世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

愛の響き・3

2008-07-04 08:54:05 | 有為のしらべ

パイナップル編みの小さなコースターです。ラメ入りのレース糸で編みました。きらきらしてきれいですよ。これもお星さまみたいで気に入っています。

レース編み、だいぶうまくなりました。細い鋼のレース針で、繊細で丈夫なレース糸をひっかけて編むのが、ここちよい。どっちも頼りなくて細いのに、信じられないくらい強いんですよ。それで、とってもきれいなものができる。しばらく癖になってしまいそうです。編みたくてたまらなくて、手芸屋さんにいっては、きれいな色のレース糸を物色するようになってしまいました。

長編み三つの玉編みが、行儀よくひな壇に並んでいるのが、気持ちいいんです。自閉っ子はみょうなとこにこだわるんですね。階段状に模様を編んでいくパイナップル編みが好き。きちんとものごとがすすんでいくなって感じで。

ひきこもりの病人生活でも、好きなことをやれるのは楽しいな。楽しいことを、なんでもやってみれば、いいことがたくさんあって、幸せな気持ちになれます。大切なのは、「自分が好き」ということ。

最近は、テレビを見ても、妙に洗練されたきれいな感じのアニメだとかを、よくみます。ものすごくかわいくて、とってもきれいな色で、完成された!て感じの。それはもうおもしろおかしく、楽しく作ってある。でも、見てても、おもしろくない。つまらない。

きれいに作ってはあるけれど、こんなの昔、どこかで見たことがある、ていうのばっかり。それに何よりも、作っている人が、楽しくない、と言っている。なぜかな。

不思議ですね。画面を見てると、わかるんですよ。作っているひとの気持が。これもきっと、愛の響き。見えない何かが、わたしの心にささやいている。ことばにはならない、魂の秘密を。

この人はね、ほんとはこんなの好きじゃないんだ。目立ってるところで、すごいことをやって、人にほめられたいと思って、やってるんだけど、ほんとはこんなの、ぜんぜん好きじゃないんだ。

テレビだとか、ゲーノーカイだとか、そんなとこで、派手に、うるわしく、豪華にやって、すごいやつだといわれるのが、いちばんすごいことなんだって思いこんで、それを目指してやってきたんだけど、今になって、全然こんなの好きじゃなかったって、気づいたんだよ。だから、どんなにうまくやってても、苦しいんだ。

どんなにかっこよくやっても、苦しいのは、すべて嘘なんだってこと。うまいことやって、ずるいこともやって、一番自分がすごいやつになる。そういう賢いことをやれるやつが、すごいやつ。そう信じてやってきたけれど、大人になって、実際にそれをやってみたら、自分でやったことは何もなかったんだよ。みんな、馬鹿にして、自分が一番偉いんだってことにして、手下にやらせてきたから。

つまらないのは、自分では何もやってこなかったからさ。自分で、自分の好きなことを、やるのが、いちばん楽しいのにね。

なんのためにやってきたのか。こんなのみんな、馬鹿みたいだって思いながら、それでもこれが仕事だからって、やってる。いやなことじゃなくて、馬鹿なこと。

もうみんな、いってしまうよ。ほんとうの魂の世界に。それなのにまだ、古い色褪せた書割りの世界で、陳腐な芝居を、棒読みで続けている。

もういいんじゃないか? この脚本は、だれが書いてるの? どこで終わりなの?

もうみんな知っているよ。嘘がどんなに苦しいかってこと。

この世界では、一番立派な人が、一番みじめなのだ。嘘なのにやらねばならないから。真実の美しい世界が、苦い顔をして逃げていくほど、馬鹿なことばかりやってしまったから。

