週末の電話騒動がひと段落着いたので、
また陽明タンに戻ってみます。しばしお付き合いください。
そしてこれは陽明学を前歯でほんのひとかけかじっただけの人が
書き綴っている文なので、至らないことありまくりなのです。
詳しい方、どうか教えてください。
さて、王様が変わり、宦官の悪さを告発した王陽明は左遷されてしまいました。
左遷された場所は龍場といいます。上海からずっと南西の方角、現在では貴州省・苗族の自治区となっているエリアです。
王陽明の時代も、ここは苗族の土地でした。
ド田舎どころの騒ぎではありません。中央から逃げ出したわずかな犯罪者を除いて、
ほぼ異国と呼んでも差し支えのない地域です。文化も違う、言葉も通じない上に、
湿気の多い気候が病弱な王陽明の身体に襲いかかります。
このときのことを王陽明が人に送った書簡には、
「瘴レイ(やまいだれ+萬)、蠱毒(こどく)とともにおり、魑魅魍魎とともに遊ぶ。
日に三死あり」
(意訳:じめじめする上身体に悪いよどんだ空気に取り囲まれて、
まるでもののけと一緒にいるようです。
毎日三回は死にかけてしまいます。
)
*この「三死」については、本来「孔子家語」にある「病・刑・兵」の三つを
さすものなのですが、ちょっと意味がつかめないので意訳しました。
まったく違う意味であることは間違いありません。誰かわかる人助けて!!
慣れない地で死にかけたのは王陽明だけではなく、彼が連れてきた従者たちも
次々に疲労から病になってしまいます。
そんな彼らを、手づから看病しながら、王陽明は日夜端座して静かに考え続けます。
世の栄華はほんとうにむなしい。これは今の自分が超えているところだけれども、
「死にたくない」という思いはどうしても払いのけられない。
この一念を透徹できれば、やっと心が自由な境地でいられるはずなのに、
どうしたらそこまで辿りつけられるのだろう。
そう考え続けた王陽明は、ある日ことばを見つけました。
「格 物 到 知」
ということばの、革新的な意味を掴み取ったのです。
このことばは、『礼記』、大学篇(『大学』)の一節「致知在格物、物格而知至」に
由来します。
ともあれ彼は、このことばから、
聖人の道は自分の性にもともと充足するものだ。
理を、外のものに求めてきたのは、誤りだった。
と自覚したのでした。
後に
「心 即 理」
という三文字に結実する自覚を王陽明はここで手に入れたのです。
そしてここで言う「自分の性」というものが、「良知」という言葉で
あらわされるもの、と言ってよいのでしょうか自信がないのですが
ともあれそう思いました。テキストを読んでいて(おい)
これらの文字について、いま、語れることがまだ無いのですが、
とりあえず陽明タンをおっかけることは当面続きます。もういっぺん、
王陽明が悟りを得た後の話を書きます。
つづく。(うう)
:プチ所感:
王陽明のことを読んでゆくと、この人自体はかなり親しみやすい一面が
ある点で、他の人と変わっているんじゃないかなあ、と思いました。
たとえば、尊敬しているお父さんが無くなりそうなとき、遠くにいた陽明は
職を捨ててでもお父さんのところへ帰ろうかと思い悩みました。
結局、回復したとの知らせで思いとどまります。
「父が心配で帰ろうと思ってるんだけど、どうして誰も賛成してくれないんだ」
という陽明に、弟子の一人は、
「先生の帰りたい、という思いもまた物への執着じゃないでしょうか」
と言いました。王陽明はしばらく考え込んで、
「こればっかりは執着しない方がムリ」
といったといいます。
弟子のことばが頭から出ているとしたら、王陽明のことばは心から出ている、
そんなぬくもりが王陽明にはある気がします。
王陽明は、自分の教えを字義通りに解釈されるのを嫌って本を書くのを
しぶったと言いますが、なんとなく分かる気もするのです。
「お前らの解釈にはハートがない!ハートが!!」
なんか、こういう風に見えるんです。すごいインテリなんですけど、この辺、
「侠」にはまった王陽明の一端が見えるような見えないような。
