対戦・三ツ山くずし 2017-07-26 09:56:29 | 囲碁将棋 楊枝でも碁石でもよいから、任意の数の3つの山を作る。対戦相手どうし交互に、一つの山から任意の数の楊枝を取り除くのがこのゲームである。 ルールは「最後に取るハメ」になったほうが敗けである。 このゲームは「後手必勝」であることが証明されている。さて、後手はどのような作戦で臨めば必勝となるか?ちょっと考えてみてください。(ご希望があれば後手必勝法をお教えします)。 ※私の俳句(夏) 夏空に楕円えがきしセスナかな #びっくり « 医療者はむだ口をつつしむべし! | トップ | 一人の医者が多数科を標榜す... »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 夏空のセスナ (シナモン) 2017-07-27 09:54:25 夏空に楕円えがきしセスナかな俳句評論をするだけの経験智は持ち合わせていないが、作者の描いたこの情景には思い入れがある。夏空でなくて、秋空でもいい。夏空には白い夏雲が必要な道具立て。そして直線的に飛び去ってはダメ。ぜったい楕円を描かなければならない。幾何学的に正確すぎて単純な円は、無機的な感覚を発散するのでダメ。不確定な要素を含めた楕円がマストである。小型機のメーカーはいくらでもあるだろう。だがセスナでなければならない。これは我々の世代の児童期にすりこまれた共通体験に由来する言語的ノスタルジアなのだろう。たよりない単発エンジンの音は、沈黙を消し去る四発の重爆撃機や戦闘機の轟音ではだめ。そう、セスナの音はたしかに沈黙を破るものではあるけれど、喧噪の都会ではむしろかき消されてしまう、たよりなさがある。つまり、セスナの音が聞こえるということは、岩にしみ入るセミの声と同じく「静けさ」という状況設定が存在しているのである。作者は、徹頭徹尾、視覚的表象を用いて俳句をつづっているが、これは「耳」の俳句なのである。傑作である。 返信する 俳句始めて4半世紀 (管理人) 2017-07-27 10:52:13 シナモンさん、コメントありがとうございます。しかも拙句を褒めてくださるなんて、ありがたいことです。私は無季の句を否定する「伝統俳句協会」(ホトトギス派)所属です。無季俳句は川柳との区別が基本的につきません。私はしばしばこのブログで無季俳句を批判してきました。お読みになったと思いますが、下も無季俳句批判です。http://blog.goo.ne.jp/nakazato-hitoshi/e/6776c272945ff5ca92c6bef53b70b7daホトトギス派は「写生」を重んじます。想像では句作しません。したがって、ご指摘の句を作った時にはセスナが楕円を描いていたのでしょう。(セスナが正円形にも飛べるかどうか考えたこともありませんでした)。四の五の感想を言わず「客観写生」を薦めるホトトギス派が好きです。今後もコメントよろしくお願いいたします。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
俳句評論をするだけの経験智は持ち合わせていないが、作者の描いたこの情景には思い入れがある。
夏空でなくて、秋空でもいい。夏空には白い夏雲が必要な道具立て。そして直線的に飛び去ってはダメ。ぜったい楕円を描かなければならない。幾何学的に正確すぎて単純な円は、無機的な感覚を発散するのでダメ。不確定な要素を含めた楕円がマストである。
小型機のメーカーはいくらでもあるだろう。だがセスナでなければならない。これは我々の世代の児童期にすりこまれた共通体験に由来する言語的ノスタルジアなのだろう。
たよりない単発エンジンの音は、沈黙を消し去る四発の重爆撃機や戦闘機の轟音ではだめ。
そう、セスナの音はたしかに沈黙を破るものではあるけれど、喧噪の都会ではむしろかき消されてしまう、たよりなさがある。
つまり、セスナの音が聞こえるということは、岩にしみ入るセミの声と同じく「静けさ」という状況設定が存在しているのである。
作者は、徹頭徹尾、視覚的表象を用いて俳句をつづっているが、これは「耳」の俳句なのである。傑作である。
しかも拙句を褒めてくださるなんて、ありがたいことです。
私は無季の句を否定する「伝統俳句協会」(ホトトギス派)所属です。
無季俳句は川柳との区別が基本的につきません。
私はしばしばこのブログで無季俳句を批判してきました。
お読みになったと思いますが、下も無季俳句批判です。
http://blog.goo.ne.jp/nakazato-hitoshi/e/6776c272945ff5ca92c6bef53b70b7da
ホトトギス派は「写生」を重んじます。想像では句作しません。
したがって、ご指摘の句を作った時にはセスナが楕円を描いていたのでしょう。
(セスナが正円形にも飛べるかどうか考えたこともありませんでした)。
四の五の感想を言わず「客観写生」を薦めるホトトギス派が好きです。今後もコメントよろしくお願いいたします。