日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

第143回芥川賞受賞作 『乙女の密告』赤染晶子作 密告したのは誰か

2010年09月22日 | Weblog
 この作品『乙女の密告』は『アンネの日記』を題材にしているので、それから紹介するのが筋であろう。『アンネの日記』は世界的ベストセラーになり、今でも広く読まれている作品なので、内容までは読んでいなくとも、題名くらいは知っているであろう。『アンネの日記』の紹介が目的ではないので簡単に紹介する。興味のある方は、ぜひ読んでほしい。
 『アンネの日記』が最初にこの世に出たのは1947年である。この版では隠れ家の住人で唯一の生存者であったアンネの父親(オットー・フランク)よってカットされていた部分(母親に対する批判、セックスに対する率直な意見)が、1971年に出版された『完全版』では復活している。さらに1998年には新たに発見された5ページを加えて増補新訂版として出版された。
 この日記は架空の第3者キティーへの手紙という形をとっており、最後には必ず署名を入れてある。
 『アンネの日記』増補新訂版、文芸春秋文庫、深町真理子訳 第1刷:2003年4月10日、第5刷2010年7月5日

 アンネ・フランクは、ドイツのフランクフルトに1929年6月12日、裕福なドイツ系ユダヤ人の2女として生まれる。その4年後、アドルフ・ヒトラー(1889年~1945年、56歳没)がドイツの首相になり、ユダヤ人の迫害を始める。アンネは家族(父、母、姉、アンネ)と共にオランダのアムステルダムに移住し、1942年にゲシュタポ(ドイツ秘密警察)から逃れる為に、ファンベルス一家と一人の仲間の8人で隠れ家での生活を始める。
 この日記は1942年6月12日から1944年8月1日までの約2年と2ヶ月のアンネたちの生活を描いたものであり、13歳から15歳の多感な時代の貴重な記録である。早熟で、聡明なアンネは、隠れ家という閉鎖社会の中で、本を読み、勉強をし、音楽を聴き、家族と語らい、時には喧嘩もし、さらに恋もする。初めてのキスシーンも描かれている。しかし病気になっても医者にも行けない。勿論呼ぶことも出来ない。日常生活をしていく為には周りの人たちの協力を不可避とする。買い物一つ自分ではできない。自分はユダヤ人だという誇りを持ちながらも、それでは生きていけない自分を考え、戦争が終わったらオランダ人になりたいと思う。そこには分裂した自己があり、ユダヤ人に対する差別に対する怒りがあり、悲しみがある。そして彼女は言う『けれども、いつかはこのひどい戦争も終わるでしょう。いつかは私たちだって、ユダヤ人と云うだけでなく、再び一人の人間になれるでしょう」と。ユダヤ人としての誇りは選良意識を生み、それは他に対する区別であると同時にそれが差別を生み、敵意を生む。その結果としての戦争が起こる。個を認め合うこと、そしてその前提に立って平等な社会を築きあげること。彼女は差別の彼方にユダヤ人でもなければオランダ人でもない人間として平等な社会を夢見ている。そこには個から普遍へと、神への道がつながっているのである。わずか14,5歳の少女がここまで考えていたのである。
 アンネたちは密告により逮捕され、家族全員はアウシェヴィッツの収容所に送られる。収容所の衛生状態は極悪であり、チフスが蔓延し、1945年3月、最初に姉が、ついでアンネもチフスにかかり死亡する。終戦の2ヶ月前である。1945年4月30日、ヒトラーは自殺し、同年5月2日、ついにベルリンは陥落し、ドイツは無条件降伏をし、第2次世界大戦は終結する。彼女がもう少し長く生きていたら、他人の痛みを知る、素敵な女性に成長していたであろう。この日記は彼女の精神的な成長の記録でもある。戦争は多くの人間の素晴らしい可能性を奪い去る。アンネはオランダ人になることを望んだが、ユダヤ人として生き、ユダヤ人として死んでいった。それ以外の生き方はなかったのである。

この作品『乙女の密告』について
 時代は現代。場所は京都の外国語大学。圧倒的に女性が多い。一般の女子大の乙女たちと違う。真面目である。授業中に化粧をしたり、携帯をいじったりしない。そんな暇はない。予習に余念がない。一般の女子大と違って目的を持ち、勉学に励む。

