院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「イスラム国」への対応

2015-01-17 07:19:22 | マスコミ

(2014 年 10 月の「イスラム国」実効支配地域。ウィキペディア「イスラーム国」より引用。)


 国家とは何かというのは古来たいへん難しい問題ですが、「イスラム国」は国家を名乗っています。

 「イスラム国」は行政府や警察権を持ち支配地域住民から徴税するだけではなく、地域住民への福利厚生に熱心で住民からの信頼が篤いともいわれます。

 一方、これまで国際間に危機が起こると「外交努力をせよ。話し合いで解決せよ」という人たちがたくさんいました。その人たちは現在「イスラム国」についても同じことを言っているのでしょうか?言っているのに報道されないだけなのでしょうか?

(「イスラム国」が残虐なビデオを流すと非難されますが、先進国による爆撃も望遠の高速度カメラで撮れば、人間がバラバラに吹き飛ぶ像が写るでしょう。)

(けっきょく最後は暴力の出る幕になるのですね。)


※今日、気にとまった短歌

  しろがねのナイフをつたふ梨の果汁どこかで事件の起こる気配す (千葉県)渡辺真佐子

続・医者と経験年数(使えない研修医)

2015-01-16 07:00:59 | 医療

(テレビドラマ「ドクターX」の米倉涼子さん。テレビ朝日のHPより引用。)

 医者に経験が重要なことは当然ですが、経験年数だけでは多くを語れないと感じています。もしかすると医者の能力には経験年数より資質のほうが寄与度が大きいかもしれません。

 むかしは「使えない研修医」というのはごく稀にしかいませんでしたが、最近では10人に1人くらいいると大病院勤務の友人が言っています。「使えない研修医」は何年たっても使えるようになりません。

 ただし、「使えない研修医」でさえ、インターネットで病気について調べてきた素人さんよりはマシです。「使えない」のは知識ではなくて、機転とか対人スキルの問題だからです。


※今日、気にとまった短歌

  新人の吾子を守れよ真白なる形態安定加工のワイシャツ (東京都)荒川ゆみ子

医者と経験年数

2015-01-15 06:21:08 | 医療
   (飢餓陣営せれくしょん。)

 尊敬するW院長(故人)が卒後3年目のころに、自分の患者さんについて精神鑑定をして裁判所に呼ばれたことがあるそうです。鑑定結果は統合失調症。

 相手側の鑑定人は当時の犯罪心理学の権威T教授だったそうです。その鑑定結果は詐病(仮病)で、裁判所で決着をつけることになりました。

 相手側の弁護士は若き院長に「あなたは医者になって何年目ですか?」とわざと尋ねました。院長はありのままに答えました。

 裁判の結果は、患者は詐病で有罪となったそうです。この事実を院長は、人生でもっとも悔しかった経験として私に語りました。(10年後くらいに、やはり統合失調症だったことが明らかになりました。)

 私は医者(なかんづく精神科医)は3年目くらいが一番冴えていると考えています。とくに精神療法は3年目くらいが一番うまい。体力精神力もあり、全身全霊で患者さんにぶつかっていけるからでしょう。


※今日、気にとまった短歌

  「山の美しさに感動して詠める」
  ひいらぎの かほりやまめて せせらぎる どぜうてふてふ くましかりこす 山下洋輔

「合格祈願」と「丑の刻参り」

2015-01-14 05:51:27 | 文化

(北野天満宮の絵馬群、飯塚晋一撮影。朝日新聞DIGITALより引用。)

 入試シーズンには合格祈願の絵馬が溢れますが、絵馬を奉納するだけで合格できると思う(または気が軽くなる)人は、丑の刻参り(深夜、ご神木に藁人形を五寸釘で打ち付ける)で相手を呪い殺せると考える人と、精神構造が本質的に同じです。

 ・・・というようなことを言っても、このブログの読者なら一発で理解してくださるでしょう。


※今日、気にとまった短歌

  持ちものの全てに名前書き終えて明朝母を施設に送る (岡山市)柴原佳子

NHKBS「壇蜜ネパールを行く」が残念でした

2015-01-13 04:20:41 | 文化

(「壇蜜ネパールを行く」の一場面。J-cast より引用。)

 NHKBSの「壇蜜ネパールを行く」の再放送を見ました。噂には聞いていた「死を待つ人の家」にTVカメラが入ることって、ちょくちょくあるのでしょうか?

