書簡集9 テサロニケ人への手紙Ⅱ(再臨とは)
はじめに
★ 誰が誰に、いつ、どこで、何のために書かれたのか。本書簡の特徴とは何か。
1、誰が書いたか:パウロ(シルノワ、テモト)
2、誰に向かって書かれたか:テサロニケの教会に向かって
3、いつ書かれたか:紀元50~51年ごろ。2回目の伝道旅行(トロアスーピリピーテサロニケーベレヤ)の際
4、どこで書かれたのか:避難先のコリントで
5、何のために書かれたのか:テサロニケの教会はパウロが短期間(3週間)ではあったが福音宣教に努めた異邦人の教会であった。この時と、第1の手紙でパウロの説いた「主の日」の理解(教理真理)が偽教師を通じて聖徒たちに誤って伝えられていた。それは「主の日はすでに来た」と言うものであった。それを信じたテサロニケの聖徒の間には動揺が走っていた。これを伝え聞いたパウロは、彼らが信仰を強め、教義上の誤解を正すべく第2の手紙を書いたのである。
テサロニケの聖徒たちは模範的な教会を維持、発展させるために、苦難の中で戦っていた。彼らがくじけないためには力強い励ましが必要であった(1章)。そのために、パウロは、自分の代わりに使徒テモトをテサロニケに送っている。
さらに、教理的に誤った教えが広まっていた。それは「主の日」はすでにきているというものであった。それを正す必要があった(2章)。「主の日」に関する言及はこの書簡のテーマでもある。
テサロニケの教会は、模範的な教会ではあったが、主に従わず、放縦な「締まりのない生活」をする反キリストではないが、非キリスト者が存在していた。彼らには「戒め」が必要であった。悔い改めて神に立ち返れとパウロは勧告する(3章)。主の再臨の時、救われるためである。
パウロは言う「偽教師にはだまされるな」と。テサロニケの教会が迫害と艱難に耐えながらも、従順と信仰において、今までのように模範的な教会であり続け、成長していくことをパウロは切に願い、その達成を確信していたのである。
最後にパウロはテサロニケの教会ために祈る。「どうか主イエスの恵みが、あなたがたすべてと共にありますように(3:18)」と。
第1の手紙と、第2の手紙の間には1年ほどの間があったとされている。
1、言葉の意味
再び「再臨」について
「あなたがたを離れて天に上げられた、この主イエスキリストは、天に上げられた同じ有様で、またお出でになります(使徒の働き1:11)」。それが神のご計画だからです。
再臨とは復活して天に上ったとされるイエスキリストが、世界の終わりの日にキリスト者を天に導きいれるために、また、世界を義によってさばくために、再び地上に降りてくることを云う。しかし、その日は、確実に起こることであっても、いつ起こるのかは神のみが知る事項であってその他のものは、たとへ天使であっても知りえないのである。それにもかかわらず、テサロニケにおいて、異端の集団、過激な者たち、熱狂的な信者たちが、再臨の時を予測して、社会的動揺、混乱を引き起こしていた。その誤りを正すためにパウロは、この第2の手紙を書いたのである。
パウロは言う。再臨の前には必ず、しるし(前兆)があると。そのしるしとは背教であり、不法の人(滅びの子)の出現であり、不法のものが支配する闇の世界(大患難時代)であると。この闇の世界を終了させるために、キリストは再臨されるのである。しかしその日は、いつかはわからない。だからいつ再臨されてもあわてないように常に信仰において義であれとパウロはテサロニケの教会の聖徒たちに勧めるのである。
主は不法の人をさばくために栄光のうちに再び来られます。主の支配する、その国は永遠に終わることはありません(Ⅰコリント15:23~28参照)」。神のご計画は完成する。
2、内容構成
3、各章ごとの説明
第1章:パウロはテサロニケの教会に挨拶を送り、恵と平安があなたがたの上にありますようにと祈る。
テサロニケの教会は迫害と艱難の中にあって、それに耐えながら神に対する従順と信仰において、マケドニアとアカシアの教会に対して模範を示していた。その教会としての成長に対してパウロはこれを称賛し誇りに思う。そして「あなたがたの苦難は神の国のためです」と言い「艱難は信仰を純化させる神の恵みである」と教える。そして主の再臨の時、「主に義なるものは救われ、不義なるものは永遠の滅びの刑罰を受ける」と語る。さらに言う「どうか私たちの神が、あなたがたをお召しになるにふさわしいものにして、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように(1:11)」それは「主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです(1:12)」。
