(昭和30年台の学校給食、武蔵野市給食・食育振興財団より引用。)
私たちの学校給食は、上の写真で食パンの部分がコッペパンだった。さらにクジラの竜田揚げついていた。特別おいしいとは思わなかったが、まずくもなかった。クジラの竜田揚げにかぶりついたことを覚えている。牛乳は脱脂粉乳で、これはまずかった。
そもそも自宅の食事が大したことはなかった。そのころ近所の肉屋がハムカツやポテトフライを売るようになった。ハムカツは薄いハムを揚げただけだ。そこにウスターソースをたっぷりかけて食べる。ソースがちょっとしたご馳走だった。
ハムカツより玉子のほうがずっと高価だった。母親が作る弁当はいつも海苔弁。ご飯に鰹節と醤油をかけて、その上に海苔を置く。おかずは玉子焼きだけ。さすがに飽きた。
コロッケは5円で肉屋で売っていた。肉は入っていない。ジャガイモの皮が肉に見えた。杉浦茂の猿飛佐助のマンガに「コロッケ5円の助」というキャラが出てきて大いに笑った。
肉は豚肉も牛肉もおそろしく贅沢だった。薄いとんかつを肉屋で売っていたが、ハムカツしか食べられないことが多かった。
※今日の俳句(新年)
三日はやラーメンを煮る長き箸
じゅん(船橋市)