今日の画像は、秋になって、デジカメくんがだいぶ疲れてきたときの写真です。わたしも、心身の不調が深まり、ひきこもりに拍車がかかってきた頃です。
昨日の写真と比べると、見てるだけでちょっと苦しくなりますね。苦しいことを乗り越えることは、自分は得意なほうだと考えていたので、いろいろとやっていました。
一時期は、とにかく絵を描いて、苦しいことを何とかしてきました。大きいのが描けなくなると、小品を描いてみて、いろいろおもしろいことをやってみたりしました。
それも苦しくなると、今度は古い編み棒を取り出して、編み物を始めました。生成りのやわらかいアルパカ毛糸を買って、セーターを編もうと思ったのですが、途中で挫折してしまったので、今はストールを編んでいます。
難しいアラン模様は、疲れているときには不向きなので、簡単なイギリスゴム編みで、長いストールに挑戦してみています。
単調な作業を、続けているだけで、悲しいことがなんだか、うやむやになって、消えていく。人はこうして、いろいろな苦しさを、たんすの後ろの放り投げて、ないことにして、やっとなんとかしてきた。けれどときどき、そのたんすのうらの陰が、どうしようもなく重く、秘密を語りかけてくる。
もっとも悲しかったことのひとつは、こいぬが死んでしまったことでした。
そのことは、無邪気だった母犬の瞳にも、どうしようもない悲哀を染み付けました。玄関の片隅で、丸まって寝ている母犬が、前よりも一回り小さく見えます。
人はときどき、何もわからずに、とても簡単な理由で、大切なものを壊してしまうことがある。辛いことを味わったことのない人は、いとも簡単に、だれかの、心のやわらかいところに、取り戻せない深い傷をえぐってしまう。
わたしは、乗り越えられる人間だから、乗り越える。けれど今は、まるで背骨を削られて折れてしまうように、へなへなと崩れてしまう。苦しすぎるよ。
どうすればいいのか、重すぎる心の痛みを、どうすればいいのか。空を見上げる。助けてください。耐えられないことを耐えるには、どうすればいいですか。
空よ。
助けてください。