BWV1002、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番のリュート編曲を久しぶりに見直しています。実はこのパルティータのアルマンドとテンポ・ディ・ボレアを11月のバロック・イーラのときにやってみようかとふと思い立った次第。
11月のコンサートはソロ・コンサートではないので、全曲は弾くことができませんので2曲抜粋になります。2曲それぞれにはドゥブルがついていますが、時間の関係でそれも弾けないかもしれませんが、プログラムの時間調整でなんとかいけそうな気もします。
このパルティータのアレンジは、バーゼルにいた頃に手がけたもので、師匠のホプキンソン・スミスと何度も検討しました。毎週彼のところに編曲を持って行ってあれこれと議論をしました。彼もこの曲を録音したことがあり自分の編曲を持っているのですが、決して彼はそれを「正解」だとして私に押しつけることはしません。もちろん私も彼の編曲の真似はしたくないし、そもそも彼の編曲を参考にすることはしません。バッハの自筆譜をもとに私がやろうとしていることの最適解は何かということについて議論をするわけです
バッハの無伴奏ヴァイオリンやチェロの曲は、その書かれている分だけで完全に完結しているものなので、中途半端に音を加えるととんでもないものになります。かといってオリジナルのままリュートで弾くというのは間違っています。それはリュートは音が「のびる」楽器、ヴァイオリンやチェロは音が「のびない」楽器だからです。逆みたいですけど、この意味わかります?オリジナルの楽譜の通り弾くというのは、それが想定されている楽器で弾かなくてはなりません。リュートで弾く場合は、リュート的な処理をする必要が出てくるわけです。
この曲の場合は比較的音が多く書かれているので、間違ったバスをつけることはそうはないと思いますが、例えばチェロ組曲の第2番の第2メヌエットみたいに、1本のラインだけで書かれている曲は大変です。もちろんバスと見られる音もいくつかはありますが、多くはバスレスです。こういった曲をリュートで弾くときはバスを付け足さなくてはなりません。
この曲のアレンジはもう10年前のものなので、弾いていると考え方(とらえ方)が変わっていたり新しい発見があったりして、結構何カ所かは変更しています。多分5年くらい先にこの曲をもう一度弾くときにはまたいろいろいじくることになると思います。結局バッハの曲のアレンジは永遠に完結することはないのだと思います。
11月のコンサートはソロ・コンサートではないので、全曲は弾くことができませんので2曲抜粋になります。2曲それぞれにはドゥブルがついていますが、時間の関係でそれも弾けないかもしれませんが、プログラムの時間調整でなんとかいけそうな気もします。
このパルティータのアレンジは、バーゼルにいた頃に手がけたもので、師匠のホプキンソン・スミスと何度も検討しました。毎週彼のところに編曲を持って行ってあれこれと議論をしました。彼もこの曲を録音したことがあり自分の編曲を持っているのですが、決して彼はそれを「正解」だとして私に押しつけることはしません。もちろん私も彼の編曲の真似はしたくないし、そもそも彼の編曲を参考にすることはしません。バッハの自筆譜をもとに私がやろうとしていることの最適解は何かということについて議論をするわけです
バッハの無伴奏ヴァイオリンやチェロの曲は、その書かれている分だけで完全に完結しているものなので、中途半端に音を加えるととんでもないものになります。かといってオリジナルのままリュートで弾くというのは間違っています。それはリュートは音が「のびる」楽器、ヴァイオリンやチェロは音が「のびない」楽器だからです。逆みたいですけど、この意味わかります?オリジナルの楽譜の通り弾くというのは、それが想定されている楽器で弾かなくてはなりません。リュートで弾く場合は、リュート的な処理をする必要が出てくるわけです。
この曲の場合は比較的音が多く書かれているので、間違ったバスをつけることはそうはないと思いますが、例えばチェロ組曲の第2番の第2メヌエットみたいに、1本のラインだけで書かれている曲は大変です。もちろんバスと見られる音もいくつかはありますが、多くはバスレスです。こういった曲をリュートで弾くときはバスを付け足さなくてはなりません。
この曲のアレンジはもう10年前のものなので、弾いていると考え方(とらえ方)が変わっていたり新しい発見があったりして、結構何カ所かは変更しています。多分5年くらい先にこの曲をもう一度弾くときにはまたいろいろいじくることになると思います。結局バッハの曲のアレンジは永遠に完結することはないのだと思います。