 「死を待つ人の家」の実録を見て、こういうのもアリだと思いました。その家で危篤状態の人が家族に囲まれて死に、ネパール人にとってもっとも神聖なバグマティ川の岸辺の火葬場で荼毘に付され、灰はバグマティ川に流されます。(見方によってはあまりにシステマティックな弔いですが、実態は決してドライではないことが分かりました。)

 とてもよい記録映像だったのですが、構成の混乱が目立ちました。ストーリーを妙に盛り上げようとするナレーションになったと思ったら、壇蜜の感情を抑えた感想がまじったり・・。あれだけのソフトが撮れたのだから、もう少しどうにかなったでしょうに。

 いつもよいソフトを提供してくれるNHKエデュケーショナルさん、どうしっちゃたの?

格調重視のホトトギス

2015-01-12 05:23:44 | 俳句

(鎌倉大仏。オリンパス・フォトパスより引用。)

ホトトギス系の俳誌に次の句を投稿しました。

    新緑の上(へ)に大仏が頭だけ

これは次のように添削されました。

    新緑の上(へ)に大仏が頭のみ

「だけ」より「のみ」のほうが格調が高いのです。
反面、滑稽さは失われます。(この俳句は以前にここでご紹介しました。)

さいきん次の俳句を投稿しました。

    伝統の祭ぞ限界集落の

これは次のように添削されました。

    伝統の祭ぞ限界なりし村

どこがいけないかというと、「限界集落」が時事用語だという点です。
最後の「の」も不自然ですよね。
ホトトギスでは「コンビニ」、「スーパー」といった用語も使いません。
略号だし、歴史がないからでしょう。

私はホトトギスのこうした頑なさを、好ましいと考えています。

プッシュプッシュスイッチの愚

2015-01-11 06:46:10 | 工業
 ボタンを押すごとにオンとオフが入れ替わるプッシュプッシュスイッチ(位置保持型スイッチ)ほどイライラするスイッチはありません。押すとオンになりますが、今度オフにしたいときにどうすればよいか一瞬考えなくてはなりません。

 拙宅の風呂場の鏡には裏側に「曇り消しヒーター」がついています。これがプッシュプッシュスイッチなのです。押すとヒーターが温まって曇りが消えます。そのあと点けたまま忘れてしまうのですね。

 鏡に曇りがない状態だけを見ると、スイッチが入っているのか入っていないのか分かりません。鏡に触って温度を感じてみたり、もう一度曇るか実験してみたりと、面倒なことおびただしい。このスイッチが下の写真のようなトグルスイッチの類なら、なんの困難もありませんのに。

 プッシュプッシュスイッチはデザインのために機能を犠牲にした典型例ではないでしょうか?


(トグルスイッチ。BANKS-Amp オンラインショッピングより引用。)

識字率の男女差

2015-01-10 05:30:15 | 教育

(寺子屋の風景、『文学万代の宝』より。江戸東京デジタルミュージアムより引用。)

 むかしから日本の識字率の高さは有名です。寺子屋があったからだといいますが、では生徒の男女比はどうだったのでしょうか?寺子屋には共学、男子専用、女子専用があったとはいえ、トータルとしては男子の数のほうが圧倒的に多かったのではないかと推測されます。

 パキスタンの現在の識字率は、男性79%女性61%だそうです。イスラム圏であるパキスタンですが、女性の識字率が意外に高いのですね。

 日本も幕末にはこの程度の識字率の男女比だったのではないかと勝手に考えています。パキスタンのデータは、あるマスコミが「ほら女性の識字率がこんなに低い」というために出した数字ですが、残念でした。少なくとも私は意外に高いと感じたのでした。

パチンコ、パチスロは恐いでしょうか?