この作品の登場人物
 バッハマン教授:ドイツ語のスピーチゼミの担当教授。奇行のあることで有名。ゼミ生はすべて女性。彼は女子学生を乙女と呼ぶ。みか子、貴代、麗子、百合子は、彼の担当するスピーチゼミの乙女たちである。彼はゼミの面接で乙女たちに尋ねる。『あなたはいちご大福とウイスキーとどちらが好きですか』と。いちご大福と答えれば『すみれ組』、ウイスキーと答えれば『黒ばら組』に分類される。たったこれだけのことなのに派閥の論理が貫き、両者は対立する。乙女たちは彼を尊敬するとともに恐怖する。彼は、日本式の努力と根性をとても愛している。今教材として『アンネの日記(『エト アハテルハイス』)を使っている。乙女たちに課題を出しこれを明日までに暗唱してくるよう指示する。乙女たちは驚愕する。西洋人形のアンゲリカ人形を愛し、常にこれを腕に抱えている変り者である。この人形が誘拐される。彼は蒼白になる。犯人はだれか?彼はチラシまで作りこれを乙女たちに配布する。

 スピーチゼミの乙女たち:外大の中でも乙女の精鋭部隊であり、語学力に関係なく2年生から4年生までのおしゃべりに自身のある乙女たちの集まりである。バッハマン教授は『アンネの日記』の中で彼が一番重要であると考える『1944年4月9日、日曜の夜』の記述を暗記しろという。スピーチコンテストが1月に開催される。それに向けての準備である。この日はアンネたちの隠れ家に、ゲシュタポ(秘密警察)の来た日である。隠れドアーのすぐ後ろまで来てアンネたちを恐怖におとしいれた日である。『アンネの日記』の中で最も緊迫する1日である。この日アンネは自分がユダヤ人であることを痛いほど思い知らされる。『今、私が望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです』と日記に書いている。ユダヤ人としての誇りを持ちながら、それを持っていては生きていけないわが身の境遇を悲しみ、そこからの脱出を考える。そこには引き裂かれた自己がある。差別されたものの、生きる悲しみがある。そんな場面をバッハマン教授は暗記せよという。今は11月。1月にはスピーチコンテストがある。それに向かって励めという。スピーチコンテストは、暗唱の部と弁論の部に分かれる。みか子たち2年生は暗唱の部に出演する。そしてこの部分を朗読することになった。最初のリハーサル(予行演習)が行われる。その結果は散々だった。絶句する者、発音を間違える者、どこかを忘れる者、文章を飛ばすもの、と様々である。みか子も貴代も絶句する。このみじめな結果を受けて麗子様は怒り狂い、皆に命令する『明日、早朝から大会議室で自主トレをします。みなさん集まってください』と。乙女たちは驚くが麗子様の命令に逆らうことはできない。麗子様の指導のもと自主トレが行われる。麗子様達4年生は弁論の部に出演する。

 みか子:2年生。この作品の主人公。ドイツ語のスピーチゼミの学生。ドイツ語の得意な帰国子女の貴代に常に助けられている。貴代がいなかったら彼女はこのゼミについていけなかったであろう。誰よりも『アンネ』を愛している。その純粋な気持ちゆえに彼女は「乙女」である。彼女の家は古い京町屋である。母はホステスである。「すみれ組」に所属する。スピーチでは度々絶句する。それがトラウマになっていていつも同じ場所で絶句する。麗子様を尊敬している。それ故、麗子様とバッハマン教授の間におかしな噂が起こったとき、それを信用することが出来ない。半信半疑である。信じるための確証がほしい。その確証探しを始める。それがみか子にとって命取りになる。

 貴代:ドイツからの帰国子女。当然ドイツ語は得意。みか子の親友。スピーチゼミの学生。その振る舞いは欧米の文化に染まっているから自由奔放。「黒バラ組」に所属する。麗子様の失脚後「黒ばら組」のリーダーになる。

 麗子様:弁論の部のエキスパート。全国各地のスピーチコンテストを荒らしまわり、常に上位入賞を果たしている。何回も留年を繰り返している万年4年生。年齢不詳。スピーチの時間を計るため、常にストッポッチを胸にかけている。風呂の中でも外さない。防水時計やとうそぶいている。バッハマン教授との面接の時、その質問に対し私の好きなものはストッポッチですと答え評判になる。「黒ばら組」のリーダー。みか子は麗子様の隠れファンである。みか子自身は「すみれ組」なのでこの事実を隠している。背信行為になるからである。麗子様のスピーチは他の女子学生のものとは違ってとても美しい。絶句をしても決してあわてず、微笑んだまま思い出すまで待ち、失った言葉をスット拾い上げる。その姿は美しかった。みか子はそんな麗子様にあこがれる。麗子様とバッハマン教授との間に黒いうわさが流れる。彼女が乙女らしからぬことをして、スピーチの原稿を作ってもらっているのではないか。スピーチの選考に手心を加えてもらっているのではないか?そこには乙女特有の嫉妬心があった。単なるうわさに過ぎないが、乙女たちは彼女を許さない。乙女たちにとって真実など問題ではない。真実らしければよい。信じられている根拠として、バッハマン教授の研究室から時々誰かに話しかけている声が聞こえるというのである。この話相手こそ麗子様ではないかというのである。しかし、誰もこの事実を確かめたものはいない。信じるか信じないかの問題である。麗子さまはこの噂のために「黒ばら組」のリーダーを辞めさせられる。そのあとを貴代が引き継ぐ。しかしそんなことを彼女は気にも留めない。私はストッポッチ組よとうそぶいている。

