(全長533m)を建設。
BC701年アッシリヤのセナケリブ王の来襲(2)
1, 将軍ラブ・シャケがエルサレムを包囲
2, ヒゼキヤ王[死に至る病]に犯される。回復のための祈り、奇蹟の回復。15年の延命。
3, アッシリヤ軍18万5千人一夜にして壊滅
4, バビロンからの使節団がエルサレムに到着。(39章)
5, ヒゼキヤ王の子マナセ(悪王)即位。(39章)
BC686年 ヒゼキヤ王の死
38章:「死に至る病」 「そのころ、ヒゼキヤは病にかかって死にかかっていた。そこへアモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。『主はこう仰せられます。あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない。』(38:1)」。なぜヒゼキヤ王は、「死に至る病」にかかったのでしょうか。ヒゼキヤはエルサレムがアッシリヤに囲まれたとき、神にでは無く、アッシリヤに多くの貢物を捧げ助命嘆願をしています。神は怒り、その約束をアッシリヤに破らせ、さらに「死に至る病」を与えたと言えるでしょう。自分の罪を悔い改め「そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って言った。『ああ。主よ。どうか思い出してください。私が誠を尽くし全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたが良いと思われることを行ってきたことを。』こうしてヒゼキヤは大声で泣いた(38:2~3)」。壁に向かって:神、主に集中して。真の祈り:神、主に向かうこと。神を信頼して神と共に歩むこと。ヒゼキヤは自分の信仰を強調して、ただひたすら神、主のあわれみにすがったのです。
神はお優しいお方です。この祈りに応えられました。このときイザヤは、主の言葉を聞きます。「行って、ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう。わたしはアッシリヤの手から、あなたとこの町(エルサレム)を救い出し、この町を守る。』これがあなたへの主からのしるしです。主は、約束されたこのことを成就されます。(38:5~7)」。ヒゼキヤは神の恵みにより15年、その寿命が延ばされました。ヒゼキヤの死はBC686年です。これは歴史的事実です。差し引きするとBC701年に「死に至る病」かかったことになります。このときエルサレムはアッシリヤの包囲下にありました。ヒゼキヤは病と敵の包囲という2重の災いに悩まされていたのです。このとき神の奇跡が起こります。アッシリヤは15万5千人の死者を残して撤退します。ヒゼキヤの病は癒され、15年間その命は伸ばされました。神の預言は実現し、その約束は、成就したのです。
38章の10節から20節までには、ヒゼキヤ王が「死に至る病」に犯され、それからの回復に至るまでの苦しみと、回復の喜びが詠われています。
その歌は3つに分けられます。
1, 命が断ち切られることの痛み(38:9~14)。
2, 命が断ち切られることの覚悟(38:15~16)。
3, 命が延ばされたことの感謝(38:17~20)。
1の9~13節までは、38章の1~2節までが対応します。イザヤから「死に至る病い」を宣告されたヒゼキヤ王は「人生の半ばで黄泉の門に入る」と、その命の儚さを嘆き、悲しみます。さらに「私は主を見ない」と、自分の罪を顧み、主が自分の前から隠れてしまったことを恥じています。そして言います「私は朝まで叫びました。主は雄獅子のように私の全ての骨を砕かれます。あなたは、昼も夜も、私を全く捨ておかれます(38:13)」それゆえ「ツバメやツルのように、私は泣き、鳩のように、呻きました。私の目は上を仰いで衰えました。主よ。私は虐げられています。私の保証人になってください(38::14)」。私の保証人になる:ヒゼキヤは、死に瀕して、自分は天(神)から捨てられていると実感しています。自分が贖われ、救われるためには、天と地の間にいる仲裁者、保証人が必要なのです。その方とは、メシア(イエス・キリスト)です。その方の愛情が必要なのです。
その後に、ヒゼキヤは、その罪を悔い改め主と共に歩む覚悟を表明しています。それは38章の3節が対応しています。
「主が、私に語り、主が自ら行われたことに、何を私が語れましょう(38:15A参照)」と。ヒゼキヤは、主に対する全き、跪拝を表明しています。「私は私の全ての年月、私の魂の苦しみのために、静かに歩みます。(38:15B)」。ヒゼキヤは主から与えられた二つの苦難(「死に至る病」とアッシリヤの侵攻)を神からのさばきと素直に認め、悔い改めて神に帰り、神と共に静かに歩むことを誓います。「主よ。これらによって人は生きるのです。私の息の命も、すべてこれに従っています。どうか、私を健やかにし、私を生かしてください(38:16)」。神、主に対する全面的な信頼が表明されています。主はお優しい方です。自分を信頼するものの願いは、必ず聞き届けてくださるのです。その後、ヒゼヤには、病の奇蹟の回復が与えられ、更に15年の命が増し加えられます。それを感謝してヒゼキヤは神を賛美します。『ああ、私の苦しんだ苦しみは、平安のためでした。あなたは滅びの穴から、わたしの魂を引き戻されました。あなたは私の全ての罪を、あなたの後ろに投げやられました(38:17)』。苦しみを経た人間にしか、真の平安は訪れないのです。主はそれをよくご存じなのです。「黄泉はあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません(38:18)」。「罪からくる報酬は死です』霊的な死は自分の罪ゆえに体験するものです。