2015-01-09 05:19:03 | レジャー

(浜崎あゆみをキャラクターにしたパチスロ。Bisty のHPより引用。)

 賭博は恐ろしい、ハマるとえらいことになるという意識がむかしから世間にありますが、本当でしょうか?

 一時30兆円産業といわれたパチンコの衰退が激しいとの報道がありました。1,700万人いたパチンコ人口が1,000万人を割りそうだとか、パチンコ店の軒数が3割くらい減ったとかいわれています。

 そのようになった裏にはフィーバー台の影響があると報道では分析していましが、納得できます。私もフィーバー台をやったことがありますが、10,000円が10分でなくなってしまう。これではお金を捨てているような感じで、おちおち遊んでいられません。

 賭博性が強くなると、私のようにかえって離れてしまう人がたくさんいるのです。ですから、賭博は万人にとって恐いのではなく、賭博好きな一定の層にとってのみ恐いのでしょう。

 むかしの賭博狂が「ギャンブル依存症」として病気の仲間に入れられつつあります。最近なんでも病気にしてしまう傾向がありますね。マイノリティーを全部病気にしてしまうのです。「ギャンブル依存症」はまだなんとか受け入れられないでもありませんが、性犯罪累犯者を「性依存症」として病気の部類に入れることに、みなさまには抵抗はありませんか?


※今日、気にとまった短歌

  駄菓子屋の脇に街灯あることをぼたん雪降る夜に知りたり 田中愛子『傘に添ふ』

九州二泊旅行(高千穂町)

2015-01-08 00:12:04 | 歴史

(高千穂町の夜神楽。高千穂町のHPより引用。)

 二日目はニニギが天下ったとされる高千穂町へ。アマテラスがこもった天岩戸が残っていますが、天岩戸といわれる遺跡は各地にあります。年末年始のことで資料館が休みだったので、神話にまつわる遺跡や遺物が本当にあるのか確認できませんでした。(資料館には矢じりなどが陳列されているそうですが、矢じりは日本各地で出土しますし。)

 この地の重要無形文化財として夜神楽があります。神楽もとりたてて珍しいものではありません。私が幼いころには東京の末社でも神楽をやっていました。

 神楽は巫女が神に奏する舞です。じつは能にも曲によって神楽がでてきます。シテが神楽を舞っているうちに次第に神がかりになってくるという筋立てです。巫女(シテ)は幣をもって舞いますが、神そのものになってもまだ幣をもっているのはおかしいと、元東京芸大教授の横道萬里雄氏は指摘しています。(だからか、幣の代わりに扇をもつ流派もあるそうです。)

 能の中で神楽舞にはいると囃子が変わり、笛の音が揺れ、小鼓が低音を打ち続けるようになります。この囃子は、神社の神楽の囃子とはぜんぜん違う音楽です。能の神楽の囃子は巫女の鳴り物を模しています。(正直なところ能の神楽に比べて、夜神楽は洗練されていません。)

 要するに、高千穂旅行はまったく詰まらないものでした。ただ一点、泊まった「神仙」という旅館が、建築も料理も仲居もきわめて良質で、東京や京都の名のある料亭のようだったことが救いでありました。


※今日、気にとまった短歌

  今朝もまた鼻くつつけておはやうと言へばひんやり遺影の吾子よ (小田原市)陌間みどり

九州二泊旅行(熊本市)

2015-01-07 06:12:17 | 歴史
 日本史で詳しいのは奈良、京都、鎌倉といった都のことばかりで、秀吉家康以前の地方の歴史はほとんど知られていないと言ってよいでしょう。

