日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

イザヤ書 第3部 (第56~66章)

2016年11月19日 | Weblog

  イザヤ書3 第3部 (第56章~66章) 
  はじめに
 第2イザヤ書は、ペルシャ王クロスによるユダヤの民の捕囚からの解放、祖国イスラエルへの帰還命令、第2神殿の再建命令で終わっています。これは「エズラ記」に描かれているようにクロス王の意志と云うよりもその背後に主なる神の意志が働いていたことが判ります(エズラ記1:1~4)。それ故ユダヤの民は彼を救世主として迎えたのです。しかし、彼は心の救世主ではなかったのです。これ以後の歴史の叙述は「エズラ記」「ネヘミヤ記」を読んで下さい。神殿建設にまつわる逸話、宗教改革などが描かれています。更に「エステル記」を読むと、クロス王から数えて4代目アハセエロス王の時代にユダヤ民族の存亡の危機があったことが判ります。
第三イザヤ書は帰還後のユダの民を対象にして書かれています。しかし、具体的な歴史の叙述は何もありません。神の壮大なご計画が描かれています。

  内 容
 56章、には救いの普遍性が語られます。宦官も異邦人も平等です。主に仕え、主の名を愛し、安息日を守り主との契約を堅く保つならば、誰でも、新しい民となることが出来ます。主は、云います「わたしの家は、全ての民の祈りの家と呼ばれています」と。
 57章、しかし、第3イザヤが神の言葉を語っても、当時の指導者(見張り人)はそれを理解出来ませんでした。義人が滅びても心に留める者は無く、誠実な人が取りさられても心を向ける人はいなかったのです。主は怒りに震えながらも彼らを許します。
 58章には断食と安息日について語っています。断食も安息日も共に神に対する愛の行為(身を戒める行為)です。自分を敬虔深く見せようとしてはならない(宗教的偽善)。信仰心とは自分の思いを捨てて、神を見上げることであり、愛の実践なのです。
 59章では神と人とを隔てる罪、神の救いを妨げる罪が語られます。しかしそれを贖う方が神に立ち返る者のところに来て、新しく永遠の契約を結ぶことが語られています。
 60章は捕囚から解放されたユダの民の喜びを語ります。他国による暴虐は去り、破壊も破滅も過去のものとなり、平和が訪れ他国との間の平和的共存がなります。その平和の彼方に悔い改めた民の姿を第三イザヤは預言します。また、そこに新しい時代があり、主が永遠の光となる新天新地の訪れを預言します。
 ではシオン(エルサレム)の再建と、神の民の回復が同時に語られます。悔い改めた民が聖都エルサレムで神の恵みを満喫します。彼らが主に祝福された者の子孫であることが預言されます。
 62章:「シオンのために私は黙っていない。あなた(エルサレム)の神はあなたを喜ぶ。神はエルサレムに見張り人を置いた。この地でエルサレムを栄誉とされるまで黙っていてはならない。この民の道を整え、見捨てられない町を創造せよ」。
 63章:第3イザヤは神がイスラエルを外敵(ボツラ)を撃退したことに感謝する。神も「彼らはまことにわたしの民、偽りのない子たちだ」、「民と共に互いに苦しみ、互いに助け合ってきた」と民を祝福する。にも拘らず民は逆らった。そして神に向かって云う、「主よ何故あなたは、私たちをあなたの道から迷いださせ、私たちの心を頑なにして、あなたを畏れないようにするのですか」と。イザヤは、その後、神による、救済の歴史(モーセの出エジプト)を回顧しその神の顕現を嘆願し「われらのもとに、お帰り下さい」、と願う。おのが罪を認めつつ、神の許しに全てを託す。切々たる祈りが、ここにあります。
 64章:神の民の悔い改めの祈り。「今あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。主よ、どうかひどく怒らないでください。いつまでも咎を覚えないでください。どうか今、私たちが皆、あなたの民であることに目を留めて下さい。----------------主よ。これでもあなたはじっとこらえ、黙って私たちをこんなにも悩まされるのですか。
 65章、66章には終わりの日に起きる様々な出来事、つまり、キリスト再臨前の患難期から始まって、再臨後のメシア王国(千年王国)の祝福、最後の審判、そして新しい天と地などの描写が掲載されています。

