(大阪飛田の元遊郭「百番」。日本建築材料協会のHPより引用。)
温泉地は聖地でしたから、温泉旅館は上の遊郭建築のような玄関をもつようになりました。
それに倣ったのか、銭湯も同じような作りの玄関が多かったですね。名称も「○○温泉」と名乗る銭湯がいくつもありました。(私が学生時代に通った銭湯は、名古屋にあるのに「東京温泉」といいました。)
別府温泉には明治時代から陸軍病院がありました。温泉で病気や怪我をゆっくり癒そうとしたのでしょうね。1931年(昭和6年)には九州帝国大学が別府に温泉療法研究所を建てて、温泉の医学的な効果が研究されました。
むかしの人はものすごい労働をしていましたから、温泉地でゆったりすることはストレスから解き放たれる唯一の機会だったでしょう。とうぜん病気もよくなります。
ところがそれが、温泉水に含まれる成分のおかげだと「誤解」されてしまったのですね。現在でも多くの人が、温泉の効能はお湯の成分にあると思い込んでいます。(もしそうだったら、タンクローリーで温泉水を都会に運んでくる医療者が必ず出てくるはずなのに、出てきません。)
結核の人などが空気がよい田舎で静養する「転地療養」というのが、むかし流行りましたが、湯治は「転地療養」のひとつで、温泉成分の問題ではなかったのです。
(「湯治の宿」というのが私が幼いころにありました。そこには、ごちそうや芸者はなく、湯治客は自分で食事を作ったり洗濯をしたりして、廉価に過ごしたのでした。)
※今日、気にとまった短歌
わたしには大きい自転車このサドルあなたの高さとおもうとうれしい (東京都)平岡淳子
http://www.manyo.co.jp/mm21/yu
湯河原と熱海の湯を横浜と町田へ、由布院と武雄の湯を博多へ運び、24時間営業のスーパー温泉を経営しています。2000円くらいの入場料を払うと、浴衣に着替えて一日中財布なしで施設内で過ごせます。食事や土産などの買い物は、腕に付けた機械で支払い、帰る時に精算します。
横浜の施設を、泊まりがけの忘年会で利用したことがあります。湯は確かに本物の温泉ですが、別にただの沸かし湯でも全然かまわないと思いました。つまり、「温泉の効能」などは、端から期待されていないのですね。では、なぜわざわざタンクローリーで運ぶのか。単なる付加価値でしょう。沸かし湯のスーパー銭湯の入場料と比べると3倍くらい高いですが、家族連れやカップルで大賑わいでした。
この「万葉の湯」の親会社は、「日本ジャンボー」という写真のDPEの会社です。院長もご記憶かと思いますが、私たちが中学生のころ、渋谷の駅などに「ジャンボープリント」という写真の店があり、他所よりもプリントのサイズが大きいのが売りでした。
今年80歳になる経営者は熱海の出身。デジカメの登場で、いずれ銀塩写真がすたれることを見越した社長は、1997年に、タンクローリーによる運び湯温泉を始めたそうです。安くて大きいカラープリント、都会なのに本物の温泉、どちらも、そうでなくてもいい付加価値が付いていることが客を集めたのでしょうか。
そうですかぁ。タンクローリーで温泉水を運んだお人がいるのですね。
白骨温泉の人工着色問題も、舘山寺温泉の立て返し問題も大した罪でもないのに、マスコミは大騒ぎしましたよね。
私に言わせれば、サプリメントにコンドロイチンが表示量だけ入っていなかった程度の問題です。表示量通りに入っていても、毒にも薬にもならないことは同じなのですから。
今後もなるべくコメントをお願いいたします。
人気ブログランキングが3位に低迷しているし、ぜんぜんコメントがないと毎日書き続けるのがイヤになってきます。