えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

本と読書のこと②

2009年10月15日 | 読書
それっぽい本ばかり読んでいる気がしたので、記録代わりに挙げてみました。

・荘子 ・老子 ・王陽明の本 ・論語 ・ルソーの散歩 ・梅原猛の円空を巡る冒険 ・梅原猛の空海解説 ・アルセーニエフの探検 ・どっかの翁の書いたもの ・とある准南の王様について―金谷治 ・若いドイツの兄ちゃんの懊悩 

・諸星大二郎のジャストミステリー

*書名は一部うろおぼえです

読書はむつかしいです。むつかしい本がむつかしいのは、一つの言葉につまづきながら読む楽しみがあるからです。
つまづきながら読む楽しみ/苦しみに浸ると時間は過ぎる。読まなくてはいけない本はたくさん並んでいる。本はデータのインタフェースのみなのだろうか?とずーっと考えているのですが、どうもモノとしてだけ考えても、伝達のインタフェースとしてだけ考えても仕方のない思いがあります。
でも本と言葉はいくら考えても別物ではないか、という思いは年々深まるばかりで、こうなると言葉をつむいだ人と言葉との関係と、言葉の載る本と言う二つの関係性の二極化で本は引き裂かれてるんじゃなかろうか、先日の愛書家たちを見ていると引き裂かれた片割れを思いました。

読書と理解も、また必ずしも一致せずで苦しいです。本は悩みの塊でもあります。
コメント
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