自閉のひきこもり部屋で、魂の世界とばかり話をしていると、見えない響きがいろいろなことを教えてくれます。

ひとりぼっちの部屋で、わたしは千万人の友達といっしょにいる。

テレビの向こうのあの人は、千万人の人に囲まれながら、たとえようもなくさびしいと言っている。

さてと。今日も一日、レース編みをしよう。結婚式のために、コサージュをこしらえようかな。それともまた、ドイリーを編もうかな。

できたらまた、UPしましょう♪


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ビースト

2008-07-03 11:31:55 | フェアリィウィスパー

困りましたね。昨日、フェアリィウィスパーなんて気取って、新しいカテゴリにかきましたら、ビーストが文句いいにきましたよ。そんなこと書くなって。

ビーストはね、「フェアリィウィスパー」なんて英語、変だぞ、馬鹿じゃないのって、言います。おまえなんか、だめだぞ、なにやっても、変だぞ。やめろ、やめろ、ばっかになるだけだよ~。

ビーストはいつも、こんな感じです。とにかく、ちょっとでもおかしなことがあったら、そこを馬鹿にして、全部だめにしたがるんです。みんな、いやだよ~、って言ってね。

確かにね、てんこは英語苦手です。単語をくっつけただけよ。でもね、実際英語圏の人がこれを聞いても、それほど馬鹿だとは思わないわよ。へえ、日本人の英語だね。て感じで、それほど変だとかだめだとかは、言わないわよ。

なんてことをいうと、ビーストは、「ふうん、それは、まあ、ちがうとはいえないね」と言います。万事こんな感じよ。絶対「そうだよ」とは言わないのよ。いっつも、逃げ場だけは完璧に確保しようとするの。のらりくらりと、逃げるのよ。

ビーストはね、にんげんがきらいなの。人間を馬鹿にして、全部だめなものにしたいの。だからいつも、人間の心の中に、「おまえなんてだめだぞ~」って言ってるの。そのせいで、人間はいつも、「自分はだめなんだ。ぜんぜん馬鹿なんだ」って、思ってしまうの。

だから人間は、必要以上に、自分をみじめだとおもって、何にも出来ないって思いこんでるの。それでね、できることでもやらなくなって、みんな苦しいの。とっても苦しいの。

でもね、人間は、ほんとはもっとすばらしいのよ。だから、ビーストが馬鹿にするの。ビーストは、人間が、うらやましいから。人間はみんな、かわいくて、おもしろいこといっぱいして、いいこといっぱいして、楽しいから。

何かやろうとしても、やる気が起きなくて、あ~あ、自分は馬鹿なんだ~なんて思って、気持がつらくなったら、それはビーストの仕業だから、気をつけてね。

それにしても、うるさいなあ。少しはだまってくれないかしら。

また何かおもしろいことを言ってきたら、書きますね


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愛の響き・2

2008-07-03 09:04:39 | 有為のしらべ

今、レースで、ドイリーをたくさん編んでます。花瓶敷きやコースターにする、小さな丸いレース編み。こうして並べて写真とってみると、なんだか星みたいですね。連星です。青と黄色で作ったら、アルビレオになるかな。

この写真の大きな方のドイリーは、一番最初に編んだもの。白いお星さまみたいのは、最近のです。お花やチョウチョの模様など、いろいろなドイリーがありますが、わたしはお星さまみたいに見えるドイリーが好きです。

編みながら、気分は「銀河鉄道の夜」というところ。

女性に生まれて幸せなことは、こんな小さな仕事で、なんだか幸せ♪という気分に浸れることですね。編みながら、誰にあげようか、どんなことをしようかなんて考えたり。かわいいコースターがたくさんできると、この上にきれいなコップをおいて、カルピスなんぞ注いだら、たいそう涼しそうで、うれしいだろうな。子供も喜ぶでしょう。

小さなことですが、さりげなくかわいいもので、ちゃんとしてあげて、飲ましてあげると、自分は特別なんだなって思いが、子供に幸せをいっぱい注ぐのです。おかあさんが編んでくれたコースターをしくと、特別すてきな飲み物に見える。おまえがとってもかわいい子だから、なんでもしてあげたいんだよって。それでこどもは、わたしは、とっても大切なものなんだって思えて、とっても幸せで、元気いっぱいになる。おかあさんは、大切な仕事をしてるんですよ。

