イザヤ書29 53章1~12節
はじめに代えて「私の救いの証し」:私の家族はクリスチャンではない。しかし、なぜか、文語訳の新約聖書が我が家には有った。聖書は、世紀のベストセラーである。その関係で我が家にもあるのかもしれない。
教会との出会い(1)、浪人時代に通っていた「英語学校」がロゴスと言う名の教会の付属であった。英語の勉強の「ついでに」教会にも出る。牧師の話が面白かったので、大学合格まで教会にも参加する。
神との最初の出会いは、「富士登山」の時である。8合目で「ご来光」を迎える。その神々しさに「神」を感じる。「自然神」である。そこに集まっていたすべての人が拍手でこれを迎えた。勿論、私も拍手した。そこに、私は万物万象の創造の神を見た。
教会との出会い(2)、それから学生時代、職場時代と、長い時を重ね、次に教会と出合ったのが「日野教会」であった。これも「ついで」である。教会で「ゴスペル」の会員を募集していたのでそれに応募した。その関係で教会の礼拝にも参加した。神を信じたからではない。あくまでも「ついで」である。その時の牧師は加藤牧師だった。
それまで「神」とは全く無関係であったが、ある時「洗礼を受けよ」という啓示が、私に下った。それで洗礼を受けた。2013年8月4日(日)のことである。加藤牧師からは、「良く決心した」と言われたが、私が決心したのではない。神が決めたのである。洗礼を受けるとすべての罪が浄化され、気持ちよくなると言われていたが、実際には、浴槽に沈められたとき、耳の中に水が入り気持ち良くなるどころか、その日いっぱい気持ちの悪い思いをした。神は、私を拒否したのか。それとも「待て」と言われたのか。洗礼後「神を信じますか」と問われたが、「信じます」とは言ったが、それはあくまでも表向きの事であって、いまだに神を信じているかどうかはわからない。こんな私でも、神を求めに求めてはいる。しかし、求め得ない。その実感がない。私は、神によって救われるのだろうか。
今、聖書の勉強をしているが、信仰から出ているというより、知的興味のような気がする。聖書には多くの矛盾がある。書かれた年代、場所、環境、の違いがあるので、実際には矛盾があるのは仕方がないとは思う。しかし、聖書は、神の書である。その観点からは、矛盾があってはならないのである。
神を知るとは、人(自分)を知ることである。知的にどんなに深く聖書を学んでも、神を知ることは出来ない。神を知るとは神を敬い、信じることである。だから、私は、死を前にしたとき、目の前に現れた神にOh my Godと叫んで死にたい、と思う。現れるかどうかは分からないが。現れると信じたい。
イザヤ書53章:「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたか(53:1)」。「彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない(53:2)」。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった(53:3)」。主のしもべに対する人々の反応が語られています。「私たちの聞いたこと」の私たちとは、預言者イザヤと主の言葉を信じた者(残りの者)を指します。主とはイエス・キリストのことです。聞いたこととは、神の救いの力です。イエスは「主の御腕は誰に現れたか」と、人々の前で多くのしるしを「証し」されましたが、彼らは、イエスを信じなかったのです。人々にとってイエスは、ローマからの解放者ではなく、堕ちた偶像だったからです。イエスは聖霊と聖処女マリアの間に生まれた若枝だったのです。「若枝」とは、救い主を意味します。そのイエスは砂漠の中でサタンの試練に会います。その試練に打ち勝ちます。砂漠とは罪に満ちたイスラエルの地を指します。イエスは、その不毛の砂漠に咲いた一輪の花だったのです。それを「オアシス」にまで広げます。しかしその姿は想像に反して醜かったのです。「見とれるような姿がなく」、「輝きがなく」「人が慕うような見ばえがなかった」のです。しかし、これはあくまでも人の価値観であって、主の価値観は違います。主は外観でなく心を見ます。「わたしは、人が見るようには見ない」と断言しています。我々の見る、厳かで美しいイエスの姿は、主の心の反映といって良いでしょう。3節には「さげすまれ」という言葉が、2度使われています。人々から完全に見放されており弟子たちも彼を尊ばなかったのです。その証拠にキリストが十字架に架かったとき彼らは連座を恐れて逃げ去っております。彼らが主に立ち返ったのは、キリストの「初臨」以降のことです。