 百合子様:「すみれ組」のリーダー。その夢はスチュワーデスになること。大学と並行してスチュワーデスの専門学校にも通っている。本物のスチュワーデスのように、普通の生活でもスカーフを斜めに結んでスチュワーデスを気取っている。そのため乙女たちからは「空を知らないアヒル」と陰口をたたかれている。スチュワーデスの試験に失敗して留年している。スピーチコンテストでは麗子様とライバル関係にあり覇を競っている。しかし常に麗子様に先を越されている。常に2位である。麗子様とバッハマン教授に関する黒いうわさを聞いて『へー、信じられんわー。不潔やわぁー』と、乙女の決まり文句を並べる。乙女とは、信じられないと驚いて、誰よりもそれを深く信じる生き物だ。

 乙女とは(その定義極めて曖昧模糊としている)
 1、純粋である(潔白である)
 2、処女である
それ故、自分とは異質な存在に対しては、厳しく差別し、認識する。乙女とは潔癖な存在である。彼女らは夢見る存在である。その目はこの世にあるものには向けられていない。うっとりと空を見上げて語る。その言葉は決して真実を語らない。乙女は美しいメタファーを愛する。だから乙女らしからぬ噂はその真偽にかかわらず、これを排斥する。決して確かめようとはしない。真実らしければそれでよい。それだけで噂の主は差別され、排斥される。そこには乙女共同体があり、それ以外のものに対する拒否反応がある。だから、不純異性交流など乙女にとってもってのほかである。

