仏教美術には、最近好ましくない影が流れ始めている。かのじょも昔は、中宮寺の弥勒菩薩や東大寺戒壇院の四天王像などが好きだった。だが今は、昔ほどの輝きを感じられない。
ご存じのように仏教には根底に大きな間違いがある。彼女はそれを明らかにしてしまった。そのことが、仏教の背後の見えない世界に影響を与えぬはずはない。
なにごとかのことが起こっている、ということを感じざるを得ないだろう。
この図は彼女が弥勒菩薩半跏思惟像に着想を得て、創造したものである。
弥勒はもう考えるのをやめ、立ち上がり、歩き始めている。すべての人を救うために、行動を起こし始めているのである。それが、すばらしい自分自身というものなのだ。
右手に持つ薔薇は、美と真実の象徴である。
この図は、自己存在の美を唱えたかのじょが残した、ひとつぶの宝石である。