わたしは、かのじょの絵を巧みに真似することはできるが、この聖者だけは描くことができない。なぜならこの美しい青年の姿をした聖者は、かのじょが孔丘と呼ばれて生きていた時の姿にとても似ているからだ。
髪は黒かったが、その目は金色かとも見まがうほど、激しく澄んでいた。真実がそのまま現れた姿だった。わたしには、これが痛々しくて描くことができない。
純真なゆえに、まっすぐに生きることしかできなかった。その人生は苦難の連続だったが、彼はまっすぐに生き抜いた。
その性質は時代を経て、この人生になっても受け継がれた。
だがその姿はまるで違うものだった。
激しく澄み渡った、体躯の大きなたくましくも美しい聖者は、2500年を経ると、とてもかわいらしい純真な女になった。
あわれにも、人間よ。愛がすべてを奪われたとき、どういうものになっていくかを、あなた方は学ばねばならない。かのじょは昔、この聖者のように激しく美しくも、大きな男だった。それがまるで、折りたたんで手に持つことができそうなほど、可憐な女になった。愛は彼女の中で、激しく澄み渡り続けていた。彼女は真っ直ぐに進んだ。何の武器も持たない女は、吹きすさぶ嵐の中で、自分を閉じ込めて何も感じないようにすることによって、耐え抜いたのである。
馬鹿者め。