それゆえ、死者は主のまことを期待することは出来ないのです。「生きている者、ただ生きている者だけが今日の私のようにあなたをほめたたえるのです。父は子らにあなたのまことについて知らせます(38:19)」。死からの回復と15年の延命に対する主へのヒゼキヤの感謝が歌われています。「主は、私を救ってくださる。私たちの生きている日々の間、主の宮で琴を奏でよう(38:20)」主に対する賛歌であり賛美が、語られています。
「イザヤは言った。『一塊の干しいちじくを持ってこさせ、腫物のうえに塗り付けなさい。そうすれば治ります』(38:21)」と。一塊の干しいちじくとは神、主のことです。腫物とは罪です。罪びとが、その罪を認めて、ひたすら神にひれ伏すとき、神は、その癒しの御業を行われるのです。「ヒゼキヤは言った『私が主の宮に上れるそのしるしは何ですか。』(38:22)」と。そのしるしとは、偶像に頼らず、人に頼らず、真の神に頼ることです。
次の39章ではヒゼキヤ王は自らの罪でより大きな試練を抱え込みます。その様子が語られます。
39章:「そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが元気になった。と言うことを聞いたからである。(39:1)」。病気の回復を祝ってバビロンから使者が来ます。このころのバビロンは、まだ小国でした。しかし、力をつけている国であり、アッシリヤに代わって超大国へと変貌する片鱗を示していました。アッシリヤに反逆して、何度も戦いを挑んでいます。しかし、そのたびに退けられています。アッシリヤは、エルサレムから撤退したとはいえ滅びたわけではありません。周辺諸国に対して依然として脅威を与えていました。バビロンからの使者は単にヒゼキヤ王との間に友好関係を築くことだけが目的ではなく同盟関係を築いてアッシリヤと対抗することにあったのです。バビロンにとっては、ヒゼキヤの「死に至る病」からの回復と、アッシリヤのエルサレムからの撤退という二つの奇跡は、神の御業でしたが、異教の国バビロンには、それは彼らの理解を超えていました。ヒゼキヤ自身の力の結果と考えたのです。それで、同盟関係を結ぶにふさわしい国と見做したのです。「ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、一切の武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった(39:2)」。ヒゼキヤは神に対して罪を犯します。高慢となり神の前で謙虚になることを忘れ、自分の力と富を誇り、その富を、使者に見せびらかします。「そこで預言者イザヤがヒゼキヤのもとに来て彼に尋ねた。『あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか。』ヒゼキヤは応えた。『遠い国、バビロンから、私のところに来たのです』(39:3)」。そして言います。「私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は、一つもありません。」と。おそらく国家機密に属するものまで公開したと思われます。そこにはバビロンに対する油断があったと言えるでしょう。バビロンが同盟者から進攻者に代わったとき、この知識は攻撃の武器となるのです。
「すると、イザヤはヒゼキヤに言った。『万軍の主の言葉を聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、貯えてきたものがすべて、バビロンに運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。』(39:6~7)」と。バビロンによる略奪と、捕囚について預言しています。これは、あくまでも預言であってバビロンによるイスラエルの滅亡と捕囚のあった時代には、既にイザヤも、ヒデキヤも亡くなっていてこの世にはいません。このように、ヒゼキヤは神の前にひれ伏し信仰の人になったにも拘らず、バビロンと手を組み、エルサレムを裏切り、神をも裏切ります。滅びの原因を造ったのは彼です。当然、罰せられてしかるべきです。しかし、そのさばきは、後の世に延期されたのです。「ヒゼキヤはイザヤに言った。『あなたが告げてくれた主の言葉はありがたい。』彼は自分が生きている間は、平和で安全であろう、と思ったからである(39:8)」。事実、かれは生きている間は、神よりその罪を問われていません。ヒゼキヤは、「主の言葉はありがたい」と述べています。そこには、悔い改めと神への立ち返りがあります。40章からは後半部分に入ります。神はイスラエルに恵みを与えます。その橋渡しをしたのが、この節です。
令和5年9月12日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会</span>