日常一般

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アモス書 南から北へ

2018年01月06日 | Weblog
 アモス書(南から北へ) 

 はじめに
 アモス書は預言者アモスの言葉を集めたもので、預言文学の中で最古のものと言われている。12ある小預言書の中の一書であってホセヤ書、ヨエル書に次ぐ第3の書である。9章146節から成る。内容は3つに分けられる。
1.諸国に対する審判預言(1章~2章)。
2.イスラエルに対する審判預言(3章~6章)。
3.アモスの召命を内的に準備した5つの幻と、神の計画の啓示(7章~9章)。
の3つである。

 内 容  
 アモスはヤブロアム王の治世下、イスラエル(北)の民とその支配層に広がる闇、宗教的堕落と退廃を正す為に、主によって南ユダのテコアから北イスラエルに送られた。主の決意された審判預言は厳しくイスラエルの民にとっては耐え難いものであった。主の命に従えと主は諭すが、それでもイスラエルの民は従わなかった。主は怒りこの民を罰する。主に逆らう民の悲惨さが描かれる。しかし、主の日(終末の日)は、その罪に対する裁きではあっても、必ず救いがセットとして組み込まれている。審判なき救いが無いように、救いのない審判もあり得ない。アモス書は最後の最後に(9章11~15節)終末における救いの預言が語られる。アモスはその彼方に神の国を見る。
 アモスはイスラエルの民への神の裁きを見るが、その前に諸国の民に対する裁きを見る。

 内容構成
1、表題と序(1:1~2)
2、第一部:諸国民に対する裁きの預言(1:3~4:13)
   ○周辺諸国民に対する告白(1:3~4:13)
   (わたしはその刑罰を取り消さない)
   ○ 主によるイスラエルの選びと、サマリヤ(北イスラエルの首都)に対する裁き(3:8~4:13)
   (それでも主のもとに返ってこなかった。)
3、第二部:イスラエルの終わりについての預言(5:1~9:10)
   ○ イスラエルの挽歌(5:1~6:14)
   (主を求めて生きよ、5章参照)
   ○ イスラエルの終わりを告げる5つの幻(7:10~9:10)
   (わたしは、もう、2度と彼らを見過ごさない)
   ○ 終末が近いことを意識出来ないイスラエルの民(6:3~13)
   (今、わたしは一つの民を起こしてあなた方を攻める。――、彼らはレポ・ハマからアラバの川筋まであなた方を虐げ      る)。
4、結 び 終末における救い
   ○ 罪にみちた諸国の民はさばかれて滅びるが、ヤコブの家は決して根絶やしにされる事は無い
   ○ わたしは、わたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。
   ○ その彼方に神の国を見る。

 言葉の説明
 周辺諸国:ダマスコ、ガザ、ツロ、エドム、アモン、モアブ(1~2:3))に対する裁きに、ユダ、イスラエルが付加される(2:4~6))
 5つの幻:
1、いなご
2、火
アモスのとりなしによって「このことは起こらない」
3、重りなわ、
4、夏の果物、
5、祭壇の傍らに立つ主。
わたしはもう2度と彼らを見逃さない
主の言葉を聞くことの飢饉を送る


 アモス書とは 
 アモス書は次の言葉から始まる。「テコアの牧者の一人であったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、地震の2年前に、イスラエルについて彼の見たものである(1:1)」と。
アモス書の預言はこの冒頭の言葉の中に集約されている。すなわち、
1.作 者:アモス(重荷を追う、という意味)
2.アモスの出身地:南ユダの寒村テコア。
3.預言した場所:イスラエル(北)
4.預言した時代:北の王ヤロブアム2世の治世下。
5.地震の2年前:神の顕現の象徴。
6.彼の見たもの:諸国に対する神の裁きと、イスラエルに対する神の裁きと回復。
7.召命の理由:経済的繁栄を築いたヤロブアム2世に代表される民衆の驕りと異教信仰(豊饒の神=バアル神)を正す為、アモスは神によって南(テコア)から北へ派遣された。それほど北は穢れていた。

 アモス書の特徴
 預言書の預言は必ず罪と裁きと回復が主題となる。しかし、いずれも特徴を持っており同じものではない。アモス書もその例外ではない。その特徴は、アモスは牧者であったこと、南ユダ出身者であるにも拘らず、主の召命により北イスラエルで預言した事(7:15)。さらに、アモス書の回復の預言は最終章の最終節(9:11~15)になって初めて語られたこと、の中に現されている。

