日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

第140回 芥川賞受賞作品「ポトスライムの船』津村記久子作

2009年02月25日 | Weblog
 『文学は社会を写す鏡である』という言葉がある。この作品はまさに現代を描いている。この作品の中でワーキングプアーとは云えないまでも、それに類した環境の中で精一杯逞しく生きていく20代後半30歳にならんとしている女性達の姿が描かれている。ナガセ、ヨシカ、りつ子、そよ乃、は大学の同期であり、大学卒業後、就職しながらも、職場に満足できず、退職したり、教員採用試験に落ちて結婚したりする。しかし、一旦ルートを外れた女性のその後の人生は決して楽ではない。派遣社員になったり、パートになったり、ささやかな自営業者になったり、そのいくつかを掛け持ちしたりして生活を支えていかねばならない。特に離婚し、子供を抱えた母子家庭は大変である。離婚を考え幼い娘と共に、夫のもとを飛び出し、ナガセの家に転がり込み居候して職探しをするりつ子、離婚を考えながらもその後の母子家庭の大変さを考え、子供が成人するまで我慢しようとするナガセの上司:岡田さん。結婚が必ずしも女性の生活の安定を保証するものでない事が具体的に示される。100年に一度の不景気と言われる中で、パート切り、派遣社員切り、正社員すらも保証の限りではない。まさに今日、今の社会が個々の女性の生活を通じて描かれる。そんな社会を作者は正面きっては批判をしない。社会に全ての責任を押し付けるのではなく、厳しい状況の中で、いかにして個人が精一杯生きていかねばならないか、を問うている。人間の持つしたたかさ、ずるさ、狡猾さ、ちゃっかりさ、等々人間の持つ生き抜くための生活の知恵がこの作品の中で描かれる。しかし決して暗くはない。ささやかな日々の中にも喜びはある。世界一周の夢もある。そこには社会の底辺でうごめく貧者とは云えないまでも決して豊かではない女性達の逞しさがある。彼女達に対する愛がある。良い作品だと思う。
 この作品の主人公ナガセ(長瀬由紀子)は、生活に張りを無くしている。生きる為に生活するのか、生活する為に生きるのか。自分の生の不確かさに吐き気を催している。生きることの確かさを求めて、彼女は自分の体に刺青を彫ろうと思う。『今が一番働き盛り』なんと良い言葉であろう。この言葉と一緒に生活すれば、この彫り物を見つめていれば、生活に実感を得られるのではないか?海外旅行にも行こう。163万円かかると言う。その額は自分が契約社員として働いている化粧品会社の年収とほぼ同額である。大学の同期で、かって同じ化粧品会社で働いていたヨシカの経営するカフェでの給仕のバイト代と、老人ホームでのパソコン講師の給料とデータ入力の内職の収入を合算すれば、会社からの給料を全て貯金に回しても、何とか生活は出来る。一年後には世界旅行の夢を実現できる。こんな目的を持っていれば働くことに張りが出来るのではないか。その為には生活も切り詰めねばならない。贅沢は敵である。彼女は全ての出費を手帳に書き出し、無駄を省き、目的に向かって歩き始める。
 しかしこんな思惑を裏切る出来事が起こってくる。大学の同期りつ子が娘の恵那を連れて、ナガセの家に転がり込んでくる。家計と言う観念のまったく無い夫と別れたいという。ナガセは築50年の木造4LDKの広いだけが取り得の家に母親と共に暮らしている。この家には、かって、カフェを経営する以前のヨシカも住んでいた事がある。ナガセはその部屋をりつ子の就職が決まるまで、住まわせることにする。共同生活が始まる。ナガセの母も離婚経験者である。それ故りつ子のよき理解者である。幼稚園の年長組の恵那をとても可愛がる。
 結婚は簡単に出来ても別れることは難しい。子供がいればなおさらである。慰謝料、養育費、財産分与、等々、最悪の場合裁判ざたになる。しかし相手に金が無ければどうにもならない。泣き寝入りも多いという。
 ナガセの勤める会社の上司ラインリーダーの岡田さんも夫とのことで悩んでいる。家庭持ちの女性と浮気をしているらしい。夫は岡田さんのことを結婚後ぶくぶく太ってしまって、何らのときめきも感じないと言う。わたしにも責任があるのよ、と岡田さんは言う。結婚生活は共同作業である。結婚を継続させる為には知恵が必要である。努力が必要である。お互いに相手にときめきを感じさせるよう努力しなければならない。惰性は絶対いけない。時には恋愛時代に戻る必要がある。この知恵と努力を忘れたとき、二人の仲は破綻する。母子家庭の現実を見てきているので、岡田さんは離婚に踏み切れない。子供達が成人するまで待つという。おそらく岡田さんは夫との離婚に備え、準備していくであろう。へそくりを貯め、年金も狙っているかもしれない。浮気の真似事もするかもしれない。子供達も味方につけるであろう。そこには夫を騙し、自分を偽ってまで結婚生活を継続させることに決めた女のしたたかさがある。
 りつ子は就職先が決まり、住居も決まり、ナガセの家を出ていく。離婚も何とかなりそうである。今までの家賃は給料の中から少しずつ返していくと言う。
 りつ子の居候とそれなりの面倒は、ナガセの出費を増やす。パソコンのデータ入力の仕事を増やしたり、パソコン教室の欠員補充の募集に応募したり、その出費を補う。今まででも大変なのに仕事を増やしたりしたので、ナガセは体に変調をきたす。咳が絶え間なく出る。いろいろ考えてもたもたしてはいたが、結局は医者に行く。過労性の風邪だと言う。一週間も安静していれば直ると言う。ナガセは安心する。
 病床で彼女は夢を見る。シングル・アウトリガーカヌーに乗って南方のあちこちの島にポストライムを配っていく夢である。ポトスライムとは観葉植物の一種で、株分けによっていくらでも増やす事が出来、少々水を切らしても育つのである。そこには雑草にも似た強力な生活力がある。ナガセ達、底辺とは言わないまでも決して豊かではない人々のように。そんな観葉植物をナガセは育て、愛している。病が癒え、出勤した彼女の前にアウトリガーカヌーに乗った男の子が自分を招いているポスターに出会う。彼女の世界旅行への夢は更に膨らむ。
  文芸春秋2009年3月号掲載『ポトスライムの船』より