また陽明タンに戻ってみます。しばしお付き合いください。
そしてこれは陽明学を前歯でほんのひとかけかじっただけの人が
書き綴っている文なので、至らないことありまくりなのです。
詳しい方、どうか教えてください。
さて、王様が変わり、宦官の悪さを告発した王陽明は左遷されてしまいました。
左遷された場所は龍場といいます。上海からずっと南西の方角、現在では貴州省・苗族の自治区となっているエリアです。
王陽明の時代も、ここは苗族の土地でした。
ド田舎どころの騒ぎではありません。中央から逃げ出したわずかな犯罪者を除いて、
ほぼ異国と呼んでも差し支えのない地域です。文化も違う、言葉も通じない上に、
湿気の多い気候が病弱な王陽明の身体に襲いかかります。
このときのことを王陽明が人に送った書簡には、
「瘴レイ(やまいだれ+萬)、蠱毒(こどく)とともにおり、魑魅魍魎とともに遊ぶ。
日に三死あり」
(意訳:じめじめする上身体に悪いよどんだ空気に取り囲まれて、
まるでもののけと一緒にいるようです。
毎日三回は死にかけてしまいます。
)
*この「三死」については、本来「孔子家語」にある「病・刑・兵」の三つを
さすものなのですが、ちょっと意味がつかめないので意訳しました。
まったく違う意味であることは間違いありません。誰かわかる人助けて!!
慣れない地で死にかけたのは王陽明だけではなく、彼が連れてきた従者たちも
次々に疲労から病になってしまいます。
そんな彼らを、手づから看病しながら、王陽明は日夜端座して静かに考え続けます。
世の栄華はほんとうにむなしい。これは今の自分が超えているところだけれども、
「死にたくない」という思いはどうしても払いのけられない。
この一念を透徹できれば、やっと心が自由な境地でいられるはずなのに、
どうしたらそこまで辿りつけられるのだろう。
そう考え続けた王陽明は、ある日ことばを見つけました。
「格 物 到 知」
ということばの、革新的な意味を掴み取ったのです。
このことばは、『礼記』、大学篇(『大学』)の一節「致知在格物、物格而知至」に
由来します。
ともあれ彼は、このことばから、
聖人の道は自分の性にもともと充足するものだ。
理を、外のものに求めてきたのは、誤りだった。
と自覚したのでした。
後に
「心 即 理」
という三文字に結実する自覚を王陽明はここで手に入れたのです。
そしてここで言う「自分の性」というものが、「良知」という言葉で
あらわされるもの、と言ってよいのでしょうか自信がないのですが
ともあれそう思いました。テキストを読んでいて(おい)
これらの文字について、いま、語れることがまだ無いのですが、
とりあえず陽明タンをおっかけることは当面続きます。もういっぺん、
王陽明が悟りを得た後の話を書きます。
つづく。(うう)
:プチ所感:
王陽明のことを読んでゆくと、この人自体はかなり親しみやすい一面が
ある点で、他の人と変わっているんじゃないかなあ、と思いました。
たとえば、尊敬しているお父さんが無くなりそうなとき、遠くにいた陽明は
職を捨ててでもお父さんのところへ帰ろうかと思い悩みました。
結局、回復したとの知らせで思いとどまります。
「父が心配で帰ろうと思ってるんだけど、どうして誰も賛成してくれないんだ」
という陽明に、弟子の一人は、
「先生の帰りたい、という思いもまた物への執着じゃないでしょうか」
と言いました。王陽明はしばらく考え込んで、
「こればっかりは執着しない方がムリ」
といったといいます。
弟子のことばが頭から出ているとしたら、王陽明のことばは心から出ている、
そんなぬくもりが王陽明にはある気がします。
王陽明は、自分の教えを字義通りに解釈されるのを嫌って本を書くのを
しぶったと言いますが、なんとなく分かる気もするのです。
「お前らの解釈にはハートがない!ハートが!!」
なんか、こういう風に見えるんです。すごいインテリなんですけど、この辺、
「侠」にはまった王陽明の一端が見えるような見えないような。