12日の日記『1371年の時を越えて』で多武峰(とうのみね)談山(たんざん)神社へ行ってから
5・7・5の17日経過して
が
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んな風になっているようです。
この神社の社号の起こりは西暦645年の5月、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)と中大兄皇子
(後の天智天皇)が多武峰の山中に登って、「大化改新」の談合を行ったと伝えられ、後に
この山を「談い山」「談所ヶ森」と呼んだことからだと言われています。
本堂には中央に藤原鎌足公の御神像
左に秘仏の如意輪観音像 (普段は御映像)
右に談湊峰大権現
が祀られています。
紅葉に囲まれている十三重の塔は藤原鎌足の廟所として長男で僧の定恵が唐からの帰国後の
678年に建てたとされています。
もっとも戦火や落雷などで何度か再建されているので当時の物ではありませんが。
1869年(明治2年)の神仏分離以前は多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)という名でした。
その面影かどうか分かりませんが末社惣社拝殿に福禄寿様がいらしたりもします。
いろいろ知ってみると面白いものです。