ぐっすり寝て二日目の朝、温泉に入って、レストランに行くと朝食が用意されていた
海藻が入ったやさしい味のお味噌汁。
目玉焼きがほどよく焼けた。
ご飯を次々とおかわりする元気な人もいた。
本日は、グラバー園・大浦天主堂・長崎中華街・出島などを見学する予定
7月26日と27日は「ながさきみなとまつり」が開催されている
長崎の夏を代表する一大イベント。音楽ステージや飲食出店、打ち上げ花火など、大人から子どもまで楽しめるイベントが盛りだくさん。
長崎ペーロン選手権大会やNBCまつりも同日開催のため、長港一帯が終日賑わう。
26日は3000発、27日は5000発の花火が盛大に打ち上げられる。
その華やかな花火を、食事をしていた部屋の広い窓から眺める事ができる。
部屋を真っ暗にして、すぐ目の前で打ち上げられている花火を鑑賞
涼しい部屋から、次々と打ち上げられる花火を鑑賞して盛り上がった
お待ちかねの夕食。暑い中歩きまわったのでビールが美味い
「長崎伝統料理 卓袱」・・・長崎の人達が、江戸時代の初期、中国料理、南蛮料理、日本料理の枠を夫々取り入れ加味調整して長崎独自の郷土料理として発達してきたもので、所謂長崎料理と称される有名なコース料理。
総料理長さんは、厚生労働省が卓越した技能を持つ者だけを認定した称号「現代の名工」の資格を授与されている。「黄綬褒賞」を平成19年に受賞。生産者のもとへ自ら足を運び素材を仕入れるこだわりを持っている。
新鮮な魚介類が美味しい。
お吸い物。
柔らかい豚の角煮。
ビーフシチュー。
上品な出汁がきいたあんかけ料理。
海老&キスの天ぷら。
ワインや冷酒も^_^;
〆のご飯セット。
デザート。
しっかり食べて飲んで大満足
亀山社中記念館から眼鏡橋方面に歩いて向かう途中、激しい雨が降ってきたので急遽ホテルに向かうことになった
宿泊は長崎ホテル清風。「長崎港を眼下に望む世界新三大夜景の大パノラマ」が見える絶景の地にある。
本日は厳しい暑さの中、汗をかきかき歩いたのでゆっくり休憩。
早速、パノラマ露天風呂がある「満天の湯」へ
露天風呂は透明だがとろみがあるタイプ。本日歩き回った場所を全て見渡せるのがいい
長崎県長崎市大鳥町523(稲佐山中腹)
亀山社中記念館のすぐ横にあるのが龍馬のぶーつ像
1995年に亀山社中創設130周年を記念して市民グループ「亀山社中ば活かす会」の呼びかけにより建立されたぶーつ像。
ぶーつを履き、舵輪に手をかけ、龍馬や海援隊士の気分を味わいながら長崎の町並みを眺める。
もちろん、気分を味わった
長崎県長崎市伊良林
風頭公園から坂をくだっていくと龍馬通りが登場
階段を一段ずつ降りていく。
亀山社中記念館に到着した。タイムスリップしたような気分になる瞬間。
この建物は坂本龍馬ゆかりの亀山社中の遺構として現在に伝わる建物を所有されている方のご厚意により、長崎市が当時の姿により近い形で整備し、平成21年8月1日から公開しているもの。
黒字羽二重の紋服、ブーツ。
楽器の「月琴」は楢崎龍が月琴を弾いていた、ということで展示しているそうだ。
ピストル。
刀。
同志たちの名札。
坂本龍馬、陸奥陽之助、近藤長次郎、沢村惣之丞、長岡謙吉、佐場ク高次、石田英吉、腰越次郎、山本洪堂、高松太郎、関義臣、池内蔵太、中島作太郎、新宮馬之助、千屋寅之助、橋本久太夫、黒木小太郎、小谷耕蔵、白峰駿馬、渡辺剛八、野村辰太郎
大河ドラマ「坂本龍馬」をしっかり見たこともあって、今回の長崎観光の中でも一番胸をワクワクさせてくれた場所であった
長崎県長崎市伊良林2丁目7−24
長崎平和公園を出て、風頭公園へ
長崎の港を見下ろす風頭山にあり、ハタ揚げの名所として市民に親しまれている公園。
公園には坂本龍馬の銅像が建立されていることもあり、龍馬ファンには必見のスポットとなっている。
この銅像、長崎を見下ろす坂本龍馬の目力の迫力に圧倒される。
眼下には長崎の美しい街が広がる
長崎県長崎市風頭町、伊良林3丁目
原子爆弾落下中心地碑。
昭和20年に、原子爆弾災害調査団が標柱(アスベスト柱)を建立したのが始まり。
昭和42年末に風化で蛇紋岩が剥げ落ちたため、昭和43年に三角柱の表面の張り石を黒御影石へ張替えられた。
浦上天主堂遺壁。
東洋一の壮大さを誇った天主堂であったが、1945年に原子爆弾のさく裂により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった。
この側壁は聖堂の南側の一部で、1958年に新しい天主堂建設のためこの地に移築された。
被爆50周年記念事業碑。
この碑は、原爆落下中心地地区を「祈りのゾーン」として、より充実・強化し、世界平和の発信地とするため、「被爆50周年記念事業碑」として、ここに建立されたもの。
