えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

雑記

2009年10月04日 | 雑記
たとえば、海が真下に見える窓辺で波の音を聞いていたりとか、川のせせらぎを真横にして畳にころがって本を広げていたりとか、あるいはただ虫の声と風を部屋に通して聞き入るだけとかともあれ、何かしらの自然と空気を共にしていると、ふっと何も考えていないことがままあります。
波でへずれて丸くなった岸壁にぼーっと突っ立っていても、大潮で増えた海水がどっと岩にたたきつける音と、波しぶきと、波が近づいてくる音と、あちこちに音はあふれているのに耳は静かで、そういう時何も考えていない自分に出会ってはっとします。「あれはきれいだなあ、これはすさまじかった、あの時は何もいえなかった」とか、いろいろと景色を言葉にするすべはあるのですが、表現しようと思えば思うほど、表現は離れてつかめなくなる。

身がぎっしり詰まっている言葉は、読むたびになにかしら別のものが見出せるのに、身が詰まっていない言葉は、流れるだけで、何かありそうで、結局言葉自体には何もなくて、文章を解して組み立ててあげないといけない。それは読むためには大切なことで、そもそもそれを読むために本を開くのだけど、どうにもおっくうに思ってしまいます。直球で来てくれることばが一番やさしい。
あらわすためにこねくりまわさず、ただあらわそうと思って選んだことばは強い。
語られていることが何であっても、です。



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