世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ノグルミ

2015-06-25 04:38:29 | 月夜の考古学・本館

 野胡桃。クルミ科ノグルミ属の落葉高木。
 4~5年前のことだったと思います。私は、自分の思いを表現するのが下手で、なかなか気持ちをうまく伝えることができずに、何を言ってもなぜか相手に曲がって伝わってしまい、誤解を招くという失敗を、重ねていました。経験を重ねた今では、そのときの自分のどこが悪かったのか、何となくわかるのですが、その時は人に誤解される事がつらくて、たまらなく孤独で、ある時近くの神社の石段のそばを通った時に、突然弾かれたようにそれを上っていったのでした。ほんとに泣きながら。だからこの詩にあることは実話なのです。
 家の近くに、標高60メートル余りの小さな山があるのですがその山肌にうがたれた石段の、中ほどの脇に、その木は、います。彼は、たぶんこの石段を切り開くときに根元が不安定になったのでしょう、一度倒れ掛かり、そこから幹をきっかりとV字型に曲げて、上に伸びていました。太い根は山をしっかりとつかみ、不安定な形の体を支えていました。それを見た私は叫びだしそうになりました。突然石段を上り始めたのは、この木が私を呼んだからではないかと思ったほどでした。
 つらいことばかりが重なる日々。でもあきらめてたまるもんか。何度倒れたって、やり直してやる。息を切らせて石段を走り上りながら、私は生きるしかない自分を深くかみしめていました。
 その日から、神社に行ってお祈りをするのが、私の習慣になりました。小さな神社の、緑に囲まれたすがすがしい静けさは、祈りの場としては最適でした。時折見かける鳥や虫たちが、何事かのメッセージと持ってきてくれたこともありました。祈りは、人に、大きな自然に向かって心を開かせてくれ、荒れすさんだ気持ちの中に光や風を入れてくれます。祈りは、自分のためでなく、神様や、幸せになって欲しいひとみんなのためにするのがいいです。そうすると、自分の中の、一番美しい部分が、少しずつ目覚めて、表に出てくるのです。ほほ笑みも言葉も上手になってきて、誤解されることも少なくなりました。
 これもあのノグルミの木のおかげだと、私は思っています。


(2003年12月、花詩集7号)




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