世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

雍や、

2007-12-08 10:39:07 | てんこの論語
子曰く、雍や南面せしむべし。(雍也)

先生はおっしゃった。雍よ、おまえはなんとりっぱなやつだ。

 *

雍は、弟子の冉雍(ぜんよう)、字は仲弓。南面せしむとは、天子は南向きに座し、臣下は北向きに座したという故事から、一国の主をさせてもおかしくない、というほめことばになります。

手元の資料では、雍という人物は、一国をまかせてもおかしくないほどの人物だ、と訳していますが、わたしはこれを、孔子の喜びのことばだと解しています。

たぶん、弟子の雍が、とても立派なことをしたのです。それを見て孔子はことのほか喜び、おまえはなんと立派なやつだと、言ったのです。だからこれは人物評と解するより、弟子の行いを心から喜んだ、孔子の愛情表現ととったほうがいいのではないかと思います。

いかに立派な人とはいえ、ほんとに君主となるのは、とても大変なことですからね、孔子は、本当にうれしかったのでしょう。弟子の進歩が。

論語の中には、手厳しい人物評ばかりがたくさん伝えられていますが、このように、弟子の成長を心からほめたことばも、あったのではないかと思います。それはそれはうれしかったのです。

雍が、どんなことをしたのかは、わかりませんが、それはたぶん、彼が、とてもつらい、苦しいということを、乗り越えたということではなかったかと思います。教師にとっては、弟子が、乗り越えねばならないことにぶつかっているときが、自分も一番苦しいからです。だれもその荷を代わってやることはできない。自分でかついで苦しい山を越えなければならない。どうすればいいかを、教えることはできても、それをやるのは、本人以外にはいないからです。

あまりにも苦しい、荒野を、弟子が乗り越えなければいけない。それを、代わってやるのは真の愛情ではない。教師は弟子を背後からじっと見ているしかない。苦しいときは、いつでも来いといってやるしかない。おまえは、バカではない。やれるのだぞ。そういってやるしかない。

だから、雍がそれを、立派に乗り越えたとき、孔子はだれよりも喜んだのです。

雍よ、やったのか、おまえはなんとりっぱなやつだ。

教師にとって、なによりの喜びは、弟子の成長なのです。うれしかったのです。あんなに子供だったやつが、やるようになったよ。苦しいことを、立派に乗り越えたよ。

ほんの少しの進歩でも、瞳に品性の光が輝き始める。魂の輝きが見え始める。人間は、バカではない。いつか必ず、わかるようになる。

だからこそ、孔子は、生涯あきらめずに、教え続けたのです。


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