第2章:キリストの地上再臨の前に反キリストによる大患難時代が来る。そのことを聖書は、「主の日が来る」という。使徒パウロはテサロニケの教会にそのことをよく話していた。彼らはそれをよく知っていたはずであった。それにもかかわらず、「主の日」はすでに来ている」という誤った教えを聞いたとき、テサロニケの教会は、動揺し、混乱した。そのため、パウロは「主の日」に対する正しい知識をテサロニケに再度、伝える必要があった。それで書かれたのが、テサロニケに対する「第2の手紙」である。「主の日」に関する知識を正しく伝えることが、この手紙の中心的内容である。
パウロは「主の日」に関する誤りを正すために、まず「主の日」が来る前に起こる出来事を語る。1、背教が起こる、2、不法の人(滅びの子=反キリスト)が現れる、3、神殿が建てられる、4、不法の人が真の神を否定して、神殿に座し自らを神と僭称する(2:4参照)。これは大患難時代を現している。大患難時代の後に来るのが主の再臨であり、千年王国である。千年王国の時、主イエスとその聖徒たちがこの王国を支配し、反キリスト(サタン)はみ使いによって、底知れぬところに投げ込まれて、千年の間、閉じ込められる。パウロは言う「あなたがたが知っているとおり、その定められた(携挙)ときに現れるように、今引き留めているもの(教会)があるのです(2:6)」と。しかし、携挙の時、教会は天に上げられ、引き留めていたものが不在になると、サタンは解放され、軍勢を集めて主の軍隊と戦う(ハルマゲドンの戦い)。」「主は、み口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます(2:8)」。サタンは永遠の滅びの中に落とされる。不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴うのである(2:9参照)」。この章を読まれる方は「ヨハネの黙示録(20:1~14)を併せて読んでほしい。ここには「最後の審判」までが描かれ、神のご計画が語られているからである。パウロは言う「最後の審判の時、主によってえらばれているあなたがたは、あらかじめ救われているので、堅く立って主の教えを守りなさい」と。
第3章:パウロは異邦人伝道の成果が,テサロニケの教会において達成されていることを喜び、誇りとしていた。そして言う「終わりに兄弟たちよ、私のために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところと同じように、早く広まり、あがめられますように(3:1)」と。主の教えがテサロニケの教会から他の異邦人世界へと広まることをパウロは願い、それが実行され達成されることを確信していた。
しかしこの模範的教会にも信仰を持たないものがいることをパウロは逃亡先のコリントで伝え聞いていた。
この時テサロニケには2種類の主に従わないものがいた。それは反キリストと、非キリストである。反キリストは初めから主の選びからは退けられていた。彼らはキリストの教えを否定し、偶像礼拝に励んでいた。彼らは不法の子であり、滅びの子であって、悪魔の化身であった。救いの対象ではなく滅びの対象であった。これに反して非キリストは、キリストの教えに従おうとはしなかったが、決して反キリストではなかった。彼らは働く能力を持ちながら、怠惰な生活を送っていた。それゆえ、「締まりのない生活をしている者」と呼ばれていた。彼らは自分の手でパンを稼がず、教会の恵みに頼り、まじめに働く人の献金を利用して生活していた。彼らは何も仕事をせず、おせっかいばかりして世の顰蹙を買っていた。パウロは言う「こんな連中とは付き合うな」と。「しかし、その人を敵とみなさず、兄弟として戒めなさい(3:15)」と。悔い改め、神に立ち返ったものを、主は赦すのである。悔い改めは赦しの絶対条件である。
これに反して、信仰に生きるパウロたちの生活の在り方はは厳しく、身を律して生活をしていた。その宣教には報酬を得る権利を持ちながらも、自給伝道に努めていた。それは聖徒たちの模範となるためであった。だからこそ「あなたがたは、たゆむことなく善を行いなさい。この手紙に書いた教えを忠実に守りなさい」と言うことが出来たのである。