 熊本では細川家が有名ですが、細川家が熊本に入ったのはわずかに加藤(清正)家が断絶した後で、羽柴秀吉の導きによるものでした。それ以前は、菊池家など10ほどの豪族が割拠していたとしか分かっていません。

 もっと遡ると、いきなり古代の古事記、日本書紀に行ってしまい、熊襲(くまそ)が支配していたとなります。熊襲と熊本そして球磨川という名称は互いに関係がありそうですが、それ以上のことは分かりません。

 熊本市に一泊しました。熊本城や水前寺公園はいまさらご紹介するまでもないでしょう。熊本市街で有名なのは、バス会社各社の路線バスが行列をなすことです。下の写真は尻尾のほうまでは見えませんが、なんと11台のバスが数珠つなぎになっているところです。



(馬刺しは非常にうまかったです。これまで食べたことがない馬刺しでした。)


※今日、気にとまった短歌

  祖父だった祖父だった
  このただの灰
  祖父だった驚くことに

  (茨城県立下妻第一高等学校)坂入葉月



中日新聞が高齢喫煙者に味方!?

2015-01-06 05:25:37 | マスコミ

(たばこの旧3級品。三楽の宿さかや・おかみブログより引用。)

 高齢者が好んで吸っている「echo」、「わかば」、「しんせい」といった安いたばこは、たばこ税の特例措置を受けていました。その特例措置がこのほど廃止されるそうです。(つまり、値段が上がります。)

 そのことについて、中日新聞愛知県版(平成27年1月3日付)の「中日春秋」(一面のコラム)が、珍しくいいことを言っていました。一部をご紹介します。

 「(今回の値上げは)・・高齢者のたばこが狙われたといえる。▼「やめればいいでしょう」。その通り。その通りだが、人生、十分に働いた方が持ったたばこを、迷った挙句、また、箱に戻すような場面も見たくはないのである。」

 説得力のある名文だと思います。

 もう20年以上続いている世界的な嫌煙ファシズムは、将来かならず(アメリカの旧禁酒法のように)批判されることでしょう。ならばコラム子には、たばこ値上げの根底にほの見える新型ファシズムの台頭についてもチクリとやってほしいところです。


※今日、気にとまった短歌

  寂(さび)れたる街にはあれど印房の主(あるじ)はひねもす胡坐(あぐら)かきをり (奥州市)大松澤武哉

続々・漫画は映画を超えている

2015-01-05 06:13:30 | 漫画

(石塚真一の漫画「ブルージャイアント」(小学館)より。)

 漫画「ブルージャイアント」ではバークレー音楽院出身の師匠が「俺よりおまえのほうが上だ。おまえの音は人を”圧倒”できんだよ」とつぶやくシーンがあります。上の場面は見開き全体を使って主人公の「音」を表現しています。むろん漫画ですから音は出ません。

 映画などの映像媒体では、解説を入れずに映像だけに語らせることがよくあります。ですが、「おまえのほうが上」の「音」を音なしで表現することができるでしょうか?漫画は(小説でもそうですが)音がない分、想像させることができます。

 映画好きの人には洋画の吹き替えを嫌う人がいます。吹き替えの声が元の俳優の声と違うので、苦になるのだそうです。音があるとかえって邪魔になることがあるのですね。

 そう考えると、「ブルージャイアント」はアニメ化しにくいでしょう。アニメ化されるのが漫画家の栄誉だそうですから、「ブルージャイアント」は損をしているかもしれません。


※今日、気にとまった短歌

  ドトールの二階席にて目覚めたるひとは床より帽子を拾う  松村正直『午後3時を過ぎて』

続・漫画は映画を超えている

2015-01-04 05:38:11 | 漫画

(マレーネ・デートリッヒの「カフェ・エレクトリック」。TimeOutTokyo より引用。)