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと(53:4)」。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちは、いやされた(53:5)」。「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた(53:6)」。「病」とは罪を表します。ここには主の贖いの救いが、語られています。主は、自ら、主体的に人々の罪を負い、贖ったのです。それは、十字架刑に現わされています。しかし、人々は、そうとは思わず、彼に神からの懲罰的苦難が下ったと考えたのです。主の贖いの死は、人々が、罪から離れて、義のために生きるためでした。キリストの打ち傷ゆえに私たちはいやされるのです。主のしもべの苦難は彼自身から出たものではなく、「私たちのそむきの罪及び咎」を贖う身代わりの苦難であり、そのために、主のしもべは、「刺し通され」「砕かれた」のです。彼への懲らしめが人々に平安をもたらし、彼の打ち傷によって、人々はいやされるのです。人々は、主に従わず、羊のようにさまよいます。これらの罪を主はしもべの罪に帰したのです。しもべは、これを主体的に受け止めます。
「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない(53:7)」。「しいたげとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを(53:8)」。「彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが(53:9)」。4~6節において主のしもべの(キリスト)の代償的苦難が示されましたが、7~9節において、再度、そのテーマが語られます。主の苦難と死とは、イエスの苦難と死の預言です。十字架刑は、死に至る刑の中で最も残酷な刑と言われています。神のしもべは、痛みつけられ、苦しめられましたが、その刑を黙して甘受したのです。それをイザヤは「口を開かない」という言葉で表現しています。そこには、しもべの主体的に苦難を受ける姿があります。それが、われわれの罪を贖う「代償的刑罰」であったことを、その時代の者たちには、理解不能なことでした。彼は「生ける者の地から絶たれた」のです。生ける者の地とは、この世です。この世から絶たれても、彼には、永遠の命が保障されています。それが預言されています。悪者どもとは、イエスと共に十字架刑に架かった2人の囚人です。そしてイエスは金持ちヨセフの墓に葬られたのです。彼は、神の前に義なる存在でしたが、主の反応は意外なものでした。次の節に続きます。
「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる(53:10)」。「彼を砕いて痛めること」とは、主の贖いの死を意味します。それは神の御心であり、喜び、だったのです。もし、彼が自分のいのちをイスラエルの民の罪過に対する生贄としてささげるならば、この民の増大繁栄は保障され、主の御心(ご計画)は彼によって成し遂げられるのです。ここに「アブラハム契約」を見ることができます。
「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう(53:11)」。「それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする(53:12)」。主のしもべ(イエス・キリスト)の、贖いの死が語られています。イスラエルの罪を、咎を、主のしもべが贖ったのです。神は、その独り子を生贄(十字架刑)に捧げられて、罪びとを義なるものに変えられます。お救いになるのです。代償的苦難(身代わりの死)です。それほどに強い愛を神は、われわれ罪びとにお与えになったのです。その知識とは、信仰を指します。しもべの正しい信仰によって多くの罪びとを義に導き、彼らの咎をになうのです。代償的苦難は、民を救います。それは、主のしもべにとっては、望外の喜びであり、満足だったのです。神は、現在も、私たちを救い、あらゆる拘束から自由な神の民として、導いておられます。「強者たち」とは、義と認められた者です。いわゆる「残りの者」です。彼らの子孫は、神の子とされた者たちです。彼らは、キリストとの共同相続人です。「神の御国」をキリストとともに統治する者たちです。主のしもべが苦しみの結果見たものは何か。それは主の恵みです。イザヤは、それを、子を産んだ母のイメージに例えています。産前の苦しみは、産後の喜びをもたらします。