はじめに
★ 誰が誰に、いつ、どこで、何のために書かれたのか。本書簡の特徴とは何か。
1、誰が書いたか:パウロ(シルノワ、テモト)
2、誰に向かって書かれたか:テサロニケの教会に向かって
3、いつ書かれたか:紀元50~51年ごろ。2回目の伝道旅行(トロアスーピリピーテサロニケーベレヤ)の際
4、どこで書かれたのか:避難先のコリントで
5、何のために書かれたのか:テサロニケの教会はパウロが短期間(3週間)ではあったが福音宣教に努めた異邦人の教会であった。この時と、第1の手紙でパウロの説いた「主の日」の理解(教理真理)が偽教師を通じて聖徒たちに誤って伝えられていた。それは「主の日はすでに来た」と言うものであった。それを信じたテサロニケの聖徒の間には動揺が走っていた。これを伝え聞いたパウロは、彼らが信仰を強め、教義上の誤解を正すべく第2の手紙を書いたのである。
テサロニケの聖徒たちは模範的な教会を維持、発展させるために、苦難の中で戦っていた。彼らがくじけないためには力強い励ましが必要であった(1章)。そのために、パウロは、自分の代わりに使徒テモトをテサロニケに送っている。
さらに、教理的に誤った教えが広まっていた。それは「主の日」はすでにきているというものであった。それを正す必要があった(2章)。「主の日」に関する言及はこの書簡のテーマでもある。
テサロニケの教会は、模範的な教会ではあったが、主に従わず、放縦な「締まりのない生活」をする反キリストではないが、非キリスト者が存在していた。彼らには「戒め」が必要であった。悔い改めて神に立ち返れとパウロは勧告する(3章)。主の再臨の時、救われるためである。
パウロは言う「偽教師にはだまされるな」と。テサロニケの教会が迫害と艱難に耐えながらも、従順と信仰において、今までのように模範的な教会であり続け、成長していくことをパウロは切に願い、その達成を確信していたのである。
最後にパウロはテサロニケの教会ために祈る。「どうか主イエスの恵みが、あなたがたすべてと共にありますように(3:18)」と。
第1の手紙と、第2の手紙の間には1年ほどの間があったとされている。
1、言葉の意味
再び「再臨」について
「あなたがたを離れて天に上げられた、この主イエスキリストは、天に上げられた同じ有様で、またお出でになります(使徒の働き1:11)」。それが神のご計画だからです。
再臨とは復活して天に上ったとされるイエスキリストが、世界の終わりの日にキリスト者を天に導きいれるために、また、世界を義によってさばくために、再び地上に降りてくることを云う。しかし、その日は、確実に起こることであっても、いつ起こるのかは神のみが知る事項であってその他のものは、たとへ天使であっても知りえないのである。それにもかかわらず、テサロニケにおいて、異端の集団、過激な者たち、熱狂的な信者たちが、再臨の時を予測して、社会的動揺、混乱を引き起こしていた。その誤りを正すためにパウロは、この第2の手紙を書いたのである。
パウロは言う。再臨の前には必ず、しるし(前兆)があると。そのしるしとは背教であり、不法の人(滅びの子)の出現であり、不法のものが支配する闇の世界(大患難時代)であると。この闇の世界を終了させるために、キリストは再臨されるのである。しかしその日は、いつかはわからない。だからいつ再臨されてもあわてないように常に信仰において義であれとパウロはテサロニケの教会の聖徒たちに勧めるのである。
主は不法の人をさばくために栄光のうちに再び来られます。主の支配する、その国は永遠に終わることはありません(Ⅰコリント15:23~28参照)」。神のご計画は完成する。
2、内容構成
3、各章ごとの説明
第1章:パウロはテサロニケの教会に挨拶を送り、恵と平安があなたがたの上にありますようにと祈る。
テサロニケの教会は迫害と艱難の中にあって、それに耐えながら神に対する従順と信仰において、マケドニアとアカシアの教会に対して模範を示していた。その教会としての成長に対してパウロはこれを称賛し誇りに思う。そして「あなたがたの苦難は神の国のためです」と言い「艱難は信仰を純化させる神の恵みである」と教える。そして主の再臨の時、「主に義なるものは救われ、不義なるものは永遠の滅びの刑罰を受ける」と語る。さらに言う「どうか私たちの神が、あなたがたをお召しになるにふさわしいものにして、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように(1:11)」それは「主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです(1:12)」。