 映画は劇場演劇とはぜんぜん違うものです。アップとかズームとか早い場面転換などは劇場演劇ではできません。このようなことは映画が好きな方には当たり前のことでしょうが、先日、映画の歴史を追ったTV番組で、私は「なるほど」と思ったのでした。

 その番組では、次のような無声映画の例が挙げられていました。すなわち、2階建ての家の2階が火事の場面です。家の外からは消防士が2階へ向けてハシゴをかけようとしています。

 2階の室内で人々があわてている場面と、外で消防士が急いで作業をしている場面が交互に映し出されます。つまり中からと外からをほぼ同時に見せたのですね。その映画は、火事場の緊迫した様子を示すものとして観衆になんの抵抗もなく受け入れられたそうです。つまり、映画は劇場演劇では不可能な描写を可能にしました。

 このような映画の手法を、漫画は大いに取り入れました。顔のアップだけのコマによって、心理描写さえ行われます。先日述べた『乙嫁語り』でも映画的な手法がふんだんに用いられています。

 石森章太郎は著書『マンガ家入門』(1967)で、映画をたくさん見るようにと薦めています。石森は手塚以上に映画的手法にこだわった人でしょう。(手塚は同じキャラを別の漫画に登場させています。監督が同じ俳優を別の映画に起用するのと同じですね。)

 『乙嫁語り』の記事にも書いたように、もはや漫画表現は映画表現を超えてしまったのではないでしょうか?映画は俳優の個性やイメージに縛られますが、漫画は縛られません。映画は人物でも背景でも実物が映っているので、想像力を膨らませる余地が漫画より少なくなります。制作費用も漫画のほうが圧倒的に少なくてすみます。

 読者のみなさまは、どのようにお考えになるでしょうか?


※今日、気にとまった短歌

  ひと老いて何のいのりぞ鰻すらあぶら濃過ぐと言はむとぞする 斎藤茂吉『つきかげ』

日本人を褒める番組花盛り

2015-01-03 05:30:51 | 芸能
  (番組が発行したテレカ。)

 もう週刊誌やライブドアニュースで言われていることですが、最近やたらに日本人を褒める番組が増えました。東日本大震災以来、とくにです。むかしは「ここがヘンだよ日本人」(1998-2002) という番組が受けて、たとえば日本の会社では上司より先に帰ってはいけないなんて変だと外国人に言わせていました。日本の習慣を批判する番組が受けたのですね。

 「こんなところに日本人!」という番組は、世界の辺境と言われる場所に嫁いだ日本人妻などを見つけ出して取材する番組で、私はたいへん面白く見ています。この番組で「発見」される日本人は、このごろは苦労人の代表として扱われるようになりました。(むかしはいくぶん変人として扱われていたのでは?)

 日本の職人を紹介する番組では、日本の製品がいかに優れているかを外国の職人に言わせて、そのビデオを見た日本の職人が涙ぐむというパターンになっています。

 ジャパニーズスマイルは(意味がわからず)外国人には気味悪がられていました。しかし、ジャパニーズスマイルは明治時代に来日した外国人には美点として評価されていたことは、以前に述べました。その国の習慣や文化には毀誉褒貶がつきものなのです。

 さいきんではラーメンや蕎麦をすすって食べられる外国人が増えました。すすらなければ麺類は熱くて食べられません。「すする」という文化がない国の外国人はラーメンを冷ましてから食べていましたが、それでは麺が延びてしまいます。わが国ではスパゲティーを音をたてて食べてはいけないことになっていますけれども、それはイタリア人がすすれないからで、そんなことまでマネしなくてもよいのです。

 私自身が最近やや国粋主義的になっています。日本人のそんな気持ちの変化に敏感に気づくテレビ局の人は、やはりプロなのでしょうね。私は日本人や日本の文化を褒める番組を面白く見ています。


※今日、気にとまった短歌

  負けた子が妙に浮かれてゐたけれどサヨナラのラがうはずってゐた (高松市)加藤マスミ