中国の古典、「韓非子」のことばから。これは要するに、表面をとりつくろってその場だけ巧くやるよりも、拙くても心のこもったやり方で、長い時間をかけてやった方が、結果的には良い、という意味の言葉です。
ある時期、自分の人の良さに我ながら嫌気がさして、何でもっと巧く世渡りできないのかと、どよんと落ち込んだ気分が続いていたとき、この言葉に出会って、胸の中がすっと晴れるような気がしました。
お人よしイコール美徳じゃないけど、よくよく自分と向き合えば、そうすることしかできない自分ていうか、そうすることが自分としては一番ここちよい状態なんだということを最優先して行動したら、どうしてもバカなお人よしになってしまう自分が、御本尊のように胸をそらして鎮座しているのを見つけて、もうこういう自分でいいやと、開き直っている今日この頃です。
無理して他の自分になる必要なんてないんだ。もうこれで行こう。そう思ったら、胸が晴れ晴れとして、生きるのがすごく楽しくなり、自分が好きになりました。
自分が好きになると、時々夫に「ほんまにお前はアカンの」なんて言われても、どこ吹く風。それが私よ、悪い?って軽く受け流すことができるようになりました。自分に自信がなかった時は、ちょっとした一言にも、ずどんと落ち込んでいたものでしたけどね。
(2005年7月ちこり34号、言霊ノート)