はじめに代えて「私の救いの証し」:私の家族はクリスチャンではない。しかし、なぜか、文語訳の新約聖書が我が家には有った。聖書は、世紀のベストセラーである。その関係で我が家にもあるのかもしれない。
教会との出会い(1)、浪人時代に通っていた「英語学校」がロゴスと言う名の教会の付属であった。英語の勉強の「ついでに」教会にも出る。牧師の話が面白かったので、大学合格まで教会にも参加する。
神との最初の出会いは、「富士登山」の時である。8合目で「ご来光」を迎える。その神々しさに「神」を感じる。「自然神」である。そこに集まっていたすべての人が拍手でこれを迎えた。勿論、私も拍手した。そこに、私は万物万象の創造の神を見た。
教会との出会い(2)、それから学生時代、職場時代と、長い時を重ね、次に教会と出合ったのが「日野教会」であった。これも「ついで」である。教会で「ゴスペル」の会員を募集していたのでそれに応募した。その関係で教会の礼拝にも参加した。神を信じたからではない。あくまでも「ついで」である。その時の牧師は加藤牧師だった。
それまで「神」とは全く無関係であったが、ある時「洗礼を受けよ」という啓示が、私に下った。それで洗礼を受けた。2013年8月4日(日)のことである。加藤牧師からは、「良く決心した」と言われたが、私が決心したのではない。神が決めたのである。洗礼を受けるとすべての罪が浄化され、気持ちよくなると言われていたが、実際には、浴槽に沈められたとき、耳の中に水が入り気持ち良くなるどころか、その日いっぱい気持ちの悪い思いをした。神は、私を拒否したのか。それとも「待て」と言われたのか。洗礼後「神を信じますか」と問われたが、「信じます」とは言ったが、それはあくまでも表向きの事であって、いまだに神を信じているかどうかはわからない。こんな私でも、神を求めに求めてはいる。しかし、求め得ない。その実感がない。私は、神によって救われるのだろうか。
今、聖書の勉強をしているが、信仰から出ているというより、知的興味のような気がする。聖書には多くの矛盾がある。書かれた年代、場所、環境、の違いがあるので、実際には矛盾があるのは仕方がないとは思う。しかし、聖書は、神の書である。その観点からは、矛盾があってはならないのである。
神を知るとは、人(自分)を知ることである。知的にどんなに深く聖書を学んでも、神を知ることは出来ない。神を知るとは神を敬い、信じることである。だから、私は、死を前にしたとき、目の前に現れた神にOh my Godと叫んで死にたい、と思う。現れるかどうかは分からないが。現れると信じたい。
イザヤ書53章:「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたか(53:1)」。「彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない(53:2)」。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった(53:3)」。主のしもべに対する人々の反応が語られています。「私たちの聞いたこと」の私たちとは、預言者イザヤと主の言葉を信じた者(残りの者)を指します。主とはイエス・キリストのことです。聞いたこととは、神の救いの力です。イエスは「主の御腕は誰に現れたか」と、人々の前で多くのしるしを「証し」されましたが、彼らは、イエスを信じなかったのです。人々にとってイエスは、ローマからの解放者ではなく、堕ちた偶像だったからです。イエスは聖霊と聖処女マリアの間に生まれた若枝だったのです。「若枝」とは、救い主を意味します。そのイエスは砂漠の中でサタンの試練に会います。その試練に打ち勝ちます。砂漠とは罪に満ちたイスラエルの地を指します。イエスは、その不毛の砂漠に咲いた一輪の花だったのです。それを「オアシス」にまで広げます。しかしその姿は想像に反して醜かったのです。「見とれるような姿がなく」、「輝きがなく」「人が慕うような見ばえがなかった」のです。しかし、これはあくまでも人の価値観であって、主の価値観は違います。主は外観でなく心を見ます。「わたしは、人が見るようには見ない」と断言しています。我々の見る、厳かで美しいイエスの姿は、主の心の反映といって良いでしょう。3節には「さげすまれ」という言葉が、2度使われています。人々から完全に見放されており弟子たちも彼を尊ばなかったのです。その証拠にキリストが十字架に架かったとき彼らは連座を恐れて逃げ去っております。彼らが主に立ち返ったのは、キリストの「初臨」以降のことです。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと(53:4)」。