もっとも、病中のわたしは、反対に、子供にやってもらってる感じですけど。みんな、がんばってくれてます。大切にしてくれてます。家事もほとんどできない母親を、なんとかしようと。

毎日、ご飯のしたくもままならないものですから、食事はよく、スーパーのお惣菜に頼ります。いろんなスーパーのお惣菜を買うのですけど、どれもあまりはおいしくない。やっぱり、気持がこもっていないから。作っている人が、仕事だから仕方ないていう感じで作ってるのが、わかるから。でも、それでも、家事のできない病気の主婦には助かります。ほとんど頼りっきりというところ。

けれども、最近、ある小さな田舎のスーパーで買った、さやいんげんの胡麻和えが、とてもおいしかったのです。これはきっと、とてもやさしいおばさんが作ったにちがいないと思いました。想像力の絵には、小柄で丸い感じの、50がらみのおばさんが、見えました。こんな人が、スーパーの裏側の、小さなキッチンで、こつこつとお惣菜を作ってるんだな。おいしいお惣菜を作る。そんな小さないいことを、ただただ、ずっとやってるんだな。

この想像はね、たぶん現実のおばさんとは、少し違います。でも、正しいのです。どういうことかわかる? それはね、愛の響きが、教えてくれるからなんですよ。

この世界には、見えない愛の響きが、いつも流れていて、愛を感じる心に、いつも大切なことを教えてくれるんです。愛に心を開いていれば、その大切なことが、ふっと、自分の心に何かをともすのです。

現実に、このお惣菜を作ってるおばさんは、子供をしかりすぎたり、お父ちゃんとけんかしたり、テレビで見るタレントに悪口を言ってたりするかもしれないんですよ。いろんなことがあるから、人間はいつもとんがってしまう。それでいつも、悲しい、悲しいと言ってる。でも、お惣菜を作ってるときは、そんな感じが少ない。きっと、料理が好きなんだろうな。気持ちがやさしくなれる。そういう、何気ない人間のやさしさに、愛の響きがよってくる。

そして、そのお惣菜を食べて、おいしいなと感じてる人の心に、教えてくれたりするんです。あの人が作ってるんだよって。でもそれは、はっきりとはわからなくて、わたしの想像力に、かすかに投影されるイメージになって、小さな幸せの響きになるんですよ。

テレパシーの芽みたいなものですね。本当にそんなこと、あるんですよ。

誰かを愛していたり、何かを大切にしていたり、こつこつといいことをがんばっていたりする人には、愛の響きがよってきて、見えないところで、助けてくれていたりするんですよ。

ほんとよ。

おかあさんには、そんな見えない幸せが、いっぱいよってくるんですよ。みんな、がんばっているから。

おんなのひとには、そんなことが、わかるんですよ。ずっと、あいしてきたから。

小さなレース編み一つなどに、たくさんの涙を忘れながら、みんな幸せになろうねって、がんばってきたんですよ。だから。

かみさまがよってくるんですよ。





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妖精のささやき

2008-07-02 16:33:04 | フェアリィウィスパー

さても、新しいカテゴリができました。時々ね、てんこの耳に、小さい妖精がささやいてくることがあるんですよ。

どうやら、妖精の世界の、もっぱらの噂話を、わたしにきかせたいみたいなんです。

ええ!? それほんとなの? て感じのお話しを、よくきかせてくれるんですけど、ほとんどは、人間には話せないような、信じられない話ばかり。でもね、誰にも話さないでいると、とっても苦しいので、な・い・しょ・で、ここに書いちゃいます。

全部信じたらだめですよ。何せ、妖精の話ですから。でもね、妖精だけに、小さいけれど、ぴりり、と辛いんですよ。とっても痛いの。

実はね。

時々ね、女の子が、ほかの女の子のしていることをみて、嫉妬して、そんな自分が嫌になって、苦しいってことがあるでしょ。たとえばね、ある女の子が、とってもかわいいお人形を、上手に作っていたりする。そうしたら、別の女の子が嫉妬してしまって、あんな人形、馬鹿みたいとか、いってしまう。

そんなこと、よくあるでしょ?

