この原稿を書いているのは、7月の中旬なので、まだギリギリ間に合うかもしれないのですが、ここで一旦、皆さんにお詫びをしておきます。発行が遅れて、ほんとにごめんなさい。
この編集作業と並行してやっていることをあげてみますと、PTA会長の仕事、花詩集の原稿作成、新聞用のイラスト制作、本業のハウスクリーニングの仕事、家事育児、犬猫金魚亀庭木の世話、ブログの更新。何だか呆然と毎日が過ぎていきますが、おかげさまで何とか、やれています。この34号の出来も、正直不満足な所が多いのですが、とにかく今は、状況を前に進めねばなるまい!で、日々、無理やり前に進んでるって感じです。
今私は、自分という木のあちこちから、いろんな花が咲いて出ている時期なのかもしれません。暗い試練のトンネルの時期に、盲めっぽうであちこちにまいていた種が、一斉に芽吹きだしてきて、世話におおわらわという感じもします。
詩を書いて、絵を描いて、夫と一緒に仕事をして、子供たちに囲まれて…。そして何より、今、自分自身を、愛することができて。長い長い間、見失っていたものが何だったのか、ようやくわかって、生きている間に、自分が自分としてなすべきことが、何なのかが、わかってきた…。
孔子は、五十にして天命を知ると言いましたが、私は四十三歳でそれがわかりました。
言葉は、魔法です。使い方によれば、ものに命を与えることもできるんです。お庭の花だって、「きれいねえ」と心からいえば、命が匂い立ってくるように一層きれいになってくる。言葉によって、その花の命の美しさが、もっとかきたてられてくるんです。人だって同じです。あなたはすばらしい。すごいことができるんだね。心から、その人の美しさに感動して、言葉にすれば、その人の魂に反応して、その美しさが目の前に、もっと鮮やかに現れてくる。
性善説だとか性悪説だとかとは別の次元の、本源の所に、その美しい光はあります。それは善悪を超えた、一切の生存を喜ぶ愛の眼差し。生きることの喜びの噴き出す泉。その眼差しと、人々の心との再会を導く、それが、言葉の魔法使いを目指す、これからの私がやるべき仕事なのです。
詩と、絵と、本と…。アイテムはそれだけなんですけどね。
(2005年7月ちこり34号、編集後記)