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちは、いやされた(53:5)」。「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた(53:6)」。「病」とは罪を表します。ここには主の贖いの救いが、語られています。主は、自ら、主体的に人々の罪を負い、贖ったのです。それは、十字架刑に現わされています。しかし、人々は、そうとは思わず、彼に神からの懲罰的苦難が下ったと考えたのです。主の贖いの死は、人々が、罪から離れて、義のために生きるためでした。キリストの打ち傷ゆえに私たちはいやされるのです。主のしもべの苦難は彼自身から出たものではなく、「私たちのそむきの罪及び咎」を贖う身代わりの苦難であり、そのために、主のしもべは、「刺し通され」「砕かれた」のです。彼への懲らしめが人々に平安をもたらし、彼の打ち傷によって、人々はいやされるのです。人々は、主に従わず、羊のようにさまよいます。これらの罪を主はしもべの罪に帰したのです。しもべは、これを主体的に受け止めます。
「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない(53:7)」。「しいたげとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを(53:8)」。「彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが(53:9)」。4~6節において主のしもべの(キリスト)の代償的苦難が示されましたが、7~9節において、再度、そのテーマが語られます。主の苦難と死とは、イエスの苦難と死の預言です。十字架刑は、死に至る刑の中で最も残酷な刑と言われています。神のしもべは、痛みつけられ、苦しめられましたが、その刑を黙して甘受したのです。それをイザヤは「口を開かない」という言葉で表現しています。そこには、しもべの主体的に苦難を受ける姿があります。それが、われわれの罪を贖う「代償的刑罰」であったことを、その時代の者たちには、理解不能なことでした。彼は「生ける者の地から絶たれた」のです。生ける者の地とは、この世です。この世から絶たれても、彼には、永遠の命が保障されています。それが預言されています。悪者どもとは、イエスと共に十字架刑に架かった2人の囚人です。そしてイエスは金持ちヨセフの墓に葬られたのです。彼は、神の前に義なる存在でしたが、主の反応は意外なものでした。次の節に続きます。
「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる(53:10)」。「彼を砕いて痛めること」とは、主の贖いの死を意味します。それは神の御心であり、喜び、だったのです。もし、彼が自分のいのちをイスラエルの民の罪過に対する生贄としてささげるならば、この民の増大繁栄は保障され、主の御心(ご計画)は彼によって成し遂げられるのです。ここに「アブラハム契約」を見ることができます。
「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう(53:11)」。「それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする(53:12)」。主のしもべ(イエス・キリスト)の、贖いの死が語られています。イスラエルの罪を、咎を、主のしもべが贖ったのです。神は、その独り子を生贄(十字架刑)に捧げられて、罪びとを義なるものに変えられます。お救いになるのです。代償的苦難(身代わりの死)です。それほどに強い愛を神は、われわれ罪びとにお与えになったのです。その知識とは、信仰を指します。しもべの正しい信仰によって多くの罪びとを義に導き、彼らの咎をになうのです。代償的苦難は、民を救います。それは、主のしもべにとっては、望外の喜びであり、満足だったのです。神は、現在も、私たちを救い、あらゆる拘束から自由な神の民として、導いておられます。「強者たち」とは、義と認められた者です。いわゆる「残りの者」です。彼らの子孫は、神の子とされた者たちです。彼らは、キリストとの共同相続人です。「神の御国」をキリストとともに統治する者たちです。主のしもべが苦しみの結果見たものは何か。それは主の恵みです。イザヤは、それを、子を産んだ母のイメージに例えています。産前の苦しみは、産後の喜びをもたらします。
令和6年9月10日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会