予備校や塾(もしかしたら受験校も)などの受験産業は一種の「ブラック企業」ではないか?その被害者は受験産業の社員ではなく、むろん生徒である。
どういうことかと言うと、生徒にとっては成績がすべてで、成績をとるために必死に勉強しなくてはならない。勉強の時間に制限がないから睡眠時間を削ってまで勉強する者もおり、日曜も祝日もない非人間的な生活を送ることになる。
それでいて受かるという保証はなく、落ちたとしても自己責任とされる。ものすごく勉強したのに落ちても、受験産業は自らの落ち度を認めない。それどころか、その生徒の努力や能力が足りなかったのだと済まされてしまう。一年浪人したところで、来年必ず受かるという保証もない。
中にはうつ病になったり、自殺する生徒が出てくるかもしれない。このような構造は「ブラック企業」と同じではないか?
(集英社刊。)
上の本はたいへん面白い。経験に基づいた生き生きした語り口である。趣旨をひとことで言うと「若いうちに猛烈に苦労をしておくことは人生に役立つ」ということである。
だが、それに納得してしまうと、従業員に無際限の労働を要求する「ブラック企業」の存在を肯定することにはならないだろうか?
(大学入試にせよ高校入試にせよ、第一志望に合格できる確率は「ブラック企業」で従業員として生き残る確率と同程度のような感じがする。)
どういうことかと言うと、生徒にとっては成績がすべてで、成績をとるために必死に勉強しなくてはならない。勉強の時間に制限がないから睡眠時間を削ってまで勉強する者もおり、日曜も祝日もない非人間的な生活を送ることになる。
それでいて受かるという保証はなく、落ちたとしても自己責任とされる。ものすごく勉強したのに落ちても、受験産業は自らの落ち度を認めない。それどころか、その生徒の努力や能力が足りなかったのだと済まされてしまう。一年浪人したところで、来年必ず受かるという保証もない。
中にはうつ病になったり、自殺する生徒が出てくるかもしれない。このような構造は「ブラック企業」と同じではないか?
(集英社刊。)
上の本はたいへん面白い。経験に基づいた生き生きした語り口である。趣旨をひとことで言うと「若いうちに猛烈に苦労をしておくことは人生に役立つ」ということである。
だが、それに納得してしまうと、従業員に無際限の労働を要求する「ブラック企業」の存在を肯定することにはならないだろうか?
(大学入試にせよ高校入試にせよ、第一志望に合格できる確率は「ブラック企業」で従業員として生き残る確率と同程度のような感じがする。)