それはね、実は、悪いビーストが、女の子の心の中にささやいているからなんですってよ。嫉妬しちゃえ、馬鹿みたいっていっちゃえってね。なぜそんなことをするかっていうと、ビーストは、女の子どうしが仲良くなって、みんなでいいことするのが、いやだからなんですって。

女の子はみんな、男の子のことだけ、好きになってほしいんですって。だから、女の子どうし嫉妬しあって、みんなけんかしちゃえって、言うんですって。

だから女の子は、いつも小さなことでやきもちをやきあって、けんかばかりしてるんですってよ。

さて、ほんとかな。

こういう話ばかり、ささやく妖精がいるんですよ。困ってるんで、時々書いてしまいましょ。

でも、あんまりは、信じないでね♪



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ノウゼンカズラ

2008-07-02 08:13:41 | 花や木

ガラス屋さんの前の、ケヤキか何かの木にからみついていた、ノウゼンカズラです。この花が咲いているのを見ると、いよいよ夏が来たという感じがしますね。

激しく、熱いものがくる。身の内の苦い虫が焼き尽くされるような、炎がやってくる。そんなことを感じる花。

ノウゼンカズラは、正義の花です。正しいことを正しいと、まったく信じて、それのみで生きている花。鋼の信念を貫いて、ずっと生きている。

世界が、嘘と幻にまみれて、それが正しいんだということにさえなって、正義を叫ぶものは陳腐な馬鹿だといわれることになっても、ずっと己を通してきた。世間が何を言おうとそれは関係ない、わたしはわたしの信念を通すだけだと、正しいこと、真実を叫び続けてきた。

そういう花は、この世界では、ばかみたいなことをされます。いじめられ、辱められて、傷だらけという感じになります。ノウゼンカズラは、色も形もとても愛らしくてかわいいのに、近くでみると、やわらかそうな花びらがいつもいたんで、なんだか汚く見える。みっともなく見える。写真に写しても、なかなかそのほんとの美しさが、そのまま写りません。それは、人間が、この花を嫌いだと言っているからです。厭味なやつだといって、馬鹿にしているからなのです。

ノウゼンカズラは、まるで、戦をくぐりぬけ、満身創痍になってくたくたになって、敵に首根っこを押さえられてもまだ叫び続けている、老武者という感じの花です。

それでも、ノウゼンカズラは、信念を曲げない。焼けつく太陽の下、まっすぐに真実を主張する。にんげんどもよ、おまえたちはまちがっているんだと、叫び続けている。だから人間は、ノウゼンカズラを、いつも暑苦しいと感じてしまうのです。でもそんな花が、なぜか、人々の庭先に多く植えられている。熱い夏を、一層焼き上げるような赤い花が、家々のあちこちで燃えている。それはなぜでしょうか。

それは、人間が、ほんとうはまったく自分に自信がないからです。いろいろと馬鹿なことをやっても、ほんとは何もわからなくて、いつも心は不安にゆれうごいている。何かきついことがあると、容易に自分の信念を曲げてしまう。人間の心はまだ、とても弱い。だから、鋼の信念で真実を叫ぶノウゼンカズラの強さに、頼りたくなってしまうのです。

どんなに真実が侮辱され、苦しめられようとも、絶対に信念を曲げない。おれはおれだ。おれは、真実を叫ぶ。それ以外は一切いやだ。何をされてもいやだ。真実を馬鹿にすればどんなことになるのか、ずっと叫び続けていく。

何もかも馬鹿なことばかりだ。でもわたしは、やる。やらねばならないから。叫ばねばならないから。それをやらずにいられないのだ。苦しすぎるからだ。この世界は。

熱いものが、暑いときに咲く。蝉の喧騒にまぎれて、ノウゼンカズラは人間に叫び続けてきたのです。まちがっているものはまちがっていると。

そして今。まさに、真実が真実として現れる時代が、始まろうとしている。ノウゼンカズラはまっすぐに顔をあげて、高々と叫んでいる。

真実の時代がきたぞ。何もかもが、正しくなるぞ!

