三月下旬のイベント紹介。
古代のスーパーヒーローといえば、聖徳太子!太子ゆかりのお寺として知られる世界遺産・法隆寺では、毎年、太子のご命日にその遺徳をしのぶ法要が盛大におこなわれます。その名は「お会式」(おえしき)。奈良時代から続くとされるお会式は、太子とゆかりの深い法隆寺にあっては、数々の法要のなかでもっとも重要なものとされています。
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お会式がはじまったのは、奈良時代中頃(748年頃)と考えられています。古くは太子の亡くなった2月22日にとりおこなわれていましたが、太陽暦の採用により、現在の3月22日から24日に変更されました。その舞台となるのは、境内の一角に建つ写真の聖霊院。1121年、法隆寺に暮らす僧侶の生活空間であった東室を改造して造られた建物で、現在、国宝に指定されています。
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内陣には3つの厨子が並んでおり、その中央には太子45歳のときの姿を写した聖徳太子坐像、左右の厨子には太子の子息や兄弟である山背大兄王や殖栗王、卒末呂王や高句麗の僧・恵慈の木像(いずれも国宝)がまつられています。その木像の数々からも、聖霊院が太子の遺徳をしのぶお会式の舞台として最適の空間であるといえるでしょう。
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なお、聖徳太子坐像などは普段、秘仏となっており、お会式前日の夕方にとりおこなわれる「お逮夜(おたいや)」の法要およびお会式の期間中しか御開帳されません。特に「お逮夜」の終了後は一般の参拝者も内陣まで入ることが許されるため、聖徳太子坐像などの諸仏を間近で拝観したいときは「お逮夜」に参列されることをおすすめします。
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法要の当日、聖霊院を訪れると、聖徳太子坐像などがおさまる厨子の前にご覧の供物が並べられている光景を目にすることができます。薄暗いため、供物の詳細まではおわかりにならないでしょうが、中央の壇上に榧の実や銀杏、干し柿など数々の食材が色鮮やかに、そして、不思議な形に盛り付けられています。これらの供物は中世以来の古式を伝えており、その源流は朝鮮半島に由来するとのこと。
ちなみに法要は午後1時からおこなわれ、供物をとりかこむようにすわる僧侶たちの発する独特の声明にも耳を傾けましょう。