パイナップル編みの小さなコースターです。ラメ入りのレース糸で編みました。きらきらしてきれいですよ。これもお星さまみたいで気に入っています。
レース編み、だいぶうまくなりました。細い鋼のレース針で、繊細で丈夫なレース糸をひっかけて編むのが、ここちよい。どっちも頼りなくて細いのに、信じられないくらい強いんですよ。それで、とってもきれいなものができる。しばらく癖になってしまいそうです。編みたくてたまらなくて、手芸屋さんにいっては、きれいな色のレース糸を物色するようになってしまいました。
長編み三つの玉編みが、行儀よくひな壇に並んでいるのが、気持ちいいんです。自閉っ子はみょうなとこにこだわるんですね。階段状に模様を編んでいくパイナップル編みが好き。きちんとものごとがすすんでいくなって感じで。
ひきこもりの病人生活でも、好きなことをやれるのは楽しいな。楽しいことを、なんでもやってみれば、いいことがたくさんあって、幸せな気持ちになれます。大切なのは、「自分が好き」ということ。
最近は、テレビを見ても、妙に洗練されたきれいな感じのアニメだとかを、よくみます。ものすごくかわいくて、とってもきれいな色で、完成された!て感じの。それはもうおもしろおかしく、楽しく作ってある。でも、見てても、おもしろくない。つまらない。
きれいに作ってはあるけれど、こんなの昔、どこかで見たことがある、ていうのばっかり。それに何よりも、作っている人が、楽しくない、と言っている。なぜかな。
不思議ですね。画面を見てると、わかるんですよ。作っているひとの気持が。これもきっと、愛の響き。見えない何かが、わたしの心にささやいている。ことばにはならない、魂の秘密を。
この人はね、ほんとはこんなの好きじゃないんだ。目立ってるところで、すごいことをやって、人にほめられたいと思って、やってるんだけど、ほんとはこんなの、ぜんぜん好きじゃないんだ。
テレビだとか、ゲーノーカイだとか、そんなとこで、派手に、うるわしく、豪華にやって、すごいやつだといわれるのが、いちばんすごいことなんだって思いこんで、それを目指してやってきたんだけど、今になって、全然こんなの好きじゃなかったって、気づいたんだよ。だから、どんなにうまくやってても、苦しいんだ。
どんなにかっこよくやっても、苦しいのは、すべて嘘なんだってこと。うまいことやって、ずるいこともやって、一番自分がすごいやつになる。そういう賢いことをやれるやつが、すごいやつ。そう信じてやってきたけれど、大人になって、実際にそれをやってみたら、自分でやったことは何もなかったんだよ。みんな、馬鹿にして、自分が一番偉いんだってことにして、手下にやらせてきたから。
つまらないのは、自分では何もやってこなかったからさ。自分で、自分の好きなことを、やるのが、いちばん楽しいのにね。
なんのためにやってきたのか。こんなのみんな、馬鹿みたいだって思いながら、それでもこれが仕事だからって、やってる。いやなことじゃなくて、馬鹿なこと。
もうみんな、いってしまうよ。ほんとうの魂の世界に。それなのにまだ、古い色褪せた書割りの世界で、陳腐な芝居を、棒読みで続けている。
もういいんじゃないか? この脚本は、だれが書いてるの? どこで終わりなの?
もうみんな知っているよ。嘘がどんなに苦しいかってこと。
この世界では、一番立派な人が、一番みじめなのだ。嘘なのにやらねばならないから。真実の美しい世界が、苦い顔をして逃げていくほど、馬鹿なことばかりやってしまったから。
自閉のひきこもり部屋で、魂の世界とばかり話をしていると、見えない響きがいろいろなことを教えてくれます。
ひとりぼっちの部屋で、わたしは千万人の友達といっしょにいる。
テレビの向こうのあの人は、千万人の人に囲まれながら、たとえようもなくさびしいと言っている。
さてと。今日も一日、レース編みをしよう。結婚式のために、コサージュをこしらえようかな。それともまた、ドイリーを編もうかな。
できたらまた、UPしましょう♪