ばかものどもよ、気をつけろ。正義が怒っている。世界が怒っている。何もかもを嘘と幻で汚して、すべてを苦しめて、ネズミのように逃げるものどもを、熱い怒りで焼き尽くしたいと激しく願うものが、動き始めている。叫びをあげている。たまらない。なんてことだ。なんてことだ!!

ばかものどもよ、しっぽをまいて逃げろ。おまえたちの、もっともいやなものが、やってくる。激しい怒りを燃やして、やってくる!!







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アジサイ

2008-07-01 08:31:29 | 花や木

今日は、梅雨らしく、アジサイです。今年の梅雨は、ほんとに梅雨らしい梅雨でした。雨の被害のあったところもありましたが、ここらへんでは、ほんとにしっとりとした、いい梅雨でした。雨が、何かを洗い流してくれているような。苦しいことのあった日々の喧騒を、消してくれているような。

個人的に、少々騒がしいこともあったのですが、それを、雨がなんとかしてくれたような気がしています。ひとり、自閉の部屋にこもって、ちまちまとレースを編みながら、外の雨の音を聞いていると、不思議と、荒れた心の中の風が、吹きやまってくるようでした。

辛いことがあっても、人生捨てたもんじゃないと思うこと、しばしばです。いやなこともあるけれど、それをなんとかしようとしてくれる、やさしいものもある。ほっとして、さあ、またやろう、という気持ちになれます。今はなんとなく、きれいに晴れた日よりも、しっとりとした雨の日のほうが好きだな。

アジサイは、真面目な花です。まっすぐにまじめな、働き者という感じの花。まがったことは、嫌いというか、苦手です。だから、人間には、あまりいい顔をしてくれません。写真をとっても、いつも、ぷいとあっちを向いているような感じの顔に写るのです。

いやなのです。人間が、遊んでばかりで、まがったことばかりして、それでいて、えらそうに歩いているのが。自分ばっかりが、馬鹿みたいにすごいんだという顔で、肩で風切って歩いているのが。それでいて、大事なことは、なんにもしていないのが。

アジサイは、真面目な職人のように、自分の仕事を、こつこつと、一心に、ずっとやっているのが好き。それがみんなのためになるのがうれしい。それは、すごい、とか、つよい、とかいうことじゃなくて、本当にいいことだね、ということ。そういうことを、こつこつと真面目に、いい感じでやるのが好き。ほらたとえば、何の変哲もない小さなハンカチに、かわいい小さな花模様を刺繍して、まるですてきな布に生まれ変わることがある。そんな気の利いた、すてきなことを、ずっとやっているのが好き。そんなことで、みんなが、とても喜んで、とてもいいことになるから。そういうことが、本当に好き。

そんな小さなことが、大切なのに、そんなことを、心をこめて、まじめに、やることで、すべてよくなっていくのに、人間は、馬鹿にして、まるでやろうとしないの。ださい、苦しい、といって、馬鹿にするの。そういうのは嫌い。悲しい。

だからアジサイは、ずっと苦い顔をしていたのです。雨の中にいるのも、それが、あまりに、辛かったから。雨の中にいれば、神様が、守ってくれるから。

でも、このアジサイは、なんとなく、こっちを見ている。そして、少し驚いている。人間が、変わり始めたから。何もしない自分に、苛立っているから。こんなことばっかりやっているのはいやだと、苦しんでいるから。

アジサイが、人間を振り向いてくれた。まっすぐに、見てくれるようになった。

何かが始まっている。世界はもう、どこかで、すっかり変わっている。

人間がまだ、すべてわかっていないだけ。

もういこう。何もかもは、苦しい夢だった。ほんとうのことは、あっちにあるんだよ。やっていこう。始まる。始まっている。痛いのは、苦しいのは、もうとっくにわかっているのに、無理やり目をつぶっているからだよ。

いこう。

よんでいるよ。






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