原爆資料館も爆心地も、以前数度訪れた場所。あらためて訪問したことは私にとって大変有意義であった
浦上天主堂を出て、長崎平和会館の前を長崎原爆資料館に向かった
長崎市への原子爆弾投下に関する資料を取り扱った長崎市立の資料館。
「1945年8月9日」「原爆による被害の実相」「核兵器のない世界を目指して」などのテーマに沿って、資料、写真、解説パネルなどが展示されている。
館内には折れ曲がった工場の鉄骨、爆心地側の部分が熱線により焼けた橋げたなど原子爆弾によって破壊された建物の一部が移設されている。
原爆投下で時が止まったままの「時計」などの被爆資料も展示されている。
長崎型原爆とも呼ばれる「ファットマン」などの模型も展示されている。
平和と地獄を表現した物。じっと見ていると、制作者の思いが伝わってくる。
館内には外国人も多く訪れていて、熱心に時間をかけて館内の展示をしっかり見ている姿があった
長崎市平野町7番8号
長崎原爆資料館入り口の前で小さい屋台のアイス屋さんを発見
昭和35年より販売されている「ちりんちりんあいす」(氷菓)。
長崎名物として全国的に広く認知されるようになったという。
100円という安さも魅力。ソフトクリームと氷の絶妙な配合によるシャリシャリ感がいい。
昔なつかしい感じがするアイスが美味しかった
とても暑い中を如己堂から歩いて向かったのは浦上天主堂
浦上天主堂の建設計画は、1873年にキリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって行なわれた。
しかし、資金がなかなか集まらず、1895年にやっとフレノ神父の設計による教会の建設が開始し、1914年に東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられた。
正面双塔にフランス製のアンジェラスの鐘が備えられたが、1945年に原爆で建物は破壊された。
現在の建物は1959年に鉄筋コンクリートで再建されたもの。
ヨハネ・パウロ二世の胸像。
協会の中にも入って見学をしたが写真撮影は禁止。
この協会も以前数度訪問した懐かしい場所。あらためて建物の美しさを感じる事ができた
長崎県長崎市本尾町1-79
平和公園の次は歩いて如己堂へ向かった
爆心地から北北東へ約620m、病に倒れた永井隆博士のために、1948年に浦上のカトリック信者と近所の人の好意で建てられた二畳一間の小さな木造の家である。
長崎市名誉市民永井隆博士が病室兼書斎として生活していた。ここから世界中の人々に戦争の愚かしさと平和の尊さを発信続けたという。
博士が生きる指針とした、「聖書」の一節、「己の如く隣人を愛せよ」という言葉から如己堂と名づけられた。
昔のままの小さな家を見学し、当時の様子を偲んだ。
約20年ぶりに訪れた長崎。最初に向かったのは平和公園
この公園には過去に数回訪れた事がある。
長崎市松山町に位置する平和公園(Peace Park)。1945年8月9日に投下された原子爆弾が落下した地域に、平和を祈って設けられた。
平和祈念像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を意味し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。
長崎刑務所浦上刑務支所跡。
長崎の鐘のモニュメント。
平和の泉。
記念像からまっすぐ進んだ所にある。
「平和の泉」には黒い御影石があり、次のように刻まれている。
のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
―ある日のある少女の手記から
長崎県長崎市松山町2400−3
博多駅で乗り換えの間に駅弁を購入
どれも美味しそうなので迷う。
松栄軒の鹿児島県産黒毛和牛「牛めし」に決定。
やさしい味付けで食べやすい牛めし。しょうがやごぼうに漬け物がアクセントになっている。
お隣は「めんたいこ弁当」。
めんたいこが陣取るのではなくバランス良く色々なおかずが盛りつけられていた。
鳥取県産のあご寿し。
折尾名物「かしわめし」は彩りがきれい。
それぞれ好みが違うので、色々なタイプの駅弁で盛り上がった
新大阪での待ち合わせの定番「千成びょうたん」
博多まで「のぞみ」に乗車。
鉄道マニアというほどでもないが、ワクワクしながらパシャッ!
暑いのでしっかり飲み物を用意して乗り込んだ。
博多駅に到着。「かもめ」に乗り換えするため移動。
長崎に向かう。
まるみのあるかわいい顔の「かもめ」。
車内は淡いグレーで統一されていて、車掌さんのユニフォームもシックな感じ。
床は木目調でゆったりした座席。
車窓を楽しみながら長崎に到着