絶望からの回復
11月27日(日)、日野キリスト教会にゲスト講師として「畠中一郎さん(64歳)」が紹介されました。彼は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の患者で、2021年8月にALSと診断され、現在に至っています。筋委縮という言葉とおり体を動かす筋肉が徐々に痩せていき、力が弱くなって思うように動かせなくなる病気です。日本における患者数は約1万人とされ、その発症はやや男性に多い傾向にあります。中年以降に発症することがほとんどで、特に60~70歳代に多く見られます。筋力の低下が主な症状ですが、筋肉の病気ではなく、筋肉を動かしている脳や、脊髄の神経(運動ニューロン)がダメージを受けることで発症します。脳から筋肉に指令が伝わらなくことで手足や喉,舌の筋肉や呼吸筋が徐々に痩せていきます。呼吸筋が弱まると呼吸困難に陥り人工呼吸器が必要になります。一般的に症状の進行は速く、個人差はあっても、人工呼吸器を使用しなければ発症から2~5年で死に至ることが多いと言われています。認知症の合併も見られます。現在では、ALSの根本的治療はなく、症状に応じた薬の投与などと適切な延命処置が行われています。進行は避けられないものの視力や聴力、内臓機能、体の感覚など、ほかの機能に異常をきたすことはありません。
この不治の病に直面して畠中さんは絶望したと言います。。ALSの患者は病と闘っていると同時に、絶望とも闘っているのです。ALSの患者は、その苦しみに耐えきれず、病で死ぬ前に、自死するものが多いと言います。絶望とは死への恐怖です。死は誰にも訪れます。しかし、人は天寿を全うしたいのです。畠中さんは、苦しみもがいた結果、絶望を希望に変えるものは何かと探求し始めたのです。その結果、キリスト教にたどり着いたのです。死とは何か。現実の死は無です。しかし、来世において、永遠の命が与えるなら、この世の苦しみを耐えることが出来ます。キリスト教は多くの宗教が教えているように。永遠の命を保証しています。しかし、そのためには真摯な信仰が必要です。自分を信じる者にだけ神は恵みを与えます。神に委ねて生きることが必要です。しかし、多くの人にとって神は無です。無からは希望は生まれません。
と同時に、畠中さんは、この世の人です。この世での救いの道も探求したのです。絶望とうまく闘えれば、絶望から脱却して希望のメカニズムを造ることが出来ると考えたのです。そこで、患者に寄り添う「命を守る受け皿としての財団」を設立したのです。現在、団には80人程度のALSの団員がおり、それぞれ働けるものは働きながら、相互扶助に立って団の運営に携わっていると言います。運営の費用は、篤志家の寄付などに頼っています。その目的は、①、寄り添うこと、②、支えること、③、乗り越えるお手伝いと自立支援、等々、現実を乗り越えていくために財団が代わって伝え、必要な器具を得られるようにしたのです。神は自らを助くる者を助けられるのです。畠中さんは意識していなくても彼の背景には、神の御手が働いておられるのです。
11月27日(日)、日野キリスト教会にゲスト講師として「畠中一郎さん(64歳)」が紹介されました。彼は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の患者で、2021年8月にALSと診断され、現在に至っています。筋委縮という言葉とおり体を動かす筋肉が徐々に痩せていき、力が弱くなって思うように動かせなくなる病気です。日本における患者数は約1万人とされ、その発症はやや男性に多い傾向にあります。中年以降に発症することがほとんどで、特に60~70歳代に多く見られます。筋力の低下が主な症状ですが、筋肉の病気ではなく、筋肉を動かしている脳や、脊髄の神経(運動ニューロン)がダメージを受けることで発症します。脳から筋肉に指令が伝わらなくことで手足や喉,舌の筋肉や呼吸筋が徐々に痩せていきます。呼吸筋が弱まると呼吸困難に陥り人工呼吸器が必要になります。一般的に症状の進行は速く、個人差はあっても、人工呼吸器を使用しなければ発症から2~5年で死に至ることが多いと言われています。認知症の合併も見られます。現在では、ALSの根本的治療はなく、症状に応じた薬の投与などと適切な延命処置が行われています。進行は避けられないものの視力や聴力、内臓機能、体の感覚など、ほかの機能に異常をきたすことはありません。
この不治の病に直面して畠中さんは絶望したと言います。。ALSの患者は病と闘っていると同時に、絶望とも闘っているのです。ALSの患者は、その苦しみに耐えきれず、病で死ぬ前に、自死するものが多いと言います。絶望とは死への恐怖です。死は誰にも訪れます。しかし、人は天寿を全うしたいのです。畠中さんは、苦しみもがいた結果、絶望を希望に変えるものは何かと探求し始めたのです。その結果、キリスト教にたどり着いたのです。死とは何か。現実の死は無です。しかし、来世において、永遠の命が与えるなら、この世の苦しみを耐えることが出来ます。キリスト教は多くの宗教が教えているように。永遠の命を保証しています。しかし、そのためには真摯な信仰が必要です。自分を信じる者にだけ神は恵みを与えます。神に委ねて生きることが必要です。しかし、多くの人にとって神は無です。無からは希望は生まれません。
と同時に、畠中さんは、この世の人です。この世での救いの道も探求したのです。絶望とうまく闘えれば、絶望から脱却して希望のメカニズムを造ることが出来ると考えたのです。そこで、患者に寄り添う「命を守る受け皿としての財団」を設立したのです。現在、団には80人程度のALSの団員がおり、それぞれ働けるものは働きながら、相互扶助に立って団の運営に携わっていると言います。運営の費用は、篤志家の寄付などに頼っています。その目的は、①、寄り添うこと、②、支えること、③、乗り越えるお手伝いと自立支援、等々、現実を乗り越えていくために財団が代わって伝え、必要な器具を得られるようにしたのです。神は自らを助くる者を助けられるのです。畠中さんは意識していなくても彼の背景には、神の御手が働いておられるのです。