第2章:キリストの地上再臨の前に反キリストによる大患難時代が来る。そのことを聖書は、「主の日が来る」という。使徒パウロはテサロニケの教会にそのことをよく話していた。彼らはそれをよく知っていたはずであった。それにもかかわらず、「主の日」はすでに来ている」という誤った教えを聞いたとき、テサロニケの教会は、動揺し、混乱した。そのため、パウロは「主の日」に対する正しい知識をテサロニケに再度、伝える必要があった。それで書かれたのが、テサロニケに対する「第2の手紙」である。「主の日」に関する知識を正しく伝えることが、この手紙の中心的内容である。
パウロは「主の日」に関する誤りを正すために、まず「主の日」が来る前に起こる出来事を語る。1、背教が起こる、2、不法の人(滅びの子=反キリスト)が現れる、3、神殿が建てられる、4、不法の人が真の神を否定して、神殿に座し自らを神と僭称する(2:4参照)。これは大患難時代を現している。大患難時代の後に来るのが主の再臨であり、千年王国である。千年王国の時、主イエスとその聖徒たちがこの王国を支配し、反キリスト(サタン)はみ使いによって、底知れぬところに投げ込まれて、千年の間、閉じ込められる。パウロは言う「あなたがたが知っているとおり、その定められた(携挙)ときに現れるように、今引き留めているもの(教会)があるのです(2:6)」と。しかし、携挙の時、教会は天に上げられ、引き留めていたものが不在になると、サタンは解放され、軍勢を集めて主の軍隊と戦う(ハルマゲドンの戦い)。」「主は、み口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます(2:8)」。サタンは永遠の滅びの中に落とされる。不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴うのである(2:9参照)」。この章を読まれる方は「ヨハネの黙示録(20:1~14)を併せて読んでほしい。ここには「最後の審判」までが描かれ、神のご計画が語られているからである。パウロは言う「最後の審判の時、主によってえらばれているあなたがたは、あらかじめ救われているので、堅く立って主の教えを守りなさい」と。
第3章:パウロは異邦人伝道の成果が,テサロニケの教会において達成されていることを喜び、誇りとしていた。そして言う「終わりに兄弟たちよ、私のために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところと同じように、早く広まり、あがめられますように(3:1)」と。主の教えがテサロニケの教会から他の異邦人世界へと広まることをパウロは願い、それが実行され達成されることを確信していた。
しかしこの模範的教会にも信仰を持たないものがいることをパウロは逃亡先のコリントで伝え聞いていた。
この時テサロニケには2種類の主に従わないものがいた。それは反キリストと、非キリストである。反キリストは初めから主の選びからは退けられていた。彼らはキリストの教えを否定し、偶像礼拝に励んでいた。彼らは不法の子であり、滅びの子であって、悪魔の化身であった。救いの対象ではなく滅びの対象であった。これに反して非キリストは、キリストの教えに従おうとはしなかったが、決して反キリストではなかった。彼らは働く能力を持ちながら、怠惰な生活を送っていた。それゆえ、「締まりのない生活をしている者」と呼ばれていた。彼らは自分の手でパンを稼がず、教会の恵みに頼り、まじめに働く人の献金を利用して生活していた。彼らは何も仕事をせず、おせっかいばかりして世の顰蹙を買っていた。パウロは言う「こんな連中とは付き合うな」と。「しかし、その人を敵とみなさず、兄弟として戒めなさい(3:15)」と。悔い改め、神に立ち返ったものを、主は赦すのである。悔い改めは赦しの絶対条件である。
これに反して、信仰に生きるパウロたちの生活の在り方はは厳しく、身を律して生活をしていた。その宣教には報酬を得る権利を持ちながらも、自給伝道に努めていた。それは聖徒たちの模範となるためであった。だからこそ「あなたがたは、たゆむことなく善を行いなさい。この手紙に書いた教えを忠実に守りなさい」と言うことが出来たのである。
令和元年11月12日(日) 報告者 守武 戢 楽庵会