この作品のあらすじ
 みか子は朗読において、度々絶句する。その文章は決まっている。それまで順調に朗読していても、その文章の前に来ると必ず絶句する。麗子様は云う「みか子、暗記はスピーチの基本やで」と、そしてこうも云う「みか子知っている?それ記憶喪失やよ、スピーチの魔物やよ」と。絶句する度にみか子は喪失感に苦しめられる。それがみか子のトラウマになる。それは練習量には関係がない。百万回練習しても絶句は起こる。まさに魔物である。何回もコンテストに出て、何回も優勝している人でも絶句は起こる。この壁を乗り越えられるかどうかは本番まで分からない。だから始末に悪い。対処の方法がないからである。その時の運に期待する以外にない。僕は詩吟をやるが、コンクールに出て「壇ノ浦を過ぐ」(村山仏山作)を詠って絶句した。練習中には決して絶句しなかった言葉である。数秒後に思い出しあわてることなく最後まで詠いきったが、数秒間の絶句が命取りになって失格となる。それ以外はうまく詠えたのにとても残念である。これ(中野連盟主催)に合格すれば、都の大会がある。そしてこれを通過すれば全国大会がある。前途多難だが全国大会までいくつもりである。中学、高校では合唱部で、聖歌隊でも歌っていたので声には自信がある。世界宗教会議(公開)が東京で開催された時、そのバック・コーラスの一員にも選ばれている。それはともかくとして、みか子の絶句した文章は『今、一番私が望むことは、戦争が終わたらオランダ人になることです!』アンネはユダヤ人としては生きていけない。オランダ国籍という他の要素が必要だったのである。ここでアンネは云う「私は他者になりたい」と。みか子はアンネがユダヤ人の誇りを持って生きてほしかったのであろう。その願いがその文章の前に来ると絶句となって表れたのではなかろうか?アンネたちは密告された。収容所に送られアンネは姉とともにチフスにかかって死亡している。ユダヤ人として死んでいったのである。アンネたちを密告したものは誰か?それは今もってわかっていない、謎に包まれている。
 麗子様とバッハマン教授の黒い噂は消えない。確証があるわけではない。みか子は真実を確かめたいと思う。方法はただ一つバッハマン教授に直接確かめることだ。彼女はバッハマン教授の研究室に行く。うわさ通りバッハマン教授は誰かにドイツ語で話しかけていた。この中に真実がある。みか子は迷った末、勇気を出してドアーを開ける。乙女たちの誰もしなかったことだ。意外な結果が待っていた。麗子様はいなかった。ではバッハマン教授は誰に話しかけていたのか?何とバッハマン教授はアンゲリカ人形に話しかけていたのである。これが噂の真実であった。いかに変り者のバッハマン教授とはいえ、この真実を乙女たちの誰が信じるであろうか?みか子の心からは、麗子様に対する疑いは晴れた。しかし乙女たちは?驚いたバッハマン教授は、落ち着きを取り戻し、みか子に暗唱を命じる。その後アンネがユダヤ人としての誇りを持ちながらも、オランダ人になりたいと思うアンネの引き裂かれ分裂した心の悩みを語る。それには同意するものの今のみか子にはそれどころではなかった。早くこの場を去りたいと思う。誰かがドアーの外にいたらと思うとゾッとする。今度はみか子が疑われる。その危惧は真実となって表れる。ガタンと音がし、人の立ち去る音がした。「待って!」「話を聞いて」みか子はそのあとを追う。しかし見失う。「私は密告される。必ず密告される」ドアーの外にいたのは誰か?麗子様か、他の乙女か?研究室の中で何が語られていたかは問題にはならない。研究室に2人だけでいたことが問題である。どんなに「私は無実だ」「何にもしていない、私は清潔だ」「私は乙女だ」と叫んでみても、乙女たちは許してくれないであろう。麗子様の噂は消え去らないまでも下火になったが、今度はみか子が噂の中心になる。目撃者が乙女たちに密告したのである。
アンゲリカ人形が誘拐される。バッハマン教授は蒼白になる。アンゲリカ人形を誘拐したのは麗子様であった。麗子様はバッハマン教授に恋をし、憧れていたが、バッハマン教授はアンゲリカ人形にのみを見つめていて、自分を見つめてくれない。だからアンゲリカ人形に嫉妬し誘拐したのである。それをみか子に告白する。麗子様はアンゲリカ人形をみか子に預ける。しかし数日後には自分に返してくれという。バッハマン教授の悲しみを見ていられないという。麗子様は乙女である。一途にバッハマン教授を愛している。麗子様によって誘拐されみか子によって保護幽閉されたアンゲリカ人形、そこにみか子はアンネの姿を見る。アンネは救われなければならない。アンネは他者になりたいという。ユダヤ人ではなくオランダ人になりたいという。それが今のアンネにとって唯一の救いなのである。そこには分裂し、引き裂かれた自己がある。しかしみか子は宣言する。「ユダヤ人はユダヤ人という運命を自ら引き受けねばならない」と。他者には決してなれない血が存在している。それを否定することは絶対にできない。過去に彼女はドイツ人の国籍をはく奪されている。オランダ人として生きることも、他の民族として生きることも出来ない。ユダヤ人はユダヤ人として生き、死んでいかなければならない。そこにはユダヤ人としての、長い苦難の歴史があり、「祖国を失った民」がいる。放浪の歴史をたどりながらも、彼らは決してユダヤ人としての誇りを失わなかった。そして戦後彼らはイスラエルという国を建国する。この国には様々な問題を抱えており、周りのアラブ諸国と軋轢を起こしているが、その当否は別にして、ユダヤ人にとってこの国は、彼らが守り抜かなければならない最後の砦であり、誇りなのである。
 コンクールの当日、みか子はまたもや絶句する。しかしみか子は宣言する。「私はアンネを密告します」「アンネはユダヤ人です」と。それがみか子に与えられた大事な言葉だったのである。アンネはユダヤ人として死んでいくことこそ、アンネを真に生かす道なのである。アンネはユダヤ人として生き、ユダヤ人として死んでいったのである。
 『アンネの日記』をナチス占領下のオランダ、アムステルダムの隠れ家にに住み、密告され、収容所で死んでいった哀れな少女の、哀れな物語として読むのではなく。自分の国籍について悩み苦しむ、一個の自立した女性の、成長の記録として読む必要があろう。
 みか子は絶句する。そして絶句する文章の中に自分の言葉を探す。そしてコンクールの当日その言葉は見つける。この作品『乙女の密告』は『アンネの日記』に題材を取りながら、密告の意味を考える。アンネたちを密告したものは誰か?みか子を密告したものは誰か?みか子はアンネを密告したものは自分だと言い切る。みか子は、アンネをユダヤ人と密告することによって、アンネが本来的な道に進むことを願っていたのである。この言葉こそみか子が探し求めていたものであった。しかしこの密告がアンネたちを死に追いやったことは、皮肉な現実である。それはこの時代、ユダヤ人としてのアンネたちが引き受けねばならない過酷な運命だったのである。
 いずれにせよ、京都のある外国大学のドイツ語のスピーチゼミのドタバタ劇を描きながら、作者は『アンネの日記』の持つ深刻な問題へと接近していったのである。
    月刊雑誌『文藝春秋』2010年9月特別号掲載『乙女の密告』 文藝春秋社刊