  二つの問題:これは、聖書の扱う基本中の基本です。
 1、主よ。何故あなたは私たちをあなたの道から迷いださせ、私たちの心を頑なにしてあなたを畏れないようにされるのですか(63章17節)。
 2、主よ。これでもあなたはじっとこらえ、黙って、私たちを悩まされるのですか。
 1の問題は、神に選ばれたイスラエルの民が何故その選んだ神に『恵み』を約束されていながら、逆らい続けるのかと云う根本的な問題を提起しています。
 イザヤ書6章には、自らの罪を悔い、清らかな存在となったイザヤを召命し、主は仰せられました、「行ってこの民に云え、『聞きつづけよ、だが悟るな、見続けよ、だが知るな』と、この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざさせ、自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返って、癒されることのないように(6:9~10)」と。これは逆説と考えて良いでしょう。善き方である筈の主が何故人の心に邪悪な心を引き起こさせ頑なにするのでしょうか。この解答を知るにはアダムとエバの物語まで立ち返らなくてはなりません。「神はあらゆる獣の内で蛇を最も狡猾なものとして造られた(創世記3:1)」。神の似姿として造られた人(アダムトエバ)は似姿であることを止め、原罪を持つ存在となります。神の唯一の間違いは蛇を造った事です。人は「楽園」を追われます。ここより神と人との葛藤が始まります。神は自分の誤りを正さなければならない。神と人との契約。神は人を自らに近づけるため、似姿に戻す為に、神であると同時に人でもあるキリストをこの世に送り出したのです。神のご計画の最終段階は「エデンの園」の再現です。「狼と小羊は共に草をはみ、獅子は牛のようにわらを食い、蛇は、塵をその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、損なわない(65:25)」世界を再現させることです。
 次に第2の問題に入りたいと思います。
 主は決して黙っていたわけではありません。「あなた達、反逆の民、自分の思いに従って良くない道に歩む者たちに、わたしは一日中手を差し伸べた。この民はいつも私に逆らってわたしの怒りを引き起こし--------」「わたしは黙っていない。必ず報復する-----」しかし主はこうも仰せられる「ぶどうの房の中に甘い汁があるのを見れば、それを損なうな、その中に祝福があるから(64:2)」「わたしはわたしの僕の為に、そのすべては滅ぼさない」。「しかし、その中に切り株がある。聖なる末こそ、その切り株(6:13)」。多くの民の中から神は残されたものを選び、これに祝福を与える、と云っているのです。62章を読んでください。「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いがたいまつのように燃えるまでは(62:1)」と。
 断 食: 断食の本来の目的は一定期間食を断つことによってデドックス効果を高めることにある。デドックス効果とは体内にある毒素を取り去り、本来の姿を取り戻すことを指す。リセット効果。再起動。宗教的には、断食に伴う肉体的苦痛を通して、自らの深い罪の自覚と悔い改めによって自らを贖い、神の前に義なるものとして立つことを意味している。煩悩を消し去ることでもある。58章には神に喜ばれる断食と、喜ばれない断食が語られている。喜ばれる断食とは愛と云う積極的行為の実践(身を戒める)であり、喜ばれない断食とは宗教的偽善を現している。
 安息日: ユダヤ教では安息日は、主の聖日とみなしこれを尊びかつ喜ぶ。1週の第7日に与えた名称で、金曜日の日没から土曜日の日没まで。この日は一切の業務、労働を停止して神の安息に与る。安息日は本来労働の禁止を意味すると同時に、神殿祭儀と結合していた。しかし神殿が破壊された後は、祭儀を離れた休息と平安に重点が移行した。このような安息日遵守は、次第に律法規定の中でも最も本質的なものと見做されるようになった。安息日遵守の話は聖書の中には多く出てきます。
 エルサレムパレスチナの中心都市。後期青銅器時代から繁栄した町。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。1949年ヨルダン、イスラエルにより東西に分割。67年にイスラエルは東イスラエルを占領、併合、80年に東西エルサレムを首都と宣言(国際的には未承認)。旧市街は世界遺産に指定されている。
「主はシホン(エルサレム)を選び、それを自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえにわたしの安息の場所。ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから(詩篇132篇13節)」。エルサレムは神がこの地上において、ご自身の名を置かれる為に唯一選ばれた永遠の都です。エルサレムはイエルとシャロームの合成語です。イエルは神の計画を現し、シャロームは平和を現しています。それ故「神がその計画を実現する為に天上から降りてきて祝福を据える場所」と云う意味になります。この事ははるか将来において千年王国(メシア王国)として地上に実現する場所がエルサレムであるということを示しています。
  エルサレムの歴史
1.エデンに園(エルサレムか)にはそこを住みかとする神と人がいた。
2.シャレムの王メルゼクがアブラハムの前に現れ、祝福する。
3.モリヤの山(エルサレム)アブラハムは信仰の試練を受ける(イサクの燔祭)
4.ダビデがエルサレムを全イスラエルの都とし、そこに契約の箱を置く。
5.ソロモンがエルサレムに神の宮を立てる。
6.バビロンによってエルサレムは破壊され、ユダの民はバビロンに連行される。
7.ペルシャの王クロスによって帰還が許され民は第2神殿を再建する。
8.イエスエルサレムで磔刑に会う。
9.終末、千年王国、新天新地、新しいエルサレム
10.永遠に続く御国→エデンの園の再来。
 神のご計画は常にエルサレムを中心に回っていることが判る。エルサレムの本質とエデンの園の本質は同一である。
見よ、私はエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。そこにはもう泣き声も叫び声も聞こえない。エルサレムであなた方は慰められる(55:18,19)」。
                                 平成28年11月8日(火)報告者 守武 戢 楽庵会 
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