よみたい本が多すぎて、だらだらとつまみぐいをしながら
日々を過ごしているのですが、このごろは詩の量がすこし増えました。
とは言っても、おセンチに浸れるほど修行が足りず、想像力の欠如も
あいまって、詩を「読む」程度のことしかできず詩のどこを読むのか。
せいぜいが語感のまろみを味わっているだけなのです。
たとえば「兼好法師歌集」の
ころもうつよさむの袖やしぼるらん
あか月露のふかくさのさと
これは夜中、貴人の別荘地である京都伏見の深草へと通っていた最中、
砧を打つ音に気を留めて詠んだうたです。砧は布をやわらかくするために
布を広げ、木の槌でとんとんと繊維を広げてゆくことです。秋の夜長と月に
縁のあることばです。
砧打つ音がきんと届く冷えた夜の沈黙と重みを夜露に託したうたです。
墨のにおいがわずかに薫る、距離のあるうただと思います。ことば勝ち。
いっぽうで「山家鳥虫歌」こちらは全国の歌謡をあつめた本ですが、
月夜影にも乾したい袖を
濡らしたよ又しぼるほど
七七五七調、三味線の音が聞こえないでしょうか。
同じ袖でも夜露に涙、しぼる重みが違います。月の光は冴え冴えとして
ただ明るいだけです。光のつめたいことはわかっていても、
滴り落ちるほど涙のしみこんだ袖はもっとつめたく肌にまとわりつきます。
作者はわかりません。この本のすべての歌の作者はわかりません。
あるいは道端、あるいは田んぼ、あるいは遊里で歌われてきた歌たちの
ことばの切れは息継ぎの間とぴったりで息ができます。
和歌は、語句なので最初の「ころもうつ」と「よさむの袖やしぼるらん」の間に、
意図的な息の止め方があるので、どことなく息苦しい。
ただ、文章を目で追っている最中は、どちらもひらがなのまろみが口どけよく
味わえるのです。
これが漢詩になると、今度は漢字との壮絶なバトルが待構えています。なにぶん
中国語は四声をあきらめた者にとって、それこそ音そのものを味わう漢詩なんて
しょっぱなから理解をなげてかかっているものなのです。
文字の響きと音を融合して初めて芸の真髄がわかる。なべて詩はネイティブのものです。
音を知らない漢詩がデュプロブロックの山河なら、音を知っている漢詩は水墨画です。
字だけ見ていてもそれが十分わかりすぎるほど「もう!!!!」という感じなのですが、
つたない文はもうやめます。こんな漢字です。
鋸山如鋸碧崔嵬 上有伽藍倚曲隈
山僧日高猶未起 落葉不掃白雲堆
(後略)
夏目漱石若き日の詩です。
日々を過ごしているのですが、このごろは詩の量がすこし増えました。
とは言っても、おセンチに浸れるほど修行が足りず、想像力の欠如も
あいまって、詩を「読む」程度のことしかできず詩のどこを読むのか。
せいぜいが語感のまろみを味わっているだけなのです。
たとえば「兼好法師歌集」の
ころもうつよさむの袖やしぼるらん
あか月露のふかくさのさと
これは夜中、貴人の別荘地である京都伏見の深草へと通っていた最中、
砧を打つ音に気を留めて詠んだうたです。砧は布をやわらかくするために
布を広げ、木の槌でとんとんと繊維を広げてゆくことです。秋の夜長と月に
縁のあることばです。
砧打つ音がきんと届く冷えた夜の沈黙と重みを夜露に託したうたです。
墨のにおいがわずかに薫る、距離のあるうただと思います。ことば勝ち。
いっぽうで「山家鳥虫歌」こちらは全国の歌謡をあつめた本ですが、
月夜影にも乾したい袖を
濡らしたよ又しぼるほど
七七五七調、三味線の音が聞こえないでしょうか。
同じ袖でも夜露に涙、しぼる重みが違います。月の光は冴え冴えとして
ただ明るいだけです。光のつめたいことはわかっていても、
滴り落ちるほど涙のしみこんだ袖はもっとつめたく肌にまとわりつきます。
作者はわかりません。この本のすべての歌の作者はわかりません。
あるいは道端、あるいは田んぼ、あるいは遊里で歌われてきた歌たちの
ことばの切れは息継ぎの間とぴったりで息ができます。
和歌は、語句なので最初の「ころもうつ」と「よさむの袖やしぼるらん」の間に、
意図的な息の止め方があるので、どことなく息苦しい。
ただ、文章を目で追っている最中は、どちらもひらがなのまろみが口どけよく
味わえるのです。
これが漢詩になると、今度は漢字との壮絶なバトルが待構えています。なにぶん
中国語は四声をあきらめた者にとって、それこそ音そのものを味わう漢詩なんて
しょっぱなから理解をなげてかかっているものなのです。
文字の響きと音を融合して初めて芸の真髄がわかる。なべて詩はネイティブのものです。
音を知らない漢詩がデュプロブロックの山河なら、音を知っている漢詩は水墨画です。
字だけ見ていてもそれが十分わかりすぎるほど「もう!!!!」という感じなのですが、
つたない文はもうやめます。こんな漢字です。
鋸山如鋸碧崔嵬 上有伽藍倚曲隈
山僧日高猶未起 落葉不掃白雲堆
(後略)
夏目漱石若き日の詩です。