 預言者アモス
 預言者アモスは、最初は牧者であった。牧者とは羊飼いである。当時羊飼いは豚飼いと同じく社会の最下層に属する職業であった。当然アモスは神学校などに通うという、まともな宗教教育を受けてはいない。アモスは言う「私は預言者では無かった。預言者の仲間でも無かった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。ところが主は群れを追っていた私を取り、主は私に仰せられた。『行って、私の民イスラエルに預言せよ(7:14)』」と。北にはまともな預言者がいなかった。このようにアモスは、北イスラエルに対して神の意志を伝えるため、選び分かたれ北に出向いて預言を語った人物である。北はヤロブアム2世の時代、経済的繁栄は極度に達しており民は自らを信じ、神を忘れた。驕り高ぶり異教の神(豊饒の神バアル)を信じた。この様子は6章に詳しく語られている。主の日(終末の日)は近いという預言をイスラエルの民は誰も信じなかった。偽預言者は今の繁栄が永遠に続くと預言した(6:3)。しかし、北は繁栄の陰に退廃と衰退が深行していた。神は嘆かれイスラエルの民を変えるため、アモスを南から北へ派遣したのである。アモスは北の最高の聖都ベテルで宣教を始める。ここでアモスはベテルの祭司長アマツヤに会う。この地でヤブロアム2世の罪(バアル信仰)を伝えるアモスに対してアマツヤは言う「先見者よ、ユダの地に逃げていけ、その地でパンを食べ、その地で預言せよ。ペテルで2度と預言するな。ここは王の聖所、王宮のあるとこだから(7:12~13)」と。この地はバアル神を拝み、偶像崇拝の場所だというのであろう。それはアモスに対する初めての宗教的弾圧であった。彼の孤独な闘いが始まった。しかし、主は彼と共にあった。主はアモスに対する弾圧を怒り、祭司長のアマツヤだけでなく彼の家族をも罰する(7:14~17)。更に、主は一つの民を起こし、イスラエルの主だったものを、捕囚として各地へ散らしたのである。このようにアモスは諸国に対して、またイスラエルに対して主の裁きを預言して来たが最終章(9章)において初めて回復の預言をする。この個所(9:11~15)はやがて到来するメシア王国がいかなるものかを知る上で重要となる。アモスは神の国の幻を見る。しかし。この幻は、いつか消えていく幻では無く、必ず実現するものである。

 聖なる動物と穢れた動物
 もともと羊や牛は聖なる動物である。イエスは小羊と呼ばれ、ダビデも羊飼いであった。「放蕩息子」は豚飼いに成り下がっていた。イスラエルでは、聖なる動物を穢れた動物から聖別する。羊飼いたち(イエス、ダビデ、アモス)は、主によって聖なるものへと変えられていく。

 まとめ
 神が南から北に送ったアモスが見たものの第Ⅰはイスラエルの周辺に存在する諸国に対する神の審判(主の目は一人イスラエルだけでなく世界に注がれていた)であり、ついでユダ、イスラエルに対する審判であった。イスラエルは異教の支配する世界となっていた。ヤロブアム2世自身バアル神の信仰者の一人であり一般の民にも国策として、その信仰を強制していた。こんな中アモスの孤独な闘いが始まったのである。当然、宗教的弾圧に会わざるを得なかった。しかし、神は彼と共にあった。「私は全ての部族の中からあなた方だけを選び出した。それゆえ、わたしはあなた方の全ての咎を、あなた方に報いる」と主は言う。主はイスラエルを愛していたのである。主を求めて欲しかったのである。その民が自分に逆らうことが悲しかったのである。その裁きは厳しいものにならざるを得なかった。裁きは悔い改めの前提である。それでも、イスラエルは神に立ち帰らなかった。
 イスラエルの挽歌が語られ、「哀歌」が歌われる。イスラエルが滅びに瀕している状況が語られる。それを受ける形で、主の審判と、イスラエルの滅びを暗示する5つの幻がアモスの前に置かれる。イスラエルの民はその罪によって裁かれ立ち直ることが出来ない。しかし主はそんなイスラエルを見捨てない。救い、神の国を預言する。
                                 
平成29年12月12日(火)報告者 守武 戢 楽庵会